綿毛の雪 15





 『所詮、貴方はぬいぐるみでしかないんです。だから、たとえ動けたとしても何も出来ないんです。ここまで歩いてきて、それが良くわかったでしょう?』


 トスッ、トストス…っと、引き出しを押しながら叩きながら、頭ん中でずっと聞こえてる橘の声。その声を聞いてるとくやしくてくやしくて、苦しくてたまらなくなる。
 けど、それでも橘の言ったコトは違う。
 ぜったいに違う。
 あそこまで歩いてきてわかったのは、短くても小さくても歩けば前に進むってコト。
 前に進むコトができるなら、できるコトはある。橘の目にはムダだって何もできないって、そんな風に見えてても、俺にとってはムダじゃない。
 だから、俺はずっとずっと引き出しを押して叩いた。
 
 「動くコトも歩くコトも、今してるコトだってムダじゃないっ。ムダなコトなんて何もっ、いっこもないんだっ!」

 もしも、ココの人間に見つかったりしたら、橘が言ったみたいにバラバラにされちまうかもしれなくても、このままココにいるよかマシに決まってるっ。マコトがつれて行かれた時みたいに、何もできないままでいるのはぜったいにイヤだったっ。
 ガラスにうつった金色の髪のコドモと、店のヒトと話してるオトナの声。
 俺の耳に聞こえてきた、イギリスって言葉。
 連れて行かれたマコトは…、もどって来なくて…、
 それでも、あの日の俺はガラスを見つめてるコトしかできなかった。
 開かない引き出しを押して叩いてると、あの日のコトを思い出して、胸ん中が苦しくて痛くなる。でも、それでもあきらめないで手を足を動かし続けてると、引き出しの外から声がして、俺は耳をピクピク動かした。
 
 「・・・・ル、・・・・ノルっ! もしかして、ここにいるのか?!」

 引き出しの外から聞こえてくる声は…、聞いたコトがある。
 でも、なんでアイツの声が、そんなトコから聞こえてくるのかわからない。アイツは俺も乗るはずだった船に乗って、イギリスへリュウガクってのをしたはずだった。
 だから、なんか信じられなくて、ちょっとだけ迷ったけど、黒い手ぶくろのはまった右手をぎゅっと胸に押し当てると、すぐに迷うキモチなんてなくなる。一緒にいたのはちょっとだったけど、俺の右手とか胸とか直してくれた時の手は、頭をなでてくれた松本の手みたいにすごくやさしかった。
 「相浦っ! 俺はココっ、こん中にいるから早く出してくれ!!」
 覚悟を決めて俺がそう叫ぶと、返事をするように引き出しを外からノックする音がする。だから、俺も両手で引き出しを思い切り叩いたっ。
 そしたら、カタカタと軽く引っぱる音がして、俺が入ってる引き出しがゆれる。
 その時に外からの光が少し見えて、俺はうれしくなった。
 「良かったっ、一人で飛び出して行っちまって心配してたんだけど、無事だったんだなっ。待ってろよ、カギかかってるけど、何とかしてすぐに開けてやるからっ」
 そう言ってくれる相浦の声が、俺の胸にあったかく強くひびく。
 ウソみたいで信じられなくて、でも…、これは夢なんかじゃない。船んトコで別れた相浦が、なぜかココにいて引き出しの中にいる俺に気づいてくれたっ。
 俺は両手を胸んトコでぎゅっとすると、引き出しが開くのをじっと待つ。
 すると、ものスゴクうれしいのに、ちょっとだけ目をゴシゴシしたくなった。
 
 「やっぱ、ムダじゃない…。ムダなコトなんか、いっこもないんだ…」

 しばらくすると相浦が言ってくれたとおり、ホントに引き出しが開く。
 それから、目の前にあかるい光と相浦のカオが見えて…、
 俺はうれしくて、うれしくてたまらなくなってっ、相浦に思いっきり飛びついたっ。
 「相浦っ、マジで相浦だっっ!」
 「あははっ、マジで俺だよ。自分でも信じられないけどさ、色々と調べてる内に、こんな所まで来ちまったっ」
 相浦は松本に頼まれて、俺と一緒にイギリスに行くつもりだった。
 リュウガクをしたかったから、松本の頼みを聞いたんだ。
 なのに、船に乗らずに俺を探してくれてて…、それでココまで来てくれた。あの時は松本を助けなきゃって、ソレばっかでカバンから飛び出して、相浦のコトなんてちっとも考えてなかったのに…って思うと、相浦にゴメンなって何回も言いたくなった。
 けど、そんな俺に相浦はあやまらなくていいって、首を横に振る。
 そして、なんで俺がココにいるのがわかったのかを教えてくれた。
 「ここの娘の婚約者っていうか、今日が結婚式らしいから婿になるんだろうけど、そいつの友人のフリして聞いたら、白いクマのぬいぐるみを抱えてるのを見たって言う使用人が居たんだ。だから、もしかしてって思ってさ」
 「けど、なんで俺が橘のトコにいるかもってわかったんだ?」
 「ああ、うん…、大事な本とか羽根とかも置いて行っちまってさ。自分で渡せって返してやりたくて、お前の事を探してはいたんだ。けど、ここには別の目的で来たんだよ。この部屋にも黙って忍び込んでるから、見つかるとヤバい」
 「・・・・・・べつのもくてき?」
 相浦が何のコトを言ってるのかわからなくて、俺は首をかしげる。
 そしたら、相浦のカオから笑顔がなくなって、声も小さくなった。
 「たぶんだけど、俺はお前に感謝しなきゃらないのかもしれない。あのまま、船に乗ってたら…、今頃どうなっていたかわからないからさ」
 「どうなってたかって、なんで?!」
 「お前がいなくなった後、俺も後を追いかけようとしたんだけどさ。その時、見たんだ…。黒い服の怪しい連中が、俺を探してるのを…。甘い話はやっぱ裏があるって、今更、後悔しても遅いんだけどな」
 相浦はとっさに見つからないように、隠れたんだって言って肩をゆらせて寒いみたいにブルッとする。そん時のコトは俺は見てなくてわかんねぇけど、相浦が言ってるのはウソじゃない。
 相浦を探してた黒いヤツらは、真田って名前も言ってて…、
 その名前を聞いたコトがあった俺は、ぜんぶホントなんだってわかった。
 「相浦、知ってると思うけど、真田ってのは…っ」
 「松本の…、養父だろ? でも、そういうのが書類上だけってのは、松本を見て…、何となくわかってたんだ。真田がやってるのは金貸しだし、それだけで事情は大体察しが付く。色々と黒い噂があるのも、この街に住んでるヤツなら誰でも知ってるしな」
 「アイツは松本に痛いコトとか苦しいコトとかいっぱいして…、ニンギョウにした。だから、俺は松本を助けたいんだ…っ、松本はあんなトコにいちゃダメなんだっ」
 「・・・・・・」
 あんなヤツのところに、松本を一人きりになんかしちゃダメだっ。
 そのコトに、もっと早く気付かなきゃダメだったんだって…っ、
 だから、早く松本んトコに行きたいんだって、相浦に言うつもりだった。
 俺はわからないけど、相浦なら松本のいるトコを知ってるって思ったから、連れてってくれって頼むつもりだった。
 けど、相浦は俺が頼む前に首を横にふる。
 そして、真田じゃなくて、べつのヤツのコトを俺に話した。
 「・・・・・・・お前の言う事は正しいよ。本当にそう出来るなら、それが良いんだろうと思う。けど、やっぱり相手が悪すぎるんだ。松本を連れ出して逃げたって、万が一、それが上手くいったとしても、アイツと同じような目に遭うだけなんだよ」
 「アイツとオナジような目?」
 「実は船に乗らずに港を出てから、俺の通ってる学校の友達のつてで、色々と真田の事を聞いたんだ。そいつは松原っていうんだけど、帰国子女で親が貿易商をしてるせいか顔が広いからさ。そうしたら、6年前にいたんだよ。自分の知ってる事を全て喋る代わりに、真田を逮捕して欲しいって警察に出頭したヤツが…」
 警察っていうのは、悪いコトしたヤツをつかまえるトコ。
 それはどこでか忘れたけど、聞いたコトがあるから知ってる。でも、しゅっとうってのがわからなくて相浦に聞くと、相浦は暗いカオでジシュしたんだって言った。
 「自首っていうのは悪い事をしたからって、捕まる前に自分で警察に行く事なんだ。でも、ソイツの本当の目的は知ってる事を洗いざらい吐いて、真田を警察に逮捕させる事だったんだよ。なのに、警察はソイツの言葉を信じないばかりか、ろくに何も調べもせずに牢屋に放り込んだらしい…、6年も…」
 相浦はそう言った後でゆっくりと、俺にもわかるように教えてくれた。
 警察にジシュしたヤツは、真田を牢屋に入れたかったらしい。けど、警察はジシュしたヤツを牢屋に入れただけで、真田のコトはなんにも調べなかった。
 悪いコトをいっぱいしてるってわかってるのに、なんにもしなかった。
 そして、ソレは警察が真田の言いなりだって、そういう証拠だって相浦は言う。
 だから、何をしたってムダだって、苦しそうカオでそう言った。
 「ミノルの話じゃ内容までは俺にもわからないけど、松本が書いたっていう契約書も誓約書も法的には無効。守らなくていい約束を書いた、紙クズみたいなもんだよ。いくら松本が頭が良くても、13歳の子供の書いたサインが有効とも思えないし…」
 「もしソレがホントなら、松本はあそこから出られるはずだろっ」
 「・・・・・・・」
 「なんで黙ってるんだよっ!守らなくてもいいなら、 あんなヤツの言いなりになるコトなんかっ!!」
 相浦みたいにむずかしいコトは、俺にはわからない。
 けど、わかっててもわからなくても、ぜったいに松本を助ける。
 それに松本がサインしたっていうヤツが、ホントに紙クズだっていうなら、ソレを松本に教えたら、きっと、今度はあの部屋から出られる。今度こそ、一緒に来てくれるっ。
 だから、松本のトコに行ければ助けられるって思った。
 ぎゅーっと、ぎゅーっと両手を握りしめて、必ず行くからなって…、
 最後に見た震えてた橘の肩を思い出しながら、そうココロん中でつぶやいた。
 俺は松本のコトもマコトのコトも、ぜったいに何もあきらめないっ。
 助けたいからっ、会いたいから…っ、誰になに言われてもあきらめたりしないっ。
 なのに、聞いたコトのある声がドアの方からして、そんな俺のココロをぐしゃりとつぶそうとした。

 「何をしてもムダだと、あれほど言ったのに聞いてなかったんですか? いい加減に目を覚まさなければ、貴方のように無力な存在は、すぐに切り刻んでバラバラにされてしまいますよ。貴方だけではなく、そこの君も…」

 ドアの方からした低い・・・、冷たい声・・・。
 この部屋には俺らしかいないって思ってたのに、いつの間にかもう一人いて。
 俺も相浦もびっくりして、もう一人のいるドアの方を見る。
 ホントは声だけでわかったけど、ソレだけじゃ信じられなかった。だって…、引き出しの外から、今日は結婚式だから、いない間、おとなしくしてろって言われたんだ。
 なのに、なんでかココにいる。
 どうしてなのかわからなくて、俺は相浦と一緒にそいつの名前を呼んだ。

 「橘遥…っ」
 「たちばなっ、なんで!?」

 また、あの暗い中に入れられるって思って、俺はじりじり後ろにさがる。
 そしたら、心配するなって言って相浦が俺を手で持ち上げてから、腕の中にぎゅってしてくれた。
 「アンタ…、ここの娘との結婚式はどうしたんだ? 白いタキシード着てるって事は、間違いなく…、今日なんだろ?」
 相浦がそう言うと、橘はパタンと入ってきたドアを閉じる。
 すると、なんか…、気のせいかもしんねぇけど、部屋が暗くなった気がした。
 その暗さも冷たさも、どっかミミコのいたトコに似てるカンジで…。そして、その中心にいるのは俺と相浦じゃなくて、あの羽みたいに真っ白な服を着た橘だった。
 「えぇ、確かに今日でした。ですが、式を始める前に、中止になってしまいましたよ。そして、その理由はさっきの口ぶりから僕よりも…、君の方が良く知っていそうですが?」
 「君…じゃなくて、相浦だ」
 「そう、では相浦君…」
 「・・・・・」
 「何を期待して、こんな所へ忍び込んで来たのか知りませんが、僕は何も知らないし、何も出来ませんよ」
 「けど、アンタは6年前に、真田を牢獄へ送ろうとした。結婚式の中止は、その時の事を…知られたからか?」
 
 ・・・・・6年前。

 その言葉を聞いた俺の耳が、ピクピクと動く。
 相浦が話してくれた警察にジシュしたヤツは、橘だった。けど、そしたら橘は牢屋ん中にいて、今は出てきたからココにいるってコト…なのか?
 なんか、わかんないコトだらけで、そういうのぱっかで俺はさっきみたいにわかるように話して欲しくて相浦のそでを引く。でも、相浦は橘と話してて俺に気づいてくれなくて、なんにも話してくれなかった。
 だけど…、それでも俺にもわかるコトはある。
 松本をニンギョウにした真田を橘は知ってて、警察に捕まえさせようとした。
 6年も前に、そうしようとしてダメだった。

 でも・・・・、今は?

 ぎゅっと相浦のそでをにぎって、そんなコトを考えてると橘の手がいきなり俺に向かって伸びてくる。
 けど、相浦が後ろにさがってくれたおかけで、橘の手は俺にさわったりしなかった。
 「知られたのではありませんよ、僕が教えてさしあげたんです。誰もが物忘れが激しいのか、それとも隠ぺいでもされていたのか、僕がつい数か月前まで牢に繋がれていた罪人である事を知らないようなので」
 「そ、それは彼女を愛してるから、ウソをついていたくなくてとか…」
 「彼女を愛してるから、結婚式の当日にそんな告白を?」
 「・・・・・・・っ」
 「確かに君の言っていた事は事実ですよ。僕は警察に自首して、真田について知っている事を洗いざらい吐きました…。ですが、それを知っている君も、一つだけ肝心な事を忘れています」
 「忘れてるって、一つって何を?」

 「僕は無実の罪を着せられて、牢獄に繋がれていた訳ではありません。僕は真田と同じ穴のムジナ…、罪人だから繋がれてたんですよ」

 真田とオナジ…、ザイニン。
 初めて会った時、橘は自分のコトをサイアクで醜いって言った。
 でも・・・、二人の話を聞いてても、俺はなんか信じられなくて、じっと橘の目を見つめる。けど、俺を引き出しに閉じ込めた時の目も、今の橘の目もすごく冷たい。
 俺の知ってる橘とは、ぜんぜん違うヒトみたいだった。
 まんまるの月の日と前にココで会った時とは、ぜんぜん違うヒトだった。
 それって、やっぱザイニンってヤツで、ホントは悪いヤツだからなのか?
 あんなに優しかったのも、ぜんぶぜんぶウソなのか?
 そう思うとすごく哀しくて、すごく苦しくて…、なんでって叫びたくなる。
 マコトに会えるといいって、そう言ってくれたのに…、
 マコトのトコに行けるようにって、キラキラをくれたのに…、
 それもぜんぶウソだったなんて、そんなの信じたくなかった。
 だから、俺はにぎってたそでから手を離すと、なんにもしゃべらなくなった相浦の腕の中から抜け出して、机の上に降りると橘の前に立つ。
 そして、風呂敷の中から本を出すと、ぎゅっと抱きしめてまっすぐ橘を見た。
 俺が信じたいモノを、俺が信じてるモノを見つけたいから…、
 大切なモノを守りたいから、助けたいから…、
 まっすぐに見つめて…、抱きしめた本を橘に見せた。

 「ザイニンでも、真田とオナジなんかじゃない。だって、橘はジシュして真田の悪いコトをやめさせようとしたんだろ? だったら、オナジなんかじゃない…っ、ぜったいに」

 俺がそう言ったら、橘の肩がピクって揺れる。
 だけど、目はやっぱり冷たいままで…、
 でも、その目は俺じゃなくて、俺が抱きしめてる本を見ていた。
 「俺は松本を助けたい。そのために、ココまで歩いてきたコトをムダだなんて思わない。あそこまで歩いてなかったら、橘にも相浦にも会えなかった」
 「・・・・・・」
 「だけど、俺だけじゃ力が足りないんだ。俺が歩く一歩じゃ間に合わない…、だからっ」
 「警察に自首したのが事実だったとしても、僕は何も知らないし何も出来ない。そう、さっきも言ったはずです。そこの相浦君も言っていたように、何をしても無駄ですよ。法的に意味のない紙クズでも、この街では意味のあるものになる」
 「このまち、では?」
 「この街で真田に逆らった者は、生きていけない。サインをしたら最後、契約からも誓約からも逃れられない…、死ぬまで」

 ・・・・・・死ぬまで。

 何も知らない…と言った橘の口から、言葉がこぼれて落ちる。
 その言葉がどんなに冷たくても、止まらないで落ちてくるコトに…、
 松本の本を見つめ続けてる目に…、俺は信じられるモノをちょっとだけ見つけた気がして…。だけど、それを消してしまおうとするかのように、本に向けていた橘の目が、さっきよりも冷たく俺の方を見た。
 「僕の言う事を、信じようと信じまいと貴方の勝手。ですが、これがこの街の現実です。真田に弱味を握られ、その足元にひざまずいている人間…、特に権力を握っているほど、その割合は多い」
 「だから、それがなんだってんだ!」
 「やはり貴方は縫いぐるみ…、これだけ親切に教えて差し上げても何もわからないのですね。それを不幸と呼ぶのか、幸運と呼ぶのか僕にはわかりませんが」
 「誰にムリだってムダだって言われても、俺はぜったいにあきらめないっ。だから、俺が聞きたいのはムリだとかムダだとか、そんなコトじゃないっ」
 「・・・・・」
 「たちばなっ!」
 「そこの相浦君も黙っていないで、何か言ったらどうです? 今回の件について、すでに無関係ではいられない立場でしょう? 隆久君に何かあれば、乗る予定の船に乗らず消えた君に疑いがかかる可能性がある」
 俺の言葉に答えないで、冷たい橘の目が今度は相浦を見る。
 そしたら、相浦は少しだけ俺を見て、橘を見ないで下を向いた。
 でも、ソレを見なくても、橘に言われなくてもわかってる。
 二人とも俺に松本を助けるのはムリだって、助けようとしてもムダだって…、
 相浦も…、橘と同じコトを言おうとしてたんだって…。
 だけど、何を言ったって、俺は松本を助けに行く。
 二人が行かないと言っても、それだけはぜったい変わらない。
 でも・・・、そうじゃなくて、それだけじゃなくて…、
 同じコトを俺に言おうとしてる、言ってる二人を見て…、見つけた。
 俺を引き出しに閉じ込めても、冷たい目をしてても…、

 ・・・・・・・・・それでも橘はきっと。

 俺が信じてるのは、たぶん初めて会った日…、
 松本の部屋を見上げてた、橘の横顔。
 その時、橘は会いたいのに会えないって、さみしそうに哀しそうに言った。
 けど、そんな俺のキモチを知ってるみたいに、橘は俺の手から持ってた本をたたいて落とす。そして、相浦が縫ってくれるまでやぶれてた胸に、人さし指の指先を向けた。
 「この街で、真田に逆らった者は生きてはいけません。ですが、相浦君が言っていたように、僕は真田を裏切った。なのに、僕はこうしてココに無事でいる。それがどうしてなのか…、貴方は不思議に思わないんですか?」
 「でも、6年も牢屋に入ってたって…」
 「裏切りに対する真田の報復は、その程度で終わるほど、甘くはありません。じりじりと追い詰められてなぶり殺しにされた人間を、僕は何人も見て知っています」
 「なら、今も真田に狙われてんのか?!」
 「いいえ、狙われていません…、今は。僕の代わりになってくれる人が、どうやら見つかったようなので…」
 「橘の・・・、代わり?」
 「僕は自分の代わりになってくれる人を、ずっと探していた。それは身代りを差し出せば、僕を解放すると真田が約束したからです」
 そう言いながら橘の指が、ゆっくりゆっくり近づいてきて、やっと直してもらった胸を突く。そしたら、そこからなにかが…、冷たいモノが広がってく気がして、俺は一歩だけ後ろに後ろにさがった。
 でも、それでも橘の指が追ってきて…、胸を突いて…、
 まるで、橘が話してくれた、じりじりと追いつめてくる真田みたいだった。
 「今の僕はもう、契約書にしばられる必要も真田の報復におびえる必要もない。僕は自由です…、隆久君のおかげで自由になれたんですよ。そんな僕が隆久君を助ける手助けをするなんて、バカな真似をするはずがないでしょう?」
 「そ、そんなのウソ、だろ?」
 「ウソではありません」

 「ウソだっっ!!!」

 そんなの…、そんなの信じられるワケない。
 だって、橘が話してた会いたいヒトは、きっと松本のコトなんだって…、
 知らないって言われても、きっとそうなんだって思ってた。
 初めて会った日の、ハツコイのコトを教えてくれた時の優しい橘を俺は信じてる。
 だから、どんなに冷たくても、何かワケがあるんだって…、
 ソレを見つけたくて、じっと橘を見つめてたけど、胸を突く指が冷たい言葉が…、
 ココロの中に冷たい…、冷たい雨を降らせた…。
 「今は信じられないかもしません。ですが、僕が貴方と初めて会った時、なぜ驚かなかったのか…、それを知れば、きっと僕の言う事を信じたくなりますよ」
 「もしかして…、やっぱりマコトのコトを…」
 「えぇ、知っていますよ。貴方の片割れが、もうこの世にいないという事を…」
 「・・・マコトが、いない?」
 「そうです、僕がこの手で切り刻んで綿にして捨てた」
 「・・・・・・・」

 「日本にいようとイギリスに行こうと、どんなに歩こうと…、貴方は片割れの黒いクマには会えない。もう、二度と会えないんですよ」

 もう・・・、会えない・・・。
 あんなに歩いたのに、あんなにいっぱいいっぱい歩いてきたのに…、
 マコトは・・・・・、もう・・・・・。
 何回も何回も胸に、ココロん中に橘の声が響いて…、
 俺はゆっくりとゆっくりと手を、マコトに会いたくて会いたくて動かした手を見つめる。
 ウソだと叫びたいのに叫べなくて、俺はハツコイは叶わないっていう松本の言葉を思い出しながら、橘が突いた白い白い綿の詰まった胸を自分の手で破いた…。




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  2009.1.31