綿毛の雪 10




 俺の手の中には、白い羽。
 それはずっと変わらずにふわふわで…、ハツコイみたいで…。
 でも、それは今も、松本に渡すことができないままだった。
 松本の胸の中に、ふわふわであったかい音をいっぱい降らせたかったのに…、
 養父ってヤツに今いる場所に連れて来られてから、松本はいつも目をそらせてばっかで羽も俺も見てくれない。前みたいに眉間に皺を寄せたりはしなくなったけど…、その方がまだマシだって思えるくらいカオには何も浮かばなくなって…、
 何回、じーっと見つめてみても、辛いも悲しいも何もカンジられなくなった。
 いつも俺に似てる…、だけど、少し違うニンギョウみたいなカオしてる。
 だから、俺は何度も松本に、ココを出ようって言った。
 ココを出て…、二人でどっかに行こうってズボンを何回も引っ張った。
 けど、そんな時、いつも松本は俺の頭をポンポンと優しく撫でながら…、
 大丈夫だ…、必ずマコトに会わせてやるからって、心配はいらないからって言う。絶対にココから逃げ出したりしてないって、俺の言うコトなんて少しも聞いてくれない。
 そして、夜になると必ず俺を鍵のかかる戸棚の中に、無理やり閉じ込めて、前にふろしきの中に入った時みたいにおとなしくしていろって…、おとなしくしていてくれって命令とかじゃなく、頼むように言うんだ。
 できれば耳を塞いでいてくれ…、何も聞かないでいてくれと…、
 いつも俺に頼んで頭を撫でて、俺がわかったとうなづくと…、

 ミノルはいい子だなって・・・・、そんな風に言って。

 松本はココに来てからニンギョウみたいになったけど、俺を撫でる手も俺にかけてくれる声もすごく優しくて…、胸が少しズキズキするくらい優しくて…、
 だから、始めての日は言うコトを聞いて、戸棚から出してもらえるまで耳をふさいでいた。松本があんな風に頼むコトだから、絶対に聞かなきゃダメだって思ってた。
 だけど、いくら塞いでも聞こえてくる音とか声とかがあって…、気になって…、
 ある日、俺は上にぴょこんと伸びてる耳を折りたたむようにふさいでた手を放した。
 そしたら…、ギシギシ…って何かヘンな音と…、
 ココの持ち主だっていう男の声と、松本の苦しそうな声が聞こえてきて…、
 俺が思わず助けに行こうとカギがかかってる扉にカラダをぶつけると、松本の叫び声が響いてきた。
 
 「嫌だ…っ!!! やめろっ!やめてくれっ!!」
 
 俺のいる戸棚に向かって叫ぶ、松本の声。
 その声を聞くと俺の胸がドクンと音を立てて、なぜか戸棚から出ようとしてた手もカラダも止まる。そして、俺の動きが止まったのに合わせるみたいに、ギシギシギシ…って鳴る音が大きく早くなって、聞いてるだけでムカツク男の声が俺に耳に届いた。
 「今、やめろと言ったが…、やめていいのかね? やめられて困るのは私ではなく、君…、だろう?」
 「・・・・・・・だ、だまれっ!」
 「それに、これは君の望んだコトだ。君は望んでココに来た…、そうだろう?」
 「あ・・・っ、うぅ・・・・っ!」
 「それにしても変わっているというか、物好きだな、君は…。イギリスへの留学生を募ったり、君から何もかも奪い取った憎むべき相手の、叔父の借金を肩代わりしたり…」
 「そ、そんなの…っ、貴方には、関係な…っ!!」
 「ふふふ…、君はとても面白い。予想以上に気に入ったよ、その面白さも、この身体も…、私を飽きさせない」
 「・・・・・・っ!!」

 「これから…、もっと色々と楽しめそうだ」

 ギシギシと鳴る音が止んで、会話も止んで…、
 けれど、俺の胸は壊れるくらい激しくなってて…、動けない。
 そして、またギシギシという音が聞こえ始めると、俺は耳を塞いだ。
 ムカツク男の言うコトが良くわからなくて、松本のコトも良くわからなくて…、
 外で何が起こってるのか、知りたいのに知りたくなくて…、
 俺は戸棚の中に入れられていた、一冊の本をぎゅっと抱きしめた。

 「マコト…、ごめん…。せっかく会いにいけるって、もうすぐだって言ったけど、まだ会いに行けないみたいでさ…。ごめん…、ごめんな…っ」

 松本がニンギョウになったり、夜になると苦しい声を出して…、
 ギシギシ音を立てながら、あんなヤツと何かしたりするのは借金ってヤツを返すためで…。でも、それは俺をマコトんとこに行かせるためでもあって…、
 だから…、俺はココから出て行くコトを決めた。
 俺は俺のために、松本にニンギョウなんかになって欲しくなかったから…、
 俺の頭を撫でる優しい手も、いい子だって言う優しい声も…、胸がズキズキするくらい悲しすぎたから、俺は松本のそばにはいられないって思った。
 松本にさよならって言うつもりでいた。
 だけど、部屋がようやく本当に静かになった頃、俺のいる戸棚を開けた松本は俺を両手で掴んで持ち上げると…、俺を抱きしめてた本と一緒にぎゅーっと抱きしめる。
 そして、フラフラと倒れ込むように、床に座り込んだ。
 「・・・・・お前だけだ」
 「え?」
 「お前がいてくれるから、俺は…。今も…、こんなになっても立っていられる…、まだ倒れずにいられるんだ」
 「・・・・・松本」

 「お前は俺の…、たった一人の友達だから…」

 俺を友達だって…、そう言った松本の肩は小さく震えていた。
 その肩も背中も俺よりも、ずっとずっと大きくて…、
 でも、その時だけは俺よりも、ずっと小さく見えた。
 小さなヒトで、小さなコドモに見えた…。
 だれど、そんな風に思っても、俺の手も腕も小さすぎて松本の背中どころか肩も抱きしめられなくて…、肩を撫でるコトしかできない。だから、必死で腕を伸ばしながら、松本の肩とか首を何度も何度も…、赤い痕がいっぱいついてるトコを痛いの痛いの飛んでいけって…、
 いつか、どこかで聞いたおまじないのコトバを呟きながら撫でた。
 
 「俺さ、ぬいぐるみで…、ゴメン…。ぬいぐるみでゴメンな、松本…っ」

 おまじないの合間に、そんな言葉が口から出て…、
 胸に何かが詰まったみたいに苦しくなって、俺は松本と一緒に震える。
 回らない腕が、肩しか撫でられない手がくやしくてたまらなくて…、
 松本に抱きしめられながら、俺は抱きしめた本と戸棚に隠してある白い羽を想った。
 また、こんなに松本の胸が苦しく鳴ってるのに、俺は白い羽の一つも松本に降らせるコトができない。ふわふわであったかい羽を降らせるコトができたら、きっと…、震えてる肩だって止まるのに…、痛いのだって飛んで行くのに…、
 そう想うと悲しくて…、くやしくて泣きたくなった。
 そしたら、まるで俺らの代わりに泣いてくれてるみたいに、すごく大きな音が聞こえて、外に雨が降り始める。

  悲しくて苦しくて…、俺と松本と一緒に空が泣いてた。
 
 悲しい悲しい雨の音。
 苦しくてたまらない胸の音…。
 そんな音が満ちていく部屋で、俺は松本にさよならを言うコトなんて出来なかった。こんな悲しくて苦しい音だけで、いっぱいになった部屋に松本を置いていけなかった。
 俺は松本の、たった一人の友達で…、
 松本は俺の…、たった一人の友達だから…。
 一緒に行こうってズボンを引っ張りながらも松本がいたから、それからも俺もココにいた。だけど、それから一ヶ月くらいして、俺を一緒に連れてイギリスに行くコトに決まったっていう相浦っていうニンゲンが部屋にやってきた。
 
 「こんにちは、ミノル君? 俺、相浦って言うんだけど、今度、君を連れてイギリスへ留学させてもらえる事になったんだ」

 相浦っていうニンゲンは、松本から話を聞いてるって言って、俺を見ても少しも驚かない。それどころか、少しも怖がらずに俺によろしくって言って握手してきた。
 だから、俺もなんとなくヨロシクってアイサツする。
 そしたら、松本がほっとしたように息を吐いた後、俺が言おうとしていたサヨナラを俺に言った。
 「相浦は一緒に連れて行くだけではなく、お前の面倒も見てくれる事になっている。だから、お前はイギリスに着いたら、マコトを探すコトだけに専念しろ」
 「だ、だけど…、俺はっ」
 「前に会える可能性が増えるように、砂粒が米粒…、アリくらいにはなるように祈っていろって言っただろう?」
 「・・・・・うん」
 「だから、あれからマコトに会えるように、たくさん祈っただろう? 俺もたくさん祈っていた…、お前がマコトに会えるように…」
 「松本・・・」
 「二人で祈ったのだから、そして、これからも二人で祈るのだから…、きっと会えるに決まっている。だから、何も心配しないで行け…、ミノル…」
 「でもっ!!!」

 ・・・・・松本を置いては行けないっ。

 俺がそう言おうとすると、松本は置かれていた本と羽を俺の胸に押し付ける。
 そして、まるで俺の胸にふわふわの羽を降らせようとしてるみたいに、今まで動かなかった松本の表情が動いて、すごくキレイに…、優しく微笑んだ。

 「初恋は叶うんだと…、せめて夢の中だけでも信じていたい。だから、お前の初恋を叶えてくれ、ミノル。それが何もかも失った俺に残された、たった一つの夢だから…」

 俺のハツコイと、松本の夢…。
 叶えて欲しいって松本に言われて、俺はうなづくしかなかった。
 置いていけないって思ってても、優しく微笑む松本の瞳が許してくれなかった。
 ずっと、そらされてばかりいたのに、やっと俺を見てくれた真っ直ぐな瞳は始めて俺をイギリスへ行かせてやると言った時と同じ色をしていた。
 いつものニンギョウじゃない…、ニンゲンの瞳。
 カオに浮かぶ微笑みも俺を見る瞳も、ホントに俺がマコトに会えるコトを祈ってた、祈ってくれていた…、願ってくれていた。だから、こんなトコであんなヤツにいっぱい色んなコトされながら、今日を作ってくれた。

 マコトのいるトコに行ける…、そんな日を…。

 俺が真っ直ぐに見つめてくる松本を、真っ直ぐに見つめ返してコクリとうなづく。
 すると、松本はすごくうれしそうなカオをした。
 その時、ほんの少しだけ、ほんの雪の一粒くらいだけ白い羽が降ったような気がする…。だけど、屋敷から出るコトができない松本に微笑みを浮かべたまま、相浦の言うコトをしっかり聞くんだぞと、元気でと…、あっさりとした別れを告げられ、相浦に連れられて部屋を出ようとした瞬間、俺はそれが気のせいだというコトに気づいた。
 
 「松本…、ありがとう…。俺っ、きっとマコトと一緒にココに帰ってくっから!」
 「あぁ、待ってる…。待ってるから元気で、気をつけて行って来い」

 最後に交わしたのは、そんなコトバで…。
 ホントはもっと言いたいコトがあったのに、松本の微笑みに言うなって言われた気がして言えなくて…。だから、俺はちゃんと帰ってくるって言って、ちゃんと帰って来いって言ってもらったのに、ドアが閉る瞬間、抱かれた相浦の腕の隙間からカオを出し後ろを振り返る。
 すると、松本は自分の両肩を抱きしめて震えていた。
 優しく微笑みながら…、寒そうに肩を抱きしめながら震えていた。

 「松本ーーっっ!!!!!」

 松本の所へ行きたくて、相浦の腕から身を乗り出す。
 だけど、そんな俺を相浦が捕まえて、静かにしろと言って口を塞いだ。
 「どんな事情があるのか知らないけど、あの人を困らせたらダメだよ。だってさ、君のために俺を留学までさせて…、そんな人の想いを無駄にするような事をしたら、後で後悔するのは君だから…」
 「・・・・・っ!」
 「それに帰ってくるって、自分で言ったじゃないか…。だから、俺と一緒にマコトってクマを見つけて、ここに帰って来よう、なっ?」
 そう相浦に言われたみたいに、確かに俺は帰って来るって言った。
 そして、必ず帰るつもりでいる…っ。
 絶対にマコトを見つけて、二人でココに帰ってくるんだっ。
 だけど、その間、松本は?
 あそこにいる松本は…?
 そう考えると胸が張り裂けそうなほど、会いたくて会いたくてたまらないのに…、
 マコトのコトが大好きなのに、イギリスに行くことをうれしいって思えなかった。

 「マコト、お前に会いたい。すごくすごく会いたい、会いたくてたまらない…。だけど…、それでも俺は…」

 そんな風に想い考える間も、相浦は俺を連れて外へ外へと向かって…、
 俺の中で答えが出ないまま、何の答えも出せないまま…、
 ふと、気づくと松本がいる部屋も建物も、すぐには帰りつけないほど、遠くなっていた。




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                                         2009.11.1再アップ