これから先のことなんて何も考えたことがなかった。 本当に面白いくらいになにも…。 けどそれは、生きる意味がわからないなんて悩んでたワケでも、どうせ生きててもなんて自暴自棄になってたワケでもなくて、ただ自分が望んでいること、欲しがっているモノ以外に自然と興味がなかっただけだった。 生きてるってコトは確実にいつか死ぬってコトだから、悩む必要なんかない。 だからそんなコトを悩んだりはしないけど、その限りある時間の中でどれだけあの存在と一緒にいることができるだろうかと考えたりはする。 もしそれを言ったらきっと、ばっかじゃねぇの、なんて言われるのかもしれないけど、それだけが唯一、俺にとって重要なこと。 どうしてだとかなんでだとか理由なんてどうでもよくて、ただ、たとえそれがどんなコトでも一緒にいられる理由がもらえるならそれで構わなかった。 だからこうやって過去を捜すのに協力してても、やっぱりそうしているフリをしてるってだけ。 本当は、過去にも何者かってことにも全然興味なんかなかった。 一緒にいること、そばにいること。 それだけしか俺が考えてなかったって言ったら、想ってなかったって知ったら…。 一体、どうするんだろうね? 六月というのはやはり雨が多いため、今週一週間は雨が続くと天気予報では報じていた。 今日の空は一面灰色の雲に覆われてはいたが、まだかろうじて雨は降っていない。 少々風が生ぬるいが、それでもまだ降るか降らないかは微妙な線だったので、道行く人々もまだカサを持っている様子はなかった。 やはり出かけようとした瞬間に雨が降っていないと、やはりカサを持って行くことを忘れてしまうものらしい。 だが、横断歩道を二人で並んで歩いている久保田と時任は、忘れたのではなく知っていて持ってきていないようだった。 「なんかマジで雨降りそうになってきたじゃんかっ」 「カサいらないって言ったの、時任でしょ?」 「そうだけどさ。なんで俺がいらないっつったからって、久保ちゃんまで持ってねぇんだよ?」 「ん〜、持って歩くの面倒だから」 「そんくらいで面倒がるなっつーのっ」 「それは、お互い様」 二人は東湖畔の鵠から頼まれた仕事を終えて帰る途中、雨が降りそうな気配を感じてはいたが特に急ぐこともなくのんびりと歩いていた。 鵠が二人に回してくる仕事には、それほど危険なものはない。 それはやはり、鵠が商売をする上においてきちんと客を選んでいるという証拠だろう。 こういう商売では、やはり商売する側も細心の注意を払わなくてはならない。 始めは久保田だけで仕事をしていたのだが、時任の体調が良くなってからは二人で仕事をするようになった。働かざるもの食うべからずではないが、自分の稼いだお金で生活するということは、やはり生きて行く上で覚えなくてはならないことである。 そういう意図があったかどうかはわからないが、鵠の進めもあって久保田は時任と一緒に仕事に出かけることにしたのだった。 時任も東湖畔に行くことを最初は嫌がっていたが、仕事をするようになってからは次第に鵠にも馴染んだようである。 「…時任」 「なに?久保ちゃん」 「今日の俺らって、追っかけのヒトついてるみたいなんだけど?」 「やっぱ人気者だもんなぁ、俺って。もしかしてアイドル並み?」 「う〜ん、そうかもだけど。お前ってオジサン専門アイドルかもよ?」 「げぇ〜、気持ちワリィ」 横断歩道を渡って中華街方面へと歩いている二人の後ろには、尾行が三人ばかりついていた。そして、進行方向には停車している怪しい車が二台いる。 時任と久保田は気づかないフリをして歩道を歩いていたが、怪しい車の窓がスゥッと開いていくのを見た瞬間、横の裏路地へと二人同時に走り出した。 すれ違う瞬間に狙撃されることがわかったからである。 「とりあえず、まかなきゃ鵠さんトコには行けないからさ」 「このクソ暑い時間帯に、マラソンなんかしたくねぇってのっ!」 「同感」 昔、横浜に住んでいたせいか、久保田はここら辺りの道にはかなり詳しい。 絶対に車が進入できないくらい狭い幅の汚い路地を、二人は何度か角を曲がって方向を変えつつ走った。 追いかけっこをするにしても、撃ち合いをするにしても、やはり土地カンのある者の方がかなり優位になる。久保田は行き止まりまでくると、行き止まりの右にあったドアを開けた。 「おい、そこって…」 「うん、中華料理屋の勝手口」 「いいのかよ?」 「いいから来なさいって」 久保田に言われるまま時任が勝手口から中に入ると、その中では大勢のコック達が忙しそうに料理を作っていた。中華なべを振る音と、まな板で野菜を切る音、そして食欲をそそるようないい匂いが部屋中に満ちている。 けれど忙しいせいか、二人の不審な侵入者を気に止めたりしていない。 交わされている言葉は完全に中国語だった。 「久保ちゃん」 「行くよ」 久保田は時任の手を引っ張って、そんな中華料理屋の厨房を横切っていく。 時任はキョロキョロ中を見回しながらも、久保田についてそこを通過した。 本当に気づかなかったどうかは定かではないが、店の従業員やマネージャーにも見咎められることなく、二人は表の玄関から無事に通りへと出ることに成功したのである。 「なんで誰もなんにも言わねぇの?」 「忙しいからじゃない?」 「そういうもんか?」 「そういうもんでしょ?」 さすがにここまでは追ってくる様子はなく、誰かに見張られているような気配もない。 久保田と時任はお互いの顔をなんとなく見合わせてから、再びゆっくりと街を歩き始めた。 だが、歩き出した道の上にポタポタと大きな雨粒が落ちる。 運の悪いことに、雨が降り始めたらしかった。 「降り出しちゃったねぇ」 「急ごうぜ、久保ちゃん」 時任はそう言いながらも、まだポツリポツリと雨粒を落としてくる空を振り仰ぐ。 すると、灰色の空から降り注ぐ雨が一粒、時任の頬に落ちた。 見上げた視界の中に見えるのは、暗い空と二人の前に建つ古いビル。 時任がふとそのビルに視線を向けた瞬間に、何かがそこで光った。 「…っ!!久保ちゃんっ!!!」 その光に気づいた時任が、とっさに久保田の身体を突き飛ばす。 突然の時任の行動に久保田が驚き慌てて時任の方を振り返ったが、その久保田の視界の中で、時任の身体が小さく跳ねた。 「・・・・・・っ!!」 久保田が時任の方へ腕を伸ばしたが、その腕が届くよりも早く、時任の身体は崩れ落ちるように倒れた。 「時任!!」 久保田は時任の名前を呼んで走り寄ったが、そうするのを狙っていたかのように銃弾が久保田を襲う。 サイレンサー付きの拳銃から発射された弾がその肩を貫いた。 時任のことに気を取られていた久保田は、それに反応することができない。 しかし久保田は銃弾を受けても倒れず、そのまま素早く拳銃を構え、狙撃者に向かって引き金を引いた。 この距離では無理かと思われたが、弾丸は狙撃者の額を貫通する。 久保田はためらいもなく引かれた引き金からゆっくりと手を外すと、肩からの痛みに耐えつつ拳銃を懐にしまった。 そうしてから倒れている時任の前にしゃがみ込んだが、時任はぐったりとして動かず、その瞳も硬く閉ざされたままだった。 時任の身体からは流れ出した赤い血液が道を濡らし、その上に冷たい雨が降り注ぐ。 まるでその雨は、何もかも命すらも洗い流して消してしまおうとしているかのようだった。 まるで華が咲いたように赤い鮮やかな色が、久保田の視界に入ってくる。 あまりにも鮮やか過ぎて、その色は目に痛かった。 「…時任」 久保田は血を流しすぎて青くなっていく時任の頬に手を伸ばす。 その頬はもう冷たくなっていた。 時任が撃たれたのは、わき腹と右のこめかみの上の辺り。 こめかみの方はかすっただけのようだが、わき腹は急所から外れてはいるものの当たり所が悪い。久保田は自分の上着を脱ぐと、時任のわき腹をそれで押さえた。 あまり意味がないように思われたが、それでもしないよりはましである。 久保田は上着を時任のわき腹に巻くと、大事そうにその身体を抱えあげ、激しく降り出した雨の中を走り始めた。 「先に逝ったら、許さないよ…、時任」 久保田の身体を、時任の血と空からの雨が濡らしていく。 何もかもが濡れていく中で、久保田は時任の体温と鼓動だけを感じようとしていた。 だが、冷たい雨がそれを邪魔して時任の体温を、命を奪っていく。 次第に時任が冷たくなっていくような気がして、久保田は唇を噛みしめた。 流れゆく暖かい血が服を濡らして、その感触が次第に痛みへと変わっていく。 久保田の顔からは表情が消えて、引き結ばれた唇が凍えたように青くなっていた。 東湖畔への見慣れた風景がユラユラと揺れていて、それを見ていると目眩がする。 息ができなくなりそうな激しい雨とむせ返るような血の匂いの中、久保田はしっかりとその存在を確かめるように時任の身体を抱きしめながら走った。 流れ落ちる血が冷たくなってしまわないことを消えてしまわないことをひたすら願いながら、心の中で何度も何度も名前を呼んで、先に逝くなと絶叫しながらそのぬくもりにしがみつく。 久保田の胸の奥底にある息苦しいほどの想いは、時任だけに向けられていた。 恋しさも愛しさもなにもかもが、時任の上にだけある。 時任だけが久保田の心の中に存在していた。 だから、ただ隣にいることだけを、だだそれだけを願っていた。 それだけがすべてだった。 なのに、今それが久保田の腕から失われてしまおうとしている。 こんなことが起こっていいはずはない。 そんなことが許されるはずなどなかった。 こんなに願って、想っているのに、それがこんなに簡単に失われるなんてことが、そんなことがあっていいはずがなかった。 なのに冷たい雨が、まるでそんな久保田の想いをあざ笑うかのように降り注いでいる。 久保田は雨に煙る中華街を、痛みと目眩と戦いながら東湖畔に向かって走り続けていた。 |
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