『お客様にご連絡いたします。只今、停電となっておりますが、直ちに予備電源に切り替えますので、しばらくそのままで動かずお待ちくださいませ』 そういうアナウンスが流れた後、真っ暗だった館内の電気があちこちでつき始めたので、時任は久保田のいるはずの方向へと視線を向ける。 だが、水槽の赤い光と非常灯の明かりを頼りに見回しても、なぜか久保田の姿は見えなかった。 「久保ちゃん?」 不安にかられながら周囲を捜したが、それでもやはり見つからない。 電気が消えていたのはたった数分、しかも久保田は眼鏡をかけていないので自力で移動できるような状態ではない。そんな状況の中で、時任が久保田を見失うようなことが起こるとは思えなかった。 「まさか、何かあったとか?」 そのまさかが何かはわからなかったが、時任は自分でも気づかぬ内にそう口走る。 右手に持っている眼鏡を眺めながら、時任は久保田から眼鏡を外したことを後悔した。 眼鏡をかけているならそんなに心配する必要はないという気がするが、実際、久保田は今眼鏡をかけていないのである。 これは偶然が重なった結果だった。 「どこ行ったんだろ、いないなんてはずねぇのに…」 焦りを感じながら時任がそう呟く。 停電前と同じように水槽を眺めつつ人々が過ぎていく中、時任だけがその場に立ち止まっていた。 そうしていると、ザワザワと聞こえてくる人のざわめきが声ではなく音にしか聞こえなくなってくる。 暗闇と光と音が静かにこの空間に満ちていくような感じがして、時任は軽く右手で片目を抑えた。 息が詰まりそうで目眩がする。 外出する時はいつも久保田が一緒だったので、こんな風に人込みで一人きりになるのは初めてだった。 久保田がそうをさせなかったからというのもあるが、時任自身も一人で出かけたくなかったからである。 不安が胸をよぎるが、とにかく何が何でも久保田を捜さなくてはならない。 本当に久保田がここにいないことを知った時任の瞳に鋭い光りが宿る。 そして、すぐそばを行き過ぎる人々を警戒するように、キリリと張り詰めた空気が時任を包んだ。 「大丈夫だ、ぜんっぜん平気…」 久保田の眼鏡を軽く握りしめてそう呟くと、時任が前へと足を踏み出す。 だがその瞬間、奇妙な感覚とともに何かが割れるような音が足元でした。 「今、ヘンなカンジしたけど…」 そう言って時任が足元を見ると、そこにはぐちゃぐちゃに潰れた眼鏡がある。 自分が眼鏡を落したのかと一瞬思ったが、手にはちゃんと久保田の眼鏡が握られていた。 「誰んだよ?」 思わず時任はそう小さく呟いたが、フレームが曲がっているし、レンズにもひびが入っているため、持ち主がいたとしてもこの眼鏡をかけることはできないだろう。 落ちていたとはいえ、やはり足元で潰れている眼鏡を見るのはあまり気分のいいものではない。 時任が少し顔をしかめていると、その横からのんびりとした声が聞こえた。 「すいませんけど、足どけてくれません?」 「えっ、あ、わりぃ…」 そう言われて時任が足をどけると、肩くらいの背の高さの少年が時任の前に屈み込む。 顔は見えないが、その少年は中学生くらいに見えた。 「駄目そうだなぁ」 レンズが完全に割れた眼鏡を拾い上げた少年は、そう言って眼鏡をハンカチに包んからポケットに突っ込んで立ち上がる。時任は弁償だとかそういうことを言われるだろうと思い、少年が何か言い出すのを待っていたが、少年は予想に反してそのままスタスタと歩き出した。 「おい、お前っ。眼鏡ナシでも見えんのかよ!?」 予想外の行動に慌てて時任がそう声をかける。 すると、それと同時に少年は前から歩いてきたカップルに向かって派手にぶつかった。 「きゃっ!」 「うわっ!」 「あ〜、どうもスイマセン」 少年はさっきと同じようにのんびりとした口調でカップルにそう謝ると、再び歩き出そうとする。 だが、このままでは外に出るまで何人もの人にぶつかり続けるに違いない。 時任は短く舌打ちすると、肩をぐいっと引っ張って少年を止めた。 「ちょお待てってっ!!」 すると、強引に引っ張られた少年は、しょうがないといった感じで時任の方へと振り返る。 振り返った少年を見た時任は、その瞳に凍てつくような冷たさを感じたが、その瞳から目をそらさずに真っ直ぐ見つめ返した。 確かにその視線から何かが伝わってくるような気がしたが、それを怖いとは思わなかったからである。 少年は時任の視線を受けると、まるでその冷たさを隠すようにまったく感情のこもらない色を瞳に浮かべると、面倒臭そうに、 「気にしなくていいですよ? 眼鏡落としたのって俺の不注意ですから」 と、年齢に不似合いな口調で言った。 どうやら、眼鏡が壊れたことより、人と関わることが面倒だと言っているようである。 けれど時任はそんな少年に向かって、左手を差し出した。 「どこまで行くんだよ?」 ブスくれた顔で時任がそう言うと、少年が瞬間的にきょとんとした顔をする。 だが、その次の瞬間には少年は俯いて肩を揺らせていた。 「な、なに笑ってんだよっ!」 「アンタ変わってるね?」 「てめぇっ、ケンカ売ってんのかっ!?」 「ケンカは売ってないけどさ。どこまでって聞いて、俺が家まで送ってなんて言ったら、ホントに送ったりしてくれちゃったりするワケ?」 「うっ…、それは…ムリかも」 そこまで考えて、時任は少年に向かって手を伸ばした訳ではない。 ただ、歩けないなら連れてくしかないと、そう単純に思っただけだった。 「わりぃ、やっぱムリ。俺、人捜さなきゃなんねぇから」 「いいよ。別に」 少年は初めから時任のことをあてにはしていなかったらしい。 確かにこの少年なら、人にぶつかったりしつつも自力で帰るに違いないが、時任はそんな少年の顔を見て少し眉をしかめた。少年が感情のこもっていない、空っぽな微笑を浮かべていたからである。 一見、のほほんとした穏やかに見えるが、やはり少年の冷たい瞳がそれを裏切っていた。 「お前…」 「さっさと行きなよ」 「けど、見えねぇじゃんっ」 …置いていけない。 時任はそう思ってしまった自分に驚いて、わずかに目を見開く。 すると手に持っていた久保田の眼鏡が、時任の手の中で小さく音を立てた。 「捜してる人って彼女? だったら、早く捜さないとダメでしょ?」 「か、彼女じゃねぇよっ」 「でも、捜さなきゃいけない人だよね?」 「…あ、うん。今、一緒に住んでるヤツ」 「ふーん、ちょっと意外。さっき見た時、一人っきりで寂しいみたいに見えたのにね?」 少年にそう言われて、時任が身体を小さく揺らす。 確かに、久保田がいないことがわかった瞬間、そんな感じがしたような気がしたからだった。 けれど少年が言うように、時任は一人きりではない。 時任は記憶をなくしたかもしれない日から、久保田と一緒に暮らしていた。 「俺のコト拾ってくれたヤツでさ。もう半年くらい一緒にいる」 詳しいことは告げずに時任がポツリという言うと、少年が小さく首を傾げる。 そんな少年を見た時任は、ムッとした表情で少年を睨んだ。 「半年ねぇ?」 「そーだよっ。だから、一緒に帰らなきゃなんねぇんだっ」 「一緒に?」 「一緒に暮らしてんだから、当然だろ!?」 「それはそのヒトが待ってたらでしょ? もし、待ってなかったらどうすんの?」 もし、待ってなかったら、もう久保田が自分を置いて帰ってしまっていたら? そんなことなど考えてもいなかったのに少年にそう言われて、時任はギリッと歯を噛みしめる。 すぐに否定したかったのに、胸が痛くなって声が出なかった。 この空間に深海の闇が満ちていくような感覚。 そんな感覚が時任を捕らえて、もっと海の深い場所へと引きずり込もうする。 水槽の中で白く漂っている瞳のない深海魚が、ユラユラと時任の視界の中で揺らめいていた。 「まあ、俺には別に関係ないコトだけどさ」 「・・・・・・・」 「嫌だって思うなら、さっさと捜しに行きなね?」 少年はただ時任を追い払いたくて、そんなことを言っただけなのかもしれない。 けれどその言葉の楔は、時任の心の深い部分にまるで刺のように突き刺さっていた。 今は久保田と一緒に暮らしているが、あの部屋にいてもいいとはっきり言われていなかったからである。 ちゃんと聞けばいいのかもしれないが、そうすると逆にその言葉をきっかけにしてやっかい払いされるかもしれないという思いがよぎった。 家族でも友達でもない、曖昧で不確かな関係。 久保田は時任を拾ったのは気まぐれだと言った。 だから、気まぐれで拾われたなら、気まぐれで捨てられるかもしれない。 あのタバコの染み付いたベッドで目を覚ましてから、時任にとって久保田のいるあの部屋がすべてだった。自分の物が部屋に増えていくたびに、ここにいてもいいと言われているような気がしてうれしかった。 けれど、明日の保証なんてどこにもないし、見えない明日ことなどわかるはずもなかった。 時任は久保田の眼鏡を持った方の手を口元に当てると、ゆっくりと目を閉じる。 すると赤い光も白い魚も、なにもかも見えなくなって本当の暗闇が目の前に広がった。 「行かないの? もしかして、もうあきらめちゃった?」 少年の声が聞こえたが、時任は動かない。 どこかいびつで何かをなくしたような深海魚たちの住まう場所で、その存在が消えてしまうのではないかと思われるほど静かに時任は立っていた。 水槽からの赤い光がベールのように時任の顔を照らしていて、まるでその姿は何かに向かって祈りを捧げているようにも見える。暗闇の中でそっと何かを願うように…。 時任は久保田の眼鏡の感触を手のひらで感じながら、ここにいない久保田の声を聞こうとしていた。 ここにはいなくても、久保田の存在が時任の中に残っている。 触れてくる手、抱きしめてくれる腕、暖かな体温、柔らかな感触。 そんな感覚を捕らえて、時任は心の中で久保田の名前を呼んだ。 久保ちゃん…。 あの路地の闇の中から、時任に腕を伸ばして抱きしめてくれたのは久保田だった。 名前を呼んで、右手を握りしめて、時任の存在を認めてくれたのも…。 だから、深く深く時任の心の中に久保田の存在が刻み込まれていた。 『時任』 …久保ちゃん。 『平気?』 へーき。 『大丈夫?』 …うん。 ここにはいないはずなのに久保田の存在が近くに感じられる。 『今、行くから待ってろよっ』と、心の中で呟くと、時任が閉じていた目をゆっくりと開いた。 けれどその瞳からは、不安や痛みは伝わって来ない。 時任の瞳には、生きる強さのようなものが宿っているように見えた。 時任は横を向くと、その強い瞳で真っ直ぐ少年を見つめる。 少年は視界が利かないせいか、やはりさっきと同じようにぼんやりとした感じで立っていた。 「あきらめてるのは俺じゃなくて、お前の方じゃねぇの?」 「なんで?」 「見えないなら見えないでもいいとかって思ってんだろっ!」 時任がそう怒鳴ったが、少年は何も答えないし、その表情もやはりぼんやりしていて変わらない。 まるで、何も感じていないかのように、空虚な微笑だけが少年の顔に浮かんでいた。 そうすることだけを教えられたみたいに。 時任は少年の肩を掴むと、少年の頬を平手で叩いた。 「痛いなら、痛いって顔しろよっ、でないとなんかさ…」 「・・・・・」 「…痛くなんてなりなくねぇのに、こっちまで痛みが伝染しちまうだろ?」 少年の頬は時任に叩かれて赤くなっていた。 けれど少年は仕返ししようしせず、見えない視界の中に時任の姿を捉えようとするかのように目を細めている。少年は今始めて、時任の顔を見ようとしていた。 「アンタはさ、生きてるって証明してくれるヒトっている?」 「生きてる証明?」 「生きてる証明できなきゃ自分で生きてるってことカンジなきゃならない。自分で証明しなきゃなんないから…。けど俺は、どうしたら自分が生きてるってカンジられるかわかんないんだよね」 少年は微笑を消した表情のない顔でそう言うと、痛さなんか感じていない手つきで自分の頬を撫でる。 すると時任は、久保田の眼鏡を少年の前に差し出した。 「生きてるってわからねぇから、感じられんないからって何もかもあきらめてんの? 感じらんねぇからわかんないって、そうやって理由つけてさ。わかんないなら、探せばいいじゃんっ。感じらんねぇなら、感じるまでトコトン生きろよっ! 生きてる証明ほしいのは、生きてたいからじゃねぇの!?」 「俺が生きてたい?」 「違わねぇだろ? 俺はなくしたモンとかたぶん一杯あるけど、なくなっちまったままがイヤだから、ちゃんと取り戻してやるって決めた。どんなコトしたって、何かあったって…」 「…俺もなくしたモノってあると思う?」 「わかんねぇよ。けど、そのままがイヤだって思ってんなら取り戻せよ。意地でもなっ」 時任はそう言うと、少年の胸に久保田の眼鏡を押し付ける。 すると少年は眼鏡を受け取ってから、黒ブチの分厚いレンズを見つめた。 久保田は眼鏡が特注のせいか、大事にあつかっているのでレンズは細かい傷すらない。 非常灯の光が眼鏡に反射して、少年の頬を照らしていた。 「視力ってどんくらい?」 「0.03」 「まあ、合ってねぇけどなんとか見えるかもな」 「くれるとか?」 「感謝しろよっ。大事なモンなんだからなっ」 「大事なヒトの眼鏡?」 「…うん」 「いいの?大事なのに?」 「これから、なくしたモノとか捜すのにちょうどいいだろ?なくしたモノは大事なモンって決まってっから」 「ヘンな理屈だなぁ」 「中学生に言われたかねぇってのっ!」 「俺、小学生なんだけど?」 「なにぃっ!?」 「今度の8月で11歳」 少年は軽く肩をすくめると、時任から渡された久保田の眼鏡をかけようとする。 だが、その瞬間にまたしても辺りが暗くなった。 しかし、今度はさっきのこともあるので慌てたりはしない。 時任は暗闇の中でも、じっと前を見つめ続けていた。 『お客様にご連絡いたします。只今、停電となりましたので、再びに予備電源に切り替えます。ご迷惑をおかけしますが、しばらくそのままで動かずお待ちくださいませ』 放送の声も落ち着いている。 しばらくすると予備電源に切り替えられ、再び水槽と非常灯に明かりがともった。 時任はさっきの少年の姿を捜して辺りを見回したが、その姿が見当たらない。 前の停電の時に久保田が消えたように、少年の姿も忽然と消えていた。 「…帰ったのか?」 考えられないことではないが、なんとなく納得がいかない。 時任が少年の姿を捜して周囲を見回すと、深海魚の水槽がならんでいる一角の壁に寄りかかって立っている人物が視界に入った。 辺りはやはり薄暗かったが、こんな暗がりの中でも誰なのか時任にははっきりとわかる。 時任はその人物に向かって走り出した。 すると、その人物も時任にきづいたらしくこちらの方を見る。 「久保ちゃんっ」 時任が名前を呼ぶと、呼ばれた久保田はゆっくりと微笑んだ。 その微笑みは少年のように空虚なものではなく、柔らかく優しい。 久保田が時任の方に腕を伸ばすと、時任はその腕の中に勢い良く飛び込んだ。 「久保ちゃん、待った?」 「うん」 「ごめんっ」 「あやまらなくていいよ、ちゃんと会えたから」 会えたからいいと言われて、時任は思わず久保田の胸に頭をすり寄せる。 暖かくて気持ち良くて時任が目を細めると、久保田がその後ろ頭をそっと撫でた。 「見えないから、捜しにいけなくてゴメンね」 「…待っててくれて、ありがとな」 「時任がいなきゃ帰れないから、たとえ眼鏡があっても」 「うん」 時任の手に久保田の眼鏡はなかったが、二人そろえばちゃんと迷わず自分達の住む部屋に帰ることができる。時任は暗がりにいるせいか、久保田の背中に腕を回してぎゅっと抱きついていた。 いつもは抱きしめられるばかりで、抱きしめたりはしない。 けれど今は、久保田の存在をたくさん感じたくてその胸にすがりつく。 そんな時任を久保田は誰の目にも触れさせたくないとでも言うかのように、両腕でしっかりと抱き込んでいた。 「続き見に行く?」 「もうちょっとだけこうしてていい?」 「…うん」 しばらくそうして抱き合った後、二人は何事もなかったかのように再び深海魚の水槽の前を歩き始める。 さっきまで見ていた白い魚の前を通りすぎたが、今度は立ち止まったりしなかった。 まるで、深い海の底から抜け出そうとするかのように前だけを見つめている。 時任は肩にかけられている久保田の腕に自分の手を乗せると、一度だけ後ろを振り返った。 「見えなくてもさ、見ようとしてんじゃないかって思う」 「時任?」 「目がなくったって、身体全部を使って見ようとしてんじゃないかって…」 「…そうだね」 暗がりを抜けると明るい光が二人を包み込む。 闇を抜けた先には、まるで海を切り取ったような空間が広がってた。 種類なんて数えるのが面倒なくらいの魚の群が、青い光を集めてつくったような巨大な水槽の中を泳いでいる。まるで、地球の色を空を湛えたような水に反射した光の揺らめきが、二人の足元を照らしていた。 それは綺麗で、あまりにも綺麗すぎて現実味を欠いている。 その奇妙な感覚に圧倒された時任が久保田の服の端を掴むと、久保田がその手に自分の手を重ねた。 そうすると、一人ではないことが感覚として伝わってくる。 お互いを支えあうかのように身を寄せながら、二人はじっと空を見上げるように海を見上げていた。 水族館からの帰り道、時任は久保田に眼鏡を人にあげたことをあやまった。 けれど久保田は全然気にしていないらしく、のほほんとした口調で、 「予備があるから平気だし」 と、言う。 久保田はいつもかけている眼鏡の他に、予備の眼鏡を持っていた。 けれどその眼鏡を、時任はまだ一度も見たことがかなかったのである。 「久保ちゃんの眼鏡ってあげたヤツと予備の二個だけ?」 「二個だけだけど?」 「もう一個のってどんなヤツ?」 「ん〜、かけてたのと同じヤツ」 「二個なら、違うの作ればいいんじゃねぇの?」 「それはダメ」 「なんで?」 「お守りだから」 「お守り?」 「昔、顔も名前も知らないヒトにもらったんだよねぇ。大事なモノが見つかるようにって…」 久保田の言葉を聞いた時任が、一瞬、ハッとしたような表情をする。 だが、すぐにもとの表情に戻って晴れ渡った空を仰いだ。 「あんまり上ばっか見ると転ぶよ?」 「大丈夫だってのっ」 排気ガスで汚れてはいたが、見上げた空はやはり青かった。 どこまでも続く空の青を眺めながら、時任は小さく深呼吸する。 すると久保田が、時任を抱き上げて肩に担いだ。 「わっ!なにすんだよっ!」 「この方がさ、空に近いでしょ?」 「ちよっとだけじゃんっ!」 「どうせなら、ちょっとでも近い方がいいかもよ?」 嫌だと言いながら、時任が笑う。 暴れると落ちるよ?と言いながら、久保田も笑っていた。 道行く人々がそんな二人を不審そうな目で見ていたが、二人はそれでもふざけあってじゃれ合いながら自分達の帰る場所を目指す。 時任は久保田の肩の上から、空の下に広がる無機質なビル群を眺めた。 灰色の街が眼下に広がっている。 「久保ちゃん、大切なモノ見つかった?」 「うん」 「ふーん、そっかぁ」 「時任は?」 「たぶん…」 「たぶん?」 「…今はまだ、教えてやんない」 |
『運命のヒト 後編』 2002.6.16 キリリク10000 前 編 キリリクTOP |