荷物を置いて2時にロビーに集合したツアー参加者は、藤原も含めて全員でホテル内を見て回ることになった。
 しかし現在オープンしているのはホテルのみで、シーパレスのメインであるプールなどの施設は開いていない。たがそれは、今回の参加者の人数を見れば簡単に理由がわかった。
 このシーパレスの利用が無料ではないにしても、この人数で使われる金額はどんなに高く見積もっても小額すぎる。今回のツアー自体が無料のため赤字なので、宣伝のためとはいえこれ以上の赤字は防ぎたいというのが本音に違いなかった。
 全員がマンガを手に野島の説明を受けていると、いよいよ殺人現場へと全員が案内される。
 そこはここの社長である大島成明の部屋で、ドアを開けた瞬間に見える南側の壁一面に張られた窓からは青い美しい海が見えていた。
 他の参加者と同じように時任が海の青さを眺めてると、その横に立っている反対側に蘭が立つ。蘭は水平線の彼方を指差すと、
 「あっ、見てっ、船がいる」
と言って、まるで子供のように無邪気に微笑んだ。
 するとそんな蘭の声の調子につられるように、横にいた時任もホントだと笑う。
 蘭の言うように水平線の彼方に浮かんでいる船は、白く小さく海の上に浮かんでいた。
 その船を見ていると、午後の日差しを受けてキラキラと輝いているさざ波が明るくまぶしく目に映る。もう夏が過ぎて秋も半ばを過ぎてしまっていたが、海はいつの季節でも綺麗だった。
 
 「今も綺麗だけど、きっと夕日はもっと綺麗だと思うわ」
 「こっからの眺めは、マジでいいもんなっ」

 そんな風に海を見ながら仲良さそうに話している二人の横で、久保田は同じように海を見ながらセッタをふかしていた。
 するとこの部屋の説明をするはずの野島が、後ろからやってきて久保田の隣りに並ぶ。
 どうやら部屋の説明をするのは、参加者が海を眺めているので少しそれを待つことにした様子だった。

 
「本当に海はいつ見てもいいもんだ…」

 野島は独り言なのかそれとも久保田に向かって話しているのかわからない口調でそう言うと、仕事中にも関わらずポケットからタバコを取り出して火をつける。
 そのタバコは、久保田と同じセッタではなくキャビンだった。
 港からずっと騒がしい高校生相手で疲れたのか、休憩して一服している感じである。
 野島はどこにでもいるような平凡な感じの男で、紺色のスーツに身を包んで人の良さそうな笑みを浮かべていた。
 「高校生だからタバコ禁止って言いたい所だけどさ、俺も高校の時から吸ってるから人のことは言えない。でも、寝タバコだけは注意してくれよ」
 そんな風に野島が久保田に話しかけてきたのは、おそらく久保田が高校生に見えないほど大人びていたせいかもしれない。話しかけられた久保田は、野島の方を見ずになぜか横にいる時任をチラリと見てから再び視線を海の方に向けた。
 「心配無用ですよ。寝タバコはするなっていつも言われてますんで…」
 
「もしかして横の彼に?」
 「さぁ?」
 「そんなに警戒しなくても、誰にも言ったりしないよ」
 「…べつに言ってもかまいませんけどね」
 「カミングアウトずみ?」
 「してませんけど?」
 「だったらこの機会に…、とか?」
 「認めて欲しい相手がいないってだけだし…」
 「・・・・・・・それは寂しいな」
 「はぁ…」
 
野島は何か深い事情があるのだろうと察したようだったが、気のない返事をしたように、久保田には野島の言う寂しいの意味がわからなかった。
 誰かに認めないとか認めるとか言われたところで、時任と一緒にいることも、胸の中にある想いも変わったりはしない。だから隠す必要もないが、わざわざ知らせてまわる必要も無かった。
 ただ一緒にいることだけが重要だったから、世間体など気にしたことも考えたこともない。

 だから寂しいと感じる時があるとしたら…、それは野島の言う寂しいではあり得なかった。

 横で楽しそうに蘭と話している時任の会話を聞きながら、久保田は深く煙を吸い込むとふーっと目の前のガラスに吹き付ける。
 そんな久保田を見て何を思ったのかわからないが、しばらくタバコを吹かした後、野島は灰皿でタバコを揉み消して姿勢を正した。そして中断していたホテル内の説明を野島が再開すると、海を眺めていた参加者が周りに集まり始める。
 しかし、その中で依然として窓辺に立っている人物が二名だけいた。
 それはまだセッタを吸っている久保田と、時任と蘭をじっと眺めている楢崎である。
 蘭の方はわからないが、その視線を見ていると楢崎の方は本気で蘭のことを好きなことがわかった。だが二人の話を邪魔することなく眺めているところを見ると、なぜかはわからないが蘭との関係に自信があるように見えた。
 
 「あれが現場で、チョークで書いてあんのが倒れてた場所だよなぁ」
 「マンガと同じだから、そうみたい」
 「鍵はかかってて密室、凶器はナシ…」
 「何かわかったの?」
 「ぜーんぜんっ」

 時任が蘭とそんな風に話しているように、目の前にはマンガそのままの殺人現場があった。
 現場である社長室には大きなディスクがあって、その上に倒れ込むように社長が殺されていたことになっている。その場所にはチョークで人形が書かれていたが、マンガを見てみると社長の背中にボーガンの矢が見事に突き刺さっていた。
 窓ガラスは割れていないし争そった形跡もなく部屋が乱れている様子もないので、顔見知りの犯行だと思われるが、事情徴収の結果、全員のアリバイが成立している。
 まだこれからヒントが徐々に明かされるらしいが、現在の時点でわかってるのはディスクの正面の大きな振り子時計の針が実際の時間より数分遅れていることだった。
 ここに凶器が隠されていると思われたが、やはり調べても何も出てきていない。
 この振り子時計は客室以外の部屋にはどの部屋にも取り付けられているが、それは殺された社長本人の指示でつけられていた。
 時任はマンガを片手にしばらくうなっていたが、やはりまだ証拠が足りないので何もわからない。
 事件を解決するには、まだまだ調査が必要のようだった。
 けれど実際に鷺ノ鳥島殺人事件が起こるのは、今日の夕食後になっている。
 なのに案内する時に夕食を食べる前に部屋を見せたのは、考える時間を増やすためだった。
 
 「では、次はここから出てホテルの外を見て回りますので着いてきてください」
 
 
移動するために野島がそう言うと、全員がその言葉に従って社長室から廊下へと出る。
 すると突然、廊下の右から言い争うような二人の声が聞こえてきた。
 その声に気づいた時任がそちらの方を向くと、車椅子に乗った中年の男としきりに額の汗をハンカチで拭いている男が歩いてくるのが見える。どうやら中年の男の方が立場が上らしく、汗を拭いている男は怒鳴られてオロオロしてしまっていた。

 「で、ですがしかし…」
 「こんなことで中止してどうする」
 「脅迫状はイタズラじゃなくて、本物かもしれないですし…」
 「ホテル内はくまなく調べたはずだ、問題ない」
 「それはそうなのですが…」
 「この件はこれで終わりだ」
 「社長っ」

 社長と呼ばれたのはおそらく、シーパレスの社長である大島正明に違いない。
 大島らしい男はしつこく付きまとってくる男を毅然として態度で跳ね除けると、社長室に向かって歩いて来た。
 
参加者を連れて移動しようとしていた野島は社長室に向かってくる男に気づくと、立ち止まって軽く挨拶をして会釈をする。すると男は参加者の前で立ち止まって自己紹介をした。
 「この度は当ホテルにようこそお越しくださいました。私がこのシーパレスを経営しております大島です」
 おそらく全員が思っていたように、社長と呼ばれた男は大島成明だった。
 さっきの会話を聞いていると大島はワンマン社長のような気がしたが、挨拶をしている今は何人もの人間の上に立つ社長らしい貫禄を持った人物に見える。
 大島は一通り挨拶を済ませると事前に参加者の名前を見ていたのか、この島に母親が住んでいたという蘭に向かって話しかけた。

 「もしや、鷺島さんというのは貴方ですか?」
 「…はい、そうですが?」
 「鷺島…というと、この島出身?」
 「…いえ、この島に住んでいたのは私ではなく母です」
 「ああ…、そうですか…。この島の名字のほとんどが鷺島という名前なので…」
 「あの、それが何か?」
 「いや、ただ聞いてみただけですから、どうかお気になさらないでください」
 「・・・・・・・」

 二人が話しているのをじっと時任は聞いていたが、蘭と話している時の大島はなぜか悲しそうな顔をしているように見える。緊張感ととまどいに似た何かは伝わってきたが、さっきまでの貫禄も迫力はなくなってしまっていた。
 実は蘭の方からも妙な緊張感が感じられていたが、こちらの方は初対面のはずなのにとても冷たい印象である。普段はいつも静かな優しい口調で話しているだけに、そのインパクトは強かった。
 時任がそんな二人を見ながら眉間に皺を寄せていると、横から楢崎が話しかけてくる。
 楢崎は普段とは違う蘭の様子に気づいていないようだった。
 「おい、時任」
 「…なんだよっ」
 「蘭に惚れてもムダだぜ。あいつは俺に惚れてんだからな」
 「へぇ、告白でもされたのかよ?」
 「裏庭に呼び出されてコクられた。好きですってな」
 「そーいうので、見栄張んのはみっともないぜ、楢崎」
 「ふん、だったら蘭に聞いてみろよ」
 自信が滲み出ている口調で、そう言って鼻で笑った楢崎を時任が睨みつける。
 蘭をめぐって楢崎と争そう気はそういう対象として見ていないので当然なかったが、どうしても蘭が楢崎を好きなようには見えなかった。

 大島と蘭との間の緊張感と、楢崎と蘭との間の違和感。
 
 この二つを感じた時任は、実はツアー中の課題である事件を解くことよりもこちらの方が気になってしまっている。久保田に言っていた正義の味方のカンが、なぜか嫌な予感をともなって警報を鳴らし続けていた。
 けれどそれは理屈ではなく、本当にただ自分が感じたことでしかない。蘭が誰を好きになろうと関係のないことと言えばそうなのだが、楢崎に弱みを握られているならなんとかしたかった。
 時任がそんな風に思いながら社長との話が終って歩き始めた参加者に続くと、いつも横にいるはずの久保田の名を呼ぶ。
 だが、返事は横からではなく、後ろから聞こえてきた。
 「なに?」
 「…なんで後ろ歩いてんだよ?」
 「べつに後ろ歩いてても問題ないと思うけど?」
 「そ、そりゃそうだけどさ…」
 「ならいいでしょ?」

 「…うん」

 時任は自分の感じたことを話したいと思っていたが、久保田はそれからもずっと後ろを歩いていた。
 並んでくれるのを待ってないで自分から強引に横に並んでしまえばいいのだが、なぜかそうすることができないでいる。
 理由はわからなかったが、やはり久保田はわざとそうしているようだった。
 大島社長にお辞儀をして戻ってきた蘭が隣りに並んできたが、後ろにいる久保田のことが気になって、さっきのように蘭と楽しく話すことができない。
 楢崎とのことも聞いて見たかったが、蘭のすぐ近くに楢崎もいるので話し出せなかった。
 時任が後ろに久保田の気配を感じながら蘭と何気ない話をしていると、その蘭のそばで楢崎が嫌な笑みを浮かべている。
 
 時任は事件の解決とは関係のない色んなことを感じて考えながら…。
 楽しい旅行になるはずだったのに、いつの間にか嫌な予感ばかりが胸の中を覆い尽くしていくようなそんな気がしていた。


                      
『降り積もる雪のように.4』  2002.11.22 キリリク7777

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