室内に鼓膜が破れるかと思うほどの轟音が鳴り響くと、辺りが煙に包まれる。 悲鳴をあげるヒマすらなかったため、時任はとっさに蘭をかばって床に伏せるのが精一杯だった。そうしてじっとしているとパラパラと身体に、砂のようなものが降りかかっているのがわかる。 室内の電気はまだかろうじて、時任の頭上の蛍光灯と豪華なシャンデリアだけが点滅しながらついていた。床が崩れ落ちるのではないかと思われるくらい室内は揺れたが、実際は崩れなかった所を見ると、爆発はすぐ下の階の部屋で起きたのではないらしい。 時任は床が揺れるのが収まると咳をしながら起き上がって、蘭の無事を確認した。 「ごほっ、こぼ…、無事か?」 「私は無事よ、ありがとう…。時任君は?」 「俺もなんともねぇよ」 「良かった…。そ、そう言えば藤原君はっ!?」 「くそっ、煙で前が見えねぇっ!」 壁の崩れ落ちた部分から煙が出ていくと、さっきの爆発でかなり破壊されてしまった室内が時任と蘭の前に現れた。破壊された部屋の状態を見ると、振り子時計のある壁が特にひどく崩れ落ちてしまっているのでそちら側の部屋が爆発したらしい。 爆発はすでに何度もホテル内で起きていたが、爆弾は一気にホテルを破壊してしまうほどの威力はないようだった。 だが小規模の爆発が続いているからと言って、これからもそんな爆発が続くとは限らない。 もしかしたら犯人の野島本人が、逃げる時間を稼いでいるだけかもしれなかった。 「藤原ーっ! 無事なら返事しやがれっ!」 「藤原くんっ!!」 時任と蘭は未だ煙の漂っている室内を、名前を呼びながら藤原を探す。 二人はドアのすぐ近くにいたので爆発をまぬがれたが、藤原の立っていたと思われる場所はかなり危険だった。 時任は藤原が立っていた場所を見つめながら、ぎゅっと拳を握りしめる。 しかし、すぐにそこから視線をそらすと、再び破壊された室内の中を探し始めた。 ここが危険だということはわかっていたが、藤原を置いて行くことはできない。 いつも時任は藤原と久保田を挟んで言い争いをしてはいても、それとこれとは話が別だった。 「まさか藤原君・・・・・」 「そんなワケねぇよっ! あいつはゴキブリみたいにしぶてぇんだから、無事に決まってんだろっ!!」 室内の惨状を見て、蘭は藤原がもしかしてあの爆発にやられてしまったのではと思ったようだが、時任がそれをすぐに否定する。無事だと言い切った時任の声が荒れ果てた室内に響くと、蘭が少し辛そうな瞳で時任の方を見た。 それは時任が藤原を見つけるまでは、絶対に逃げたないことを悟ったからである。 本人に自覚はないのかもしれないが、時任は蘭を助けようとしたように、いつも自分ではなく人のために一生懸命だった。そう言ったら違うと言うのかもしれないが、時任はこんな時でも爆発の危険を考えるよりも藤原のことばかりを心配するくらい優しい。 それをあらためて感じた蘭は、時任と一緒に藤原を探しながら、 「・・・・だから好きになったんだわ、私」 と、小さく呟いた。 藤原はどう思っているのかはわからないが、少なくとも時任の方は藤原のことを本気で心配して探している。 無事でいてくれることを願いながら、蘭も時任と同じように藤原を呼ぶと破壊された振り子時計の下から、わずかに小さなうめき声がした。 「と、時任君っ! 時計の下っ!!」 「無事かっ! 藤原っ!!」 時任が蘭に言われて慌てて振り子時計の下をのぞき込むと、そこには藤原が倒れていた。 だが、藤原は振り子時計の下敷きになっているのではない。 振り子時計はそばにあった机に寄りかかる形で倒れていたために、藤原は振り子時計の下の隙間に入り込む形になっていた。 時任がゴキブリ並にしぶといと言っていたが、本当にそのようである。 外傷がないことを確認すると、時任はホッと息を吐いて藤原の肩を揺さぶった。 「しっかりしろっ、藤原っ!」 「うっ…、あっ…、と、時任先輩?」 「…ったく、驚かせやがってっ」 「俺…、無事だったんですか…」 「当たり前だろっ!!」 時任にそう言われて、藤原の顔が笑いそこねたような微妙な表情になる。 しかしその表情は助かったとわかって気が抜けたからなのか、それとも時任がすごく自分のことを心配してくれていたことが意外だったからなのかはわからなかった。 藤原が降り子時計の下から時任に腕を引っ張られて這い出すと、時計の振り子の部分のドアが開いて、何かがバサバサと音を立てて床に落ちる。 それを時任と藤原は気にしていなかったが、ただ一人、蘭だけは違っていた。 蘭は床に落ちてきたのは手紙の束の中から、一枚だけ抜き取ると宛名と贈り主の名前を見る。すると宛名は大島社長、差出人は蘭の母親の名前が書かれていた。 母親は大島社長のことを恨んでいると思っていたのに…、目の前には白い封筒が山のように目の前にある。蘭が震える手で封筒を開けて見ると、そこには働いて働いて疲れ切って死んでいった母親の文字が綴られていた。 『今年で蘭は小学生になりました。学校にも元気で通っています…』 内容はすべて蘭についてのことで、そこには恨み事など一つも書かれていない。 どの白い封筒を開けて見ても、それは同じで…。 蘭が何歳になって、どれくらい大きくなったかと…、そして、大島が元気にしているかどうかを尋ねる内容の文章が短く書かれていた。 何枚も何枚も…。 その白い封筒の山の前に蘭がしゃがみ込むと、それに気づいた時任もその前に座る。 すると蘭はじっと封筒を見つめながら、深く長く息を吐いた。 「大島のことなんか、忘れて生きてるんだって…。ちゃんと潔く忘れて生きてる人だって…、そうお母さんのことを思ってたのに少しがっかりした…」 「ガッカリってなんでだよ?」 「だって、あんなひどい男にいつまでも未練持ってるなんて、バカみたいじゃない…」 そう言うと蘭は、持っていた手紙をぐしゃぐしゃっと丸めて、白い手紙の束の上に投げる。 するとそのぐちゃぐちゃになった手紙を、時任が拾ってきれいに伸ばし始めた。 「バカだとか、バカじゃねぇとか…、そういうのはべつにどうでもいいんじゃねぇの?」 「どうして? お母さんは大島のせいでひどい目にあったのに…」 「そうかもしんねぇけど…、好きだって思ってんなら、自分のキモチにもココロにもウソはつけねぇだろっ」 「それは・・・・・」 「相手がどんなヤツだったとしても、手紙を書き続けてたキモチは…、こんな風にぐちゃぐちゃにしていいキモチじゃないぜ、きっと…」 「もしもそれが絶対に伝わらない、無駄な気持ちでも?」 時任の言葉に暗い表情で蘭はそう呟いたが、それには答えずに時任は白い手紙の束の中から一枚の封筒を取り出す。 だがその封筒は他のものと違って、まるで海のように青かった。 白い封筒の中に混じっていた青い封筒、郵送されてきたのではないらしく、宛名も差出人の名前もない。ただこの中に紛れ込んでいただけのようにも見えたが、その中には数枚便箋が入っていた。 時任はその三つ折りにされた便箋を手に取ると、そのまま蘭の前に差し出す。 封筒と同じ色の便箋は、もしかしたら何も書かれていないかもしれなかったが、蘭はそれを受け取って開いてみた。 するとそこには、蘭の母親とは違った少し右上がりの文字が書かれている。 その文字を読み終えた蘭は、ゆっくりと瞳を閉じて唇を噛みしめた。 「殺されたって聞いた時には涙なんて一つも出なかったのに…、どうして今になってこんなに…、涙が出てくるの…」 そう言いながら零れ落ちる蘭の涙が、静かに青い便箋を濡らしていく…。 青い便箋に書かれていた文字は、大島社長が書いたものだった。 丁寧に書きとめられた宛名のない手紙には、自分が宝石強盗をした所からのことが書かれている。内容は淡々としてはいたが、その手紙は妻である静子を想う大島社長の苦悩に満ちていた。 宝石強盗に成功した大島社長は借金を返済した後、苦労させてきた分だけ静子に楽をさせようとする。だが静子はそれを決して受け入れようとはしなかった。 今まで持つことができなかった毛皮のコートも指輪も…、何をプレゼントしてもいらないと静子は言う。そればかりか借金があった時と何も変わらないギリギリの生活を、静子は続けようとしていたのだった。 大島社長はそんな静子と暮すのが辛くなり、次第に足が家から遠のいて…。 最終的には愛人を作って、離婚ということになった。 離婚をする時もそれ相応の慰謝料をきちんと払うという大島は言ったが、やはり静子は何も受け取らない。ただ近況と身体を気遣った文面の書かれた白い封筒だけが、定期的に静子から大島社長の元に送られていた。 何通も何通も…。 しつこく送られてくるその手紙を見ている内に、大島社長は次第にそれをわずらわしく思うようになってきたが、それでもまだ封筒を捨てる事はできないでいた。 そしてそうしている内に月日がたって静子が過労で倒れて亡くなって…、そのことが大島社長に知らされる。 もう白い封筒が来ることがないことを…。 だが、最後に送られてきた手紙を見た瞬間、白い便箋にたった一言だけ書かれた言葉が静子の思いを大島社長に知らせたのだった。 『私は会社が倒産しかかった時…。家族のために、静子のために…、なんとかしなくてはと思ったんだ。たとえ犯罪を犯したとしても、私がなんとかしなくてはと…。 けれどそれはやはり間違いで…、静子を苦しめることにしかならなかったことを知った時、私は始めて罪の重さを知った…。 ・・・・・・・・自首してください。 最後に静子が書いた手紙には、そう書かれていた。 静子は最初から何もかも知っていて、だから犯罪を犯してしまった私の手からは…、何も受け取ろうとはしなかったんだ。 最初から何もかも知っていて…、静子は私が自首するのを待っていたのかもしれない。 白い封筒を何通も何通も送りながら…、ずっと…。 なのに私は、最後の手紙がくるまで何も気づかなかった。 こんなにもたくさんたくさん…、哀しみが降り積もってしまうまで…、静子の気持ちには何一つ気づいてやれなかった。 だがそれに気づいた時、あんなに美しく見えた人魚の涙がただのガラス玉に変わって…、札束が紙切れになって…。 ただ白い封筒だけが…、ずっと私のことを心配してくれていた静子の想いだけが…。 まるで降り積もる雪のように…、私の胸の奥に白く白く降り積もっていった。 どんなにつらい時でも微笑んでくれていた…、静子の笑顔とともに…。』 手紙の最後の文字は、ぼんやりと滲んでしまっていた。 その滲んだ部分はすでに乾いていて…、それは温かく流れ落ちた蘭の涙に濡れたせいで滲んでいるのではなく、もしかしたらこれを書いた大島社長が流した涙のせいなのかもしれなかった。 犯人の野島は大島社長が人魚の涙を渡すから助けてくれと言ったと言っていたが、この手紙を読むととてもそんな風には思えない。もしかしたら大島社長は、このパーティで何か事件について言おうとしていたのかもしれなかった。 蘭は涙を拭いて立ち上がると、時任の向かって笑いかける。 その笑みは、とてもすっきりとした優しい笑みだった。 「きっと自首しようとしてたって…、本当にそう信じてもいいの?」 「信じたいって思ってるなら、信じてやればいいじゃんっ。 ホントのことがわかんなくっても、信じなくって後悔するより、信じて後悔する方がきっとマシだぜ」 「・・・・きっと、そうね」 「よっしゃっ、そうと決まれば人魚の涙ってヤツを、あの野郎から取り返しに行かなきゃなっ」 「私の手で父の代わりに、警察に持って行って事情を話すわ」 時任がニッと笑って青い封筒を差し出すと、蘭は微笑み返しながらそれを受け取ってポケットにしまう。そして二人がこの部屋から脱出するためにドアの方を向くと、逃げたくても一人では怖くて動けなかった藤原がしゃがみ込んでいるのが二人の視界に写った。 未だ地震のように揺れが続いているため、藤原はホテルが崩れるのではないかと心配している様子である。しかし、爆発があちこちで起こっているので、あり得ないことではなかった。 「は、は、早く逃げないと本当にヤバイですよっ!!」 「だったら、さっさと一人で逃げれば良かっただろっ」 「二人を置いて、ひ、一人で逃げることなんてできませんっ」 「単に腰が抜けてるだけじゃねぇかっ」 「ううう・・・・っ」 藤原はよろよろとなんとか立ち上がると、時任と蘭に続いて爆発の衝撃で少し開いているドアの方に向かう。しかし足元を良く見ていなかったので、転がっていたインテリア用の壷につまづいて勢い良く前に転んだ。 「う、うわっっ!!」 「なにやってんだよっ、藤原っ! さっさと来いっ!」 見事に転んだ藤原を時任が呼んだが、その時、奇妙な音が二人の頭上からした。 その音に気づいた時任が上を見上げると、部屋につけられていたシャンデリアが藤原に向かって落下していくのが見える。時任が「逃げろっ!!」と叫んだが、藤原はなんのことかわからないらしく、転んだ場所で驚いたような顔をしていた。 藤原を助けるために走り出した時任は、とっさに飛びかかって身体を横に突き飛ばす。 するとそれと同時に、シャンデリアが床とぶつかる音が破壊された室内に響いた。 「時任君っ!!!」 蘭は悲鳴に近い声でそう叫ぶと、シャンデリアの落ちた位置に倒れている時任の所にかけ寄る。すると、時任は低くうめいて閉じていた瞳をうっすらと開けた。 持ち前の運動神経の良さで、ぶつかる瞬間に身体をひねって直撃は避けてはいたが、左足だけが間に合わずにシャンデリアの下敷きになってしまっている。 時任の左足は、シャンデリアに切り裂かれてすでに血まみれになっていた。 「時任君っ、時任君っ、しっかりしてっ!」 「・・・・・・・うっ」 蘭はポケットからハンカチを取り出すと、時任の足の付け根を出血を止めるために縛る。 すると時任に突き飛ばされて、間一髪で助かった藤原が時任の腕を自分の肩にかけた。 時任を運ぶために助けを呼びたいが、そんなことをしている余裕は今はない。 いつホテルが崩れるかわからない状況では、おそらく助けを呼びに行ったとしても、もうここに戻ってくることはできないに違いなかった。 藤原と蘭がここから一緒に脱出するために、自分の背中に時任を運ぼうとする。 だがそれを、気絶していると思っていた時任が止めた。 「・・・ムリだからやめとけ、藤原」 「な、なに言ってんですかっ、こうしなきゃ逃げらないでしょうっ」 「ドアを開けて部屋の外を見て見ろ…」 「ドアの外?」 「いいから早く!」 時任にそう言われて藤原がドアの所まで行くと、ドア自体は壊れてしまって半分開いていた。 しかし、ドアが開いていたことにホッとしながら、言われた通りにドアの外をのぞいた瞬間、藤原は顔をこわばらせて固まる。 廊下は下からの爆発によって、一メートルくらいの穴が開いてしまっていた。 そこを飛び越せばなんとか逃げられないことはないが、足を負傷した時任をつれてここを飛ぶことは不可能である。 藤原がゆっくりと後ろを振り返ると、時任は痛む足を引きずって半分だけ身を起こした。 「それくらいなら、なんとか飛び越せねぇ距離じゃねぇだろ」 「でも…、時任先輩は…」 「蘭と一緒にちゃんと外まで行けよ、藤原。 途中であきらめやがったら許さねぇからなっ」 傷ついた足がかなり痛んでいるばすなのに、時任はいつもと変わらない明るい調子で藤原に向かってそう言う。 まるでここが学校の廊下ででもあるような、そんな顔をして…。 藤原はそんな時任を睨みつけると、ギリリときつく歯を噛みしめた。 「アンタはやっぱりバカですよっ! 足が痛くて動けないクセにどうしてそんな顔して…、俺に行けって強がりばっか言うんですかっ!」 「藤原・・・・・」 「たまには素直に痛いなら・・・、痛いって…」 「誰も痛くねぇとは言ってねぇだろっ、バーカッ!」 「む、ムカツク〜〜っ!!」 「けど、やっぱ一緒にはいけねぇからさ…」 「・・・・・・・・」 「後はまかせるぜ、藤原」 「そういう言い方はずるいですよ・・・・。いつもは補欠っ、補欠って言うクセに…」 「補欠でもお前は執行部員だろっ。たまには正義の味方らしくしやがれっ」 「やっぱり俺は…、アンタなんか嫌いだ…」 睨みつけていた視線を少しそらすと、藤原はそう言って後ろ手で強くドアを叩く。 ドアを叩いた音には藤原の気持ちが滲んでいたが、それでもこの状況はどうやっても変わらなかった。ここから脱出することを決めた藤原は、蘭に早く来るように言うとドアを開けて、勢いをつけて崩れてしまった部分をジャンプして飛び越す。 少し着地の時によろめいていたが、なんとか部屋から出ることに成功した。 「早く来てくださいっ、時間がないんですっ!」 部屋を出た藤原は、まだ部屋の中にいる蘭に向かってそう叫ぶ。 しかし、その声を聞いても蘭はドアの方に行こうとはしないで、バスルームからタオルを持ってくると、止血するために時任の太腿の辺りをそれでしばる。 そして、ゆっくりと落ち着いた様子で時任の隣に座った。 「一緒に花火見物しようよ、時任君…」 「な、なに言ってんだっ、藤原が待ってんだから早く行けっ!」 「時任君が行かないなら、私も行かない」 「行かないとぶん殴るぞっ!」 「・・・・・殴りたければ殴っていいわ」 「・・・・・・っ」 「行かないのなら、一緒にここで死ぬわ…。だって、好きな人を置いては行けないもの…」 告白めいた言葉を聞いた時任は、少しハッとしたような表情をして蘭の方を見る。 すると蘭も微笑みながら、時任の方を見ていた。 始めて蘭の気持ちを知った時任の脳裏には、蘭の瞳を見つめながらも蘭ではなく別の人物の姿が浮ぶ。 蘭のことは嫌いではなかったが、蘭と同じ意味で好きだと言うことはできなかった。 今はそばにいなくて、手を伸ばしても届かなくても…、時任がいつも一緒にいたいと思っている大切な人は一人しかいない。 時任は何かを握りしめるように右手をゆっくりと動かすと…、蘭に向かって首を横に振った。 「俺は死ぬつもなんかねぇよ…」 「そ、そんなのはウソだわっ!」 「ウソなんかじゃねぇよ…、マジでさ。俺はあきらめたんじゃなくて、ただココで待つことにしただけだから…」 「待つって救助の人を? そんなの来るかどうかわからないじゃないっ」 「俺が待ってるヤツならココに来る…、絶対に…」 「誰のことを言ってるの? こんな爆発の中をここまで来る人なんか…」 「・・・・・久保ちゃんなら、絶対に来る」 そう言い切った時任は、腕にすがりつくように伸ばしてきた蘭の手を軽く左手で振り払う。すると時任に触れることを拒まれた蘭は、振り払われた手で自分の服の端をぎゅっと掴んだ。 触れることを拒まれると同時に、触れようとしていた手に込められていた蘭の気持ちも時任に拒絶されてしまっている。 蘭は辛そうに瞳を伏せると、時任に自分が見ていたことを伝えた。 「久保田さんなら、きっと来ないわ…。だってあの人は、事件を解決することだけしか頭になくて…、時任君のことなんか少しも心配してなかったものっ」 「・・・・・・・」 「時任君が思ってるほど、久保田さんは時任君のことを思ってなんかないのよっ。だから私にここにいさせて…、お願いだからいさせてよ…」 「・・・・・ダメだ」 「私は…、私は好きな人と最後まで一緒にいたいのっ!」 蘭は時任が自分ではなく、久保田のことを好きだと知っている。 けれどそれでも、蘭の時任への想いは変わってはいなかった。 そんな蘭の想いに答えることのできない時任は、左手を伸ばして蘭の頭に軽く触れる。 一度は拒絶された時任に触れられた蘭は、涙の溜まった瞳で時任を見つめた。 「あんたとは一緒に死ねない…」 「・・・・・・っ」 「俺には一緒に死にたいヤツはいねぇけど、一緒に生きてたいヤツがいる…」 「でも、来ないかもしれないのに・・・・・」 「それでもいい…。それでも一緒にいたいのは、久保ちゃんだけだから…」 「久保田さん…、だけ?」 「俺が好きなのは、久保ちゃんだけなんだ…」 その言葉とともに時任の手が離れていくと、蘭は何も言わずにうつむく。 だが時任は蘭の方ではなく、この部屋からの出口であるドアの方を向いた。 時任が見ているドアの向こうにある穴は、決して小さい物ではない。 それを飛び越えるには、やはりそれなりの運動神経が必要に違いなかった。 時任はポンッと蘭の肩を叩くと、藤原に向かって声をかけた。 「今から飛ぶから、ちゃんと受け止めろよっ!! 藤原っ!!」 「言われなくてもわかってますっ!!!」 藤原の返事を聞いた時任は、肩を叩かれて顔を上げた蘭に立ち上がるように言った。 けれど、蘭はまだ首を振って、立ち上がろうとはしない。 時任はそんな蘭に向かって右手を振り上げると、音もしないくらい軽く頬を叩いた。 「俺はまだあきらめてないっ。久保ちゃんと一緒に…、みんなのいるトコまで戻ってみせるっ」 「と、時任君…」 「だからさ、また会おうぜっ。今度は帰る時に港で…」 「・・・・・約束してくれる?」 「ちゃんと戻るって決めてんだから、約束なんか必要ねぇだろ?」 「戻って来て…、絶対に…」 「絶対にな…」 時任の綺麗に澄んだ瞳からは、ここから戻るという強い意思が感じられた。 その瞳を見つめた蘭は、ゆっくりと立ち上がるとドアの方に向かって歩き出す。 しかし一度ドアの所まで行って飛ぶ距離を確認すると、助走をつけるために後ろへと下がった。 どこからかまた爆発音が鳴り響き、床が小刻みに揺れる。 蘭は時任の方を向くと、ポケットの上から青い封筒に触った。 「下で待ってる…、ずっと待ってるから…」 「あきらめずにがんばれよっ」 「あきらめないわ、下にたどり着くまで」 時任に向かってうなづいて見せると、蘭は勢いをつけて走り出した。 走ることが、飛ぶことが怖くても…、前にだけにしか道がないから立ち止まれない。 その前方に見えるのは崩れ落ちた穴ではなく、明日に向かって続く道だった。 「飛べぇっっ!! 蘭っ!!」 時任の叫び声とともに、蘭が穴に落ちるギリギリの位置でジャンプする。 すると蘭の長い髪が、下からの風を受けて美しく舞った。 しかし、その後ろ姿を見ていた時任はその途中で床へと崩れ落ちる。 足からの出血がひどくて、本当は意識が朦朧としていて蘭の姿は良く見えていなかった。 藤原と蘭がいる間は、なんとかなんでもないフリをしていたが…、もう身体に力が入らなくて自力で起き上がることはできない。 時任のぼやけた視界には白く降り積もった封筒が、本当の雪のように見えていた。 「久保ちゃん・・・・、一緒に・・・・」 そうかすれた声で呟きながら、時任はドアに向かって右手を伸ばしたが…。 その手は空気だけを掴んで…、ゆっくりと静かに絨毯の敷き詰められた床へと落ちた。 |
『降り積もる雪のように.20』 2003.2.13 キリリク7777 次 へ 前 へ |