高本の指示で避難が始まってはいたものの、まだ完全に泊り客も警官達も外に逃げ出したわけではなかった。そのために煙の立ち込めるホテル内では、パーティー会場の時以上のパニック状態におちいっていて、咳き込みながら外に逃げ出す人で玄関はごった返している。
 しかし、そうしている間もいつまた新たな爆発が起こるかわからなかった。
 仕掛けられていた爆弾は一つではなかったらしく、一つ目が爆発して十分ぐらいして二発目が爆発している。出口はまだふさがれてはいないものの、すでに爆風によってコンクリートが崩れ落ちて通行不能になった箇所がいくつかあった。
 今の所は重傷者はなく、ケガ人は比較的軽症である。だが、もう少し避難を呼びかけるのが遅れていたら、死人が出ていたことは間違いなかった。
 しかしそんな中を慌てることなく、煙で視界の悪いホテルの廊下で人々を出口に誘導し始めた人物がいる。その人物は煙で視界の悪くなった一階のロビーで、目立つように懐中電灯を片手に持って振りながら、張りのある声で避難の指示を出した。

 「出口はそちらを右手に真っ直ぐですっ。列に従って慌てないで避難してくださいっ!」

 ホテルに来ていた客を誘導していたのは警察の人間ではなくツアー客で高校生の桂木だったが、それは爆発が起こった瞬間に偶然ロビーに居合わせたせいだった。
 フロントから借りた懐中電灯を振りながら桂木が出口を教えると、次第に客達も落ち着きを取り戻して少しずつパニック状態が収まってくる。
 するとそんな桂木のいる場所に室田と松原、そして相浦が歩み寄ってきた。
 しかし室田は爆発で負傷しているらしく、額から血を流しながら小さな松原に支えられている。
 命に別状はないようだったが、頭を打っているようなので軽症とは言いがたかった。
 「平気だ…、一人で歩ける」
 「・・・そんなケガをして、平気なワケはないっ」
 「頭の傷は派手に見えるだけだ。心配するな…」
 「・・・・・・・・僕のせいで」
 「松原…」
 室田を支えながらうつ向いた松原は、自分のせいだと呟きながら軽く唇を噛みしめている。
 どうやら室田は、松原を爆発からかばって怪我をしたらしかった。
 しかしかなりの怪我を負いながらも、室田はいつもと変わらない様子で立っている。
 おそらくそれは室田が鈍感なのではなく、責任を感じている松原の前で倒れるわけにはいかないからに違いなかった。
 室田は支えてくれている松原の身体を軽く押して自力で立つと、近くにいた相浦に視線を向ける。すると相浦はうなづいて、必死で客の誘導をしていた桂木の方に向かって右手を差し出した。
 「後は俺達が誘導するから、桂木は避難しろよ」
 「そんなバカなこと言ってないで、アンタたちこそさっさと避難しなさいっ。室田っ、アンタは特によっ!」
 「そう言ってくれるのはありがたいけどさ…。こういう時くらいカッコつけさせてくれたっていいだろ」
 「・・・・・相浦」
 「懐中電灯を渡してくれよ、桂木」
 相浦の言葉に桂木は少しうつむいてから、懐中電灯を持っている方の手を前に伸ばす。
 けれど次の瞬間には、反対側の手が相浦の背中を思い切り叩いていた。
 「いっ、いてぇっ!!」
 「あたしにそういうセリフを言うのは十年早いわっ!」
 「今は十年待ってられないんだってっ!」
 「それにあたしはどんなに言われても、まだココから逃げ出せない…」
 「桂木・・・・・・」

 「時任と藤原が…、この出口をくぐるまではね…」

 桂木はそう言うとニッと相浦に向かって笑って見せた。
 するとその笑顔を見た相浦は、軽くため息をついて室田ではなく松原の方を見る。
 松原は室田が無理をしていることがわかっているらしく、きつく唇を噛みしめていた。
 時任と藤原のことを心配しているのは松原も同じだが、負傷している室田を早く連れ出さなくてはという気持ちもある。おそらくその間で、松原の気持ちが揺れ動いているに違いなかった。
 桂木は相浦に懐中電灯を投げて渡すと、持っていたハリセンを構える。
 そしてそのハリセンを、負傷している室田に向かって振り下ろした。
 「今よっ! 松原っ!」
 「すいません、相浦、桂木さん。…後は頼みます」
 「まかせときなさいっ!」
 「まかせとけっ」
 ハリセン攻撃を受けて意識が朦朧としている室田を松原が連れ出すのを見送りながら、桂木と松原が客の誘導を再開する。次々と客は逃げるために下の階に降りて来ていたが、やはりその中に藤原と時任、そして久保田の姿はなかった。
 しかしこの混乱の中を、居場所すら特定できていない時任を探しに行くことは難しい。
 桂木がどうするべきか考えていると、客を誘導し終えた従業員達も避難し始めた。

 「あっ、まだ君達も残っていたのかっ! 危ないから早く避難しないとっ!」
 
 そんな風に桂木と相浦に声をかけてきたのは、従業員達ではなく高本刑事だった。
 高本刑事は爆発のそばにいたのか、少し顔が汚れてしまっている。
 しかし桂木達に逃げるようにいいながらも、高本刑事本人は逃げる様子はなかった。
 だが、それはホテル内の人間を避難させるように高本刑事に言った後、杜刑事がまだ一階に降りて来ていないせいらしい。
 早めに避難を開始していたこともあって、従業員が避難する後に続いて警官達も避難しようとしていた。

 「・・・刑事としてこんなことは口にしたくないけど、この状態で探すのは無理だ。爆弾がどこにどれだけ仕掛けられているのかわからない以上、とにかく避難して様子を見るしか方法がない」

 高本刑事はロビーで待ち続けている桂木と相浦を避難させようとして、そう言っていたが二人とも逃げようとはしない。時々、ホテル内で爆音と振動がしていたが、二人は顔色一つ変えなかった。
 そんな二人を見た高本刑事は、まだ避難せずに近くにいた警官に声をかけて強引に避難されようとする。
 だが、警官が二人の肩に手をかける前に、聞き覚えのある声が煙の中から聞こえた。

 「…ったくっ、いくつ爆弾を仕掛けてやがんだっ!! くそぉっ!!」
 
 耳が痛くなるくらい良く響くその声は、高本刑事が待っていた杜刑事だった。
 文句を叫びながらこちらに向かって歩いてくる杜刑事は、爆発の負傷者らしい男を一人背中に背負っている。
 しかし、なぜかその男の手には、犯罪者がつける手錠がかけられていた。
 「杜刑事っ、無事だったんですねっ!!」
 「当たり前だっ! こんな所で死んでたまるかっ!!」
 「そ、そう言えば一緒にいた久保田君はどうしたんです? もう先に避難したんですか?」
 「久保田ってヤツは…、あいつは行っちまったよ…」
 「行くって…、まさか行方不明の子を探しに?!」
 杜刑事は高本刑事と話しながら、なぜか背中に背負っている男の方を見る。
 そして顔を歪めて短く舌打ちすると、軽く体をゆすってずれかかった男の身体を背負い直した。
 「行方不明のヤツらは最上階にいる」
 「どうしてそんなことが…っ?!」
 「俺が背負ってるコイツが吐きやがったんだよっ! コイツが社長殺しの犯人だったんだっ!」
 「その人は野島さん…、ですよね?」
 背中に背負われてぐったりとしている野島の顔を覗きこみながら高本刑事がそう聞いていたが、杜刑事はそれには答えない。
 杜刑事は高本刑事から桂木と相浦の方に視線を移すと、ゆっくりと口を開いた。
 「・・・・同じ高校の子達が戻るまで、ココから動かないつもりなのか?」
 「そうよ。当たり前じゃないっ」
 「自分の命が危なくてもか?」

 「・・・・・・全員そろわないとダメなのよ、絶対に」

 桂木はそう言いながら、強い意思を込めてじっと杜刑事の目を見返す。
 杜刑事と高本刑事の言いたいことはわかっていたが、それでも絶対に全員そろわなければ帰るつもりはなかった。
 今の所、ロビーが爆発する気配はないが、爆発でホテル全体が倒壊する危険性もあって、それを考えると怖くないと言えばウソになるがどうしてもここを離れられない。
 もしも時任がここにいて、逆に桂木が犯人に捕まっていたとしたら…。
 絶対に自分を置いて逃げることはないと知っているから、離れることは絶対にできなかった。
 しかし桂木達のいる一階で爆発音がして、その振動と爆風がロビーに吹きつける。
 相浦が桂木を爆風から身をていしてかばっていたが、上の階の方だけでしていた爆発が一階でも起こり始めていた。
 「・・・・・久保田君から、君あてに伝言を頼まれてる」
 「伝言?」

 「聞いた伝言は一言だけ、『必ず連れて戻る』それだけだ…」
 
 杜刑事が伝えたのはたった一言だけだったが、それを聞いた桂木は拳を硬く握りしめる。
 そして出口に向かって歩き出しながら、相浦にも一緒に来るように言った。
 「・・・・桂木っ」
 「後は久保田君に任せることにしたわ。必ず連れて戻るって言ったんだから、絶対に戻るわよっ」
 「けど、この爆発じゃ…」

 「戻らなかったら…、バカだって思いっきり笑ってやるんだから…」

 助けるために最上階に向かった久保田が戻ると言った以上、それを信じて待つしかない。
 それを悟った桂木は、迷いを断ち切るように出口に向かって走り出した。
 そんな桂木に続いて走り出した相浦は、誰もいないことを確認するかのように一度だけ後ろを振り返る。しかし、そこには二人の刑事と犯人の姿以外はなかった。

 「俺達も行くぞ、高本君」
 「・・・・・はい」

 そう言って走り出した桂木と相浦に続いて、犯人の野島を背負った杜刑事と高本刑事も避難を始める。すると犯人である野島はかなり負傷しているらしく、杜刑事の背中でうめいていた。
 杜刑事はそのうめき声を聞きながらギリリと歯を噛みしめると、横にいる高本刑事に、「くそぉっ」と吐き捨てるように言う。
 その声に思わず高本刑事が横を向くと、杜刑事は近くにあった灰皿を勢い良く蹴飛ばした。
 「久保田は犯人を殺そうとしてたんだ…。けど、俺はそれを止めなきゃならなかったっ! 被害者を助けずに犯人助けてなにやってんだっ、俺はっ!!」
 「そんな風に思う気持ちはわかりますが…、犯人だろうと誰だろうと、人の命を助けるのが俺達の務めです…」
 「そんなことはわかってるっ! だからコイツを背負ってんだからなっ!」
 「・・・・・・・」
 「だがなっ、久保田が戻って来なかったら、俺は犯人を殺そうとしたあいつを止めちまったことを後悔しそうなんだよっ」
 「杜さん…」

 「必ず戻るからって…。久保田は…、あいつは笑って言いやがったんだ…」

 杜刑事は犯人を背負ったまま玄関を出ると、高本刑事と一緒に全員が避難している爆発に巻き込まれない広いホテルの敷地内の外に向かう。
 爆発の轟音は辺りに鳴り響いていたが、近くにいる警察も地元の消防署も何も成す術がなく、その様子をただ静かに見守っていることしかできなかった。

 







 下の階からの爆発音が、最上階まで振動になって響いてきている。
 その音を聞きながら、時任は必死に歯で蘭の縄を噛み切ろうとしていた。始めは後ろ手で解こうとしていたが、それがうまくいかなかったのでそうすることにしたのである。
 しかし太い縄はなかなか噛み切ることもできなくて、時任はあせりを感じていた。
 それは野島が部屋を出て行ってからまもなく下の階の爆発が始まったが、今、爆発していないからと言って、この部屋に爆弾が仕掛けられていないという保証はどこにもなかったからである。
 藤原も後ろ手で時任の足の縄を解こうとしていたが、やはりうまくはいかなかった。
 「藤原っ! 手じゃなくて歯を使えっつってんだろっ!!」
 「いちいちうるさいですよっ! 気が散るから黙っててくださいっ!!」
 あくまで手で解こうとしている藤原に、時任は歯でやれと言ったがやはり言うことを聞かない。久保田が言えば喜んでそうするのかもしれないが、あいにくここに久保田はいなかった。
 言うことをきかない藤原に時任は軽く舌打ちしたが、今は言い争いをしている時間はない。
 時任は何も考えずに必死に、かなりまずい味のする縄に歯を立て続けた。

 「時任君っ、がんばってっ!」
 「ううっっ…!!」

 蘭に応援されながら、縄を食べるよりも毎日カレーを食べた方がマシだと思いつつ時任はだるくなってきた顎に力を込める。すると何回も噛んでいたかいがあって、やっとのことで蘭の手の縄がブチッと音を立てて切れた。
 蘭は縄が切れると、自分の足の縄を急いで解く。
 そして自分の足の縄を解き終わった蘭が時任の縄を解くと、今度は時任と蘭の二人で藤原の縄を解きにかかった。
 しかし藤原の縄はなぜか二人よりも念入りにしばってあるらしく、時任が思い切り力を込めても解けない。そのためまだ縛られたままの藤原は、爆発のために床が揺れるたびに、ビクビクしながら悲鳴をあげていた。
 「うぎゃぁぁっっ!!もうきっと僕はここで死んじゃうんですぅぅっ!!!」
 「うるせぇっ!黙れっ!!」
 「ああっ、死ぬ前に久保田先輩とキスとか色々したかったのにぃぃぃっ!!」
 「死ぬ前だろうがなんだろうがっ! んなことできるワケねぇだろっ!! バーカッ!!」
 「あぁぁっ!!助けてくださいっ!! 久保田せんぱーいっ!!!」
 「・・・・・・捨ててくぞ」
 「う、ウソですってばっ、今は時任先輩に助けてもらいたいですぅ〜」
 そう猫なで声で言った調子の良い藤原をにらみながら、時任がやっとの思いで手の縄をほどくと、それとほぼ同時に蘭のといていた足の縄も解ける。
 なんとかこの部屋が爆破される前に全員の縄が解けたが、ほっと息をつく暇はなかった。
 時任は急いで部屋のドアまで走っていくと、開くかどうかを確認して見る。
 だが、ドアというのは内側からは開くはずなのだが、何かでふさがれているのか開かなかった。何回開けようとしてみても、ドアノブはガチャガチャと音を立てるだけである。
 それを見た藤原はもうダメだと言いながら床にうずくまったが、時任はあきらめずにドアに体当たりをし始めた。
 「助からねぇってあきらめちまったらっ、そこでオシマイなんだよっ!」
 「あきらめなくっても、どう見てももうおしまいじゃないですかっ!!」
 「おしまいかどうかやってみなけりゃわかんねぇだろっ!何もやらないより、やった方が助かるって決まってんだっ!てめぇも助かりたいなら手伝えっ!!」
 「・・・・・・・・・」
 時任の横では、蘭もタイミングを合わせて体当りを続けていた。
 藤原は助かろうとしている二人を少しの間じっと見つめていたが、うずくまっていた身体を起こして立ち上がる。
 そして、二人に加勢するためにドアの方に向かって歩き出した。

 「ちくしょうっ!!! 意地でも助かってやるっ!!」

 藤原はドアに向かいながらそう叫んだつもりだったが、その声は突然襲ってきた轟音に掻き消されて誰の耳にも届かない。下の階ばかりにセットされていると思われていた爆弾は、やはり最上階にも仕掛けられていたのだった。


                   
『降り積もる雪のように.19』  2003.2.10 キリリク7777

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