すぐ近くで何かドサッという音が聞こえた気がして、時任は毛の長い絨毯の上で目を覚ました。だが、なぜか頭がズキズキとしていて、すぐには起き上がることができない。
 時任は後ろ頭の痛みに小さくうめきながら、ゆっくりと薄目を開けて見た。
 すると目の前には、いかにも高級そうな家具や調度品が並んでいる。
 だが、頭の痛みからか少し頭の中が混乱していて、なぜ自分がこういう状況に置かれているのか理解できなかった。
 「あれ…、なんで…?」
 そう言いながら起き上がろうとした時任は、自分の腕と足が縛られていることに気づく。
 そして首をひねってみた瞬間にすぐ近くに倒れている蘭と藤原の姿を見つけると、あっという間になぜ頭が痛むのか、どうしてこんな場所にいるのかを理解した。
 パーティー会場で凶器であるボーガンを見つけたこと、そして犯人らしき男に背後から頭を殴られたことを…。
 時任は絨毯の上に転がったまま、心配そうな顔で蘭と藤原を呼んだ。
 「おいっ、大丈夫かっ! 二人ともしっかりしろっ!」
 見た感じ外傷はなさそうだったが、だからといって無事だとは限らない。
 とにかく誰か助けを呼ぼうと思った時任は、絨毯の上を這いずりながら出口の扉に向かって移動しようとした。しかし両手両足をしばられていては、思うように進むことができない。
 時任は倒れている二人を見て少し考え込んでいたが、思い切って蘭ではなく藤原の方ををガツッと蹴飛ばした。
 「いてっ!!!」
 「無事かっ、藤原?!」
 「ぶ、無事なはずないじゃないですかっ! 人のこと蹴飛ばしといてっ!」
 「いつまでも気絶してっからだろっ!」
 「好きで気絶してたんじゃありません…って、ここはどこなんですか?」
 「・・・・・・ホテルの中のどっかってのは確かかもな」
 「廊下で頭殴られて…、それから記憶ないんですけど」
 「どうやら、マジで捕まっちまったみたいだぜ。犯人に…」
 時任が真剣な表情でそう言うと、藤原は隣に倒れている蘭を見てゴクリと息を飲んだ。
 しかし時任と藤原が騒いでいるので、その声に蘭も意識を取り戻し始めているらしく少し身じろぎしている。蘭が無事なことに時任はホッと胸を撫で下ろしたが、どう見ても今の状況はお世辞にも良いとは言えなかった。
 大島社長のように殺されたりはしなかったが、これからその可能性がないとは言えない。
 時任は腕を絞められている縄を解くために藤原の方に近づこうとしたのだが、そうする前に何者かの声が窓辺の方から聞こえてきた。

 「ようやく目が覚めたようだな、高校生探偵君」
 
 時任達を殴って気絶させてここに運んだ男は、そう言いながらタバコを吸いながら窓辺で外を眺めている。その視界には、おそらく暗がりに沈む広い海が広がっているに違いなかった。
 時任が窓辺に立つ男の後ろ姿を睨みつけていると、ようやく蘭が目を覚ます。
 すぐには自分が置かれている状況を理解できなかったようだが、目の前に立つ男を見た瞬間に自分の身に何が起こったのか悟ったようだった。
 「まさか…、貴方が犯人だったなんて…」
 信じられないという表情で蘭がそう呟くと、男は少し笑ってから絨毯に転がっている三人の方を振り返る。だが、その男の顔は凶悪な犯人といった感じではなかった。
 男は吸っているタバコの火を灰皿で消すと、ゆっくりと時任の前に屈み込む。
 そして小さく息を吐きながら、腕を伸ばして時任の顎に手をかけた。
 「探偵ゴッコなんかしなければ、こんな目に合わずにすんだのにな」
 「探偵ゴッコなんかしてた覚えはねぇよっ」
 「好奇心は身を滅ぼすって聞いたことないか?」
 「身を滅ぼすのはてめぇだろ」
 「確かにそうかもしれないが、君らがここにいる限りは大丈夫だろう?」
 「さっさと縄をほどきやがれっ!」
 「嫌だね」
 時任は顎にかけられた手を顔をそらして払いのけると、身体をひねって男に縛られた足で蹴りを入れようとする。しかしその蹴りは空を軽く切っただけで、男には当たらなかった。
 確かの男の言う通り、縛られたままでは何をすることもできない。
 時任は両腕に力を入れて見ていたが、やはりこの縄を解くには藤原か蘭かに頼むしか方法はなさそうだった。
 チラリと蘭の方を見ると、蘭もそう思っているらしく時任に向かって小さくうなづき返している。
 だが今は、犯人である男の前でそういう素振りを見せることは命取りだった。
 三人もいなくなったのだから、そろそろ騒ぎになっているかもしれないが、犯人が誰かに気づいて誰かが助けに来てくれるとは限らない。
 しかし時任は軽く唇を噛みしめると、なんとか時間稼ぎすることを考えていた。

 『こいつが俺らを逃がすワケねぇし…、たぶんこのままだとキケンだ。けど、きっと久保ちゃんが…、俺のこと探してくれてる…。だから、なんとかそれまで…』

 ココを見つけてくれそうな人物がいるとしたら、おそらくそれは一人しかいない。
 社長室の前で一緒にいられないと言われて…、その言葉に哀しい気持ちになっていたが、それでも久保田が探してくれていることを時任は信じていた。
 たぶんいなくなったことを一番最初に気づいてくれて…、心配してくれてることを…。
 だからこんな事態になっていても、まだあきらめる必要は少しもなかった。
 いつもそばに…、隣にいてくれる久保田がいてくれる限り何も…。
 時任は大きく深呼吸すると強い瞳で再び男を睨み付けて、久保田が犯人に気づいてくれることに望みをたくして時間稼ぎをするために話し始めた。
 「なんで社長を殺したのかは知らねぇけど、俺らがいなくてもいずれあんたが犯人だってバレるぜ。証拠はちゃんと残ってんだからなっ」
 「ボーガンのことを言ってるのか? それなら、残念ながらもう処分したよ」
 「・・・・・それだけじゃねぇだろ」
 「他にあったかな?」
 犯人の男は時計を気にはしていたが、時任がボーガンの他に証拠が残っていることを言うと、その話に興味を持ったようだった。
 時任は男が話しに乗ってきたので、心の中でホッと胸を撫で下ろす。
 久保田が来てくれることを信じてはいるが、今、時任の手には自分の命だけではなく、蘭と藤原の命もかかっていた。そのため暴れて犯人の隙をつくとか、そういった無茶をせずに慎重に行動しなくてはならない。
 時任は男の様子に注意しながら、証拠についての話を続けた。
 「証拠なんかなくても、あの状況で大島社長を殺せたのはてめぇだけなんだよっ。大島社長が舞台に出てくるタイミングを測れた、てめぇだけにしかなっ」
 「しかし警察は凶器のボーガンはテーブルの下にあったと思っている。俺の思惑通りに…。あの会場には社長を殺害してもおかしくない動機を持った者が大勢いるから、あそこに凶器があればかなりそれらしいだろう?」
 「怪しまれずにボーガンを置けるのは、あんたか従業員くらいだからな。けど、あのテーブルにいたのは容疑者に一番なりそうもない俺らだった」
 「確かにそれは予定外だったけど、問題はないよ。警察は俺を疑ってないからさ」
 「それはまだわからねぇよ。警官の持ってたビデオに写ってたモノを見たとしたら、容疑者にされるかもしれねぇだろ」
 「ビデオで舞台を撮っていたとしても、停電で会場は暗かったはずだ。暗視カメラで撮らない限りは何も写らないよ」
 そう言って小さく笑った男は、よほど自分の犯行がばれないことに自信があるらしい。
 時任はそんな男をじっと見ながら、その自信を打ち崩すようにニッと笑って見せた。
 その笑みを見た男は少し不審そうな顔をしていたが、時任は男を動揺させるためにやっているので笑みを崩さない。そして、そのままビデオに写っていたものを男に告げた。

 「舞台をずっと撮ってたビデオには、小さく黄色に光る物体が写ってた。しかも社長が立っていた場所に…。光ってたのは社長の胸に付けられてたリボンで、あれがあったから暗闇の中でも正確に心臓を狙えたんだ」

 ビデオを見て舞台を調べた時任がした大島社長の事件の推理は、胸に付けられたリボンと、頭上につけられていたボーガン、そして舞台の脇につけられていたヒモを引っかけられるフックとマイクのコードを使ったものだった。
 しかもそれをできる人物は、どう考えてもたった一人しかいない。
 なぜ大島社長を殺したのかは謎のままだったが、殺害の方法はパーティー会場でするにはかなり大胆だった。
 「社長に送られてきた爆破するっていう脅迫状、いかにも今回のシーパレス建設に反対してるヤツっぽいけど、実はパーティで停電にするためにてめぇがしたことだったんだよ」
 「しかし停電になったからって、舞台に立ってる人物にどうやって正面から矢を打つ? そんなことは不可能だろう? 社長の胸には垂直に矢が突き刺さっていた。床に押さえつけるにしても、そんなことをしていてはすぐに時間が過ぎて会場が明るくなってしまう…」
 「確かにあのままじゃ不可能だけど、舞台の脇につけてあったフックとマイクのコードを使えばできんだよ」
 「・・・・・・」
 「社長が立つ位置に、片方をフックに結んだマイクのコードを輪になるように置いて…、停電になった瞬間に引く。そしたら、社長はコードに足を取られてこけるだろ」
 「動物を捕獲する時のような要領で?」
 「そう、それで手に持ったコードを引いて反対側のフックに結んだら、後は自分のマイクのコードで首を縛って引っ張れば社長の身体を固定できる。後は光ってるリボン見ながら、ボーガンを打つリモコンのスイッチを入れるだけでいい…」
 そこまで時任が言い終えると、犯人である男は自分の犯行が暴かれたというのに楽しそうに腹を抱えて笑い出す。そんな男を時任が鋭い目つきで睨みつけていると、男は笑いを収めながらも時間が気にかかっているようで、チラリと部屋につけられている大きな柱時計見た。
 その様子が気にかかったが、それが何を意味しているのかはまだわからない。
 男は再びポケットからタバコを取り出して火をつけると、それを深く吸い込んで白い煙を吐き出した。
 「なるほど、なかなか面白い推理だ」
 「推理じゃなくて、事実だろ?」
 「君と一緒にいた久保田という男には注意していたが、君にも注意するべきだったかな。そうすれば、ここに連れてくるのは一人ですんでたのに」
 「それは、どういうイミだよ?」

 「君らを殺さなかった理由は、ちゃんとあるってことさ」

 男はそう言うと時任ではなく、縄をほどこうと必死になっている蘭の前に立った。
 それを見いた時任が蘭をかばおうとしたが、男はジャマだと言いながら靴をはいたままで時任の腹を蹴り上げる。蹴りを受けた時任はそれでも蘭と男の間に割って入ろうとしたが、今度は逆に男の片腕で首を絞められた。
 「ぐ…っ!!」
 「な、なにをするのっ!! 時任君を離して!!」
 蘭はそう叫んだが、男は抵抗できない時任をいたぷるように首を絞めたり緩めたりしていた。
 それから、ふーっと蘭の顔に向かって煙を吹きかけると、煙たくて咳き込んでいる蘭に向かって妙なことを聞く。しかしそれを聞いた蘭は、少しだけハッとしたような顔をしていた。
 「人魚の涙の鍵を渡せ」
 「・・・・・・っ」
 「人魚の涙を聞いたことがないとは言わせない」
 「お、大島と…、父と人魚の涙に何の関係が…」
 「昔、君の父親が宝石強盗して盗んだんだよ。人魚の涙を…」
 「そんな……」
 その言葉を聞いた蘭の表情が、一瞬にして驚きと悲しみの色に染まる。
 母親のことで父親を憎んでいた蘭だったが、やはり父と思っていないとは言っていてもそれは本心からではないに違いなかった。そう思えるのは、憎んでしまう原因は色々あっても、少なくとも写真に写っていた蘭は笑っていたからである。
 だがしばらくすると、なぜか納得したようなあきらめたような表情に変わっていた。
 「突然、父がお金持ちになったのは、そう言う訳だったんですね。いきなりあんな風になるなんて、何かおかしいとは思ってました。まさか宝石強盗してたなんて…」
 「そう、君の父親である大島は、宝石店にトラックで突っ込んで人魚の涙を盗んで行った」
 「貴方はまさか…、宝石店の…」
 「はははっ、まさか親子そろって同じことを言うとはね」
 「同じことって…」
 「・・・・俺の父親は君の父親に殺された」
 「えっ?」

 「君の父親は宝石強盗の帰りに、俺の父親を引き殺したんだよ」

 大島社長が起こした強盗事件は店が閉店後だったため、怪我人や死人は出なかった。
 しかし宝石強盗をしたと思われるトラックが、現場から立ち去る時に横断歩道を渡っていた男を引き殺したのである。目撃者がいなかったが、後で発見されたトラックに付着していた血液が引き殺された男のものと一致していた。
 犯人の捜査は強盗事件と合同でされていたが、結局、犯人は上がらず仕舞いだった。
 「犯人が大島だって知ったのは、本当に偶然だった…。だけど、その当時のことで話があると言ったら、宝石店の息子か何かかと聞いてきたんだよ。俺の父親をひき殺したことなんか、少しも覚えてやしなかったんだ」
 「・・・・・・それで父を殺したのね?」
 「君の父親は、最後まで命乞いしてたよ。いくらでも金をやるからってさ。だから、金は要らないって言ってやったら、ホテルの最上階の時計の中にある人魚の涙を、俺にやるから助けろと言ったんだ。カギは娘が持ってるからって…」
 「わ、私は人魚の涙なんか知らないし、カギなんて持ってない…」
 「さっさと吐かないと、君を助けようとしてた探偵君が先に死ぬよ?」
 「時任君には何も関係ないわっ! 殺すなら私を殺してっ!!」
 「殺されたくないなら、カギがどこにあるか思い出せよ」
 「そんな・・・・・」
 蘭は本当にカギの在りかを知らないようで、時任と部屋にある振り子時計を交互に見ながら泣きそうな顔をしている。その間も男は容赦なく、蘭を脅すために時任の首をしめ上げていた。
 自分の首をしめ上げている男のタバコの匂いをかぎながら、時任は話を聞いてからじっと時計を眺めている。それは男がさっき時計を見ていたのは、何かの時間が迫っているせいかもしれないと思ったからだった。
 もしその時間が迫ったら、このまま絞め殺されてしまう可能性があるかもしれない。
 時任が首を絞められて朦朧としながらも、蘭が持っているカギについて考えていると、なぜかふいに時計の文字盤が気になり始めた。
 振り子時計の文字盤は1.2.という普通の数字ではなく、ローマ数字で書かれている。
 その数字を見ていると、どうしてもそれと部屋を当てはめて考えてしまっていた。
 すると、蘭のいる部屋の部屋番号はXIだったが、始めは楢崎の部屋と間違えていたことを思い出す。楢崎の部屋番号はXIだが、ちょうど時計の文字盤のその位置に鍵穴があった。
 「へ…、部屋のカギ…」
 男に窒素させられながら時任が一か八かでそう言ってみると、蘭は何かを思い出したように時計の文字盤を見る。それは、やはり蘭も時任と同じことを考えたからかもしれなかった。
 その蘭の反応を見た男は、時任の首から腕を放すと蘭に近づいてポケットの中を探る。
 するとその中から部屋番号はXIなのに、XIと書かれている鍵を取り出した。
 「なるほど…、そういうことか…」
 男も文字盤の鍵穴に気づいたようで、近くにあった椅子を台代わりにすると時計のガラスを開けて鍵穴に蘭の持っていた鍵を差し込む。
 すると差し込まれた鍵は、回すと予想通りにカチリと音を立てる。
 そして開いたのは、文字盤の下の辺りにある本当に小さな部分だった。

 「これが人魚の涙か…、なるほど確かにこの青さは悲しみの色に似ているな」
 
 男はそう言うと、中に入っていたサファイヤを取りし出して天井の明かりに照らした。
 大きなサファイヤの宝石は光に照らされてキラキラしていたが、男の言うようにその色は悲しみの色なのかもしれない。しかし、時任にはそれを眺める余裕すらなかった。
 なんとか瞳を涙で濡らし始めた蘭と、誰か助けてとうめいている藤原の縄をほどく機会を狙っていたのである。
 だが、そんな時任をあざ笑うかのように、人魚の涙を手に入れた男は三人の前で片手を胸に当てて紳士のようにお辞儀をした。

 「紳士淑女の諸君、これからが本当のショータイムの始まりだ。最上階の特等席でとくと今宵の空に打ち上がる美しい花火をごらあれ」

 それはまるでこの島で行われるはずだったミステリーツアーを、架空の殺人事件を推理しようとしていた時任達を皮肉っているようなセリフだった。
 

                    
『降り積もる雪のように.17』  2003.1.25 キリリク7777

次 へ
前 へ