朝、チケットを受け取って新幹線に乗った時は、こんなことになるとは予想などしていなかった。
 けれど楽しくなるはずだったミステリーツアーの旅は殺人事件によって、血の色に染まってしまっている。大島社長がパーティー会場で、参加者である楢崎も社長室で殺害された。
 執行部と同じようにこのツアーに参加していた小城は、二番目に殺害された楢崎に何か弱みを握られていたらしいが、実はそれは殺害計画ではなかったらしい。
 楢崎殺害の犯人が五月だとわかってから、それを事前に楓に聞かされていたことを藤原がぼそっと桂木に漏らしたのだった。
 「ちょっとっ、知ってることがあるならなんで話さなかったのよっ!!」
 「だ、だって…、しゃべるなって言われてたんですぅぅっ」
 「…ったく、どうせ怖くて言えなかっただけでしょっ!」
 「うっ、そ、そんなことありませんよ」
 藤原が聞いていた内容は、楓達四人はそれぞれ楢崎に弱みを握られていて、それをどうにかするためにこの旅行中に逆に楢崎の弱みを握ってやろうと目論んでいたのである。楓の考えたその目論みは楢崎の飲み物に睡眠薬を仕込んで眠らせて、眠っている間に他人に見せられないような写真を撮るというものだった。
 警察が調べて後でわかったことなのだが、実は楓の大きな荷物の中には殺害のためではなく撮影用の道具や衣装が入っていたのである。
 握られていた弱みは四人がそれぞれ違っていたが、本人達にとってはかなり深刻なものだった。
 推理マニアの梶浦は盗み撮りした女子生徒の写真を売りさばいてたことなのだが、その写真は冗談ではすまないほどかなりなものだったらしい。
 小心者の野瀬はテストのカンニング。これは高校一年の頃ならまだ取り返しが効くかもしれないが、三年のこの時期にカンニングがばれると進学にかなり響くに違いなかった。
 そしてこの計画を持ちかけた楓は、意外にも援助交際をしているらしい。
 このことが学校にバレれば自主退学に追い込まれることになるという話である。
 これは誤魔化せばなんとかなるのかもしれないが、証拠写真を楢崎に握られてしまっていると肩をすくめながら本人である楓が桂木に向かって言った。
 「やっぱり私はどこか抜けてるのかもしれないわね…。間抜けな話だわ、今回のことも弱みを握られてることも…」
 「でも、それは抜けてるんじゃなくて、悪いことだって自分でわかってるからじゃないの? 自分でそう思ってるから、きっとどこかでバレて楽になりたいって思ってる」
 「ふふっ、なかなか面白い話だわ。確か貴方は桂木さん…、だったわよね」
 「そうよ、私の名前は桂木和美」
 「その桂木さんは、どうしてそんな風に思うのかしら?」
 「今のあなたの顔が、すごくすっきりしてるからよ」
 桂木がそう言うと、楓は今までとは比べものにならないくらい穏やかな表情で、小さく声を立てて笑い出した。その笑顔を見た桂木も少し肩をすくめてから、楓に向かって微笑みかける。
 だが、笑いながらも楓の目尻にはほんの少しだけ涙が浮かんでいた。
 その涙を見た五月は俯いてもう一度ゴメンとあやまったが、楓は少しも五月を責めたりはしない。
 そんな二人の様子を見ていると、さっきまで五月を怒鳴りつけたりしていた楓と同一人物とは思えなかった。
 「あなた達を見てると、ホントに仲がいいんだか悪いんだかわからないわっ」
 桂木が感じたままを素直に言うと、楓は話が終わるのを待ってくれている高本刑事の方を横目で見ながら笑いをおさめて少し真剣な顔になる。
 その顔を見ながら桂木が何を言うのかと待っていると、楓ではなく横にいた五月が口を開いた。
 「実は私達って幼馴染みなのよ。生まれた時から住んでる家も隣同士」
 「もしかして…、だからなの?」
 「きつい性格だから誤解されがちだけど、ホントは楓は優しいの。私なんかより…、ずっと…」
 「貴方が妊娠してるのも話してたのね…」
 「・・・・・楓しか話せる人がいなかったから」
 楢崎と蘭が話しているのを隣の部屋から聞いていたのは、楓ではなく五月だった。
 実は部屋には楓と五月は一緒に入ったが、楓はトイレに行くために一度部屋から出てしまってたのである。その時に一人で部屋を探索していた五月は、振り子時計の中が隣の部屋と繋がっているのを発見してしまったのだが…。
 偶然にも、ちょうど楢崎が指輪のことをネタに蘭に付き合えと迫っているところだった。
 楢崎は犯人じゃないと言っているのに少しも取り合わず、楓達の弱みを握っているのと同じように蘭にも同じことをしようとしている。だが蘭は楓達が弱みを握られて脅されていることを知っていて、人の弱みに付け込もうとする楢崎を避難した。
 しかし楢崎はその言葉に何も感じないらしく、
 『好きな男のために、自分の幼馴染みを売った女よりマシだろ。少なくとも俺はダチを売るようなマネはしねぇからなぁ。なんかあいつ…、俺のガキが出来ちまってるらしいけどさ。お前ならまだしも、あんな女とのガキなんか欲しくねぇぜ』
と、そんな風に言って愉快そうに笑う。
 五月はその言葉と笑い声を聞いた瞬間、楢崎が本当に少しも自分のことなど好きだと思ってくれていないことを知ったのだった。
 「本当は最初から、利用されてるって気づいてた…。でも二人きりの時はすごく優しかったから、少しは好きでいてくれるんじゃないかって錯覚して…、バカよね私」
 「でも…、貴方もみんなと同じように弱みを握られて脅されてたんじゃ…」
 「・・・・・・違うわ。ただそういうフリをしてただけだから」
 「そういうフリって…、なんでそんなことしたのよ」
 「それは…、私が楓の写真を楢崎に渡したから…。 楢崎に頼まれてネットで知り合った男にお金を渡して、楓を罠にはめて写真を撮ったからなの」
 「・・・・・・・・・・・・」
 桂木に向かってそう告白すると、五月は殺人を犯してしまった自分をかばってくれた楓の方を見る。
 すると、楓の方も真っ直ぐ五月の方を見ていた。
 五月の代わりに自分が犯人になろうとした楓と、その楓を罠にはめて騙していた五月。
 言い争いが始まるかと思われたが、二人はお互いを見つめたまま動かない。
 しかし、しばらくしてその沈黙を破って最初に口を開いたのは、五月ではなく楓だった。
 「本当に相変わらず貴方はバカすぎだわ。そんなの気づいてたに決まってるでしょう…」
 「・・・・・・・楓」

 「まったく何年一緒にいると思ってるのよ。私達は幼馴染みじゃない…」

 そう静かな口調で言った楓は、じっと自分を見つめて声も無く瞳から涙をこぼしている五月を見て微笑む。事実を知った楓に罵倒されることを覚悟していた五月は、唇を噛みしめながら再び俯いて瞳を閉じた。
 おそらく五月にとっては罵倒されるよりも、微笑まれる方が辛いに違いない。
 二人のそばに立っている桂木は小さく息を吐いて軽く頭を振ると、微笑みを浮かべている楓の方を見た。すると楓は桂木の方を見て、ほんの少しだけ五月に向けていたものとは違う笑みを見せる。
 その笑みを見た桂木は、なぜかハッとしたような表情をしていた。
 一通り話が終わると五月と楓は、楢崎殺害容疑とその共犯者として取調べを受けるために高本刑事について部屋を出ていく。
 だが楓だけが何かを思いついたかのように、ドアを出る直前で立ち止まった。
 「桂木さん」
 「なに?」
 「あのメガネをかけた探偵さんの名前、教えてくれないかしら?」
 「・・・・・久保田誠人よ」
 「久保田誠人…」
 「久保田君は探偵じゃないけどね」
 「そうね…、そう言えば本人もそう言っていたわ。でも探偵じゃないかもしれないけど、とても不思議な人ね。蘭のことを古くからの知り合いか幼馴染みかって聞かれた時、正直ドキッとしたわ」
 「そんなまさか…、それって偶然じゃないの?」
 「さあ、どうかしら?」
 「さすがに久保田君だってそこまでは…」

 「本当に恐ろしい人ね…、あの人…」

 楓はそれだけ言い残すと、黙り込んでしまった桂木に背を向けて歩き出す。
 その背中をじっと桂木が見つめていると、その横に二人のやりとりを聞いていた藤原が並んだ。
 藤原は楓と話をしていたので、やはり何か思うことがあるのかもしれない。
 しかし桂木は、それを藤原に尋ねようとはしなかった。
 これで楢崎の事件は解決したが、なんとなく後味の悪さを桂木は感じている。
 だがまだ一つ事件が解決したからと言って、その余韻に浸っている場合ではなかった。
 大島社長殺害事件と行方がわからなくなった時任、まだ問題は目の前に山積みになっている。
 桂木はハリセンを取り出して、横にいる藤原の頭を一発叩いて気合を入れると、ここにいる執行部員全員に向かって指示を出した。

 「これから全員で、いなくなった時任を探しに行くわよっ!」

 時任がいなくなってまだそれほど時間がたっているわけではないが、状況が状況だけに何か嫌な予感がする。調査をしている時に行方がわからなくなったので、事件に関係する何かに巻き込まれた可能性があった。
 先に久保田と蘭が時任を探しに行っていたが、まだ見つかったという連絡はない。
 桂木は少々焦りを感じながら、藤原を引きずりながら部屋を出た。









 探すとはいっても、時任の行きそうな場所はこのホテル内では限られていた。
 社長室にいなかったのだから、後はパーティー会場か自分の部屋以外には考えられない。
 だが、そのどちらにも時任の姿はなかった。
 このホテルはかなり広いが従業員もいれば警察もウロウロしているので、誰かが時任を見かけていてもおかしくないはずだったが、誰に聞いても知らないと言う返事ばかりである。もしかしたら二つもの殺人事件が起こって忙しく動いているため、見かけていても覚えていないだけなのかもしれなかった。
 事件に関係した何かに巻き込まれた可能性があっても、ただそういう可能性があるだけでは警察は時任を捜したりはしない。
 それは今回のことでもそうではなくても、変わらない事実だった。
 久保田は一通り探し終えると、廊下に立ち止まりポケットからセッタを取り出す。
 だが取り出したセッタくわえようとしながらも、次の瞬間にはそれは真ん中から折れ曲がっていた。
 その曲がったセッタは、時任から目を離してしまっていた自分への苛立ちが原因である。
 久保田は曲がったセッタを携帯用灰皿に放り込むと、再び時任を探すために歩き出そうとした。
 しかし、その瞬間にさっきからずっと後ろをついて歩いていた蘭が呼び止める。
 どうやら蘭は後ろを歩きながら、久保田に話しかけるタイミングをはかっていたらしかった。
 「あの、久保田さん」
 「なに?」
 「楢崎君の事件…、解決してくれてありがとうございました。久保田さんのおかげで疑いが晴れて、助かったからお礼を言いかったの」
 「悪いけど礼を言うなら、時任に言ってやってくれる? 俺は礼を言われる覚えないし」
 「でも、解決しなかったら私はまだ警察に…」
 「ま、結果は結果ってコトで」
 それだけ言い残すと、久保田はまだ何か言いたそうにしている蘭を置いて社長室に戻り始める。それは事件に何か巻き込まれてしまったのなら、やはり時任の残した痕跡を探さなくてはならないからだった。
 社長室には警察の人間がいたが、久保田が時任と別れたのはそこである。しかも、楢崎が殺されたのは社長室だったが、その部屋は当たり前だが殺害された大島社長の部屋でもあった。
 今は事件のことよりも時任を探す方が最優先だったが、なぜか結果的には事件の痕跡を追うことにもなってしまっている。
 久保田は社長室に到着すると、再びその中に足を踏み入れた。

 「現場百回って…、聞いたことがある気がするなぁ」

 そんな風に呟きながら室内を見回すと、すでに現場検証が終わっているので黄色いテープはまだ張られているが誰もいない。
 何か手がかりを探すには好都合だったが、探した所で見つかるとは限らなかった。
 ここに来るまでに室田や執行部員も時任を探してくれているから、そちらの方で見つかる可能性もあるが今の所はそういう連絡は入っていない。
 久保田は楢崎の殺されていた机の場所まで行くと、その上にあるものを丹念に調べ始める。
 するとやはりまだ久保田の後について歩いていた蘭が、同じように部屋にある本棚を探し出した。
 しかし蘭はすでに探す場所が決まっているらしく、一冊の本を取り出すとそのページをバラバラとめくっている。そしてそのページが真ん中の辺りまで来ると、ピタリとめくる手を止めた。

 「お礼を言いたかったのは本当です。でも、実は久保田さんに見せたいものがあって、後を追いかけてました。時任君がいなくなったことに関係があるかどうかはわからないけれど、大島社長のあの人の事件とは関係があるような気がして…」 

 そう言って久保田の前に蘭が差し出さしたのは、古い新聞の切り抜きで…。
 その黄色く変色した新聞の切抜きは四枚くらいあったが、すべてが同じ事件を取り扱った記事だった。
 蘭が言うところによると、この記事は五月が自分の血痕を付けて落とした写真と同じ本の中に挟んであったらしい。見つけた写真を蘭は持って帰ろうとしたのだが、楢崎と揉み合った時に落としてしまったようだった。
 「なぜ写真と一緒に、こんな記事を挟んでいたのかわかりません。けど、貴方ならわかる気がしたから、見て欲しかった」
 「・・・・・他には何も挟んでなかった?」
 「ええ、他にはなかったわ」
 蘭にそう尋ねた久保田の視線は、じっと四枚の記事を見つめている。
 その記事に書かれていたのは十年以上も前に起こった強盗事件の記事だった。
 犯人の数は正確にはわからないが、単独犯ではなかったらしい。
 強盗に入られたのは宝石店で、犯人は店にトラックで突っ込んで正面から堂々と盗みに入ったと記事に書かれていた。
 その宝石店は有名店だったのでかなり高額の宝石がおかれていたようだが、どうやらその宝石も盗まれてしまったようある。しかも盗まれた宝石は店と同じようにかなり有名だったらしく、ちゃんと名前も記事に載っていた。
 その宝石はサファイアで、偶然なのかそれともなにか因縁があるのか…。

 このシーパレスにふさわしく『人魚姫の涙』という名だった。


                    
『降り積もる雪のように.14』  2003.1.13 キリリク7777

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