ぎゅっと捕まってくる蘭の手の強さを感じていると、じっと見つめている久保田の視線を感じてはいても、時任はどうしてもその手を振り解くことは出来なかった。
 時任はただ目の前で知り合いの楢崎が殺されて蘭がショックを受けていたから、自分の腕に捕まってることで立ってられるならそうしててやりたいと思っていただけである。だから別に言い訳をしなくてはならないようなことをしている覚えもなかったのだが、藤原を腕にくっつけた久保田が現場に入って来ると少しだけその気持ちに変化があった。
 いつものように久保田が藤原の腕を振り払わないことと、蘭のことが同じだとは思わない。
 けれど久保田の視線に見つめられていると、そうしていることに後ろめたさを感じてしまっていた。
 だから藤原の方に向かって踏み出しかけた足を、そのまま止めてしまったのである。
 まるで時任を責めるように見つめてくる視線に耐切れず、時任が久保田から視線をそらせると、蘭か時任の腕を少しぐいっと引っ張った。

 「時任君…、私…」
 「警察が調べてんだから、犯人はすぐ見つかるって…」
 「…うん」
 「しっかりしろよっ」
 「うん、ありがとう…」
 
 蘭は時任に向かってそう返事はながらも、いつものような笑顔がない。
 それは楢崎が死んだことにショックを受けているというよりも、何かを恐れているかのようにも見えた。
 しかしだからと言って、時任は蘭を疑うとかそんなことは少しも考えたりしなかったのに…。
 犯人らしき人物がココから出てきたのを見たと言った楓が指差したのは、五月でも梶浦でも、そして野瀬でもなく蘭だった。

 「大体、ミステリ研究会に入っていなかった貴方が、このツアーの前に突然入部した時からなんとなくおかしいとは思ってたわ」

 楓は指差していた腕を下ろしてそう言った姿は、まるでテレビで出てくる探偵のようだった。
 しかしいくら探偵の真似のようなことをしていても、楓の勝気な性格と人を見下すような態度が鼻について仕方がない。楓は事件が起こったことを聞いてここにやって来た時も、蘭や五月のように楢崎が死んでいるのを見ても眉一つ動かさなかった。
 それはやはり楢崎に脅されているせいなのかもしれなかったが、同じ立場の五月が泣き崩れているのを見るとどうしても比べてしまう。
 楓は探偵のように部屋をじっくりと見回してから、再び蘭の方に視線を向けた。
 「貴方はなぜこのツアーに参加したのかしら?」
 「そ、それはコナンが好きで、ツアーに参加したいって思ったからよ」
 「まさかとは思うけど、自分が蘭って名前だから?」
 「そういう訳じゃないけど…、読んでて面白いし…」
 「あらそうなの?」
 きつい口調でそんな風に言われた蘭は視線をそらさずに楓を見ていたが、楓はそんな蘭に向かって嫌な笑みを浮かべて見せる。
 楓はもうすでに、蘭が犯人であることを決め付けている様子だった。
 そしてそんな楓の様子を見た小城のメンバーも、蘭に向かって不審そうな目を向けている。
 時任がぐっと拳を握りしめて楓に何か言おうとしたが、それを察した蘭がさらに腕を強く引っ張った。
 それは何も言わないでほしいという合図だったが、このままでは蘭が本当に犯人にされてしまいそうである。時任は蘭を見てから、次に久保田の方に視線を送ったが、久保田は黙ったままじっと机の上に倒れている楢崎を見ていて時任の方を向かなかった。
 気づいていないだけだとは思ってはいても、やはりさっきのことがあるので久保田のことが気にかかる。
 しかし、今はどうしても腕にしがみついて耐えている蘭から、離れるわけにはいかなかった。
 「ごめんね…、時任君」
 いつの間にか久保田をじっと見つめてしまっていた時任に蘭があやまったが、何のことをあやまっているのかが良くわからない。けれど、時任はいつもの明るい顔で首を軽く横に振ると、蘭はそんな時任を見て少しだけ表情が明るくなったようだった。

 「おい、置時計からなにか出たか?」
 「指紋がくっきり残ってますね。 まだ誰のものかまではわかりませんですが…」
 「早くしろよっ」
 「そう急かさないでくださいっ」
 「俺は急いでるんだっ」

 そうしている間も楢崎の殺害現場である社長室の現場検証は進んでいて、杜刑事が鑑識を急かしている。どうやら杜刑事はまだ大島社長の事件が解決していない時に、二つ目の事件が起こったのであせっているらしかった。
 この二つの事件についての関連性は低いように思われるが、やはり同じ日に同じホテル内で殺人が起こると、どうしても何か関係がある気がしてしまう。
 それはやはり杜刑事にしても、高本刑事にしても同じようで、楢崎を調べながらも大島社長のことも同時に調べているようだった。
 室内から出てきた指紋はこの部屋の持ち主である大島社長と楢崎、そしてガイドをしていた野島と従業員達。それから事件が起こる前にこの部屋に入った、時任と久保田である。
 しかしその人間の中で、凶器になったブロンズの置時計に触っていたのは二人だけだった。
 その二人は殺された大島社長と、この部屋から出て行った所を楓に見られた蘭。
 大島社長の指紋はすぐに取れたらしいが、蘭の指紋は血が付いているために取りづらかったらしい。
 だが楢崎が死ぬ前に大島社長が死んでいる以上、この結果から考えられるのは一つだった。
 
 「私は殺してなんか…ない…」
 
 鑑識の結果を聞いた欄がそう呟いたが、その言葉をこの部屋の中で信じた人間がいたかどうかはわからない。けれど鑑識の結果が出ても、まだ時任は蘭の手を振りほどかずにいた。
 そんな時任の様子を見た楓は肩をすくめてから、楢崎の倒れている机のそばまで歩く。
 そして何をするつもりかと時任が鋭い視線を向けていると、楓は机の上ではなく下に屈み込んでポケットからハンカチを出した。
 それはやはり、鑑識や警察のように白い手袋を持っていないからに違いない。
 机の影になっていて気づかなかったが、楓が拾ったのは一枚の写真だった。
 写真にもやはり血が付着していてたが、そこに何が写っているのかははっきりと見える。
 そこに写っていたのは今よりももっと若い頃の大島社長と、少し気の強そうな美人の女、そしてその二人の間で笑っている小さな女の子だった。
 少し古びた写真だが、女の子は二人の両親に囲まれて幸せそうに笑っている。
 しかしその少女の面影は、時任の知る誰かに似ていた。
 時任が自分の横を見ると、そこに立っている蘭はつらそうにゆっくりと瞳を閉じる。
 すると楓の探偵ぶって少し芝居がかった声が、殺害現場に響き渡った。
 「名探偵コナンが好きなら、密室をつくるなんてお手のモノでしょう? ここの机の上にあるなんの変哲もないテープをドアの鍵のかかる部分に貼っておいて、ドアノブの鍵のつまみを少しひねって置くだけでで…、勢い良くドアを閉めれば、後でテープを隙間から抜き取くだけで鍵は閉まるんだものね。二人で何を言い争っていたのかは知らないけど、何か調べれば出てくるかもしれないと思わない?ねぇ、蘭」
 「か、楓…」
 「事件の後、楢崎に何か見せられてたみたいだけど、あれはなんだったのかしら? まさかとは思うけど、見せてもらってないなんて言い訳はしないわよね?」
 「言い訳をするつもりはないわ…、でも言いたくない…」
 「大島社長と廊下で会った時、なんとなく貴方は様子がおかしかったわよね。大島社長の方も知っているくせに知らないフリをしたり…。ありがちな答えだけど、言いたくないのは貴方が大島社長を…、父親を憎んでいたからでじゃないの?」
 そこまで楓がいうと、蘭は心を落ち着けとしているのかすぅっと息を吐く。
 きっと一瞬誰もが、蘭が自分が犯人だと告白するのかと思ったに違いなかった。
 楓と五月…、そして梶浦と野瀬、この部屋にいる誰もが蘭の次の言葉を待っている。
 しかし蘭の瞳は、こんな風に追い詰められてもちゃんと楓の方を向いていてた。

 「・・・・・・そうよ、楓の言う通り憎んでいたわ、今までずっと。だってお母さんはお父さんのせいで死んだんだもの…」

 蘭がそう大島社長を憎んでいたことを認めると、それを見た楓がゆっくりと微笑む。
 その微笑みになんだか吐き気を覚えながら、時任は少し震えながらも真っ直ぐ楓に視線を向けている蘭の手を軽く握りしめた。
 父親を憎んでいるという蘭の気持ちは本当なのかもしれないが、どうしても蘭が犯人だとは思えない。
 だからなのか、まだここで自分に向かって伸ばされた手を離してしまうことはできなかった。
 蘭は腕に捕まってはいたが、一度も助けてとは言っていない。
 犯人にされかかっている今も…。
 高本刑事が取調べのための任意同行を求めてきたが、蘭はゆっくりと時任の腕から手を離してしっかりとした表情でうなづいた。
 
 「ちょっと聞きたいことがあるから、一緒に来てもらえるかな?」
 「はい」

 短く会話を交わした蘭と高本刑事が部屋を出て行くと、写真を鑑識に渡した楓はクスッと声を立てて笑った。それを見た時任が楓に向かって手を振り上げると、それを何者かの手が止める。
 止められたことに腹を立てた時任が自分を止めている手を見ると、その手は誰よりも一番良く知っている人物の手だった。
 「な、なにすんだよっ、久保ちゃんっ!」
 「さすがに警察の前で暴力沙汰はまずいっしょ?」
 「でも、一回くらいブン殴ってやらねぇと気がすまねぇっ!」
 「叩きたいなら、俺のこと叩いていいから…」
 「なんであんなヤツかばうんだよっっ!!」
 時任が久保田に向かってそう怒鳴ると、今度は楓が少しあきれたような顔している。
 そんな楓の態度に更に時任は腹を立てたが、そばまで来た桂木に叩くはずが叩かれてしまった。
 「いてぇじゃねぇかっ!」
 「叩いたんだから当たり前でしょっ」
 「くっそぉっ、どうせ叩くならアイツを叩きやがれっ!」
 叩かれた時任が怒鳴りながら鋭くにらみ付けたが、小さくため息をついているだけで桂木は少しも気にした様子はなかった。
 やはりいつも時任と一緒にいるせいで、も桂木相手では睨んでもあまり効き目がないらしい。
 久保田と桂木の二人に止められて、かなりムカムカしているのを抑えようと時任が拳を握りしめていると、桂木は久保田の気持ちを代弁するかのように今度は大きなため息を付いた。
 「…ったく、ちょっとは考えて行動しなさいよね」
 「考えるって何がだよっ」
 「あの子を殴ったら傷害罪で訴えられるわよっ。…けどまぁ、訴えられたいって言うなら止めないけどね」
 「・・・・・・そんなワケねぇだろっ」
 「だったら、おとなしくしてなさい」
 「わぁったよっ!」
 時任が楓を引っ叩くことをあきらめると、すぐに久保田がつかんでいた手を離す。
 その隙をついてやってやろうかと思わないでもなかったが、楓なら本当に訴えそうな気がしたので時任はおとなしく握りしめていた手を開いた。 
 蘭の分も叩いてやりたかったが、それで訴えられても何もならない。
 とにかくこれ以上、楓の思う壺になることだけは避けたかった。

 「戻るわよ、五月」
 「・・・・・ううっ」
 「いつまで泣いてるのっ、みっともないわねっ」
 「・・・・・・・でも…」
 「でもじゃなくて、さっさと一緒にきなさい」

 蘭が連れて行かれた事ですでに決着がついたと思っているのか、楓はそういいながらしゃがみこんで鳴いている五月を強引に引っ張って立たせるとここから出て行く。
 すると同じように梶浦と野瀬も二人に続いて、そそくさと自分の部屋に戻って行った。
 その様子は事件の証明も何も終わっていないのに、すべてが終わってしまったかのようである。
 小城のメンバーがここから全員いなくなるといつもの執行部の部員が残ったが、邪魔だから出て行くようにと杜刑事に言われてしまった。

 「ほらほらっ、さっさと出て行けっ。捜査のじゃまだっ!」
 「ジャマなんかしてねぇよっ!」
 「つべこべ言わずに出て行け、高校生っ!」
 「ちゃんと名前で呼びやがれってのっ!」

 時任はそう怒鳴りながらここに残ろうとしていたが、強引に黄色いテープの外側まで追い出されてしまう。
 仕方ないので時任がテープの外側から中をのぞいていたら、ちょうど楢崎の遺体のあった場所にチョークで線が引かれるところだった。
 まるで遺体の影を写し取るかのように引かれていく白い線は、なんとなくそこに楢崎の生きていた痕跡が残っていくように見える。楢崎は今日会ったばかりの上に良い印象はまるでなかったが、それでもいなくなると奇妙な感じがした。

 「久保ちゃん…」
 「ん?」

 それから少しして時任が久保田に話しかけると、その周囲には同じ執行部員の姿はいなくなってしまっていた。テープの外から全員が中を除いていたが、やはりそこからわかることはあまりあるとは思えない。
 けれど時任はこの中から、何か蘭が犯人じゃない証拠を見つけたかった。
 それはしっかりとした歩調で歩いて行った蘭が、時任の腕にすがりつくだけじゃなくて自分で戦おうとしているように見えたからで…。
 だから時任は蘭を助けたいのではなく、蘭の無実を証明するために協力したいと思っていた。
 
 憎んでいたからと言って、それがすぐ殺人につながるわけじゃない。
 
 時任はそっとテープを越えて中に入って、楓の言っていたドアの鍵が閉まる部分を見た。
 すると楓の言っていたように、そこをテープで止めたような跡がある。
 しかし、いつ廊下で人が通りかかるかもわからないのに、そんなにうまく行くかどうかはやはりわからなかった。
 ドアに付いたわずかなテープの切れ端を見ながら、時任は小さくうなる。
 まだまだ証拠を集めていかなければ、大島社長の事件のように謎は解けそうもなかった。

 「証拠探して犯人見つけてやるっ、絶対に…」
 「・・・・・・・・・」
 「・・・・久保ちゃん?」
 「証拠探したりするのに協力はするけど…、今は一緒に行動できないから…」
 「えっ?」
 「ごめんね」

 今から二人で事件の調査をはじめようと思っていた時任は、久保田にそれを断られて少しショックを受けていた。ごめんねと言った口調は優しかったが、じっと見つめてくる瞳を見ていると、それが本気だと言うことがわかる。
 時任がなぜかと聞こうとしたが、そうする前に久保田が口を開いた。

 「一緒にいるとたぶん言いたくないセリフを言っちゃいそうだから一緒にはいられない。だから今だけ…」
 「ちょっ、ちょっと待てよっ」
 「調べた後の報告はちゃんとするから」
 
 久保田はそう言うと本当に黄色いテープの外に出て、時任に背を向けて廊下を歩き出す。
 けれど時任は久保田が言いたくないと言ったセリフを聞きたくなかったので、後を追うことができなかった。その言葉がなんなのかはわからなかったが、それはたぶん時任にとっても聞きたくない台詞なのかもしれない。
 時任は黄色いテープの中で少し傷ついたような顔をしながら…、隣の部屋に入っていく久保田の背中を、一人きりでじっと眺めていた。


                    
『降り積もる雪のように.11』  2002.12.23 キリリク7777

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