女装コンテスト二日前。 昨日の時任のことが学校中に広まってはいたものの、まだその姿を見たことのない者は大勢いる。 同学年の者は久保田と並んでいる所を目撃しているし、時任と同じクラスの者から情報が回っているから、あの美少女が時任だと言うことがわかっているのだが、違う学年の者はそうもいかない。実際、喋らなければ男には見えないという良い出来栄えだったため、かなりの人数の者が勘違いをしていた。 おそらくこれは、痩せ型で背もそれほど高くないので女装しても違和感がなかったというのもあるかもしれないが、時任をうまく女装させた久保田の腕もある。 久保田はかなり器用な男だった。 「なんかすっげー嫌なカンジする」 一人で廊下を歩きながら、時任は自分にチクチクと突き刺さる視線にうんざりとため息をつく。 昨日からたくさんの視線にさらされているため、少々疲れ気味だった。 「やっぱ、意地でも引き受けなきゃ良かった…」 そんなふうに言うのは疲れているというだけではなく、もう一つ理由があった。 (…オトコより、オンナの方がいいに決まってるよな) 自分のことを楽しそうに女装させてる久保田を見ていると、 男である自分を否定されたような気分になって、なんだか悲しくなってくる。 「早く終わんねぇかな、コンテスト」 深いため息を付くと、時任は短いスカートがひらひらするのを気にしながら自分の教室へと向う。しかし、そんな時任を後ろから呼び止める人物がいた。 「ちょ、ちょっと待ってください!」 振り返ると、そこには二年生らしき男子生徒が立っている。 全然知らない顔だったので、時任は首をかしげた。 「なに?」 短くそう答えると、二年生はかなり真剣な顔でじっと時任を見つめてきた。 (な、なんなんだ、コイツ) 言いがかりでもつけられるのかと時任が身構えると、二年生は真っ赤になって、 「俺と付き合ってください。お願いしますっ!」 と、言った。 冗談だと思いたいが、二年生が大真面目な顔をしている。 時任はその迫力に押されて一歩後退してから、事実を二年生に話した。 「なんかカンチガイしてるみてぇだけど、俺、オトコだぜ。こんなカッコしてんのは、女装コンテストってのに出場させられてるだけなんだよっ」 事実を話せば、当然さっきの告白は取り消しということになるだろうと時任は思っていた。 だが、なぜか二年生は事実を知っても引き下がらなかったのである。 「…男でもいいです」 「はぁ?」 「俺は貴方に惚れたんです。だから付き合ってください!」 「ちょっ、ちょお待てっ! 早まるなっ!」 「早まってなんかいません!」 「うわぁぁっ!」 「逃げないでください!」 「わ、わりぃけど、付き合えねぇからっ!」 「あきらめません!!」 走っても走っても二年生が追いかけてきたが、やはり時任の方が早さも持久力も勝ってた。 走りまくっていると、やがて二年生の姿は見えなくなる。しつこく付きまとってくる二年生からなんとか脱出した時任は、階段の踊り場で息を切らせていた。 「なんで俺がこんな目にあわなきゃなんねぇんだっ」 ぶつぶつ言いながら時任が休憩していると、誰かが階段を下りてくる気配がする。 もしかしてさっきの二年かと思い、時任がバッとそちらの方を向くと、そこには同じ三年と思われる男が立っていた。 時任は違っていたので胸をホッと撫で下ろしたが、 「なんか苦しそうだけど大丈夫か?」 と、男は時任の前に立ち止まる。 ただ自分のことを心配してくれたのだと判断した時任は、男に向かって軽く手を振った。 「別に平気だからさ。気にしないで行ってくれ」 苦笑しながらそう言ったのだが、男はこの場から立ち去ろうとはしない。時任はなんとなく小さくため息を付きながら、男を置いてここから立ち去ろうとしたが、階段を下りようとした時任の左手を男が捕らえる。 「ちょっと待てよ」 「なっ!?」 時任が驚いて自分の左手を引いたが、男の手は離れなかった。 「保健室まで送るよ」 「保健室になんか行かねぇよ」 「顔色悪いし」 「悪くねぇっ!」 なぜかかなりしつこい。 だんだんムカついてきた時任は、右手に拳を作る。 だが、その拳が振り下ろされる前に、何者かが二人の間に割って入った。 「気分が悪いのでしたら、生徒会長室に来ませんか? ここから近いですし」 さり気なく男の手を時任から切り離し、優しく時任に微笑みかけているのは、生徒会副会長の橘遙だった。あまり会いたい相手ではなかったが、強引に保健室に連れて行こうとする男よりはマシな感じがする。 「なんかわかんねぇけど、とりあえず行く」 時任がそう言うと、橘はニコニコと男に向かって笑いかけた。 「すいませんけどそういうことなので、貴方はご遠慮くださいね」 「…あぁ、わかった」 橘の笑顔を前にして、その言葉に逆らえる者はかなり少ないに違いない。 男も例外ではなかったらしく、すごすごと引き下がった。 「では、行きましょうか?」 「おうっ」 なんとなく成り行きで生徒会長室に行くことになった時任は、橘の後ろについて生徒会室に向かった。 だが、実はその様子を見ていた人物が一人いる。 それは偶然通りかかった桂木だった。 「いいのかしらねぇ、のこのこ付いていっちゃって…」 別に男同士が密室にこもったところで普通は別に気にしないだろうが、相手はあの橘である。しかも、今の時任は女装というオプション付き。 なんとなく嫌な予感がする。 「ほんっと、あたしって心配性よね」 二人の背中を見送りながらため息を付くと、桂木はある人物を捜しに行ったのだった。 「コーヒーでもどうぞ、時任君」 「おっ、わりぃな」 生徒会長室の応接セットのソファーに座った時任の前にコーヒーが出される。 時任はコーヒーカップを手に取ると、それをずずっと飲んだ。 女装はしていても、やはり時任は時任である。座り方はぞんざいだったし、さっき走ったので髪もかなり乱れていた。コーヒーの飲み方も非常に男らしい。 昨日久保田がおしとやかにと言っていたが、少しもおしとやかになどなっていなかった。 だが、そんな時任の様子を見た橘は愛しそうな顔をして微笑んでいる。 橘はこういう方が好みらしかった。 「ケーキもありますから、どうぞ」 「サンキュー」 大きなイチゴの乗ったケーキを目の前に出されると、時任は途端に上機嫌になった。 時任は食べ物にかなり弱いのである。 「おいしいですか?」 「うん」 夢中でおいしそうにケーキを食べ始めた時任の横に、橘が腰かける。 しかし時任は、ケーキを食べることに専念していたので、そのことに気づいていない。 橘は気づかれないように時任の肩に手を伸ばした。 10cm、5cm…。 ゆっくりと到達した手が、時任の肩をゆっくりと捕らえる。 さすがにそれに気づいた時任が、ピクッと身体を揺らした。 「なにすんだよっ!」 さっきから変な目にあっているので、反応はいつもより過剰である。 だが、橘はそれに構わず強引に時任の肩を抱き寄せた。 「はなせっ!」 「スカートはいてるのに暴れると見えてしまいますよ、時任君」 「わっ!!」 橘に言われて、自分のスカートが半分めくれているのに気づいた時任は、思わずそれを押さえた。橘はその隙をついて、時任の唇に自分の唇を寄せる。 時任がしまったと思った時には、橘の顔はすでに視界に捕らえることができないくらい近くにあった。 (キ、キスされるっ!!) 思わずギュッと目を閉じた時任だったが、いつまでたってもキスされる気配がない。 恐る恐る目を開けると、目の前には橘の顔ではなく、一冊のノートがあった。 「・・・・?」 時任が首をかしげると、耳慣れた声がすぐ近くでした。 「ウチの子純情なんで、そおいうコトされると困るんですけど?」 「く、くぼちゃんっ」 いつの間にか、久保田が生徒会長室に入ってきている。 そのことに橘も気づいていなかったらしく、おとなしく時任から腕を放して苦笑していた。 「とても魅力的だったものですから…」 「意外とケダモノだなぁ、副会長サン」 「男っていうのは、そういう生き物でしょう?」 「さぁ?」 時任の頭上でブリザードのような会話が交わされている。 口調はおだやかだが、久保田も橘も目がそれを裏切っていた。 時任がこわごわ二人の様子を見守っていると、久保田がゆっくりと時任の頭を撫でてくる。時任はくすぐったくて目を細めた。 「髪が乱れてるよ、時任」 「あっ、うん」 「タイも解けかけてる」 久保田は時任の乱れた髪を直して、解けかけている棒タイを結び直した。 背後から手を伸ばして棒タイを結び直したので、時任を抱き込むような形になる。 そんな久保田を見た橘は、 「本当に時任君には甘いんですね、久保田君は」 と、軽く肩をすくめて言った。 すると久保田は口の端を少し吊り上げて笑みを浮かべたが、その表情はどこか迫力があって恐ろしい。橘は一瞬、顔を引きつらせたが、すぐに元の笑顔に戻った。 「それじゃあお邪魔サマ、副会長」 「…じゃあな、橘」 「また遊びにいらして下さいね、時任君」 時任は橘の言葉に返事をせず、久保田とともに生徒会長室を出る。 すると、昼休憩終了のチャイムがそれを見計らっていたかのように鳴り響いた。 「ゆっくり行こっか?」 「…うん」 橘からキスされそうになったのを助けてくれたのに、時任は久保田に礼を言うことができない。時任は久保田の並んで歩きながら、昨日から当然のように繋がれている自分と久保田の手を眺めた。 いつもはこんな目立つ場所では決してつながれない手。 なのに女装してる今は、ごく自然に久保田は時任の手を取っている。 (今まで、あんま考えたコトなかったけど…、やっぱ男と女じゃ違うんだな) どことなく、いつもより優しく見える久保田の微笑みがココロに痛い。 その痛みを感じながら久保田に手を引かれ、時任はトボトボと教室に戻ったのだった。 コンテスト前日。 昨日まで元気な様子で女装姿を披露していた時任だったが、今日はすっかり元気をなくしてぼーっと生徒会室の窓から外を眺めていた。 そんなふうにしているとなんとなく儚い感じがする。 実は今日、そんな時任に見とれているクラスメイトが何人もいたりしたが、時任はじっと何かを考えているようで、そんな視線など気にとめていなかった。 時々ため息までついている時任を見た桂木は、 「なんかあったの?」 と、久保田に小声で聞いてみたが、久保田もわからないらしく首を傾げていた。 「まあ、人気上がってるからいいけどね」 そう桂木が言う通り、時任人気は急上昇中である。 その理由はやはり、おとなしくなった時任が清楚な美少女に見えるせいだろう。 その憂いに満ちた表情は、校内の男どもを魅了するには十分だった。 「ぜったいっ僕が優勝しますからねっ! 見ててくださいっ、久保田せんばい!」 藤原はかなりやる気で意気込んでいたが、勝負はすでに見えていた。 藤原もまったく人気がないというわけではないが、今の時任の敵ではない。 「優勝してくれるのはうれしいけど…、なんだかねぇ」 桂木は藤原と時任を交互に見ながら、小さくため息をついた。 時任はそんな桂木の視線に気づかず、まだ校庭を眺め続けていてる。 久保田はそんな時任をチラッと見て、再び麻雀雑誌に目を落した。 実は、昨日の昼休憩からずっと、時任の元気がない。 手をつないでも、抱きしめても、キスしてもしょんぼりとしている。 久保田はその理由がわからず、少し困っていた。 女装コンテストは桂木に言われたにせよ、最終的に出ると言ったのは時任なので、久保田はこの件に関して時任に何も言った覚えがない。 出ろとも出るなとも。 だから、久保田にしてみれば、時任が出ると言ったから女装に協力しただけだった。 確かに、少々楽しんではいたが…。 (どうしたもんだか、ねぇ?) やめたいならやめればいいと思っているが、時任を見ているとどうもそういうことではないような感じなのだった。 「…はぁ」 時任が深いため息を付き、久保田がその吐息をじっと聞いている。 その日の生徒会室はいつもよりかなり静かだった。 だが、その静けさもつかの間のことで、ドタドタと騒がしい足音を立てながら、一人の生徒がドアをバーンと開けた。 「ケンカだっ、時任、久保田来てくれっ!!」 公務の呼び出しである。 だが、入ってきた生徒が時任を指名したにも関わらず、時任は出動することができなかった。理由はスカートをはいているからなのである。 「なんでだよっ!」 「アンタっ、そのカッコでやるつもり?」 「ぺつにいいだろっ!」 「スカートの中身、見られてもいいの?」 「・・・・っ!」 初日にそういう会話が桂木と時任の間でされ、時任は三日間、公務に出ないことになった。男だから気にしないといってしまえば言えばそうだが、やはり女装姿では格好がつかないからなのである。 時任は女扱いされることに苛立ちを感じていた。 (いよいよ、明日で終わり…かぁ) コンテストが終わるのはうれしい。 うれしいはずなのだが、時任はそれを素直に喜べないでいた。 コンテスト当日。 時任はコンテスト用に桂木が用意した服に着替えた姿で、体育館の裏を歩いていた。 実は今日の朝、久保田がいない時に、一年の男子生徒が時任に向かって一通の封筒を押し付けるように渡して行ったのである。 小柄で可愛い感じの男というより少年と言った方がいいような、あどけない感じの子だったので、時任は思わずその後ろ姿を見送ってしまったのだった。 その封筒には一枚の便箋が入っていて、そこには、 コンテストの前に体育館裏で待ってます。 吉野。 と、書かれていた。 本当なら、こんな手紙は無視したいところだったが、真面目そうな少年だったので、時任はきっぱり断わってやろうと思ったのだった。 髪には青いリボン、そしてそれと同じ色のワンピース。 シンプルなデザインだが、それがかえって時任の整った顔立ちだけではなく、持っている誰にも負けない強さと潔さをも際立たせていた。 「ったく、ドコだよ」 見回したが当たりに人影はない。 久保田や桂木に黙って来たので、早く戻らなければならなかった。 時任は一つため息を付くと、クルッと踵を返して、もと来た方向へ戻ろうとする。 だが、その瞬間、背後に人の気配がした。 「なにっ!?」 思わず叫んだが、すぐにその口には鼻をツンとさせる匂いのする布が押し付けられる。 時任はそれをどけようとしたが、布を持っているのとは別のヤツに手をつかまれた。 犯人は複数。 (く、くぼちゃん…) 時任はやがて意識を失い、ゆっくりと前に倒れこんだ。 気づくと真っ暗だった。 だが、それは周囲が暗いのではなく、時任が目隠しをされているせいである。口にも喋れないようにタオルらしきものが巻かれていた。 腕がロープで縛られているのを確認した時任は、感覚だけで辺りの気配を探る。 (人数は…五人くらいか…) 手足が自由なら簡単に倒せる人数だが、この状態でそれは難しい。 嗅がされた薬の効果が残っているらしく、まだ意識が朦朧としていた。 「おいっ、気づきやがったぜ」 犯人の内の一人が、時任が意識を取り戻したことに気づいた。 すると、時任の周囲に人の気配が寄ってくる。 時任は危険を感じて眉をしかめた。 「せっかくカワイイカッコしてんのに悪いケドさ。コンテスト終わるまでココで俺達と遊んでてもらうぜ、時任ちゃん」 「そうそう、いつも俺達遊んでもらってっから、たまには俺達が遊んでやらなきゃ悪いと思ってんの」 「いつも遊んでくれて、スッゲー感謝してるぜ」 時任が嫌な笑い声を聞きながら、なんとか逃れる方法を考えていると、いきなり両足が何者かに押さえつけられる。 「・・・・・っ!!」 時任が驚いて身を硬くすると、 「動くとケガするぜ、時任ちゃん」 と、耳元で声がした。 身体の自由が利かない、動けない、喋れない。 時任が焦っていると、足の辺りでビリビリという嫌な音がする。 それは、ナイフかハサミでスカートを切り裂いている音だった。 「んー!!」 なんとか叫ぼうとするが、やはり声にならない。 そんな時任を見て、犯人達は下衆びた笑いを漏らしていた。 「へぇ、キレイな足してんじゃん。男のクセに」 「あっ、やっぱ下着は男もんかぁ。ちょっとガッカリ」 「もっと上まで切ってみようぜ」 ビリビリビリ…。 冷たい空気が時任の肌に触れる。 犯人はワンピースだけではなく、下に来ているTシャツまで切り裂いていた。 「俺、ちょっと触ってみよっかなぁ〜」 「あっ、俺も」 複数の手が、時任の胸やわき腹の辺りを這い回る。 気持ち悪くてそれから逃れようと時任は身をよじったが、余計に痛いくらいに肌を擦りまわされただけだった。特に胸の辺りを触ってくる手は執拗で、何度も円を描くように動いては、時々中心の辺りを指でこすってくる。 時任は屈辱のあまり歯をギリリと噛みしめた。 「気持ちいい、時任ちゃん?」 そんなふうに聞いてくる野郎をぶっ殺したかったが、腕は思った以上にきつく縛られていて、力を入れても全然解けない。手首はロープで縛られてる部分から、すでにうっすらと血が滲んでいた。 「くっ、う…!!」 こんなやつらにいいようにされている自分にも腹を立てながら、時任はなおも腕に力を入れる。だが、そんな時任をあざ笑うかのように、犯人達の時任へのいたずらはエスカレートしていった。 「ちょっとコレ脱がせてみよっかな、その方がゼッタイ面白いぜ」 「もしかして、ヤる気かよ?」 「それもいいかもな」 犯人の手が時任のトランクスにかかる。 だが、犯人の手がトランクスを脱がせようとした瞬間、この部屋らしき場所のどこかでガラスが割れる音がした。 「なっ、なんだっ!!」 「おいっ!!」 犯人たちが驚いている気配が時任に伝わってくる。 近づいてくる、ゆっくりとした足音。 それを聞いて、時任はこの中に新たな何者かが侵入してきたのを知ったのだった。 「人のモノに汚い手で触った罪は重いよねぇ。やっぱそおいうのは、罪の重さってのを身をもって知るべきデショ?」 「く、久保田っ!!」 良く知っている足音、聞き慣れた声。 久保田は時任が監禁されている体育倉庫の上の部分についている小窓を破って中に入ってきたのだった。 「死んじゃいなよ、全員ね」 単調で冷たい声が倉庫内に響く。 それと同時に、犯人達の叫び声やうめき声が中に充満し始めた。 久保田はそばにいる者から順に、片っ端から蹴りや拳を叩き込んでいく。 「うがぁっ!!」 「ぎゃぁぁぁっ!!」 「ぐうっ!!」 力一杯叩き込んだ感じの攻撃に、犯人達の身体から時々、バキッという音が聞こえる。 それは、骨が折れる時に立てる音だった。 「あ〜あ、骨折れちゃったね。けど、命に別状ナイから安心しなよ」 「…うぐっ!!」 「う〜ん、ツメが甘すぎるかなぁ。やっぱ死んじゃう?」 すでに全員が骨を折られてうめいている。 久保田はリーダー格の男の顔を靴を履いたままの足で踏みつけた。 「誰に頼まれたか吐いたら、多少は大目に見てあげるよ?」 恐怖のあまりまともに喋れないようすで、リーダー格の男はガタガタと震えていた。 (久保ちゃん?) 時任は目隠しされていて状況が良くわからなかったが、久保田が助けにきてくれたことだけははっきりとわかっている。 「うー!」 時任はじたばたと暴れて、久保田にロープを外すように要求した。 すると久保田はすぐにそれにきづいて、口元のタオルと目隠し、そしてロープを外してくれる。暗闇から開放された瞬間、時任の視界には痛そうな顔をした久保田がうつった。 「…久保ちゃん」 「遅くなってゴメンね、時任」 あやまる久保田の顔に時任が手を伸ばす、その手は久保田の存在を確かめるように久保田の顔の輪郭をなどった。 「…久保ちゃん」 「うん」 「恐かった…」 「うん」 時任の目に涙が浮かぶ。 久保田は自分の学ランを時任に着せかけると、時任をゆっくりと抱き上げた。 ボロボロになったワンピースは見るも無残な姿になっている。 その姿からも、時任の恐怖は十分に伝わってきた。 「やっぱ、アイツら殺しとこうか?」 「…いい。久保ちゃんが来てくれたから」 時任が久保田の首に腕を回してしがみつく。 久保田はそんな時任の肩に顔を埋めた。 ガラガラガラ…。 薄暗かった体育倉庫の中に、明るい陽射しが入り込む。 久保田が目を細めて開いた扉の方を見ると、そこには桂木と五十嵐が立っていた。 二人は久保田と時任の姿を見て、次に倒れている犯人達を見て眉をひそめる。 久保田は時任を抱きかかえたままで倉庫から出ると、 「あとはお願いされてくれる?桂木ちゃん、五十嵐先生」 と、言う。 すると、五十嵐と桂木は無言で頷いたのだった。 時任を抱きかかえた久保田は、着替えるために更衣室に行った。 とてもあんな状態では表を歩けないからである。 時任はかなりショックを受けているようで、俯いたまま黙々と着替えを済ませると、そばにあったパイプ椅子に腰かけた。 「なぁ、久保ちゃん?」 「ん〜?」 ぼんやりとした感じでそう言った時任に、久保田が返事をする。 時任は手招きして久保田を自分のそばに置くと、その腕に頬を寄せて目を閉じた。 「久保ちゃんは俺が男よか、女の方がいい?」 じっとしたままで時任がそう言うと、久保田は時任の頭を撫でながら、 「どうだろうねぇ?」 と、言う。 時任はおとなしく頭を撫でられながら、ずっと気にしていたことを久保田に聞いてみた。 「久保ちゃんさ、女装してる時に俺と手ぇつなぐじゃんか、いつもはしないのに。だから、女の方がいいのかと思ったんだけど、やっぱそうなワケ?」 「あ〜、それね」 時任の問いかけに、久保田は小さくクスッと笑う。 ちょっと時任がムッとしていると、久保田が時任の右手を握った。 「時任はあんな時くらいしか、手ぇ握らせてくれないっしょ? 時任がいいなら、いつでも手握ったりキスしたりしたいんだけど、いつもスゴイ顔して嫌がるし…」 「そ、それはそうだけど…。だったら、カツラとか女モノの下着とかは何だよ?」 「あれは、時任が出るって聞きつけた五十嵐先生にもらったんだよねぇ。面白そうだし、時任も優勝するってゆってるからさ、やってみようかなぁって」 「それだけ?」 「そう、それだけ」 久保田の返事を聞いた時任はガクッと肩から力を抜いた。 なんとなく悩んでいたのがバカバカしくなったからである。 「あのオカマっ、ぜってぇしめるっ!」 少し元気を取り戻した時任がグッと拳を握りしめると、久保田が時任の額に軽くキスを落とす。傷ついても、傷ついても、立ち上がろうとする時任の強さが、愛しく思えたからだった。 「ほいじゃあ、帰りますか?」 久保田がそう時任をうながすと、時任は小さく頭を左右に振る。なぜかわからずに久保田が首をかしげていると、時任が久保田の腕から離れて立ち上がった。 「行くトコあっからさ。それ終わったら帰る」 そう言った時任は、とても綺麗に笑った。 女装コンテストの会場は、異様な熱気に包まれていた。 各クラブから選ばれた出場者は、毎年やっていることもあって、かなりレベルが高い。 すでに自己紹介とデモンストレーションは終わっていて、ステージ上には出場者が並んでいた。後は投票をするだけである。 当然のことながら、時間に間に合わなかった時任は欠場扱いになっていた。 「では、投票を始め…」 体育館内に投票開始のアナウンスがステージの上から写真部の部員によってされようとしたが、それはなぜか途中で途切れる。その理由は、アナウンスのマイクを時任が奪ったからだった。 「エントリーナンバー、一番最後! 執行部の時任稔だっ!!」 そう時任がマイクを使って叫ぶと、館内からどよめきが起こる。 そのどよめきは突然の乱入に驚いたこともあるのだが、時任が女装じゃなく男子の学ラン姿が出ていたからである。 「女装していない者は出場を認められませんっ!!」 写真部の部員がなおも喋ろうとしている時任をステージから降ろそうとしたが、時任はそれを振り切って、全校生徒に向かってマイクを握った。 「確かに学ラン着てっけど、俺様は何着てても超絶美形だから関係ねぇってのっ!! 何着てても似合ってんのが美形だし、美人ってんだろ!? どうせ投票すんならホンモノに投票しようぜっ! 服なんてタダの飾りっ、女装だろうと男装だろうと美しけりゃいいんだよっ!!」 めちゃくちゃな文句を並べ立てている時任だが、あまりの迫力に反論する者もいない。 時任の迫力に押されて体育館はシンと静まり返ったが、そんなことはおかまいなしに投票所の前で何か書いている人物が一人いる。 その人物は投票用紙に記入を終えると、写真部員の前にその投票用紙を置いた。 「俺は時任に一票ね」 のほほんとそう言った久保田は時任と自分の荷物を持って、ステージ上の時任に向かって声をかけた。 「帰るよ、時任」 「おうっ!」 叫んで気がすんだのか、時任はステージから降りると久保田とともに体育館を出て行く。実はこれは一応、授業中ということになるのだが、誰も二人を呼び止めたりはしなかった。 「ったく、信じられないわよねぇ」 後日、生徒会室で請求書を整理しながら桂木がそう漏らすと、時任が大きく胸をそらした。 「まあ、実力ってヤツだよなっ!」 「迫力で押しただけじゃないっ」 「なんだとぉ〜」 時任と久保田が去った後、投票が行われたのだが、投票の結果は時任の圧勝だった。 あまりの投票数の多さに、写真部も認めざるを得なかったらしい。 三日間の女装の成果か、果たしてステージ上の言葉が効いたのかは定かではないが、とりあえず執行部の破壊した備品は大幅に大目に見てもらえることになった。 そして逆に、バスケット部と柔道部の予算が大幅にカットされたのだが、その理由については生徒会から一般生徒に伝えられることはなかったのである。 そして…。 「退学二人、謹慎三人ってトコね」 「ふーん、まぁそんなトコでしょ」 「殺しに行ったりしちゃダメよ?」 「努力しまーす」 ある昼休みの保健室で、そこの保健医と男子生徒がそんな会話をかわしていたことは、その二人以外は誰も知らなかった。 |
『NO.1 後編』 2002.4.16 キリリク7000 前 編 キリリクTOP |