「俺さ。久保ちゃんに話したいことあるんだ」

 五時間目の授業が始まる直前、久保田の前に立った時任はそう言った。
 授業が始まる直前で教室がざわついているため、二人の様子がいつもと違うことにクラスメイト達は気づいていなかった。
 「今からちょっち付き合ってくんない?」
 そんな風に言った時任は、真っ直ぐに久保田を見ていた。
 最近、視線が合うたびにすっとそらされていたため、こうやって向き合ったのは久しぶりである。
 自分の気持ちから逃げまいとする強い瞳とその視線。
 それを受けた久保田は、眩しそうに目を細めた。
 「いいよ」
 「サンキュ、久保ちゃん」
 席に着き始めたクラスメイト達の間を縫って、二人は教室を出る。
 たくさんの視線が二人を追いかけてきたが、立ち止まったりはしなかった。
 授業よりも大切なモノ、大切なコト。
 将来のために何よりも勉強を優先するべきだと、教師ならば言うかもしれない。
 それは間違ってはいないけど、この一瞬が何よりも大切な時がある。
 ココロはすぐに変わってしまうから、その時の気持ちは二度と戻らない。
 同じみたいな気持ちでも、やっぱり違う。
 教師とすれ違いに廊下に出た二人は、誰もいない廊下を走り出した。
 「ドコ行くの?」
 「わっかんねぇよ」
 「じゃあさ、海に行かない?」
 「えっ!?」
 突然の久保田の提案に時任は驚いた顔をしたが、その顔はゆっくりと変化して、嬉しそうな楽しそうな笑顔になった。まるで花が咲くように。
 「行こうっ、久保ちゃん!」
 「うん」
 
 二人で学校を脱走して、電車に乗って海に向かった。
 
 まだ寒い時期なので、海に人影はない。
 閑散としているが、寂しいというのではなく、ただどことなく穏やかだった。
 定期的に打ち寄せる波の音と、吹いてくる風が時任と久保田の髪を撫でる。
 時任は波打ち際まで行くと、靴を脱いだ。
 「まだ冷たいよ」
 「うわっ、ホントだっ、つめてぇ〜」
 「風邪ひいても知らないよ?」
 「風邪なんかひかねぇもんっ」
 足の裏に感じる砂の感触が気持ちいい。
 冷たかったが、寄せてくる波が足を撫でていくたび、妙にうきうきした気分になった。
 時任が波打ち際を歩いて行くと、ポケットからセッタ取り出して火をつけてる久保田と次第に距離が離れていく。ある程度距離ができると、時任は立ち止まって久保田の方を振り返った。
 「久保ちゃんっ!」
 時任は久保田の名前を呼ぶと、全速力でダッシュする。
 海水が跳ねてズボンを濡らした。
 けれどそんなことには構わず時任は走る。
 ゴールに向かって。
 目指すゴールの先には、久保田が立っていた。
 時任はゴールにたどり着くと、そこに立ってる久保田に思いっきり抱きつく。
 久保田はその衝撃でタバコを口から落としたが、拾おうとはしなかった。
 「久保ちゃん」
 「うん」
 「俺さ。最近、久保ちゃんのコト避けてたじゃん?」
 「そーだね」
 「それはさ。キライになったからとか、そんなんじゃない」
 きゅっと自分の顔を隠すように抱きついてくる時任の背中に、久保田はそっと腕を回す。
 誰もいない海で、二人は抱き合っていた。
 同居人とか、相方とか、そんな今までのカンジとは違う抱きしめ方で、違う気持ちで。
 時任は何かを決心したかのように顔をあげると、久保田の瞳を見つめた。
 「今、すっごくドキドキしてんの、俺。けど、それは今だけじゃなくって、久保ちゃんにさわられたりとかじっと見られたりとかした時とか、息すんのが苦しくなるくらいドキドキしてた。なんで、こんなドキドキすんだろ? 絶対ヘンじゃんこんなの」
 「なんで?」
 「だってさ。俺も久保ちゃんも…」
 「男だから?」
 久保田の言葉に時任は沈黙した。
 男同士だから、ドキドキしちゃいけない。それは絶対ヘンだって思ってる自分がいるのに、時任は同じ男である久保田にドキドキしてる。
 コトバでは否定できても、この胸の鼓動にウソはつけない。
 久保田は時任の手を取ると、自分の心臓の上に押し当てた。
 「ほら、俺もドキドキしてるでしょ? コレもやっぱりヘンなことなの?」
 「く、くぼちゃん…」
 「時任」
 久保田は時任を引き寄せると、とまどっている時任の唇に自分の唇を寄せる。
 驚いて久保田から離れようとした時任の身体を、久保田はしっかりと抱き込んだ。
 「…う、ん」
 「気持ち悪い?」
 「悪くない」
 唇が離れた瞬間に目が合う。
 なんとなく可笑しい気分になって、二人で声を出して笑い始めた。
 「なんか俺って、すっげーバカみてぇなのっ!」
 自分の気持ちにウソはつけない。
 たとえそれが、常識っていわれてるモノからはずれてたとしても…。
 感情に名前を付けるのもいいけど、そんなものに頼らず、心臓の鼓動と沸き起こる思いのままに行動するのも悪くないのかもしれない。
 「好きだ、久保ちゃん」
 「うん」
 「久保ちゃんは?」
 「俺も好きだよ」

 もう一回軽くキスをして、二人は手をつないで浜辺を歩いた。

 「時任」
 「ん?」
 「俺は時任のキモチ、前から知ってた」
 「…そっか」
 「怒らないの?」
 「なんで?」
 「こうなるように仕組んだから」
 そういえば、こうなる前に久保田はやたら時任の身体を触っていた。
 ドキドキするようなコトばかりをしていたのである。
 「俺が仕組まなかったら、気づかなくて済んだかもしんない。その方が時任のためだったかもね」
 そういう久保田の言葉を聞いた時任は、鋭い目付きで久保田のことを睨んだ。
 「久保ちゃんは俺のコトバカにしてんの? 俺のキモチは俺のもんじゃん。久保ちゃんがどうこう言ったって、俺のキモチはどうにもなんねぇよ。俺の言うコト違ってる?」
 真剣な顔をしてる時任を見て、久保田はゆっくりと目を閉じた。
 「いんや。違ってないよ」
 「俺は自分の意志で、自分のココロで久保ちゃんのコト想ってんのっ」
 いくら久保田でも、時任のココロをあやつることはできない。
 時任が自分のことを想ってくれてるのは奇跡みたいにうれしいけど、人の心ほど当てにならないものはないのだと久保田はそう思っていた。
 永遠なんて絶対に誓えない。
 誓えないなら、失わないようにするしかない。
 自分の力で…。
 
 君の想いを知った瞬間から、俺は失うことを考え始めた。




 その日から三日後の放課後。
 その事件は起こった。

 いつもの公務中、時任が油断した瞬間に肘鉄食らって倒れた。
 派手な倒れた方をしたせいで、時任は少しの間、意識を失ってしまったのである。
 ちょっと脳震盪を起こしただけだったのですぐに意識を取り戻したのだが、目覚めた瞬間に見た光景に、時任は目を見開いた。
 さっきまで、ここには殴り合いをしている生徒数名がいたはずである。しかし今は、その数名が床に転がってうめいていた。
 しかも、尋常な様子ではない。
 全員が起き上がれないくらいめちゃくちゃにやられていた。
 血を流している者もいる。
 とっさに救急車を思い浮かべるくらいのケガだった。
 それを誰がやったのかは、見れば誰にだってわかる。
 それはケガ人の中に無表情な顔して立っている人物。
 久保田誠人だった。
 「…久保ちゃん?」
 倒れている生徒達に向けられている視線は、痛いくらい冷たい。
 久保田は恐ろしいくらい静かな気配を身にまとっていた。
 しかし、時任が目覚めたのに気づいた久保田は、いつものように微笑みを浮かべた。
 「ケガは平気?」
 「へ、平気だけど…」
 「そう」
 次第に周りが騒がしくなり、誰が呼んだのか救急車も学校にやってくる。
 公務中の出来事なだけに、その出来事はすぐに学校中に広まった。
 病院で見せた結果、ケガの重い者は全治二週間。
 久保田は一週間の停学を食らった。



 
 「じゃあ、行って来るからなっ」
 「いってらっしゃい」
 久保田は停学だが時任は違う。
 時任は久保田が休んでいる間のノートを取るということもあって、一人で学校に通っている。
 けれど、学校に行っている間も久保田のことが気になって仕方なかった。
 普段と何も変わらないように見えるがどこか違う。
 なぜか久保田を包んでいる空気が少し重かった。
 停学を食らっているせいなのかと始めは思ったが、どうやらそうではないらしい。
 「どうしちまったのかな、久保ちゃん」
 授業中も久保田のことを色々考える。
 けれど何もわからなかった。
 時任はすべての授業が終了すると、鞄に荷物を詰めて学校を出る。
 桂木を拝み倒して、時任は久保田が停学している間の公務は休みにしてもらっていた。
 
 寄り道もせずに、ただひらすら家路を急ぐ。
 どうしてこんなに不安になるのか、時任自身にもわからなかった。
 あの日、自分が久保田のことを好きだとわかってすごくうれしかったのに、今は久保田のことを想うとなぜか哀しい。
 抱きしめようと伸びてくる手が切なくて仕方なかった。
 「ただいま、くぼちゃん」
 「おかえり」
 時任が家に帰ると、久保田はぼーっとベランダで煙草を吹かしていた。
 もしかしたら、一日中そうしていたのかもしれない。
 時任は鞄を置くと、ベランダに出て久保田の隣に並んだ。
 「学校どうだった?」
 「なんもかわんねぇよ。ふつー」
 「ふーん」
 「久保ちゃんは?」
 「俺もかわんないよ?」
 「そっか」
 昨日した会話も同じような感じだった。
 時折、考え込んでるような顔をしている久保田を、時任は黙って見ている。
 じっと静かな視線で。
 なんでもない会話をしながら、時任はポケットに入っているカギをぎゅっと握りしめた。
                                    2002.3.15

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