マンションに帰ると、時任の持っていたカギでドアを開けた。 二人が暮らす二人の部屋。 どこでも暮らしていけるだろうけど、やっぱりこの部屋は特別。 思い出だけではなく、その想いも詰まっている。 時任と久保田は互いの背中に寄りかかるようにして、ソファーの前に座った。 顔は見えないけれど、ちょっとした動きとかその振動が背中から伝わってくる。 時任は手に持ったカップからコーヒーを一口飲んだ。 「落ち着いた?」 「…へーき」 泣きはらした目をした時任は、そう言って穏やかに微笑んだ。 久保田の声と暖かいコーヒーが優しくココロに染みてきて、なんだか安心する。 たくさん久保田に抱きしめてもらったら、さっきまでの痛みがウソのように消えていた。 コーヒーカップを手に包んでその中をじっと見つめながら、時任はこんな風になるきっかけになった事件を思い出す。 久保田の停学処分の原因を。 らしくないとか、そんなコトを言うつもりもないし思ったりもしない。 どんなでも、久保田は久保田だ。 けれど、気にはなる。 時任はもう一口コーヒーを飲むと、久保田の背中に頭を預けた。 「久保ちゃん」 「ん〜?」 「なんでアイツらのコト病院行くくらいボコッたんだ?あんなのてきとーでいいじゃん」 「そおだねぇ」 時任の質問に返事をしながら、久保田はセッタを吹かしている。 けれど、その返事はいい加減なものではなく、本当にそう思っているらしいことが声の調子からわかった。 「なんで?」 そう時任が尋ねると、久保田は自嘲気味に、 「俺さ。あの時とのコト、覚えてないんだよなぁ」 と、言う。 あんなに派手にやっておきながら、全然覚えていないらしい。 「マジかよっ」 「マジで」 久保田の記憶は、時任が倒れる瞬間から目覚めた時任の声を聞くまでが欠落していた。 つまり、殴ったことすら覚えていないのである。 「気ぃついたら、ああなってたからさ。説明しろって言われても説明できないよ?」 「…あのさぁ」 「うん?」 時任はそう言いかけて途中でやめた。 覚えていないことに何を言っても仕方がない。 もしかしたらこれからも同じようなことが起こるかもしれないが、たぶん、久保田は自分を止めることが出来ないだろう。 時任が考え事をしながら黙っていると、 「ごめんね、時任」 と、久保田があやまってきた。 それはたぶん、時任に心配をかけたことへの謝罪の言葉。 時任はまたコーヒーを飲んだ。 「俺がいること忘れんなよ、久保ちゃん。久保ちゃんが自分のコト止めらんねぇなら、俺がぜってぇ止めてやる。俺様にまかせろよ。俺は久保ちゃんの相方なんだろ?」 「うん、そーいえばそうだったねぇ」 「おいっ、まさか忘れてたんじゃねぇだろうなぁ」 「さぁ?」 恋しくて愛しい気持ちばかりが募って、久保田は何かを忘れていたような気がしていた。 守るだけの存在じゃなくて、手を繋ぎ、共に歩いて行ける存在。 前を歩くのでもなく、後ろを歩くのでもない。 隣にいるのが、時任の、久保田のポジションである。 久保田はふっと身体から力を抜くと、さっきよりも時任に体重をかけた。 「これからもヨロシクお願いします」 バカ丁寧な久保田の挨拶に、時任はブッと吹き出した。 「仕方ねぇから、ヨロシクしてやるよっ」 楽しそうに笑う時任につられて、久保田も笑う。 二人の笑い声が部屋に響いた。 「あ〜、ハラいてぇ〜」 「笑いすぎだよ、時任」 やっと、二人の間の空気が日常の透明な色を取り戻す。 時任は久保田を背中から抱きしめた。 ココロの想いは今も激しいままだけど、それに壊されることのないように、しがみ付くのではなく、その身体を抱きしめる。 助けを求めるよりも、一緒に戦おう。 自分自身と。 久保田は回された時任の手に自分の手を重ねる。 時任はその重ねられた手に、さらに自分の手を重ねた。 「時任」 「なに、久保ちゃん」 「今日、一緒に寝ない?」 その言葉の意味をなんとなく理解した時任は、 「どうしよっかなぁ」 と、久保田のことをじらす。 男同士でそういうのがどんなのかというのはわからなかったが、そうなったらそうなったで別にいいような気がしていた。 それに、寝たらどうなるのか少し興味もある。 けれどそんな気持ちをかくしたすまし顔で、 「お願いしたら寝てやってもいいけど?」 などと時任が言った。 すると久保田はそんな時任のことがわかっているらしく、小さくクスッと笑った。 「お願いします、俺と寝てください」 「わぁった。寝てやるよ」 哀しい気持ちじゃなくて、楽しい気持ちで抱き合う。 まだ夕食も食べていないのに、二人はじゃれ合いながら寝室へと向かったのだった。 桜咲く三月。 校内がやけに騒がしいけれど、それを聞いていたい気分になる。 今日は荒磯高等学校の卒業式。 式が滞りなく終わってから、時任は廊下の窓を開けてじっと外を眺めていた。 「あれ、ほっといていいワケ?」 通りかかった桂木が、時任の眺めているものを見てそんなことを言う。 けれど時任は笑顔で、 「いんだよ。今日はトクベツだかんな」 と、言った。 時任の視線の先には、後輩や同級生に囲まれている久保田の姿がある。 たぶん、ボタンでもねだられているのだろう。 「相変わらずもてるわね、久保田君は」 「そーだな…」 いつもと違って、反論なんかせずに素直にうなづいている時任を見て桂木は苦笑していた。 素直なのはいいが、似合わないと思ったからである。 「なに?思い出にひたっちゃったりとかしてんの?」 「違げーよっ」 「…ふぅん。まあいいけどね」 今生の別れとかそういうのではないけれど、別れは別れだ。 別れに感傷は付き物なのだろう。 桂木は時任の横に並ぶと、そこから外を眺めた。 「アンタと久保田君てさ。結局、進路調査書、最後まで白紙だったんだって?」 「あぁ」 「なんで? やりたいコトとかないワケ?」 「やりたいコトはちゃんとある」 「だったら、ソレ書けばいいじゃない」 「めんど臭ぇからヤダっ」 「ほんっとワガママだわっ。アンタって」 「うっせぇっ」 こういう会話をするのも、もしかしたら今日が最後かもしれない。 桂木は京都の大学に行くことが決まっていた。 もうじき引越ししなくてはならない。 けれど、桂木がいなくなっても、たぶん二人はこの街にいる。 なぜかはわからないが、二人にはこの街が似合っている気がした。 久保田は成績が良かったにも関わらず受験しなかったし、就職活動もしなかった。 『先生方に相談するコトは何もありません。俺は俺の意志で、俺のやりたいようにやるだけです。決めたのは進路じゃなくって、生き方ってヤツですから』 そんな風に久保田が言ったのだと、担任が漏らしているのを桂木は聞いていた。 桂木は大きく息を吸うと、軽く伸びをする。 そうしている間も、やはり時任は久保田を眺めていた。 「これからも久保田君と一緒に暮らすんでしょ?」 「当ったり前だってのっ」 「あたしさ。アンタに聞きたいことあったのよね」 「なんだよ、ソレ」 「アンタは久保田君のコトどう思ってんの?」 桂木の唐突な質問に、時任が目をしばたく。 まさか桂木が、そんな質問をすると思っていなかったからである。 「んなこと、どーでもいいじゃんっ」 時任がむすっとした顔でそう言うと、桂木は寂しそうに笑った。 「今日はトクベツなんだから、答えなさいよ」 そう言われた時任は、ますますムッとした顔になったが、 「言葉なんかじゃムリ。単純に好きってだけじゃねぇし…。う〜、ムズカシイけどさ。たぶん空気よりも久保ちゃんが大事」 と、本音を言った。 空気があれば呼吸できるけど、空気があっても久保田がいなければ息ができない。 生きる上で必要不可欠。 それが時任の答えだった。 「久保田君も同じように…。ううん、それ以上にアンタのコト思ってるわよ。でも、でもね、時任。あまり依存しすぎると、依存させすぎると、今に・・・・・」 「心配いらねぇよっ」 心配そうな顔をしている桂木に、時任が勝気な瞳を向ける。 その瞳には少しも曇りがなかった。 「俺らはそんなんじゃダメになんねぇし、俺はそれっくらいでダメになるようなヤツを好きんなった覚えはねぇの。…でもさ、でももし久保ちゃんがそーなったら、俺は久保ちゃんのコト背負ってでも歩く。たぶん、久保ちゃんもそうするだろうし」 「なにがあっても、どうなっても、二人で歩くってのね?」 「それが久保ちゃんと俺の生きる唯一の道だから、他にわき道なんてねぇっつーの」 「…そっかぁ」 「そーだよっ」 何があっても、どうなっても。 この道を行く条件は二人で歩くコト。 それが二人の生きる道なのだった。 「がんばんなさいよっ!」 「てめぇもなっ!!」 時任と桂木はそう叫びあった後、顔を見合わせて笑った。 そしてどちらからともなく手を伸ばして握手する。 それは、別れの握手じゃなくて、ありがとうの握手だった。 「おーい、時任」 二人が握手していると下から声がする。 時任が慌てて窓を覗き込むと、下から上を見上げながら久保田が時任を呼んでいた。 「なんだよっ、久保ちゃんっ!?」 時任が返事すると、久保田は微笑みながらその手に持っているモノを上に向かって投げた。 「うわっと…」 やっとの思いで時任がキャッチすると、それは一個のボタンだった。 「青春してんじゃないの」 「人のコト言えんのかよっ!」 桂木が楽しそうにからかってくる。 時任は自分の第二ボタンを取ると、それを下に向かって投げた。 「久保ちゃんっ!落すなよー!!」 「わかってますって」 晴れた空はどこまでも青く。 そして澄み渡っている。 さあ、手をつないで今を歩き出そう。 |
2002.3.23 *戻 る* *荒磯部屋へ* |