「あらぁ、久保田君いらっしゃい〜」
 「どーも」

 別に用事があったワケじゃなかったけど、俺は久保ちゃんと一緒に放課後保健室に来てた。
 けど、用事がないのは俺だけで、久保ちゃんは何か頼んでたコトがあったカンジで俺のわかんない会話を五十嵐と二人でしてる。
 たぶん、松本がらみなんだろうなぁって予想つくけど、俺の知らないコトがあんのはなんか面白くねぇし、五十嵐がうれしそうな顔して久保ちゃんと話してるのも、五十嵐にくっつかれて平然としてる久保ちゃんの顔見んのもやっぱイヤ。
 「なぁに? 今日はやけにおとなしいじゃない?」
 「うっせぇ、オカマ校医っ!」
 「なぁんですってぇっ!」
 五十嵐のコトはキライとかそういうんじゃない。
 久保ちゃんといんの見たらちょっとイライラしちまうだけ、ただそれだけだったのに…。
 なんでかわかんないけど、気づいたら俺の手が勝手に動いてて…。
 五十嵐の頬を平手打ちしてた。
 
 パシィィンッ!

 なんかすっげぇ響く音がして、しびれたみたいな感触の残ってる手のひらとか、五十嵐の赤くなってる頬が目の前にあって何が起こったのかちゃんと理解できたけど。
 ビックリしたっていうか、なんていうか…。
 あんまりよくわかんなかった。
 なんで…、こんなことしちまったんだろ?
 「時任くん?」
 五十嵐が驚いた顔して俺のコト見てる。
 あやまんなきゃダメだって、そんなのはちゃんとわかってた。
 ちゃんとわかってたけど、ゴメンって一言が胸の辺りに詰まってて出てこない。
 「どうしたの? 何かあったの?」
 「・・・・・・・・・」
 平手打ちされたのに五十嵐は俺のコト心配してて、それがスゴク…。
 なんか息苦しくて、重くてたまんない。
 「時任は悪くない。悪いのは俺だから」
 久保ちゃんも俺のコト心配してくれてて、いつもより優しい声でそんな風に言ってくれてた。
 けど、久保ちゃんの言うコトは違ってる。
 五十嵐を平手打ちしたのは俺だから、久保ちゃんは全然悪くない。
 そんなの当たり前じゃんか…。
 「そんな顔しなくていいよ、時任」
 久保ちゃんがそう言いながら、俺の頭を撫でてくる。
 その手はいつもと同じ暖かい大好きな手だったけど、今はその手に触れられるとスゴク胸がズキズキと痛くてたまらなくなった。
 なんで誰も俺のコト責めたりとかしねぇの?
 なんで叩かれたのに、五十嵐はやられたままで黙ってんの?
 わかんねぇよ・・・・・・・。
 「…時任」
 久保ちゃんの手が、俺なぐさめるみたいに頭から頬に降りてきた瞬間が限界だった。
 これ以上ココにいたら、たぶんなにもかもがイヤになるみたいな気がしたから、俺は久保ちゃんの手を振り切って走り出した。
 
 「ちょ、ちょっとどこ行くのよっ!?」

 後ろから久保ちゃんが追いかけてくる気配したけど、立ち止まったりとか振り返ったりはしない。 
 久保ちゃんから逃げたかったのか、それとも別の何かから逃げたいのか良くわかんないまま、ただずっと走り続けて、逃げ続けて…。
 さすがに息が切れて立ち止まったら、今まで全然みたことのないビルとか家しかない場所に立ってた。走ってきたんだから、歩いて帰れない距離じゃねぇけど、なんだかスゴク遠くに来たみたいなカンジがして思わず後ろを振り返る。
 けど、そこには久保ちゃんの姿はなかった。
 逃げてきたんだからそれは当たり前なんだけど、逃げて来たのは俺の方なんだけど…。
 あの部屋から追い出されて、捨てられちゃった気分になった。
 「…なんかバッカみてぇ」
 そんな風に言ってみたけど、やっぱ胸の中がモヤモヤしてて重くて苦しくてたまんない。
 ホントだったら、いつもみたく五十嵐とケンカして騒いで終わりだった。
 なのに何やってんのかなって、ホントにバカみたいだなって思ってんのに…。
 気づいたらこんな知らないトコまで来てた。
 いつの間に時間がたっちゃってたのか、空が夕暮れみたいに赤く染まってきてて、それを見てっと身体の中にぽっかり穴開いちゃったみたいな気ぃして、なんかぼんやりする。
 走ったせいかもしんないけど、なんかすっげぇつかれた…。
 つかれたし、腹減ったし、来た道を戻ろうかどうしようかって考えてると目の前に小さな公園が見えた。そこはすっごくちっちゃい公園で、ブランコとジャングルジムしかないし、遊んでるコドモとかも全然いなくてさみしいカンジがする。
 公園っていっつもコドモとか、犬散歩してる人とかいるイメージあったけど、こういう人の来ない公園もあるんだなぁって、こんな時にそんなどうでもいいコト思ったりした。

 もっともっと考えなきゃなんないコトとかあるはずなのに…。

 とりあえず休けいするために公園に入ると、そこにあった水道で水飲んでベンチに座った。
 そしたら、ホントにどっとつかれが来てなんだか身体が重くなる。
 これから帰んなきゃなんないって、そう思ってんのにまるで帰りたくないみたいに身体が、足が動いてくんない。
 きっと久保ちゃんが俺のコト探してくれてるから、早く帰んなきゃなんねぇのに…。
 早く帰って、ただいまって言わなきゃなんないのに、なんでこんなトコで座ったままなんだろ?
 もしかして…、ホントは帰りたくない…?

 ・・・・・・・・なんで?

 よくわかんないコトばっか頭の中に浮かんできて、ぐちゃぐちゃなカンジだった。
 帰りたいのに帰りたくなくて、帰れなくて、どうしていいかわかんなくなって時間だけが過ぎていく。
 日が暮れて暗くなったのに、俺はじっと公園のベンチに座ったままだった。
 
 「あれっ、もしかして時任?」

 どれっくらい時間がたったのか正確にはわかんなかったけど、ふと気づくと誰もいなかったはずの公園に誰かが立ってこっち見てるのに気づいた。
 俺のコト知ってるみたいだけど、俺はそいつを知らない。
 「…アンタ誰だよ?」
 って、俺が聞くと、そいつは俺のすぐ近くまで歩いて来る。
 でも、そいつの顔を見ても、全然誰なのかわかんなかった。
 「わからないかなぁとは思ったけど、本当にわからない?」
 「わかんねぇっつってんだろっ」
 「それじゃあ自己紹介するな。俺は荒磯高校三年五組の藤島」
 「フジシマ?」
 「そう、同じガッコの同級生」
 「ふーん、あっそう」
 俺はフジシマってヤツに興味なかったから、そっけなく返事した。
 けど、フジシマはそういうの気にしてないみたいで、ベンチに座ってる俺の隣に腰かける。
 頭ん中がぐちゃぐちゃで誰かと話してる気分じゃなかったから、フジシマが座るのと同時に立ち上がろうとしたけど、グイッと腕を引っ張られた。 
 「なにすんだよっ、てめぇっ」
 「いや、用事ないなら、もうちょっと話とかできないかと思ってさ」
 「はぁ?なんでだよ?」
 「う〜ん、正直に言うと俺はかなり時任に興味あるんだ」
 「俺はアンタなんかに興味ねぇんだよっ!」
 怒鳴って思いっきり突っぱねたのに、フジシマは俺の腕を掴んだまま。
 俺がムッとして腕を奪い返すと、フジシマはマジな顔して、
 「ちょっと質問だけど、久保田と一緒に暮らしてるって噂は本当なのか?」
なんて聞きやがった。 
 今は久保ちゃんの名前聞きたくなかったのに、なんで言うんだよ。
 名前聞いただけで、なんか保健室の時みたいに胸が詰まってきて、苦しくて…。
 「なんか顔色悪いんじゃないか?」
 てめぇのせいでこんななんだって、そう言いたいけど言えない。
 久保ちゃんの名前聞いただけで、こんなになってるなんて言えるワケねぇじゃん…。
 バカみたいにずっとずっと、久保ちゃんのコトばっか考えてるなんて…。
 「俺ん家すぐ近くだから来ない? ここにいるよりましだと思うしさ」
 「・・・・・・別にいい」
 「このまま倒れたら困るだろ?俺もこのまま時任のことほっといて帰ったら気になるし」
 「・・・・・・・・」
 「いいから来いって」
 フジシマはそう言ってベンチから立ち上がって、また俺の腕を引っ張った。
 けど今度は振り払う気力なくて、俺はフジシマに引っ張られるのにまかせて歩き出す。
 同級生だかなんだかわかんねぇけど、そんな知らねぇヤツに腕引っ張られてなんで歩いてんだって思いながら、それでもやっぱ歩いてた。
 別に行きたくなんかねぇのに、なんでついて歩いてんだろ?
 なんかホントにもうめちゃくちゃだった。
 バカみたいなめちゃくちゃだった。
 すべての感覚がだんだん狂ってくみたいな…、そんなカンジが大きくなってく。
 もしかして、このまま帰れなくなっちまうのかな?
 どうしよう、久保ちゃん。

 …帰り道がわかんない。

 フジシマの引っ張られて歩いて行くと、日が沈んで薄暗くなった道が目の前に続いてた。
 なにもかもがぼんやりしてて、良く見えない。
 どこに連れてかれるのかなぁ、そういえばフジシマの家だっけ?
 なんてつまんないコトが頭に浮かんで、やけに冷静っぽい自分が笑えてきた。
 「何笑ってんだ?時任」
 「知るかよ」
 「少し元気そうになって良かったよ」
 「・・・・・・」
 心配してくれてんのに悪りぃけど、心配されてもうれしくない。
 けど、うれしくないのにコイツに手ぇ引かれて歩いてる。
 帰る場所くれんなら誰でも良かったのかな?
 もしかして、俺ってそういうお手軽なヤツ?
 それってサイアクなんじゃねえの?
 そんなコト考えてる内にフジシマの家についてて、さすがに一瞬立ち止まったけど、ちょっと強く腕引っ張られたら簡単に足が動いた。
 「ここが俺のウチ」
 「ふーん…」
 フジシマの家はマンションとかじゃなくて、庭付きの一戸建て。
 だからどうっていうんじゃないけど、広いなぁっていうのが感想だった。
 玄関上がって、廊下通ってリビングに入ったけど、誰かいるだろうって思ってたのに誰もいない。
 なんでかって不思議に思ってたら、
 「父さんが単身赴任して、母さんもついていったから、今は一人暮らしてる」
って、聞いてもないのにフジシマが説明する。
 こんな広い家に一人じゃさみしいだろうなぁって思ったけど、それはフジシマに同情したんじゃなくて、自分が一人で住んだらって想像したからだった。
 「そこらヘンで適当にくつろいでくれていいよ」
 「…わぁった」
 「晩飯食うだろ?」
 「いらねぇよ」
 「また気分が悪くなった?」
 遠慮したんじゃなくて、本当にいらなかったからそう言った。
 けど、フジシマは俺の気分が悪いって勘違いしたみたいで、ソファーに座った俺のそばに立って顔を覗き込んでくる。
 近づいてきた顔の距離があんまり近かったからなんかヘンだって思ってたら、フッと視界からフジシマの顔が消えた。
 そしたら、なんか唇の辺りに妙な感触して…。
 頭の中がぼーっとしてて現実味がかなり薄いけど、キスされてんだなぁって思った瞬間、強い力で肩を押さえ込まれた。
 「・・・・・・っ!」
 唇がちょっと離れた瞬間に何か叫んでやろうとしたけど、口を開けた瞬間に噛み付くようにキスされて言葉にならなかった。
 何か言いたいのに、声がキスに吸い込まれていくカンジがして苦しい。
 口の中に差し込まれた舌が、ねっとりと自分の舌にからんでくる感触がどうしようもなく気持ち悪かった。流れ込んでくる唾液を飲み込みたくなくて、必死に耐えてると吐き気がする。

 ・・・・・・・・・・気持ち悪くて死にそう。
 
 フジシマとなんかキスしたくない。
 こんなヤツとそんなことしたくない。
 吐き気がしてくる気持ち悪いキスなんかしたくない。
 まるでうわ言みたいに、頭の中でキモチ悪いって何度も何度も言った。
 胸を押して、何回も背中を叩いて爪で引っ掻いたけど、フジシマは離れようとしない。
 舌を噛み切ってやろうかと思ったけど、フジシマの血の味なんか知りたくなかったから、全身の力を振り絞ってフジシマを蹴飛ばした。
 「うわっ!!」
 俺の蹴りを食らったフジシマは、後ろに吹っ飛んでテーブルで背中打つ。
 フジシマが痛そうな顔してたけど、俺は見向きもしないでリビングを出て廊下を走った。
 廊下にあるトイレ目がけて…。
 そして、勢い良くトイレに入って、胃の中にあるモノ全部吐き出すみたいにして吐いた。
 吐いても吐いてもキモチ悪くて、最後には胃液まで吐いて、胃液の味で口の中がスゴク苦くなる。

 「久保ちゃん、久保ちゃん…」

 ずっと久保ちゃんを呼んで、呼び続けて…。
 胸の中が苦しくて痛くなって…、そして、俺はトイレにうずくまったまま動けなくなった。
                                             2002.7.11
 


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