一人暮らしでベッドが一つというのは当たり前だが、二人暮しになってもベッドは一つだった。ベッドを置けるような部屋は一つしかなかったが、もう一つベッドを置けないくらい狭いというわけではない。けれど、それでも久保田はベッドを買うことはしないでいる。
 その理由はどちらかがソファーで寝ればいいと、時任が言ったせいだった。
 
 「交代でベッドで寝ればいいじゃんか。もったいねぇから、わざわざ買ったりすんなよっ」
 「…ま、いいけどね」

 そう時任から言い出したことだったが、ソファーの寝心地が悪いと言って久保田がベッドで眠っていると後からもぐり込んでくる。
 いくら時任が痩せているといっても、シングルベッドで男二人寝るのは少々きつかった。
 今日も例のごとく時任がもぐり込んできたので、久保田はそんな時任を見て小さくため息をつく。このままの状態では、やはり今日も眠れないに違いない。
 けれどそんな久保田の想いも知らず、時任は毛布の中のぬくもりに満足したように、すぐに寝息を立て始めた。
 「…眠いんだけどなぁ」
 久保田はそう言いながら、枕元に置いていたセッタに手を伸ばす。
 けれどその手を、もう眠ったはずの時任の手が止めた。
 「寝タバコ禁止っ」
 「じゃ、一本だけ」
 「ダメだっつってんだろっ」
 「どしてもダメ?」
 「最近、すげぇタバコ増えてんだから、夜くらいガマンしろっ」
 時任は久保田の手からセッタを奪うと、吸えないように真ん中の辺りから指で二つに折る。
 そしてそのタバコを、無造作にカーペットの上に投げた。
 久保田のことを心配しているらしいことはわかるが、眠れないことがわかっているため、どうしてもまたセッタに手が伸びてしまう。
 そんな久保田の手を時任は両手で捕まえると、握り込んで自分の手と一緒に毛布の中に入れた。

 「おやすみ、久保ちゃん」

 時任からおやすみと言われたが、久保田は無言で時任の頭のつむじを見つめいてる。
 ベッドに来る前に風呂に入っていたせいで、時任の髪からは久保田も使っているシャンプーの匂いがしていた。
 時任は丸くなって眠るクセがあるので、自然に久保田の腕の中に収まるような格好になっている。
 向き合う格好で寝ているため、時任の寝息がすぐ近くから聞こえていた。
 規則的に聞こえてくる時任の寝息と、握られている手から伝わっていくる体温。
 それを愛しいと感じていても、その愛おしさはただ見守っていたいだけのものではない。
 久保田は時任が完全に眠ってしまうと、握られていた手をすっとその手から抜き取る。
 そしてやはりいつものように、ベッドで眠る時任の横から抜け出した。

 すぐそばで眠る時任の身体を、抱きしめて眠りたい…。
 その唇に首筋にキスして…、すべてに自分を刻み付けてしまいたい…。

 そんな風に久保田が感じていても、時任はそんな久保田の隣りで平然と眠っている。
 手を握りしめて…、時には久保田の腕の中で、その胸に抱かれて眠っていた。
 だから久保田は温かい手を握って、柔らかい髪を撫でて…、腕の中に抱きしめて…。
 それからベッドから…、時任から離れる。
 いっそのこと抱いてしまえば良かったのかもしれないが、今の関係を壊したくないと久保田自身も望んでいた。
 一度抱いてしまったら、きっと何かが変わって…。
 この止まらない衝動が、胸の中にある想いまでも変えてしまう。
 ・・・・・・それはとても危険な予感だった。

 「やっぱりベッドは買わないと、ね…」

 久保田は冷たいソファーに身を横たえると、そばに落ちていた毛布を無造作に自分の身体にかけると、大きく息を吐くとゆっくりと目を閉じる。
 眠れるかどうか定かではなかったが、ベッドよりは眠れる気がしていた。
 ここにいればどんなに腕を伸ばしても、温かくて愛しい身体を抱きしめることは出来ない。
 だが、自分の衝動に苦笑を浮かべなくて済む。
 それを喜んでいるのかどうか自分でもわからないまま、久保田はわずかに聞こえてくる時計の音に耳を済ませていた。
 
 コチッ、コチッ…、カチコチ……。

 夜の時間が歯車が回る音とともに過ぎていく。
 静けさと暗闇がつつんだリビングで、久保田はじっとその音だけに耳を澄ませていた。
 まるでそうやって、夜が明けるのを待っているかのように…。
 だが、しばらくすると廊下からリビングへのドアが控えめの音を響かせて開く。
 そして、ソファーに眠っている久保田の方へ足音が近づいてきた。

 「…どしたの?」

 久保田は自分の前で足音が止まると、そう足音の主に向かって尋ねた。
 しかし、足音の主からの返事はない。
 不審に思って久保田がうっすら目を開くと、その瞬間、久保田の腕の中に突然温かいものが降ってくる。それは間違いなく、さっきまでベッドで眠っていたはずの時任だった。
 「時任…」
 ため息混じりに久保田が名前を呼んだが、やはり返事が返ってこない。
 狭いソファーから落ちそうになるのを支えてやりながら、久保田が時任の顔を覗き込むとその瞳は硬く閉じられていた。
 頬を軽く撫でても反応がない所を見ると、どうやら本当に眠っているようである。
 ベッドに久保田がいないのを感じたのか、寝ぼけたままでここまで歩いてきたらしかった。
 久保田はもう一度ため息をつくと、あきらめたように時任の身体をゆっくりと抱きしめる。
 すると時任は少し身じろぎすると、安心したように微笑んだ。
 
 「くぼちゃ…ん…」

 離れるつもりなどないのに…、そんなことなどできるはずがないのに…。
 無意識の内に、時任は何か不安を感じているのかもしれない。
 普段の時任を見ていると、とてもそんな風には見えないが、夜になるとその不安が暗闇に誘われて表に出てくるのかもしれなかった。
 久保田は腕の中にいる時任を抱きしめながら、すうっと目を細める。
 そして、時任の額にキスすると次に頬へと唇を落した。

 「う…ん…」
 
 時任が額と頬に口付けられた唇の感触に反応して頭を動かす。
 すると久保田は、眠っている時任の唇にそっと自分の唇を重ねた。
 熱く胸の中を焦がし続けている想いを…、その唇で紡いでいくように…。
 その口から漏れる吐息をさらうように…。
 
 「んっ…、あ…、くぼちゃ…」
 
 息苦しさと重ねられた唇の感触に時任が目を開く。
 だが久保田はそれに構わずもっと深くキスをすると、舌で歯列を割って口内を犯した。
 口付けている音がリビングに響いて…、その音を聞いているとすべてが狂いだしそうになる。
 深いキスをしながら、時任の唇の柔らかい感触と甘さに目眩がした。
 
 「んっ、んぅっ…!!」

 時任は手を突っ張って、久保田から離れようともがしていてる。
 久保田はその手を捕まえると、ゆっくりと時任の唇から自分の唇を離した。

 「時任…」
 「く、くぼちゃん…、今の…」
 「寝ぼけてたみたいだから、ゴメンね…」
 「そ、そうだよな、やっぱ…」
 「・・・・・・寝るならベッドに戻りなね?」
 「あ、あれ? なんで俺がココにいんの?」
 「寝ぼけてたみたいよ?」
 「そっか…、って、久保ちゃんは?」
 「俺はココで寝るから…」
 「なんで?」
 「なんでって言われても、ねぇ?」
 「早くベッドに戻ろうぜっ、マジ眠い…」

 「・・・・・・・そだね」

 久保田の視線の先には、キスで濡れた時任の唇がある。
 久保田はまだ残っている唇の感触を消そうとするかのように、テーブルの上に置いていたセッタを口にくわえた。


                                             2002.9.19
 「口唇」

「明け方」
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