あんなに暗く深く夜が街を覆い尽くしていても、やがて朝はやってくる。
 誰が望んだわけでも、誰がそう決めたわけでもないのに…。
 ベッドの中で眠りをまどろんでいようと、そうでなかろうとも容赦なく陽が昇って、明日が今日になって、自動的に今日が昨日になって…。
 永遠にそれを繰り返しながら、すべての人々が幾つもの夜を越えていく。
 薄暗い室内の窓にかかっているブラインドから、わずかに漏れてくる光が朝を告げていたが、ベッドの中にいる久保田は眠そうな瞳でそれを眺めていた。
 
 「…そろそろ朝めしつくらないと、ね」
 
 久保田はそう小さく呟くと、横でぐっすりと眠っている時任の髪をそっと撫でた。
 するといつものように、サラサラとした髪の柔らかい感触が手のひらに伝わってくる。
 こんな風に頭を撫でるのはしょっちゅうだったが、こうして時任が眠っている時に撫でるのとでは少し感じが違っていた。
 自分の前で無防備に眠ってしまっている時任を見ていると、押し隠しているつもりの想いが…、欲望が心を身体を揺るがせる。眠っている時任に伸ばした久保田の手は、純粋に時任を愛しんでいるわけではなかった。
 時任が自分以外に瞳を向けて楽しそうに話しているのを見るたびに、時任の口から知らない誰かの名前が出るたびに、何かが少しずつ壊れていくような気がして…。
 その壊れた部分から想いが零れ落ちていくように…、気づけば時任に触れて、その唇に自分の唇を重ねている自分がいた。

 「…ゴメンね」

 そう呟いて眠っている時任にキスしたのは、今日で何度目だっただろう。
 数すら数えられないくらいキスを重ねても、目の前にある赤い唇にキスする自分を止められなかった。
 伝わらない想いばかりを紡ぐようにキスをして…。
 そんな自分に苦笑することしかできなくて…。
 吸っているタバコの吸殻だけが、無駄に灰皿の上に溜まっていく。
 久保田は小さく音を立てて、時任の額に頬に唇に軽くキスを落すと、やはり今日もシャツを羽織ってそのまま朝食を作るためにキッチンに向かおうとした。
 だが、立ち上がろうとした瞬間、何かが久保田のシャツの袖を引っ張っている。
 久保田がそれに気づいて袖を見ると、そこには見慣れた時任の手があった。
 「…おはよ。今から朝メシ作るから」
 そう短く時任に言うと、久保田は再びキッチンに向かおうとしたが、それでも袖を握っている手は離れない。仕方なく久保田が時任の方を見ると、時任はじっと何かを探るように久保田を見つめていた。

 「なぁ、久保ちゃん…」
 「なに?」
 「・・・・・・なんで俺にキスすんの?」
 「ただの朝のスキンシップ」
 「アイサツみたいなヤツ?」
 「うん」

 時任が何か尋ねてくるたびに、苦しい言い訳ばかりが口から出る。
 自分に時任にウソばかりをついて…。
 それでも、また同じようにキスして抱きしめて…、それを繰り返す。
 嫌いになんかなれないから…、けれどこの想いをなかったことになんかできないから…。
 愛しさと恋しさと同じように、苦しみが降り積もっていく。
 けれど時任は、いつも真っ直ぐそんな久保田の方を見ていた。
 
 「べつにいいけど…、寝てる時はダメだかんな」
 「ダメって?」
 「寝てるとなんもわかんねぇから…、起きてる時にしろっ」
 「・・・・・そんなコト言って、後悔しても知らないよ?」

 必死で耐えようと…、押さえようとしていた心と身体に…。
 時任の一言が、その殻を打ち壊すように大きなヒビを入れる。
 何するんだって怒鳴って、やめろって殴られたかったのに、時任は少しも嫌がってくれなかった。少しも否定してくれなかった。
 そばにいてそれだけでは満足できなくて、心を身体を犯したがっているのに、時任はそれをべつにいいと言う。
 久保田は暗い瞳で時任を見つめると、ベッドに寝ている時任に激しく強引に口付けた。
 
 「んぅっ…、んっ…」
 
 いきなり口をふさがれて、時任が苦しそうにもがいている。けれど久保田はそれにかまわず、時任の舌に自分の舌を絡ませて奪うように深く口付けた。
 次第に熱く息が上がって、たどたどしく時任がキスに答え始めると、久保田は腕を伸ばして時任の腰を自分の方に引き寄せる。そして逃げられないように片手で肩を押さえるとキスを止めて、首筋から鎖骨に向かって舌を這わせた。
 
 「あっ…、くぼちゃ…」
 「…やめて欲しい?」
 「そんなの…、わかんねぇよ…」
 「やめてって言わないと止めないよ?」
 
 シャツを胸の辺りまでめくり上げて、手で舌で愛撫していく…。
 それからジーパンとトランクスを膝まで脱がせて、久保田は直接時任に触れた。

 「あぁっ、んっ…」
 「時任」
 「んんっ…、くぼちゃん…」
 「なんでやめろって言わないの?」

 時任のソコはすでに半分くらい立ち上がっている。
 このまま手と舌を使って、その気にさせることは簡単だった。
 だが、久保田はそうせずにあっさり時任から手を離す。
 そして時任の額にキスを一つ落すと、ベッドから起き上がった。

 「今のは冗談だから、忘れてくれる?」
 「冗談…、って何だよっ」
 「ちょっとからかってみただけ、本気にした?」
 「てめぇっ!!」
 
 久保田の信じられないような一言に、時任が怒鳴って殴りかかる。
 拳を振り上げた時任が襟首をつかんできても、久保田はじっとその場に立っていた。
 まるで殴られるのを待っているかのように…。
 すると、時任は拳を途中で止めて、そのかわりに両手を伸ばして久保田の頬を包んだ。

 「なんで俺に殴らせようとすんの?」
 「…ゴメンね」
 「ゴメンだけじゃわかんねぇよ…、ぜんぜん…」
 「・・・・・いいよ。わかんなくて」
 「いいワケねぇじゃんっ!」
 
 いくら時任が理由を聞いても、久保田は答えなかった。
 キスする理由も…、抱こうとした理由も何もかも…。
 時任は目をそらさずじっと久保田の暗い瞳を見つめると、ゆっくりと久保田の顔を自分の方に引き寄せる。
 そして自分から、唇を押し付けて久保田に短いキスをした。
 
 「ホントはさ…、朝、久保ちゃんがキスしてんの知ってて…。けど、なんでかってわかんなくって、だからずっと寝たフリしてた」
 「・・・・・・・」
 「なんでなのか今もやっぱわかんねぇけど…。俺はさ…、キスの理由が欲しかったから…、だから久保ちゃんが何か言ってくれんのずっと待ってたのに…。なのになんで何も言ってくんないの?」
 「・・・・・・時任」
 「そういうコトしたいって思ってたワケじゃねぇけど…、久保ちゃんが好きだから、やめろって言わない。久保ちゃんにされんのはイヤじゃねぇから…」

 時任の告白と、見つめてくる瞳に口付けられた唇に…、久保田の心が乱されていく。
 このままでいれば傷つけずに済むと思っていたのに、時任は自分から久保田の腕の中に囚われようとしていた。
 嫌いだと好きなんかじゃないと突き放してしまえばいいのに、時任の澄んだ瞳にどうしてもウソがつけない。いつもみたいな無様な言いワケも浮かばない。
 久保田は苦しそうに息を吐くと、両腕を伸ばして時任をきつく抱きしめた。

 「俺の好きと時任の好きは違うよ」
 「久保ちゃんとキスしたい…、エッチしたいって思ってても?」
 「それは、今そういう状況だったからってだけでしょ?」
 「だったら俺のコト抱けよっ。そしたらホントにそう思ってんのかって、わかるかもしんねぇじゃんか…」
 「…後悔するよ?」
 「しねぇよっ」

 真っ直ぐな瞳で好きだと言って…、同じ瞳でキスしたい抱かれたいと言う…。
 そんな時任のぬくもりを感じながら、久保田はその身体をベッドに押し倒した。
 すると、二人分の体重を受けてベッドがキシキシと音を立てる。
 どちらからともなくキスをしてお互いの唇を奪い合いながら、久保田と時任は初めて眠る目的ではなく別の目的でベッドに転がった。

 「好きだよ…」

 キスの合間に漏れた久保田のセリフに、時任が嬉しそうに微笑む。
 好きだからキスして…、好きだから抱き合って…。
 お互いの熱に浮かされている間、それ以外には何もなかった。
 好きで大好きで…、愛しくて恋しいだけで…。
 それだけで何もかも一杯になっていくようだった。
 
 「あぁっ、あっ、あっ…」
 「・・・・・・時任」
 「うっ、あ…、くぼちゃ…」
 「ずっと…、俺だけに抱かれててね…」

 空はすでに明るく光に満ちていて、朝日が街を二人のいるマンションを照らしていた。
 けれどまだ夜を名残り惜しむかのように、軋むベッドの音と喘ぎ声と…、乱れた呼吸の息遣いだけが部屋に満ちている。
 久保田は時任を抱きながら、ずっと押さえ込んでいた衝動と想いを隠すことも、逃げることもできなくなったことを感じていた。
 
 捕らえようとして囚われて、囚われようとして捕らえた檻の中で…。
 

                                             2002.10.1
 「明け方」

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