「時任…」
 「あぁ?」
 「さっきから、妙な視線を感じるんだが…」
 「そりゃあまぁ、昨日の今日だしな」
 「やはり…、この視線は噂のせいか」
 「気にすんなよ、噂なんてすぐに消えるしさっ」
 「そうだな」
 「・・・・・た、たぶん」

 「そ、そうか…、たぶんか」

 そう言って大きくため息をついた室田がぐったりとうなだれると、その肩を気の毒そうな顔をした時任が軽く叩く。そんな感じで二日目に見回りに出動した時任と室田コンビは、なぜか妙にしんみりとしていた。
 室田はどちらかと言えば明るくふざけ合ったり笑い合ったりするタイプじゃないし、口数も少なくはないがそれほど多くもない。しかも今日は久保田との噂が校内に広まってしまったためなのか、少し松原の態度がいつもと違うのでどんよりとしていた。
 昨日までバカップルだったが、今日はなぜかバカップルからカップルにランクダウン…っ。しかも室田と久保田という強烈で印象的なカップルなだけに、いつ噂が消えてくれるのか不明だった。
 室田はうなだれたままでまたため息をつくと「松原…」と呟く。サングラスをかけているので空ろな目をしているかどうかはまではわからないが、かなり重症のようだった。
 「このまま噂が消えなければ…、俺は…」
 「とかって、そう深刻になるなよ。ウワサはウワサだし、松原だって絶対に信じてねぇ…つーかフツー信じねぇだろっ」
 「そうだろうか? では、なぜ松原は俺に冷たいんだ…」
 「でもさー、室田はそう言うけど、俺には別にいつもと同じに見えたぜ?」
 「・・・・・・・だが、今朝は話しかけても何を言っても生返事しか返って来なかったし、時々怖い顔で睨まれてるような気すらする」
 「睨まれてるって…、実は気づいてないだけで、なんかウワサとは別に松原を怒らせるようなコトしたんじゃねぇの?」
 「うううう・・・・・・・・・・っっ」
 「い、いきなり唸るなよっ、ビックリすんじゃねぇかっっ」
 いきなり頭を抱えて唸り出した室田の声に、一緒にいた時任だけではなく周囲にいた生徒達も二、三歩下がる。まるで地獄の底から響いてくるような室田の声を聞いていると、別に何もしていないのに呪われそうな気がした。
 だが、実は室田は見た目と違って好きな子に少し冷たくされたくらいで壊れそうなガラスのハートを持った男なのだが、それを知る者はあまりにも少ない。しかも、現在の恋人である松原もそれを知っているかどうか不明だった。
 「このままだと…、松原に別れを告げられるかもしれん」
 「だーかーらっ、そうじゃねぇってっ」
 「しかし…」
 「だってさぁ、昨日、松原と話してたら同居がどうとか言ってたぜ? そういうの聞くってコトは室田と一緒に暮らそうとか、そういうの考えてんじゃねぇのか?」
 「だ、だがっ、俺達はまだそんな段階では…っ」
 「はぁ?段階?」
 「つ、つまりその…」
 「なんだよっ、言いたいコトがあんならハッキリ言えよっ」
 「・・・・・まだなんだ」
 「まだって何が?」
 「ま、まだ…、松原と手を繋いだ事がないのだ…」
 
 「はあぁぁっ、手ぇぇぇっっ!??」

 ・・・・・・松原と手を繋いだ事がない。
 そう言って真っ赤になって後ろ頭を掻く室田を見た時任は口をぽかーんと開けたまま、その場に立ち尽くした。
 あんなにラブラブなのに…、手を繋いだ事がない…。
 あんなにイチャイチャしているのに手を繋いだ事が…、ない…。
 室田と松原よりも、今時の幼稚園児の方がよっぽど関係が進んでいそうだった。
 時任は何かを考え込むようにうつむくと、いきなり前触れもなくぬっと左手を伸ばして室田の肩をガシッと掴む。そして、右手で拳を作ると室田を真っ直ぐに見つめた。
 「段階と手ぇ繋ぐのと、なんの関係があんのか良くわかんねぇけど、とにかくガンバレ…」
 「う、うむ…」
 「きっと、今に手ぐらい繋げるようになるってっ! 俺と久保ちゃんだって相方だから、しょっちゅう繋ぎまくってるしっ」
 「いや…、手を繋ぐ事と相方とは関係がないような…ブツブツ…
 「相方だったら、同居するくらいフツーだし」
 「同居…は、普通しないような気が…、ブツブツ…
 「同居したら、相方だと一緒に寝たりもするし…」
 「そ、それは同居ではなく同棲では…、ないのか…?」
 「へっ?」

 「い、いや…、なんでもない」

 ・・・・・・・洗脳。
 時任の相方なら当たり前発言の数々に、鈍い室田の頭にもさすがにそんな言葉が浮かぶ。時任を見ていると公務の時だけではなく、普段も相方という言葉を何かを確認するように言っているが…、なんとなく、そんな時任の言葉の端々に黒縁メガネをかけた男の影が見え隠れしていた。

 『今度、ウチに引っ越して来ない?』
 『…って、なんで?』
 『なんでって、俺らは相方デショ?』
 『えっ、相方ってそういうモンなのか?』
 『たぶんね』
 『ふーん、そっか…』

 『そうそう…』


 『…で、引っ越して来たのはいいけど、なんでベッドが一つしかねぇんだよ?』
 『それは相方だからじゃない?』
 『へっ?』
 『相方は二人で一人で一心同体〜♪ だから、一緒に寝るのは常識だし?』
 『けど、狭くないかコレ?』
 『じゃ、ダブル買う?』
 『う…っ、いやっ、やっぱコレでいい』

 『なら、今日から相方らしくココで一緒に寝ようね?』


 『・・・・・とか言ってたけど、なんで久保ちゃんがベッドじゃなくて俺の上にいんだよ?』
 『うーん、なんでかなぁ? 相方だからじゃないの?』
 『あ、相方って…っ、こういうコトもしたりすんのか?』
 『相方は一心同体だから手だけじゃなくて、わかり合うためにココロもカラダもすべて繋がってないとね? やっぱホントの相方とは言えないデショ?』
 『・・・・・けど、今から俺らのしようとしてるコトって、ア、アレだよな?』
 『うん、エッチ』
 『・・・・・・く』
 『く?』
 『久保ちゃんのウソつきっ!!! あ、相方だからってエッチなんかするワケねぇだろっっ!!!!』
 『じゃ、今から恋人で…』
 『・・・・・とかってっ、さりげなく服を脱がしながら言うなぁぁっっ!!!久保ちゃんのヘンタイっ!!バカぁぁ…っっ!!』

 ばきいぃぃぃぃぃっ!!!!

 …という感じの事が二人の間であったかどうかはわからないが、相方という言葉に対する時任の認識はかなり間違っているような気がしてならない。しかし、黒い影を感じた室田にはそれを正す勇気がなかった。
 今の二人の関係がどこまで進んでいるのか、そんな事を室田が知るはずもない。だが、もしかしたら、手も繋いだ事もない室田と松原はお互いの事を恋人と認識しているが、それ以上の事をしているらしい時任は久保田の事を今も相方で恋人とは認識していないのかもしれなかった。

 「世の中…、上手くいかないものだな」

 なぜかしんみりとそう言った室田に、時任がウンウンとうなづき返す。
 すると、廊下を歩く通りがかりの生徒達の目に白い砂浜と真っ赤な夕日の幻覚が一瞬見えた気がしたが…、ちょうどその頃、真っ赤な夕日ではなく窓の外の青い空を眺めながら松原が生徒会室でずずっとお茶をすすっていた。
 昨日はお互いの相方を心配した室田と久保田が後をつけてしまったために、結局、四人での見回りになってしまったが、今日はそんな事はないようである。松原だけではなく久保田も生徒会室にいて、さっきから手に持った茶色い封筒でパタパタと顔を仰ぎながら本を読んでいた。

 「うーん、平和だなぁ」
 「平和ですねぇ…」

 そんな風に二人はお互いのしたい事に没頭しながら呟いたが…、
 その平和は長くは続かなかった。






 今日、校内の見回りをしている執行部のコンビは少々青春がかってはいるが、ラブラブではないしアヤシイ雰囲気もかもし出してはいない。二人の内の一人が、高校生ではなくヤクザにしか見えない所をのぞいては健全過ぎるくらい健全だ。
 だから、おそらく今日は昨日のような噂が立つ事はないだろう。
 だが、廊下を歩く二人の周囲にいる生徒達の中に、妙な雰囲気を醸し出している人物がいる。しかも、それは一人や二人ではなかった。
 始めは注目を浴びているのは噂のせいだと二人とも思っていたが、どうやらそれだけじゃないらしい。その事に最初に気づいたのは時任で、何も気づかないフリをして室田と並んで歩きながら、目だけで周囲の様子をうかがう。
 そして、数人が後をつけて来ているのを確認すると、隣の室田に目配せで教えた。
 「室田…、たぶん気づいてると思うけど、俺らつけられてんぞ」
 「あぁ、そうみたいだな。人数は7、8人…」
 「何か心当たりとかあんのか?」
 「そう言う時任はどうだ?」
 「あり過ぎてわかんねぇよ」
 「なるほど、執行部の宿命…、というヤツか」
 「けどさ、なんか今回のは妙なんだよなー…。俺らをつけて来てるヤツらって、なんかバラバラだしさ」
 「バラバラ?」
 「学年もクラスもバラバラで、しかも男女混合」
 「・・・・・それは、どういう事だ」
 「そんなの、俺が知るかよ」
 時任が言った通り二人の後をつけているのはどう見ても不良とかそういった類ではなく、どう見ても普通の一般生徒である。確かにそれらしい人物も混じってはいるが、つけてきている全員が仲間…という風には見えなかった。
 けれど、背中や横顔に突き刺さる視線には悪意や殺意に似たモノを感じる。それを時任は持ち前の野生のカンで、室田は鍛え抜かれた格闘家のカンで感じながら相手の出方を見ていた。
 おそらく何かを仕掛けてくるにしても、普通に正面から殴りかかってはこない。それは他の学校の生徒ならまだしも、荒磯の生徒は執行部員の尋常ではない強さを見て聞いて知っているせいだった
 「屋上か体育館か、それとも裏庭か…。仕掛けてくるとしたら、どこだと思う?」
 「さぁな…。けど、場所がドコだろうと相手が何人だろうと俺には関係ねぇ」
 「しかし、襲ってきた相手が女子だった場合はどうする?」
 「そん時は、そん時に考える」
 「時任らしい意見だ」
 「イヤか?」
 「いや、俺もその方がいい」
 「じゃ、決まりだな」
 時任と室田は前を向いたままで、そう話すと人気のない場所に向かって歩き始める。だが、なぜか二人の後をつけていた生徒達が急に辺りに散った。
 視線に悪意や殺意を感じたため、てっきり人気のない場所で襲うためにつけて来ていると思ったが、何もせずに居なくなった所を見るとどうやらそうじゃなかったらしい。けれど、ただ見ていただけにしては人数はそれなりにいたし、誰かが何かを企んでいるような…、そんな気がしてならなかった。
 「どうする? 時任」
 「しょうがねぇから、てきとーなの一人捕まえて…」
 視界の中に後をつけていた内の一人を捕らえながら、そう言いかけた時任はなぜか最後まで言わずに途中でやめる。そして、視線を前に向けたままで適当な一人を捕まえるのをやめて立ち止まった。
 
 「いや…、どうやら掴まえるまでもないみてぇだぜ?」

 時任はニッと笑いながらそう言うと、後ろを振り返る。すると、そこにはニコニコと愛想の良い笑顔を浮かべながら、一人の男子生徒が立っていた。
 その男子生徒は確か新聞部で、名前は駒木。
 公務を執行をした覚えはないが、以前、執行部に記事にするからと個人的な何が好きとか嫌いとか色々と質問に来た事があった。
 「やあ、こんにちわ…、時任君に室田君」
 「なーんて笑顔で言ってるワリには、やってるコトはコソコソしててウザいし、さわやかじゃねぇよなぁ」
 「さぁ、なんの事かな?」
 「もしかして、またなんかの記事にするために俺らの取材でもしたいのかよ? 新聞屋」
 「ま、そんな所だけどさ。悪いけど、これから二人で俺と一緒に新聞部の部室まで来てくれないか?」
 「取材なら、美少年で天才の俺一人で十分だろ?」
 「そうもいかないなぁ。 これはヒミツの取材だから、生徒会室に戻って他の執行部員を呼ばれても困るし…」
 「じゃあ、もしも俺が行かないって言ったら?」
 
 「先に部室に来てもらってる…、君の知ってる別な人に取材するだけさ」

 時任が質問の答えを聞いてムッとした顔になったが、それを見ても駒木はニコニコ笑う。だが、質問の答えの内容からもわかるように、ただの取材で時任と室田を呼びたい訳じゃなかった。
 二人の内のどちらかに取材したいのか、それとも両方に取材したいのかどうかはまだわからない。しかし、人質を取ってまでしたい取材だという事だけは確かだった。
 おそらく取材も…、ただの取材ではない。けれど、時任は到着した新聞部の中に入ると、すぐに回れ右して外に出ようとした。

 「じゃ、そういうコトで…」
 「…って、何がそういうコトなんですかぁぁ…っっ!!!」

 時任に向かってそう叫んだのは、駒木でも中にいた生徒達でもなく。
 なぜか、身体に縄をグルグル巻かれて新聞部にいる万年補欠の藤原…。
 確か昨日まで酷い風邪で熱を出して休んでいたはずだが、今日は学校に出てきているようだった。
 「なんで、てめぇがココにいんだよっ!!」
 「それはこっちのセリフですよっ!!なんで、僕がこんな目に遭わなきゃなんないんですかっ!!!」
 「そんなの俺が知るかっ、てめぇはとっととウチに帰って寝てろっ!」
 「だからっ、それができないからココにいるのに決まってるでしょうっ。ほんっと相変わらす頭悪いなぁ」
 「な、なにぃぃぃぃっ!!」
 「うわっっ!! む、無力でいたいけな捕らわれの美少年に蹴りを入れるなんてヒドイじゃないですかっ!!」
 「だーれーがっ、捕らわれの美少年だっっ!このブサイクっ!!」
 「ブサイクなのは先輩の方ですっ!!!」
 「・・・・・・・あっそう、じゃ俺らは帰るわ」
 「えっ?」
 「取材は捕らわれの美少年が代わりに受けるみたいだし、俺らはさっさと部室に帰ろうぜ〜、室田」

 「ぎゃあぁぁぁっ、さっきのはウソですっ、真っ赤なウソですぅぅぅーーーっ!!!」

 時任と藤原がそんな言い争いをして暴れている間に、駒木の合図で入り口のドアがしめられる。そして、外に出られないように厳重にカギがかけられた。
 それに気づいた室田が動こうとしたが、藤原の背後には竹刀を持った二人組みがいる。他にも室内には柔道部や空手部らしい男子生徒もいて、さすがの室田も簡単には手出しできなかった。
 駒木が他の生徒達に時任達を見張らせていたのは、どうやら周囲に他の執行部員がいないかどうかを確認するためと、藤原を拉致する現場を見られないようにするためだったようである。藤原が拉致されたのは裏庭で、そこは二人が見回りする予定の順路の中に入っていた。
 「本当は室田君が一人きりになるのを待ってたんだ。けど、なかなか一人になってくれなくてね…」
 駒木はそう言うと、笑みを浮かべた口元を少し歪める。
 そして、手に持った縄を室田に向かって差し出した。
 「これで時任君の手と足を縛ってくれないか? あぁ、それとうるさそうだから、ついでに後ろの宮城君が持ってるタオルで口も塞いでくれるとうれしいけど」
 「まさかとは思ったが、時任の口を塞ぐという事は取材したいのは時任ではなく俺なのか…」
 「そうだよ、君が一人になってくれないから時任君も呼んだんだ」
 「俺に恨みがあるなら、他の二人は解放しろ。二人を無事に解放するというのなら、俺はここから逃げない…、約束する」
 「君が逃げないだけでは、それは無理だな」
 「どういう意味だ?」
 「取材に応じればわかるよ。 そんな事よりも早く取材したいから、さっさと時任君を縛ってくれないかな?」
 「・・・・・・・・」

 「きちんと縛ってくれないと藤原君にも取材…するかもしれないよ?」

 駒木にそう言われて、室田はぐっと強く拳を握りしめる。
 だが、自分の事で他の誰かにケガをさせる訳にはいかない。何の目的で、何をしようとしているのかもわからない今、下手に動いて相手を刺激するのが得策とは思えなかった。
 そう考えた室田は、渡された縄を持って時任の方を見る。
 すると、時任は軽く肩をすくめて両手を室田の方に差し出した。
 「いいぜ、早く縛れよ」
 「・・・・すまんな」
 「こんなコトになってんのは、簡単に捕まっちまったマヌケでブッサイクな万年補欠のせいで室田のせいじゃねぇし、これくらいなんでもねぇから気にすんな」
 「・・・って、さりげなく俺のせいにしないでくださいよっ!!!」
 「うるっせぇっ、俺様がてめぇのせいだっつったら、誰がなんと言おうともてめぇのせいに決まってんだっ!」
 「お、横暴だーーーーっ!!!」
 時任はいつもと変わらない調子で、室田に気にするなと言ったが…、やはり室田の表情は責任を感じて曇る。けれど、そんな室田を見ている駒木は楽しそうだった。
 同じ三年生だがクラスも違うし、特に室田と駒木に接点はない。
 しかし、室田はなぜか駒木に恨みを買っているらしい。
 しかも駒木だけではなく、この部屋にいる生徒達にも…。
 ・・・・・・わからない。
 室田がそう心の中で呟きながら、時任の両手を後ろで縛って口を塞ぐ。
 すると、時任に床に座るように言いながら、駒木はマイクを持って室田の前に立つ。そして、仲間の生徒達に時任と藤原を背後から木刀で狙わせながら取材を始めた。
 「今から取材を始めるけど、準備はいいかな?」
 「・・・・・・・」
 「では、返事はないようだが始めよう。取材の内容は、校内に流れているウワサについて…」
 「校内のウワサ? それは、まさか久保田…っ」
 「ははは…、それは違うよ。君が思っているウワサとはぜんぜん違う」
 「だったら、どんなウワサなんだ」
 室田がそう尋ねると、駒木は持っていたマイクを室田の口ではなく右目を隠すように近づける。それから、マイクの先を軽く押し付けると冷たい口調で、憎々しそうに室田の質問に答えた。
 「ウワサとは、君が松原君とつきあっているというウワサだ。そのウワサについて取材するために、僕は君をココへ呼んだんだよ」
 「なぜ、そんな事を…」
 「ウワサは本当なのかな?」
 「・・・・・・・・・」

 「松原君は…、君と付き合ってるのかな?」

 そう言った駒木の口調は柔らかいが…、どこか冷たくて棘がある。
 だが、室田はその冷たさを感じながらもマイクを手で軽く押し返すと、暗い駒木の瞳をじっと見つめ返した。
 「俺は…、松原とつきあっている」
 「・・・・本当に?」
 「本当だ」
 「きっかけは?」
 「体育館で朝錬をしていた時、二人で竹刀で打ち合っている最中に唐突に通じた…、今まで通じなかったのに…」
 「通じたって何が?」
 「・・・・・・想いが。 そして、ほぼ同時に俺と松原は告白した」
 「ドラマじゃあるまいし、そんな事はあり得ないし作り話だろう?」
 「作り話じゃない…、本当の事だ。だから、俺は松原とつきあっている」
 「・・・・・・・・」

 「俺は松原が…、好きだ…」

 そう告げた室田の声が、いつの間にか静かになっていた室内に響く。
 いつもは松原の話になると動揺して真っ赤になって平静ではいられなくなる室田だが、冷たい憎しみさえ宿していそうな駒木の瞳に何かを感じたのか…、今はハッキリとした口調で声で堂々と松原が好きだと言った。
 すると、駒木はマイクを持つ手を震わせながら室田を鋭く睨みつけ、周囲に居る他の生徒達も同じように室田を睨みつける。そして今回の首謀者である駒木が、あらためてマイクを室田の口元に近づけた。
 「では、このマイクの前で改めて証言してくれないかな」
 「証言?」
 「マイクに向かって松原君と付き合っていると、そう言うだけでいい」
 「本当にそう言えば、二人を解放するのか?」

 「・・・・・・・・もちろん」

 駒木がそう笑顔で返事すると、室田はすぅっと軽く息を吸い込んで事実を告げるために口を開こうとする。それは、ただ事実を告げて事が済むならと単純にそう思ったからなのだが、室田が事実だと告げようとした瞬間、室田と駒木の間に割って入るように灰色の煙が流れた。

 「新聞部で取材…、なるほどねぇ。これなら後で何を言われても取材だったとシラを切り通せるし、時任を縛ったのも室田で自分の手はまったく汚してないってワケね」

 流れてきた灰色の煙を視線で追うと、そこにはドアはカギをかけているはずなのに見慣れない人物が立っている。しかも、その人物は入り口のドアではなく反対側の窓の傍に立っていた。
 しかも、誰もその人物が入ってきたのに気づいていない。
 だが、室内にいた全員が驚いている中、一人だけ驚いていない人物がいる。
 それは、縛られて口を塞がれている時任だった…。
 時任がいきなり現れた人物の方を見るとその人物も時任の方を見て、二人は同じタイミングでニッと笑う。だが、ちょうどその頃、生徒会室にいた桂木がある事に気づいてこめかみをピクピクさせながら怒鳴っていた。

 「ちょっとっっ、出動の依頼が来てんのになんで誰もいなくなってんのよっ!!!帰って来たら、ただじゃおかないから覚えてなさいーーーっっ!! 」

 さっきまで生徒会室にいた…。
 だが、なぜか今は新聞部の窓辺に立っている。
 私立荒磯高等学校執行部所属…、三年五組、久保田誠人…。
 執行部員であるにも関わらず愛モクであるセッタをくわえた久保田は、のほほんとした様子で手に持っていた茶色の封筒を駒木に向かって投げる。すると、それを受け取って中身を見た駒木の顔が真っ青になった。
 「ど、どこからこんなモノ…っ、それよりもどうやってここに入ったんだっ!」
 「さぁ? どこからだろうねぇ?」
 「これは取材だし、周囲にも不審に思われなかったばすなのに…、なぜ…っ」
 「それはねぇ、生徒会室の窓辺で本読んでたら、なんとなく声が聞こえた気がしたから…」
 「声?」
 「時任の声」
 「そ、それだけで…っ」

 「それだけで十分…、でしょ?」

 久保田が自分で言った通り二階の生徒会室で窓を開けて本を読んでいると、時任の声が聞こえた気がしたから来たのだが…、
 ここから生徒会室までの距離を考えると、本当に聞こえたとは思えない。
 けれど、それでも久保田は気のせいだと本から上げた視線を元には戻さずに同じ室内にいた桂木にも気づかれないくらい素早く生徒会室から出た。そして見回りの順路をたどるように走りながら、通りかかった生徒に聞き込みをして新聞部にたどりついたのである。
 たどり着いて…、藤原と暴れている間、駒木達がドアを閉める隙に時任が開けておいた窓から中に入ってきたのだった。
 「室田と俺のウワサ…、自然発生したにしては広がりが早すぎるし、内容もずいぶんエスカレートしてるみたいだし? 何かありそーだったからウワサの発信源をたどってみたら、オタクにたどりついたってワケだけど」
 「・・・・っ!!!」
 「ウワサくらいたいしたコトないし、このまま何事もなければ使わずにすんだんだけどねぇ。コレって自業自得ってヤツ?」
 「こ、こんな写真はデタラメだっ、ニセモノだっ!!」

 「ねぇ? のぞきがシュミの松原潤ファンクラブの会長サン?」

 久保田が駒木に渡したのは、松原の自宅のバスルームをカメラ片手にのぞいている駒木の写真。なぜこんな写真を久保田が持っていたのかというと、副会長の橘と張るくらいモテる上に熱烈で過激なファンの多い松原と室田が付き合うようになってから、何か騒ぎが起こるのではないかと生徒会本部が警戒していたせいだった。
 騒ぎを起こしそうな人物が何人かリストアップされていたが、その中に駒木の名前も入っている。駒木は一年の時、同じクラスになった松原に一目惚れしていたが、告白をしようと思った事がなかった。
 それは松原が男女を問わず、告白してくる人間をことごとく振っていたせいである。そのため、松原は誰とも付き合わないのだと思った駒木はファンクラブを作って追っかけ…、ストーカーしてきたのだが…、
 ただの相方だと思っていた室田が、恋人に昇進したと知って逆上。
 二人を別れさせようとしてファンクラブのメンバーを絶対にシラを切り通せば大丈夫だと上手く口車に乗せ、今回の取材を計画したらしかった。
 取材した内容は記事にはせずに、松原や室田の家のポストに投函。
 そうすれば、自然に二人は反対した家族に引き離される…。
 そんな駒木達の企みを知った室田は、自分のうかつな行動に少し落ち込んだ様子でじっと駒木の持っているマイクを見つめた。

 「そうか…、深く考えてはいなかったが、そういう事もあり得るのだな…。お互いに好きでも一緒にいられない…、そういう事も…」

 沈んだ室田の声に、駒木が元気を取り戻す。そして、自分が覗きをしたりストーカーしたりしている写真を手で握りつぶすと、嫉妬に満ちた嫌な笑顔を浮かべて室田の肩を軽く叩いた。
 「そうだっ。松原の事を思うなら、今すぐに別れろっ! そうしなければ、松原が家族や世間に白い目で見られ、つらい大変な目に会うんだっ!!」
 「・・・・・・・だが」
 「松原が苦しんでもいいのかっ!?」
 「・・・・・・・・・」
 松原の入浴を覗いた不埒者を、この手で成敗してしまいたい。
 だが、駒木の言った言葉が胸に引っかかって、繰り出しかけた拳が途中で止まる。
 松原の事は好きだ…、誰よりも…。
 その背中をずっと守っていきたいと、守っていたいと想う。
 しかし、それは恋人ではなくても前の相方のままでもできる事…。
 松原を苦しめる事になるなら、多くは望まない…。
 共にあるだけで十分だ…。
 そう想った室田は…、駒木の思惑通りに別れを決心する。
 元々、想いが届くとは想ってはいなかった…。
 だから…、もう十分だ…。

 松原が好きだと言ってくれた…、それだけでもういい…。

 胸の中でそう呟く室田の姿を、久保田と時任が何も言わずに見守る。
 久保田が口に入れられたタオルを取ってやると、時任は何か言いたそうな顔をしたが…、それでも何も言わなかった。
 それほど広くない室内が、そんな室田の想いが満ちていくように静寂に包まれる。しかし、その哀しい静寂を…、決意を入り口のドアと一緒にやっと新聞部までたどりついた松原の木刀がブチ壊した。

 「室田…。まさかあんなヤツらの口車に乗って、僕と別れるなんて言うつもりじゃないですよね?」

 そう言った松原の顔は女のコのように、女の子よりもかなり可愛いせいか…、
 本気で怒るとかなり迫力があって怖い…。
 ただの木刀が鬼の棍棒に見えるくらい怖い…っ。
 全身から怒りのオーラを漂わせている松原を見た駒木やファンクラブの面々は、その場でガチガチに凍りつき、室田の背筋にも冷たいモノが走る。しかし、室田は冷汗をかきながらも松原に自分の想いを告げた。
 「ま、松原…」
 「なんですか?」
 「俺はもう十分だ」
 「十分って、何がです?」
 「松原が俺を好きだと言ってくれた…、そして俺も伝える事ができた…」
 「・・・・・・・」

 「それだけで、もういい…」

 室田はそう言うと、少しうつむいて微笑む…。
 それでいいと…、本当にもういいと微笑みがそう告げていた。
 だが、そんな室田を松原が不機嫌そうな顔でジロリと睨みつける。そして、手を伸ばして高い位置にある室田の襟元を掴むと、ぐいっと背の低い自分の方へと引き寄せた。

 「好きだと言って好きだと言われて…っ、それで終わりと言われて納得できると思っているのかっ! 好きな相手に好きだと言ったからといって、それで終わりだなどとふざけるなっ!! 好きだと言ったら好きだと言われたら…、それが始まりだろうっ!!!」

 好きだと言って、好きだと言われてから…、
 お互いに照れてばかりで、まだ手も繋いだこともない。だが、まだ手も繋いでいないのに、考えていた順番をすっ飛ばして室田は松原にキスされていた。
 初めて触れた唇は柔らかくて…、くすぐったい…。キスしてすぐに離れていく松原の唇を、室田は信じられない気持ちでぼーっと見つめた。

 「松原…」
 「好きです…、室田」

 少し赤くなりながら松原が、室田に向かって二度目の告白をする。
 すると、松原よりも更に赤くなりながら、室田が俺もだと答えた。
 そして、そんな二人を間近で見てしまった駒木は、ショックのあまり口をぽかーんと開けたまま真っ白になる。
 だが、その後の松原の一言で…、久保田を除いた全員が真っ白になった。

 「あ…、そう言えば初めての時は痛いそうですから頑張ってくださいね、室田」

 なにぃぃぃぃぃぃっ!!!!!

 久保田を除いた全員が、頭を抱えて心の中で絶叫する。
 体格的に考えれば松原だが…っ、しかし…っっ
 ニコニコと楽しそうに室田に向かってそう言った松原はキスして調子づいたのか、なんとなくヤる気満々のように見える。気の毒な室田はさっきまで赤くなっていたのに、今度は顔が青を通り越して白くなっていた。
 「い、痛いって何が痛いんだっっ」
 「そう焦らなくても、すぐにわかりますよ」
 「お、俺は焦ってはいないぞっっ。こういう事はもっとゆっくりと考えて…、だな…っ」
 「さて、公務もそろそろ終る時間なので帰りましょうか?」
 「ちょ、ちょっと待・・・・・っっ!!!」
 「帰る道すがら、色々と話したいこともありますしね…」
 
 「ぎゃあぁぁぁっ!!!助けてくれぇぇぇーーっ!!!」

 松原に引きずられるようにして、帰っていく室田の絶叫が廊下に響き渡る。
 すると、そんな二人を見送りながら久保田が時任を肩に担いだ。
 実は時任は口からタオルを取られただけで、手と足の縄はほどかれていない。
 そのため、時任は肩に担がれてしまっても、降りる事も抵抗する事ができなかった。
 「な、なんでっ、縄ほどかねぇんだよっ!! 解けば一人で歩けるしっ!!」
 「うーん、なんとなくね」
 「…って、なにがだよっ!」
 「俺らも負けてられないなぁって想って…」
 「ま、負けるって、俺様はいつも通り天才で美少年だしっ、別になにも負けてねぇだろっ!!」
 「じゃ、負けてない俺らは痛いコトじゃなくて、気持ちいいコトしにいこっか?」
 「そ、そんなコトしなくていいっ!!!」
 「遠慮しなくていいのに、ねぇ?」
 「とかって、別に遠慮なんかしてねぇっつーのっ!!」
 「じゃ俺らは帰りますんで、あとはテキトーにヨロシク〜」

 「うわぁぁぁっ、おーろーせぇぇぇ!! 俺は荷物じゃねぇっっ!!!」

 校内に時任と室田の絶叫が木霊し、そんな二人の叫び声を出動を終えて生徒会室に戻ってきた桂木が聞いてため息をつく。すると、そんな桂木の前に用事があって職員室に行っていた相浦がお茶を入れて置いた。
 「あら、ありがと…。相変わらず気が利くわね」
 「そう言えば、さっきから聞こえてる叫び声…。時任と室田だよな?」
 「そうらしいわね。まったくっ、いつもロクな事しないんだから…っ」
 「じゃあさ、せっかくだから二人の絶叫を聞きながら、見回りのコンビを代えた感想を一言どうぞ」
 「…暑さが倍増」
 「はははは…」
 「少々暑くてもガマンして、コンビは現状のままがいいってコトね。コンビを代えたらいざって時にいなくて、役に立たないしっ」
 「ま、健康には暑いくらいが丁度いいってコトなんだろ」

 「ちょっと納得いかないけど、そうかもしれないわね」
 
 そんな風に話しながら、桂木と相浦が顔を見合わせて笑う。
 実はそんな二人もまだ暑くはないが、ひそかに暑くなりかけの空気を発生していたが本人達は気づいていなかった。
 そのためバカップルがいなくても、執行部はいつでも暑い。
 そんな感じで執行部は、今日も明日もあさっても正義と愛に燃えながら…、
 荒磯高等学校の校内の治安を守っていた。




 「うわぁぁぁんっ!!! 誰か僕の縄をほどいてくださいぃぃぃぃっ!!」




 たった一人を除いては…だが…。




                                             2006.4.22


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