街を歩いてると、たくさんのヒトとすれ違う。
 オトナとかコドモとか…、いろいろとたくさん…。
 ヒトがいっぱいいるから街っていうんだろうけど、なにかにつまづいたみたいに立ち止まったりすると…、
 こんなにヒトがいっぱいなのに、一人きりみたいな気がすることがあった。
 だから、隣りを歩いてた久保ちゃんの袖をぐっと引っぱると、久保ちゃんは立ち止まって俺の方をゆっくりと振り返る。

 どうかしたのかって、俺の名前を呼びながら…。

 べつにそんな錯覚をカンジても、ちゃんと一人じゃないって知ってるし、高すぎるビルの谷間から見える小さい空を眺めても不安になんかならないけど、久保ちゃんの瞳が俺を見て声が名前を呼ぶのを聞くと、いつもすぅっとカラダから力が抜けていく。
 でも、逆に袖をにぎりしめてる手には、さっきよりも力が入ってた。
 なんでだろうって想ってるのに…、右手が離せない。
 だけど、俺が袖をにぎりしめたままでなんでもないって言うと、久保ちゃんは小さくうなづいてポンッと軽く俺の頭を叩いて歩き始めた。
 一緒に暮らしてるマンションに向かって…。
 だから、このまま歩き続けていればウチに帰れる。
 なのに目の前のバス停にバスが止まると、俺は久保ちゃんの袖を引いて行く先も確かめずにバスに乗り込んだ。
 
 ただワケもなく…、突然に…。

 けど、久保ちゃんはどこへ行くかも聞かずにバスに乗って、黙って俺の席の隣りに座る。俺らの乗ったバスは、マンションとは逆の方向に走り出したのに…。
 だから俺も何も言わずに、そのまま走り出したバスの振動に揺られた。
 久保ちゃんの袖を掴んでままで、じっと流れてく灰色の街並みと…、そこを歩いてくヒトの波を眺めながら…。
 そうしてたら、二人で座ったバスの座席はウチにあるソファーよりも狭かったから、バスがユラユラ揺れるとその波に押されて、俺の頭が久保ちゃんの肩にぶつかった。

 コツン…、コツン…と、まるでドアをノックするみたいに…。

 ちょっとの間だけ、ぶつからないようにカラダに力を入れてたけど、今度は久保ちゃんの頭がコツンと俺の肩にぶつかってきて…、
 そこから、暖かい体温と重さと…、ゆっくりとした呼吸音が伝わってきた。
 それがまるで眠った時みたいなカンジだったから、気になってそっと隣りを見てみると、久保ちゃんは俺に寄りかかって目を閉じてる。どこに行くかもわからないのに…、窓の景色もバスの料金表示も見る気とかないみたいだった。

 「…ったく、不眠症なクセにこんな時ばっか寝てんじゃねぇよ」

 俺がそう言って久保ちゃんの頭にコツンと頭を寄せて目を閉じると、袖を掴んでた手をゴツゴツした手が上から握ってくる…。そうされて始めて、俺は手が白くなるくらいにすごく力が入ってたコトに気づいたけど、
 そのワケは、行く先のわからないバスに揺られてもやっぱりわからない。
 けど、バスが七つ目の角を曲がった頃には…、袖を握りしめてたはずの手はいつの間にか袖じゃなくて…、

 ・・・・・・・久保ちゃんの手を握りしめてた。

 行き先のわからないバスから、またその先へと続くバスに乗りかえて…、
 そして二人で狭い座席に座って…、ユラユラと揺られ続けて…、
 俺らは言葉も交わさずに、ただ行く当てもなく灰色の街を抜け出そうとしていた。
 
 なぜなんて…、考えもせずに…。

 けど…、灰色の街を抜けた頃には暗くなって…、
 抜け出したばすなのに、そんな気分にはならなかった。
 行き着いた先の終点でバスを降りたら、ホントになんにもなくて…、
 街だけじゃなくて、どこを見回しても明りが一つも見えない。
 陽が沈んだらどこにいても夜は来るけど、本当の暗闇の中に立って始めて夜が暗いんだってコトを始めて知った気がした。
 空には星もなにもなくて、風に吹かれて木がザワザワしてるのが聞こえる。
 もしかしたら…、思ったより遠くになんて来てないのかもしれないけど、風にホコリが混じってなくて匂いも違ってたから、どこか遠い遠い場所まで来たカンジがした。
 俺の隣りで同じ風に吹かれてた久保ちゃんは、バスに乗ってから始めて口を開くと、
 「ココからは歩きしかないけど…、どうしよっか?」
って言って、何も見えない空を見上げる。
 でも、どうしようって言ってるのに、空を見上げた久保ちゃんはなぜか楽しそうに見えた。

 「なんで、どうしようじゃなくてドコに行くのかって聞かねぇんだよっ」
 「聞いて欲しい?」
 「…って、あのなぁ」
 「ま、べつにいんでない? 目的地はドコでも…」
 「ドコでもって、こんな真っ暗でなーんにもないトコでも?」
 「うん」
 「なんで?」
 「さぁねぇ?」
 「・・・・・・」
 「時任?」

 「・・・・・ちゃんと、答えてくれないと帰らない」

 そんな風に言ってても、帰りたくないなんて想ったコトなんかない…。
 だから、帰れないと困るのは俺の方なのに、帰らないって言うと困ったカオをしたのは久保ちゃんの方で…、
 空から俺の方に視線を移すと、久保ちゃんは着てた黒いコートを開いて…、その中に包むみたいにして俺を抱きしめた。

 「ドコでもいいのは、ドコにいても同じだから…」
 「でも、ココにはコンビニもウチもなんもねぇじゃん」
 「うん…。けど、ドコでも住めないってコトはないっしょ」
 「それは、そうかもしんねぇけどさ…。新発売のお菓子も買えねぇし、セッタ売ってる場所まですっげぇ時間かかるかもしれないし…」
 「ん〜、禁煙の方は難しいかもしれないけど、それでも十分だしね」
 「十分って、なにが?」

 「バスに乗る時、ちゃんと俺の袖を引っ張ってくれてて…、それだけで十分だから…」

 そう言った久保ちゃんの声を聞きながら強く強く抱きしめられてると、冷たい風に当たってたカラダが…、ココロと一緒にあったかくなって…。だから、握りしめた手が離せないのは、二人でいるってことがこんなにもあったかいからかもしれなかった。
 どんなにたくさんの人の中に紛れても、名前を呼んでくれて手をこっちに向かって伸ばしてくれる…。
 だからいつも…、その手を握りしめて一人じゃないってコトを確かめてた。
 呼んでくれた分よりも、もっともっとたくさん名前を呼んで…。

 伸ばしてくれた手よりも、もっともっと手を伸ばしながら…。

 いつも…、どんな時でも…、大切なモノは握りしめた手のひらの中にある。
 久保ちゃんと俺の手のひらと…、抱きしめ合ってる腕の中に…。
 それをカンジながら明日の朝六時までバスの来ないバス停の横に座り込むと、俺は久保ちゃんの胸に背中をあずけて、また暗い空を見上げた。
 
 「次のバスが来るまでどんくらい?」
 「ん〜、あと七時間くらい?」
 「げっ…」
 「じゃ、歩く?」
 「イヤ」
 「だったら、待つしかないっしょ?」
 「うぅ…、なんかハラ減ったっ」
 「ウチに帰ったら、昨日のカレーがあるけど?」
 「この際、ぜいたくは言わねぇから、今すぐ食いたいっ」
 「・・・って、こんなコンビニも民家もない場所にいるのって、誰のせいだったっけ?」
 「ぐっ…」
 「コレあげるから、朝までガマンしなね?」
 「えっ?」

 「ほら、口あけて?」

 久保ちゃんに言われて口を開けると、甘いモノが中に入ってきた。入ってきた瞬間はその甘いモノが思ったけど、舌で転がすとイチゴのアメ玉だってすぐにわかる。
 でも、アメ玉を何個持ってんのかって聞いたら俺にくれた一つきりで、久保ちゃんの分はなかった。
 だから、俺は歯でアメ玉を半分に割って…、それから後ろを振り返った。

 「しょうがねぇから、半分やる…」

 半分に割ったアメ玉を、キスする要領で久保ちゃんの口の中に押し込む。そうしてからすぐに離れようとしたけど、離れようとするたびに唇が追いかけてきて…、
 イチゴ味のするキスは…、いつまでたっても終わらない…。
 けど、キスしてる内に久保ちゃんが追いかけてくるのか、俺が追いかけてるのかわからなくなった。
 キスして…、何回も数え切れないくらいキスして…。
 それから、アメ玉がなくなってからやっと唇を離して、抱きしめ合ったままどちらからともなく目を閉じる。
 そして、まだ夜が明けなくて暗くて帰れないけど…、こうしてこのままでいられるなら明けなくてもいいかもって…、
 そんな風に想いかけてたココロに向かって首を横に振ってから…、俺は明けていく空の下でオハヨウを言うために…、

 ・・・・久保ちゃんにオヤスミを言った。

                                   『明けていく空 1 』 2003.10.15更新

 2 へ
*WA部屋へ*