残照.15




 久保田は過去、出雲会に居た事がある。
 WAを追っている、出雲会に・・・。
 所属していたのは何か事情があるからなのか、それともないのか…、
 久保田から、そんな話を聞いた事がない時任には何もわからない。
 そして・・・・、今、なぜ久保田が出雲会代行である真田と一緒に居るのかも…、
 何もかもわからなくて戸惑い、目の前に並べられた嫌な情報と符号に、激しくなる胸の鼓動が止まらなくて張り裂けそうになる。そんな事は信じないと心の中で叫びながらも、嫌な想像ばかりが頭を過ぎって…、迫ってくる月島の顔がわずかに滲んで見えた…。
 
 「好きだよ…、久保田君なんかよりも、ずっと僕は君を想ってる…。だから、僕の所へ来てよ…」

 落ちてくる月島の言葉と唇…。
 コンビニで話していた時の楽しそうな様子が脳裏に浮かんで、握りしめたまま動かせない右手。好きだと言われても、ずっと想っていると告げられても、心は久保田の方を向いたまま動かないのに、なぜか身体まで動かない。
 信じられない事ばかりが、目の前にあって…、
 頭の中が真っ白になって…、何もかもが良くわからなくなって…、
 けれど、月島の唇が触れかけた瞬間に、頭の中で何かが弾けた。

 ・・・・・・・時任。

 白く染まった世界を、打ち壊したのはここには居ないはずの久保田の声。
 そして、その声と一緒に流れた一つではなくて、とてもたくさんの景色。
 まるで、走馬灯のように流れた景色の中には、必ず久保田が居て…、
 微笑みながら、時にはぼんやりとしながら…、
 そして、いつものようにのほほんと時任を見つめていた。
 それは何でもない日常の、いつもの普通の光景で…、
 でも・・・、それが時任の持っている唯一のものだった。
 帰れる場所も行きたい場所も、そこにしかない。
 記憶もなく、行く場所も帰る場所もなく、裏路地で命さえ失いかけていた時任が握りしめる事のできた…、大切なもの…。それを流れ行く景色の中に感じた時、時任は近づいた月島の顔と身体を両手で押し返していた。
 「・・・・・・・悪いけど、お前んトコには行けない」
 月島の告白に、そう返事しながら、ここ数日の事を思い返す。
 マンションに久保田を残したまま、コンビニで月島と話し…、
 不安になるどころか、ほっと息をついていた時の事を…。
 すると、冷たい月島の手が時任の首に触れた。

 「暴力団にも居た事のある犯罪者と一緒に居たって、良い事なんか一つもないよ。僕と居た方が何倍もマシだし、その方が良いに決まってる」

 冷たく言い放たれた月島の言葉に、時任は答えない。
 久保田の事を犯罪者だと…、そう言った月島を怒りもせずに…、
 静かに首に触れた手を左手で外し、月島の身体を押しのけて上半身を起こした。
 「久保ちゃんが犯罪者だったとしても、他の何かだったとしても、離れる理由にはなんねぇよ。確かに俺の知らないコトはいっぱいあるけどさ…、離れるよりも一緒に悩んだり苦しんだりして、その方が何倍もいいに決まってる」
 「ど、どうして、そんな理屈になるんだよっ!」
 「・・・・・・・好きだから」
 「え?」
 「好きだから、俺がそうしたいんだ…。久保ちゃんでも他の誰でもない、俺がそう決めたから…、俺は久保ちゃんと一緒にいる。これから先のコトは何も見えねぇし、わかんねぇけど、一個だけ決まってて言えるコトがあるとしたら・・・・、俺はずっと久保ちゃんのそばにいるって…」
 「・・・・・・・」

 「ただ、それだけだ…」

 失くした記憶は取り戻したい。
 けれど、大切なものは失われたものではなくて…、今、そばにあるもの。何があっても、どんな事が起こっても、絶対に離したくないセッタの匂いの染みこんだ手のひらと指先…。
 たとえ出雲会と関わりがあったとしても、それが離れる理由になりはしない。何やってんだって殴るコトはあったとしても、久保田と暮らす日々の温かさを偽りだと疑った事は一度もない…。
 二人きりの…、あの小さな世界を…。
 失う事を恐れても、離したいと思った事はなかった。
 だから・・・、じっと見つめてると逆に消えてしまいそうで怖くて…、
 なのに、大好きだから大切すぎるから、じっと見つめ続けるのをやめられなくて…、
 コンビニで月島と話す時間で、不安を気を紛らわせていた。

 「逃げないつもりが逃げてたんだな…、マジでダメじゃん…。ホント…、なんか自分で思ってたより好きみたいでさ…、俺ばっか好きみたいで泣きてぇよ…。なーんて、こんなコトでこの俺様が泣くわきゃねぇだろ…、久保ちゃんのバーカ」

 久保田の乗った車はホテルの地下駐車場にあって、時任の声は届いていない。時任の切ない想いは、かつて久保田の通っていた中学の教室に響いて…、それを聞いていた月島の顔を歪ませる。
 けれど、月島の顔を歪ませたのは哀しみではなかった。
 哀しみではなく憎しみに似た何かで顔を歪ませて、月島が再び時任の細い首に手を伸ばす。そして、今度は月島の唇が顔でなく…、首筋に近づき…、
 口付けるのではなく、消えない痕跡を残すように歯を立てた。
 「・・・・・っ!!!」
 いきなりの月島の行動に、時任が顔をしかめる。けれど、次の瞬間には時任の左手が月島の頬を打ち、今度は時任ではなく月島が打たれた痛みに顔をしかめたが…、なぜか首筋に噛み付いた口元だけは笑っていた。
 「この跡…、久保田君が見たら、大変な事になるかもしれないね」
 そう言いながら、月島は再び時任に襲いかかる。そして、決して右手を使わず左手だけで抵抗する時任を、口元に笑みを浮かべ犯そうとした。
 叩かれても殴られても、唇が切れて血が滲んでも…、
 ただ、口元に笑みを浮かべて、好きなんだと偽りの言葉を囁いて…、
 自分を受け入れようとしない時任のジーパンに手をかける。
 けれど、その隙をついて繰り出された時任の蹴りによって、月島の欲望は阻止された。

 「マジでやめろつってんだろっっ!! 今度、こんなコトしたら、ただじゃおかねぇからなっ!!」

 やっと受信された車の無線と教室に響く、時任の声…。
 時任の蹴りによって吹っ飛ばされた月島は、教室の後ろにあるロッカーにぶつかり倒れる。すると、時任は大丈夫か…といつもと変わらない調子で声をかけながら、倒れて動かない月島の前にしゃがみ込んだ。
 「コンビニでお前と話すのは、なんか楽しかった…。そういう友達とかいねぇし、だから、すっげうれしかったんだ…、お前と話すの。けど、さっきみたいなコトしたいと思ったコトねぇし、そういう好きじゃない。それにホントはお前だって…、そうなんだろ?」
 「・・・・・・違う」
 「俺のコト好きだって言いながら、さっきから話してんのは久保ちゃんのコトばっかで…。お前が言うコト聞いてっと、まるで久保ちゃんのそばに俺がいるのがイヤだって…、そう言ってるようにしか聞こえねぇ…」
 「・・・・・・・」
 時任の言葉に、月島は倒れたまま黙り込み答えない。
 じっと何かに耐えるように唇を引き結び、硬く拳を握りしめていた。
 けれど、時任はそれを見ずに窓の視線を向ける。
 そして、青空の下に広がる明るく綺麗な景色に目を細めた。

 「こんな晴れた日に、こんなトコで何やってんだろうな…、俺もお前も…」

 月島は過去、久保田に助けられ…、そして見捨てられた。
 なぜ、そんな事になってしまったのか、その時の状況を見ていない時任には…、何があったのか良くわからない。そして、月島がその事を恨んでいるのか、もっと別な感情を抱いているのかもわからない…。
 けれど、今はその事をゆっくりと考えている余裕はなさそうだった。
 いつの間にか校舎内に入り込んだ不穏な気配が、時任と月島のいる教室に向かって来ている。それを感じた時任は急いで手を伸ばし、月島を立たせようとしたが逆に突き飛ばし…、その瞬間に二人の間を飛び、銃弾がめり込んだ床に小さな傷を作った。
 「いつから…、そこに居やがった」
 時任の低い声は、窓でもドアではもなく…、天井に向って問いかける。天井のわずかな隙間から見える銃口からは、今、発射した事を示すように硝煙が上がっていた。
 耳の良い時任が撃たれるまで気づかなかったという事は、始めから教室に潜んでいたのか…、それとも時任に気配を読ませないほどの手錬れか…。いずれにせよ、この場から月島を連れて逃げるのは不可能に近い。
 しかも、さっきの銃弾は時任ではなく、月島を狙っていた。
 武器になる物と言えば、周囲にある机やイスだが…、
 教室に向かって来ている気配は、もうすぐそこまで迫って来ている。
 窓から飛び降りたとしても、ここは三階・・・・。
 時任はチラリと、未だに倒れたままでいる月島を見る。一人なら逃げられる可能性は高くなるし、さっき襲われたのも事実だったが…、置いて行く事など、少しも考えたりしなかった。

 「月島・・・、いつまでも転がってないで自力で立てよ。他の誰でもない自分を、自分自身を助けたいと思うなら自分の足で立って走れ…、フォローは俺がしてやるから…」

 そう言って強く拳を握りしめたのは、左手ではなく黒い皮手袋をはめた右手。
 そこには過去と・・・・、失くした痛みが詰まっている。
 けれど、その手で掴むのは、大切な人の手と二人で生きる今…。
 何者かの手が教室のドアを開けた瞬間、時任の右手が近くにあった机を掴む。
 だが、月島は倒れたまま、立ち上がろうとはしなかった。

 「何やってんだっ、月島ーーっ!!!」

 時任の叫び声が響き、黒服を着た男達が教室に踏み込んでくる。
 男達の手にも拳銃が握られているのを見た時任は、ちぃ…っと短く舌打ちして、倒れたままでいる月島の襟首を掴んだ。
 左右と上と道をふさがれ、残る逃げ道は窓のみ。下に木か芝生か何かがある事を祈りながら、時任は月島を抱えて三階の窓から飛び降りようとした。
 だが、入ってきた黒服の男の口から漏れた言葉が、時任を引き止める。
 黒服の男達の正体は、久保田が所属していたという出雲会の組員だった。

 「その小僧を我々に渡せ。そうすれば、お前は帰ってもいいぞ」

 そう言って出雲会の男が指差したのは…、時任ではなく月島。
 予想外の言葉に、時任はわずかに目を見開いた。けれど、男の言葉を聞いても月島の方は相変わらず、ぐったりとしたまま動かない。
 自分の足で立とうともしない。
 時任はそんな月島を庇うように前に出ると、黒服の男を睨みつけた。
 「もしも渡したら…、コイツをどうするつもりだ?」
 そう時任が問いかけると、男は淡々と信じられないセリフを喋る。そして、握りしめた拳銃の銃口を、前に立ちふさがる時任とその後ろに倒れている月島に向けた。
 「どうするかを決めるのは、俺ではない。決めるのは久保田だ…」
 「くぼ…、ちゃん?」
 「久保田を襲った犯人は、お前の後ろにいる小僧だ。だから、俺達はそいつを連れてくるように命じられた」
 「そんなウソを言っても…」
 「本当だ。久保田は出雲会に復帰し、今、真田代行と一緒にいる」
 「・・・・・・・・・じゃあ、アンタは久保ちゃんの居場所を知ってるんだな?」
 睨み合う目と目…。
 緊張し張り詰めていく空気…。
 また目の前に嫌な情報と符号を目の前に並べられ、今は逃げ道すらない。
 けれど、時任の顔に浮かんだのは、戸惑いでも恐怖でもなかった。
 
 「コイツを渡す気はない」

 強気な時任らしい表情でそうハッキリと宣言すると、上から狙いを定めている銃口が、時任の左肩辺りに向けられる。張り詰めていた空気が、更に張り詰め不穏な空気に変わり…、その空気が銃声によって切り裂かれかけた…。
 だが、次に放たれた一言で空気は切り裂かれず、引き金を引きかけた指が止まった。

 「けど、それでもコイツを連れてくって言うなら、俺も一緒に連れて行け…、久保ちゃんのトコへ…。そろそろ帰らねぇと、晩メシの支度に遅れっからな」

 ついさっきまで、目の前に並べられる嫌な符号に嫌な情報に戸惑い…、
 自分の中で勝手に大きくなっていく想像に、胸が苦しくなっていた。
 でも、マンションで暮らす日々の中に、久保田の居る景色の中に確かなぬくもりを見つけた、今の時任は何を言われても何を並べられても…、
 ただ、久保田と一緒に早く帰りたいと、そう思うだけで…。
 絶対に失いたくないと…、絶対に守ってみせると…、

 そう心に誓い・・・・、前に足を踏み出すだけ…。

 けれど、そんな時任の背中を、未だ自分の足で立とうともせず倒れたまま…、
 口元に笑みを浮かべて、月島が見つめていたのを…、
 時任は気づいていなかった。
 


                  前   へ             次    へ