残照.14




 「只今、ホテルの地下駐車場の電波の届かない場所にイマース。御用のおありの方は、ピーっという修正音と共に、放送禁止用語をドウゾ」

 そんなセリフを薄暗い地下駐車場で棒読みしたのは久保田誠人で、その横で珍しく小さく息を吐いたのが出雲会代行の真田。そして、久保田と真田の間にちょこんと座り、ワンと鳴いたのは真田の飼い犬のアーク。
 どうやら、アークは主人である真田を守っているつもりらしいが、実際は真田ではなく久保田を守る形になっている。なぜ、そんな事になってしまっているのか…、その理由は今よりも少し前…。
 真田の手が、久保田に向かって伸びた瞬間に遡る。その瞬間、時任を人質に取られ、身動きの取れない久保田は、伸びてきた真田の手を受け入れた様に見えたが…、
 次の瞬間に久保田の取った行動は、真田の予想していたものとは違っていた。
 
 「前に言いませんでしたっけ…、俺って命令されるの嫌いなんですよね」

 その言葉と共に、真田に向けられたのは久保田の拳。
 だが、繰り出された久保田の拳は、真田ではなく足元で控えていたアークによって阻まれる。久保田の腕に噛み付いたアークは、唸り声をあげながら久保田を威嚇した。
 「ホント…、お前って犬だねぇって、当たり前か」
 アークに噛み付かれたまま、久保田は眉一つ動かさない。
 そんな久保田を見た真田は、ふーっと息を吐いた後、アークに放せと指示を出す。そして、自分を守るように自分と久保田との間に座ったアークの頭を撫でながら、「痛くないのかね…」と少し飽きれたように言った。
 「一応、痛いですけど?」
 「実際はアークの牙だけで済んだ訳だが…、こんな事をすれば身体に風穴が開くとは、思わなかったのかね?」
 「さぁ?」
 アークに噛まれた腕に左手で軽く触れて、久保田はそう言って軽く肩をすくめる。
 すると、真田は懐から拳銃を取り出し、銃口を久保田に向けた。
 「冗談で…、言っている訳ではないのだよ」
 自分の言った事は、ただの例えではない。
 それを示すために、真田は拳銃を抜いて見せている。
 撃つ気はないようだが、アークが久保田の腕を噛まなかったら、身体のどこかに一発くらいは食らっていたかもしれなかった。
 けれど、久保田は相変わらず眉一つ動かさずに、「でしょうね」と答える。そして、雑音ばかりで時任の声が聞こえない無線を見つめた。

 「・・・・・・惜しかったなぁ」

 そんな久保田のセリフを聞きながら、真田が銃口を下へと降ろす。
 そして、懐に拳銃を納めながら、久保田の横顔を興味深そうに眺めた。
 「自分が死ねば、危険は変わらなくとも飼い猫につけた鎖は外せると…。自分が足枷になる事はないとでも思ったのかね?」
 今の状況は久保田の側から見ると、時任を人質に取られ…、
 時任の側から見ると…、久保田を人質に取られている。
 つまり、お互いがお互いの人質になり、そんな状況に追い込まれつつあるのを示唆するように真田がそう言う。すると、久保田は目を細めて、唇に薄い笑みを浮かべた。
 「なら、試しに撃ってみます? 俺の拳と真田サンが引き金引くのと…、どっちが早いか」
 「拳銃は一丁ではないよ」
 「あぁ、運転手サン」
 「それでも、やるかね?」
 「勝率の低い勝負じゃないんで…、あとは運任せで」
 「・・・・・・・・・・」
 銃口を向けても、拳銃が二丁ある事を示しても…、あくまで引かない。
 久保田の唇に浮かんだ笑みは代打ちで麻雀を…、大金どころか命さえ賭けられているかもしれない牌を打つ時の笑みに似ている。そんな時の久保田は、いつも以上に強運を味方につけ…、化け物じみて強かった。
 「・・・・いや、止めておこう。私は楽しみは後に取っておくタイプでね」
 状況は真田の方が完全に有利だが、それでも久保田が真田の足元に跪く事はない。けれど、そんな久保田に対して、真田はますます興味を持ったようだった。
 そして、それから現在までの間、真田は飽きる事なく、まとわり付くように執拗に久保田を見つめ、そんな二人の間で、アークが少し戸惑った様子で久保田の様子を伺っている。
 久保田の視線は…、無線機へ…、
 真田とアークの視線は、無線機を見つめる久保田へ…。
 その頃、途切れた無線機の向こう側では、自分の知らなかった事実を聞かされた時任の頬に、月島の手が触れていた。

 「儚い灯火のような命しか持たぬ人と人との関係など、利害が一致していなければ瞬きするほどの間に脆く簡単に崩れてしまうものだ。そこにどんな感情が存在していようとも、人間というのは求めれば与えられ、求められれば与える事により関係を保っている事に変わりはない…。君は彼に何を与え、何を求めるつもりでいるのかね?」
 
 運転席に座っている男に、駐車場から出るように手と視線で合図を送りながら、久保田に向かって真田がそう言う。しかし、何もせずに入った駐車場から出た訳ではなく、真田と久保田の乗った車のナンバープレートは、横に停めてあった同じ車種の黒塗りの車の物と付け替えられていた。
 そして、おそらく横に停めてあった車から降りた真田と久保田に背格好の良く似た二人の男が、ホテルの一室に偽名でチェックインしたに違いない。
 偽の情報を流すために…、
 その情報を、時任の耳に入れるために…。
 なぜ、そんな事をする必要があるのかは、今までの真田の言葉を聞いていれば簡単にわかる。だが、じっと久保田の反応を眺めている真田は、真剣にそうしている訳ではなく、まるでゲームか何かを楽しんでいるように見えた。

 「・・・・・・・別に何も」

 少し間を置いて、真田の問いかけに久保田が答える。
 すると、真田は得たいの知れない何かを含んだような、嫌な笑みを浮かべ…、
 久保田の胸の奥底に眠る感情を引きずり出そうとするかのように、また違う質問を久保田にした。
 「私と君が一緒にいるコトを知ったら、君の猫はどうすると思うかね?」
 「さぁ? 本人じゃないんで…」
 「しかし、想像するのは難しくないだろう? 飼い主である君ならば…。どの程度、自分の事を話しているのかは知らないが、半年とはいえ私の元に居た事実は変わりない。そんな君と私が一緒にいれば…、疑いは自然と生まれて来る」
 「居たのは真田サンのトコ…じゃなくて、出雲会ですけどね」
 「同じ事だろう?」
 「真田サンって、組長でしたっけ?」
 「今は違うが、そう遠くない未来だと…、理解してもらえるとうれしいがね」
 「将来を誓い合った相手としか、未来の話はしない主義なんで」
 「くくく…、やはり君は面白い」
 「別に面白がられるようなコト、言った覚えないんだけどなぁ」
 二人の間で交わされるのは、実りの無い不毛な会話のみ。駐車場から出でも、無線からは雑音ばかりが流れ…、一向に時任の声は聞こえて来ない。
 真田の話には眉一つ動かさなかった久保田だが、それに気づき…、わずかに表情を曇らせる。時任の存在を盾にして、久保田を懐柔する気でいる真田は、危害を加えるつもりはないように見えた。
 けれど、今、時任の傍にいるのは真田ではない。
 久保田は自分と真田の間にいる、アークの黒い瞳をじっと見つめた。

 ・・・・・・・・ゴメンね。

 犬は犬であるが故に、主人に忠実なのか…、
 それとも、抱く感情と想いの深さ故に、主人を守り続けるのか…、
 アークの黒い瞳からは、そのどちらなのか読み取る事はできない。しかし、久保田が真田を害そうとするなら、アークは久保田に向かって牙を剥くだろう。
 口には出さずに告げた謝罪の言葉を、見つめる久保田の瞳から感じ取ったのか、アークは姿勢を低くし…、主人を守るために構えた。
 だが、アークの主人である真田は、そんな状況を知っているのか、いないのか、久保田との話を続ける。表面上は穏やかに、内側では緊張の糸を紡ぎながら…。
 けれど、次に開いた真田の口から出た話は、久保田でも時任の事でもなかった。
 「そう言えば、つい最近の事だがね。君のマンションから、それほど離れていない場所で懐かしい人物に会った…。その人物と初めて会ったのは、数年前だが…、相変わらずのようでね。息を切らせて走りながら、手に鉄パイプを持っていたよ」
 久保田のマンションの近く…、鉄パイプ…。
 真田が会ったという懐かしい人物は、なぜか久保田を後ろから殴った犯人像と重なる。しかも、いかにも不審な様子であるにも関わらず、真田は相変わらずだと言った。
 数年前に始めて会った時から、変わっていないと…。
 そして、鉄パイプを持っていたという真田の知人は、何かから逃げるように走りたどり着いた先に…、黒い犬を待たせていた。
 「初めて会った時、彼は彼の犬をけしかしけ野良猫を玩んでいた。彼の命令に忠実に従う犬の姿は、それはそれは残酷で美しかったものだ…。その時、妙に彼の犬が気に入ってね、彼が犬を貰ったという人物に、同じ黒い犬を…、彼の犬の兄弟を貰い受けたのだよ」
 「ふーん…、つまり犬繋がりってワケ?」
 「別に繋がってはいない、会った回数も偶然でただの二度だけだ。その証拠に彼を調べても、何も出てこなかっただろう?」
 「・・・・・・・・」
 「彼は私が何者なのかを知らないし、ただ復讐したい相手がいるというので、簡単にアドバイスをしただけにすぎない。君自身に攻撃するよりも、もっと効果的な方法があるとね」
 「無線を持つっていう条件で付きで?」
 「弄んだ後、哀れな飼い猫を引き渡すという条件付きで」
 「・・・・・・・・・」
 「安心したまえ、護衛は付けてある。何かあれば、心臓に風穴が開くのは猫ではなく、彼の方だよ。君の飼い猫は無事だ」
 真田はそう言った後、命以外の保障はしないがね…と付け加え微笑む。そして、君が嫌だと言うなら、私は君と君の猫と二人を相手でも構わないと浮かべた微笑みを深くした。
 だが…、その瞬間に大きな音が鳴り響き、車内に風が巻き起こる。
 無表情のまま、素手で窓ガラスを割った久保田の手からは赤い血が流れていた。

 「・・・・・・・・・時任はどこにいる?」

 いつもよりも低く…、凍りつくように冷たい久保田の声は、すぐ近くにいたアークを怯えさせ震えさせ、真田の微笑みをまた深くさせる。
 握られているのはガラスの破片…。
 無表情を装った瞳には、激しい怒りの色が浮かんでいる。
 そして、握られた破片はアークではなく、真田の喉元を狙っていた。
 「汚れた猫は嫌いかね?」
 笑みを含んだ真田の声が、車内に響く。だが、その瞬間、雑音しか聞こえなかった無線から、聞き覚えのある声が元気良く響いた。

 『・・・・・つってんだろ!! 今度、こんな…したら、ただ…、おかねぇからなっ!!』

 無線なので、今、どんな状況なのかは見えない。
 だが、聞こえてきた声からすると、時任は命以外も無事の様子だった。
 とても怒っているようだが…、元気そうだ。
 それを声で確認した久保田は、ガラス片を握りしめた手を下へと降ろす。
 すると、真田の楽しそうな笑い声が車内に響いた。

 「くくく…っ、どうやら君の飼い猫の貞操は無事のようだ。飼い猫が犯されもせず汚されもせず、期待外れで残念だったかね?」

 久保田をその気にさせると言いながら、怒りを煽ってばかりいる真田は、やはりゲームを楽しんでいるようにしか見えない。真田がポケットからハンカチを取り出して差し出すと、久保田はそれを受け取り負傷した左手に巻いた。
 「どーも」
 「人間素直が一番だよ」
 「敵だろうと味方だろうと使えるモノは、使うべきだし?」
 「なるほど、それは道理だ」
 再び聞こえてきた時任の声をバックに、二人の会話が車内に響く。けれど、二人を乗せた車は時任のいる中学校近くを通りすぎ、もっと遠くへ向かおうとしていた。
 もっと遠くへ…、まるで行き止まりのような場所に向かうように…。
 真田は懐から拳銃を取り出すと、その銃身を愛しそうに撫でた。

 「果たして、君の飼い猫はどこまで君を追って来れるかな? 暗闇の果てか、それとも暗闇の底か…、さぁ、欲しいなら落ちてくるがいい。飼い主の元ではなく、私の元へ…」


 速度を上げた車は、外にも中にも嵐のような風を巻き起こす。
 そんな嵐のような風の中で、久保田は遠い日の…、猫の声を聞いていた。




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