あの星空に願いを…。
〜中編〜
学校に集まる時間は、空が完全に暗くなる午後七時。
その時間から自分の願い事を書いた短冊を手に持って、荒磯の生徒達は学校に集まる予定になっている。だが、実は飾り付けの準備が終わって誰もいなくなった体育館で、飾られた笹をじっと眺めている人物がいた。
その人物の手にも配られた短冊があったが、短冊はなぜかぐちゃくぢゃに握りしめられて無残な姿に成り果ててしまっている。願いごとをするために配られた短冊だったが、この短冊には願い事は書かれないようだった。
「大塚ぁ、マジでやんのか?」
「当たり前だろっ。こんなかったるい行事なんかやってられっかよっ、ガキじゃあるまいし」
「いつもみたいに、ブチればいいじゃんっ」
「なぁに言ってやがんだ、笹原。このガキくせぇ行事、執行部の奴らが警備してんだぜ?こーいう時は普段世話になってる分、期待にこたえてやらないとなぁ?」
「けど、今回は高みの見物なんだろ?」
「参加したけりゃ参加しろよ。けど、祭ってのは高いトコから見物すんのが一番楽しいんだぜ」
そんな会話をしながらニヤリと悪役らしく笑うと、大塚はある番号に携帯で電話をする。
実はその番号は近隣の学校に通っている大塚と同じく、いつも悪事を働いている不良達の電話番号だった。
普段は街でグループ同士で衝突したりすることもあるが、電話の相手は大塚の話を聞いてそれに乗ったようである。昼間の行事なら面が割れて教師につかまる可能性が高いが、夜に行われる行事なので、暗闇にまぎれて潜入することも逃げることも自由にできそうだった。
それに加えて荒磯高校は制服が学ランなので、簡単に手に入れることが可能なこともあって、大塚の電話の相手はかなりやる気になっている。
大塚は『うまくやれよ』と笑いながら言うと、仲間である笹原と石橋とニヤニヤと笑みを交わしながら通話を切った。
「今日は七夕ってことで、せいぜい奴らがうまくやるように祈っててやるさ」
火種を巻いた後は、ただそれがうまく燃え上がるのを見ていればいい。
大塚はそう言うと床に短冊を投げ捨てて、笹の飾られている体育館を出て行った。
ひそかに計画された悪事は、こうして静かに誰にも見られることなく進行しているように見えたが…、実はそんな大塚達の様子を見ていた人物が一人だけいたのである。
それは七夕が始まる前に、願い事を書いた短冊をもって体育館に来ていた藤原だった。
大塚達から見えない位置に体育倉庫から出してきたハシゴに上って、藤原はさっきからずっと笹に張り付いている。そうしているのは大塚達が体育館に来る前からだったが、別に笹の飾り付けをしているからではなかった。
ただ、『久保田先輩とラブラブになれますように』と書かれた願いごとをどうしても叶えたかったので、誰よりも高い位置に短冊をつけようとしていただけなのである。藤原がそうしようとした理由は、七夕の短冊は一番高い所につけられた願いごとが叶えられるという言い伝えがあったからだった。
しかし大塚達の悪事を偶然にも目撃してしまって、頭の中は短冊よりも別の妄想が浮かんでしまっている。
藤原の妄想の中では、悪事を連絡した藤原に向かって久保田が微笑みかけていた。
『よくやったな』
『そんな…、僕は執行部員として当然のことをしたまでです』
『藤原…』
『く、久保田せんぱ〜い…』
ハシゴの上で一人芝居をしながら身悶えている藤原の姿は、はっきり言ってかなり無気味である。けれどそんな藤原の目の前に…、時任の作った赤い折り紙で作った飾りがあった。
短冊をつけることと、大塚の悪事を聞くことに夢中になっていて今まで気づかなかったが、不恰好な赤い飾りはさっきからゆらゆらとすぐ近くで揺れていたのである。
その飾りの存在に気づいた藤原は、ハッと妄想から現実に戻ってその飾りを見つめた。
「こんなヘタクソなの…、やっぱり飾りになんか見えないよな…」
藤原はそう呟くと唇をかみしめながら、飾りを笹の葉からもぎ取った。
せっかく飾られた時任の作った赤い飾りだったが、もぎ取った瞬間に藤原の手の中で大塚の捨てた短冊のようにぐちゃぐちゃになる。手の中の紙の感触と同じように胸の中が気持ち悪くざわざわとしていたが、藤原は体育館の脇に置き忘れられていたゴミ箱の中にハシゴの上から投げ捨てた。
すると捨てられた飾りは、中に入っている紙くずと一緒にゴミになる。藤原はその様子を眺めてから、ゆっくりとハシゴを降り始めた。
だが、降りようとした瞬間にハシゴのバランスが崩れて、藤原はとっさに近くにあった笹にしがみつく。すると、藤原の体重をかけられた笹がバキバキという音を立てた。
「うわぁぁぁぁっ!!!」
体育館中に響き渡る藤原の叫び声とともに、笹が勢い良く真っ二つに折れる。その折れる感触に藤原の顔が真っ青になったが、いくら青くなっても折れた笹が元に戻るはずはなかった。
藤原は尻もちをついて折れた笹と一緒に床に落ちると、自分の尻を撫でながら慌ててハシゴを倉庫に戻して体育館を逃げ出す。
笹を折ったことがバレれば、いつものように桂木にハリセンで叩かれるだけではすまないのは確実だった。
せっかく大塚達の悪事を知らせて久保田にほめられようとしていたのに、笹が折れたことによって逆に黙っていなくてはならなくなったのである。
「うううっ…、こうなったのは全部、時任先輩のせいだ…」
藤原はすべてを時任のせいにしながら、勢い良く体育館のドアを閉じる。
もうじき生徒達がこの体育館に集まってくる予定だが、藤原が笹を折ったために綺麗に飾られた笹を見たのは…、
飾り付けをした園芸部と生徒会本部…、そして執行部員だけということになったのだった。
午後七時が近くなると、学校で七夕祭りの準備をしていた生徒以外の一度下校した生徒達が七夕に参加するために登校してくる。男子生徒はほとんどの生徒が学ランのままだったが、女子生徒は浴衣を着ている者が多かった。
学校行事なので私服は許されていなかったが、実は祭りということもあって浴衣は着てもいいという許可が出ていたのである。
しかし、登校してきた桂木とその隣にいる相浦は浴衣ではなく制服のままだった。
「結構、浴衣着てるヤツいるなぁ。俺も着てくれば良かったかも…」
「なに言ってんのよっ。祭りを警備するのに、浴衣なんか着てられないに決まってるじゃないっ」
「それはそうだけどさ…。せっかくの七夕に警備って、ちょっとさみしいよなぁ」
「なに言ってんのよっ! 祭りよりエアコンが優先に決まってるじゃないっ!」
「だったら、短冊にエアコンって書けばいいんじゃないか?」
「天の川からエアコンが降ってくるならね」
桂木の現実的な言葉に、相浦が七夕参加をあきらめてがっくりと肩を落とす。
七夕は笹に短冊を飾って星空を眺めるのも行事の一つだったが、生徒達がつくった夜店らしきものもグラウンド近くに軒を連ねていた。
体育館に置かれている飾られた笹は、祭りが始まる直前に園芸部の手によってグランドに飾られることになっている。グラウンドに最初から置かなかったのは、体育館よりも簡単に人の入りやすいグラウンドに置いて部外者にイタズラされてしまうことをふせぐためだった。
桂木の手にも相浦の手にも短冊があったが、そこにはちゃんと願いごとが書かれている。
しかし、そんな二人の後から登校してきた久保田と時任の短冊に願いごとが書かれているかどうかは謎だった。
「なぁ…、久保ちゃん」
「ん?」
「短冊の願いゴト書いた?」
「ヒミツ」
「ふーん…」
「そーいう時任は?」
「・・・・・・ヒミツに決まってんだろ」
それぞれの手には願い事があって、その想いを集めるかのように色とりどりの短冊が荒磯高校に集まってくる。だが、今日の警備のために執行部員がいる生徒会室に、園芸部員達が慌てて飛び込んできた。
園芸部員達が飛び込んできた瞬間に生徒会室の中にいた全員がそちらの方を向いたが、一人藤原だけが青い顔をして視線をそらせる。すると園芸部員達は体育館に飾られていた笹が折られていることを、執行部員達に知らせたのだった。
「私達が体育館に行ったら、すでに折られてたんですっ!!」
「…って、それは本当なの?!」
「本当なんですっ。笹をグラウンドに移動するために体育館に行ったら…、笹が…」
「わかったわっ、とにかく体育館に行って状況を確認してみるから」
「お、お願いっ」
「久保田君に時任っ、松原に室田…、そして相浦と藤原っ、執行部員全員で体育館に出動よっ!!」
桂木は園芸部員の知らせを聞いた後、キリリとした厳しい表情でそう言う。
何か原因があって自然に折れたのなら仕方がないが、もしも誰かがイタズラのつもりでそんな真似をしたのなら許せなかった。
一生懸命に飾り付けをしたこともあるが、やはりみんなの手に笹に飾るために書かれた願いごとのことを思うと走り出さずにはいられない。しかし、桂木が執行部員全員を引き連れて急いで体育館に行くと、やはり園芸部員が言っていたように笹が真っ二つに折られていた。
折れた部分がてっぺんに近い位置なら、なんとか補修も可能だったが…、運悪く折れた部分は中途半端な中ぐらいの位置にある。しかも裂けるように折れているので、何かで支えることも無理のようだった。
この折れ方は、どう見ても自然に折れたものではない。
桂木が更に表情を険しくすると、その横で置き忘れられていたゴミ袋の中から久保田が赤い飾りの残骸をつまみあげていた。
「犯人はきっと…、校内の人間よね。ただの嫌がらせならべつだけど、笹を折ることに校外の人間に何かメリットがあるとは思えないわ」
「ま、一応、フツーは犯行には動機ってヤツが必要だしね」
「・・・・笹を折る動機」
「案外、犯人を探し出すのは簡単かも?」
「もしかして…、何かわかったの?」
久保田が言った意味深な発言に向かって、桂木が少し驚いた顔をしてそう尋ねる。すると久保田は腹を立てながら折れた笹を見ている時任に気づかれないように、赤い飾りをポケットに仕舞い込んだ。
そんな久保田の様子を見て、桂木は微妙な雰囲気を感じ取って首を少し傾げる。
だが、その微妙な雰囲気の理由と犯人の名前を聞き出す前に…、今度は園芸部ではなくバレーボール部が体育館に飛び込んできた。
「た、た、大変だっ!! 爆竹が投げ込まれて店がっ!!」
そう飛び込んできたバレー部員が叫ぶと同時に、グラウンドの方から爆竹の音と悲鳴が聞こえてくる。どうやら、会長である松本が恐れていた事態が起こってしまったようだった。
犯行に動機は必要かもしれないが、人はただ楽しいからという理由だけでも犯罪を犯す。
グラウンドに軒を連ねている店に爆竹を投げ込んだ後、店先にあった焼きソバやたこ焼きを盗んで犯人は笑いながら現場を立ち去ったとのことだった。バレー部の数人が犯人を走って追いかけたが、辺りが暗いせいもあって逃げられてしまったらしい。
それを聞いた時任は、桂木と話をしていた久保田に向かって声をかけた。
「ただで焼きソバとたこ焼き食うなんて許せねぇっ!これ以上、好き勝手にされてたまるかってんだっ!」
「食い逃げはりっぱな犯罪だしね?」
「行くぞっ、久保ちゃんっ!」
「ほーい」
桂木との話は終わっていなかったが、犯人を捕まえるために走り出した時任の横に並んで久保田も走り出す。笹を折った犯人と爆竹を同一人物なのかどうかはわからなかったが、とにかく被害がこれ以上広がる前に、爆竹を投げて盗みを働いた犯人を捕まえなければならなかった。
だが、犯人を捕まえたとしても笹は元には戻らないし、こんなに大きな笹を再び手に入れるのは不可能である。桂木は時任と久保田の背中を見送ると、同じように犯人を探し出しに行かずに、生徒会本部のある方向に向かって歩き出した。
「こうなったら、意地でも七夕祭りを成功させてやるわっ!」
桂木は決意を込めてそう言うと、自分の願いごとを書いた短冊の入っているポケットを軽く撫でる。その中には、銀色の短冊に書かれた桂木の願いごとが入っていた。
七夕に願い事をすれば願い事が叶うと本気で信じているわけではなかったが、短冊を前にしたらなぜか自然に書こうという気持ちになる。
それはやはり…、叶うかどうかよりも書くことに意味がある気がしたからだった。
そうあって欲しいと…、そうなりたいと願うことは無意味なことじゃない。
無理だからとあきらめたら最初から願いは叶わないけれど…、願う気持ちがあるなら叶う可能性はゼロじゃないのかもしれなかった。
願うだけ願って…、願い続けてダメだったとしても…、願いに向かって手を伸ばし続けた分だけ気づかない内に前に進んでいて…、
そうして進んだ距離はわずかかもしれなくても、歩いた距離を振り返った瞬間にそれを無意味だなんて思えるはずがない。
桂木は生徒会本部の前に到着すると、深く息を吸い込んでぐっと拳に力を入れて生徒会長のいる本部のドアをノックした。
「今日も元気でがんばれ…、桂木和美っ」
桂木はそう呟くと松本ではなく橘の返事を聞いて…、七夕祭りを成功させるために…、
ポケットに入っている願いごとを七夕の日に飾るために…、立派なつくりの重いドアをあけたのだった。
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