幸せの定義・3
チャイムが鳴って本日の授業が終了すると、生徒達は自分の入っている部活に向かったり、そのまま帰宅したりとそれぞれの目的に向かって動き始めるのだが、それはやはり執行部に所属している相浦も同じだった。授業が終ってノートと教科書を閉じて大きく伸びをすると、相浦はカバンにそれをしまっていつものように生徒会室に向かう。
今日の巡回は時任と久保田の当番だったが、相浦には時々回ってくる巡回の他に会計としての仕事もあった。そのせいで学校に来ている日は、ほとんど生徒会室に行くことになってしまってるが、それは自分が仕事をサボってゲームをしてしまっているせいもある。
学校でゲームをするのはもちろん厳禁だが、執行部のいる生徒会室は校則の通用しない無法地帯と化しているので問題はなかった。
昨日も結局ゲームをしていて会計報告書をあげていなかったが、今日はさすがにならないとまずいかなぁと思いながら廊下を歩いているとその前を桂木が歩いているのが見える。
相浦は「ようっ」と軽く声をかけたが、どうやら桂木は教室ではなく階段の方から上がって来たらしかった。
声をかけられて立ち止まった桂木は、少しだけ浮かない顔をしている。
どうしたのかと思いながら相浦が横に並ぶと、桂木はため息をついて再び歩き出した。
「もしかして、職員室に行ってたのか?」
「そうよ。ちょっと気に鳴ることがあったから、聞きに行ってたの」
「気のなることってなんだよ?」
「久保田君と時任のこと」
「そういや、今日の昼にも見かけたなかったよなぁ」
「二人して無断欠席してるらしいわ」
「へぇ、めずらしいな。あの二人が休みなんて」
「…ったく、連絡して来いってのよっ。しなくていいってわかってても、心配しちゃうじゃないっ」
「そういうのってさ、ホント桂木らしいよな」
「・・・・・それって褒めてるの?」
そう桂木に聞かれた相浦は少し笑いながら返事をしようとしたが、その前にバタバタバタッという何者かが走る音が背後から近づいてきたので、そうすることができなかった。
あまりの音に何事かと相浦と桂木が後ろを振り返ると、そこには何か恐ろしいものでも見たかのような凄い形相をした時任が走ってくるのが見える。
時任はまるで何かから逃げて来たかのようにダダダッと挨拶もせずに二人を追い越すと、生徒会室のドアを破壊する勢いで開けて中に入った。その様子は尋常ではなかったが、時任が青い顔をしているのもかなり珍しい。
相浦と桂木は思わず顔を見合わせると、その後を追うようにあわてて生徒会室のドアを開けた。
「一体何事なのっ!!」
「何かあったのかっ、時任っ!!」
二人が不吉な予感を感じながらそう叫んだが、すでに時任は何かにおびえるように机の影に隠れようとしている。
そんな時任の様子に、相浦と桂木はますます不吉なものを感じた。
俺様で恐いもの知らずに見える時任が、何かにおびえている。
それだけでハッキリ言って、状況は尋常ではない。
相浦は少し顔をこわばらせながらも、桂木と一緒になにがあったのかを聞くために、机に隠れている時任のそばまで行った。
しかし時任は机の影から出ようとはせずに、びくびくしながらドアの方に視線を向けている。少し顔がうつむき加減になっているせいか、その顔は憂いを含んでいるように見えた。
そんな様子の時任は、俺様しているいつもと違ってかなりおとなしい感じで…、思うよりもずっと細い首や肩を見ていると守ってやりたくなる。
相浦はなぜかごくっと息を飲み込むと、驚かさないようにそっと時任の肩に手を置いた。
「と、時任…、困ったことがあるならさ。俺が力になってやるから言えよ」
肩に手を置かれた時任は少しビクッと身体をふるわせたが、相浦の言葉を聞くとゆっくりとうつむいていた顔をあげる。その顔を見た相浦は、なぜか時任の後ろにいつもの赤い薔薇ではなく、白い百合の花が見えた気がして目をゴシゴシとこすった。
だが、脳裏に純真可憐という妙な文字が浮かんできて、額にじわっと汗を滲ませる。
自分で美少年と言っているだけあって、憂いを含んだ瞳で相浦を見つめてくる時任はシャレにならないくらい可愛く見えた。
相浦が少し顔を赤くしていると、時任はそんな相浦の手をぎゅっと握りしめる。
しかしその瞬間、時任のパーカーの襟元から見えたのは、それとわかる赤い痕だった。
その痕を見てしまった相浦はあらぬ想像をしてしまって、顔だけではなく耳まで真っ赤にしてうろたえてしまっている。
だが時任はそれに気づかないのか、手を握りしめたまま少し潤んだ瞳で相浦を見つめた。
「相浦…」
「な、なに?」
「マジで力になってくれんの?」
「お、男に二言はないっ」
「じゃあさ…。当分、お前んちに泊めてくんない?」
「えぇっっ!?」
「イヤなのか?」
「い、イヤじゃないけど…、それはやっぱマズいような気が…」
「なんで?」
「な、なんでって…、言われても…」
「頼むっ、一日だけでもいいからさっ」
「ううっ…」
潤んだ瞳で見つめられた上に、視線の先にある鎖骨にはキスマークつき。
相浦はそんな時任にお願いされて、まるで心がよろめいていくかのようにくらくらと目眩がするのを感じた。横で桂木が知らないわよっという目をして見ているのがわかったが、どうしても捨てられた子猫のような瞳で見つめられて首を横にふることができない。
それに男に二言はないとまで言ってしまったこともあって、相浦はゆっくりと時任に向かってうなづいた。
するとそれを見た時任は、うるんだ瞳をキラキラさせながら相浦にギュッと抱きつく。
抱きつかれた相浦は、その勢いに押されて時任ごと後ろに倒れた。
「サンキュー、マジで助かったぜっ」
「そ、それは良かった…」
だがそんな会話をかわす二人に、この季節にしては冷たすぎる風が吹き付ける。
その風に気づいた相浦と時任が風の吹いて来る方向を見ると…、そこにはまるで真冬のような冷気を漂わせた男が立っていた。
「なにが良くて、なにが助かったのかなぁ? 俺にも教えてくんない?」
そう言いながら冷ややかな笑みを口元に浮かべた久保田は、凍りつくような瞳で相浦と時任を見ている。いつの間にか開けられたドアから吹き込んでくる不気味に風に吹かれて、赤くなっていた相浦の顔がまるで重病患者のように真っ青になった。
普通にお願いされているならまだしも、今は時任に抱きつかれてしまっている。
この状況はどう見ても、このまま北極に行ってしまいそうな状況だった。
こうしている間にも、身体の端から凍っていくような気がする。
相浦はあわてて時任を自分から引き剥がそうとしたが、時任はぎゅっとしがみついていた離れなかった。
「と、時任っ、頼むから家に帰れっ!!」
「イヤだっ、今日は泊めてくれるって約束したじゃんかっ!!」
「俺はまだ…、し、死にたくないんだっ!」
「なんで、俺を泊めたら死ぬんだよっ!」
実はそんな二人の会話はぼそぼそと小声でされていたが、それが更に逆効果で抱き合っている上に囁き合っているように見えてしまっている。
このままではマズイと判断した相浦は弁解しようとしたが、久保田の顔を見た瞬間にビシッと凍りついた。まるで金縛りにあった時のように、目を開けたまま瞬きすらできない。
身体の自由を奪われた相浦は、心の中でギャアァァッと悲鳴をあげた。
しかしそんな哀れな相浦に、救いの手は差し伸べられる気配はない。
実はすでに生徒会室には全員がそろっており、もちろん室田や松原もいたが…、
室田は相浦を気の毒そうに見ていてはいるものの助ける気はないらしく、両手に持った鉄アレイを上げ下げしながら「すまんっ、すまんっ」と念仏のように唱えていた。
一方、定位置の椅子に座っている松原は、お茶をずずっとすすりながら、
「春になったかと思いましたが、まだまだ冬のようです」
と、久保田の方ではなく窓の方を見ながら呟いている。
どうやら松原の方は、本当にこの状況にまったく気づいていないようだった。
そして今日も久保田を眺めるために生徒会室に来ていた藤原は、いつものように周囲にハートを飛ばしながら久保田に抱きつこうとする。
だが、今日は時任にジャマされる前に冷気にやられて行き倒れになった。
「く、久保田せんぱーい…」
それでもあきらめずに久保田の方に手を伸ばしていたが、そのままの状態でガチガチに凍りついてしまっている。今はもう春のはずなのだが、生徒会室だけが真冬だった。
まだ凍っているのは二人だが、このままにしておけば執行部全員が生徒会室で遭難してしまう。
緊急事態に気づいた桂木は、バリバリっと凍りついた相浦から時任をバカ力で引き剥がすと、久保田の方に時任を差し出そうとした。
「な、なにしやがんだっ!!」
「おとなしく、久保田君のトコに行きなさいっ」
「イヤだっ!やっと逃げてきたのに、なんで行かなきゃなんねぇんだよっ!」
「…って、なんで久保田君から逃げてんのよ?」
「そ、それは…、色々と事情があんだよっ!」
「とにかくっ、執行部の存続がかかってんだから、おとなしく生贄になんなさいっ!」
「執行部の存続と俺は関係ねぇだろっ!」
「それが大アリなのよっ!!」
「うわあぁっ、離せっ!! バカ力っ!!」
時任はジタバタと暴れたが、桂木のバカ力に押さえつけられて動けなかった。
辺りを見回して助けを呼ぼうとしたが、力になると言った相浦は凍りついたままで、同じく助けにはなりそうもない藤原も流した涙までバリバリに凍り付いてしまっている。そして鉄アレイの次に腕立て伏せを始めた室田は相変わらず「すまんっ」と呪文のように唱え続け、松原は「武士道入門」を読みながらお茶をすすっていた。
時任はなんとか逃げ出したいと思っていたが、状況はハッキリ言って絶対絶命である。
だがこのまま連れ戻されて、ベッドに直行だけは避けたかった。
「くそぉっ、どうすりゃいいんだ…」
逃げる方法を考えながら時任はそう呟いたが。すでに久保田がすぐ目の前まで来ていた。
時任がうううっと威嚇するように唸っていると、薄い笑みを浮かべた久保田がゆっくりと近づいてきて時任の前に手を差し出す。
だがいつもなら取るその手を、今日はどうしても取ることができなかった。
すると久保田は笑みを浮かべたままで、時任の顎に手をかける。
桂木はすでに手を離していたが、時任は顎を取られたまま動けなかった。
そんな時任を見た久保田は、もう一方の手でゆっくりと頬から首筋に向かって撫でる。
その感覚にビクッと身をふるわせた時任は少し顔を赤くしながら、さっきまでベッドの上でしていたことを思い出した。
けれどそれを振り払うために頭を左右に振ると、久保田を鋭く睨みつける。
そうしたのは久保田のことを嫌いになった訳ではなく、ただこれ以上、ベッドにしばりつけられたくなかったからだった。
だが睨みつけられた久保田は、その瞳を真っ直ぐ見つめ返すと強引に時任の腕をつかむ。
すると時任は、久保田の手を力一杯振り払った。
「帰るよ、時任」
「イヤだっ!!」
「どうして?」
「・・・・・・・・だってさ。帰ったらどうせまたしようとすんだろ?」
「うん」
のほほんとした口調でそう即答した久保田は、時任の顎をつかんだ手を自分の方引き寄せてキスしようした。すると迫ってくる久保田の顔を見ながら、時任はとっさにそばに落ちていた相浦の襟首をつかむ。
そして腕に力を込めてぐいっと持ち上げると、魔よけのように久保田の前にかざした。
「エロ親父退散〜〜〜〜っ!!!!」
運の悪いことにかざされた瞬間に目を覚ましてしまった相浦は、間近にある久保田の顔を見てしまい恐怖のあまり目から涙をだーっと滝のように流している。
だが動きを止めることには成功したもののエロ親父は退散しなかったらしく、久保田は不気味に微笑んで相浦の頭をつかんで床に沈めた。
「ぐごあ…っっ!!!」
エロ親父避けにされた相浦は、床に激しく顔をぶつけて意味不明な言葉を叫ぶ。
しかし時任はそれにはかまわず、久保田が相浦に気を取られた隙に窓に向かって走り出した。
そうしたのはドアの方向に久保田がいるので、窓から脱出するしかなかったからである。
時任はあわてて窓から飛び降りると、体育館の方向に向かって走り出した。
「久保ちゃんが元に戻るまで、ウチには帰ってやんねぇかんな〜〜っ!!!」
その叫び声が久保田に届いたかどうかはわからなかったが、時任は本気でそう考えていた。
久保田は時任を抱きながら好きだとか愛してるだとか言っていたが、言葉でなんと言ってもあんな風にベッドに縛り付けられたら身体目当てのように思える。
初めから身体だけの関係だと割り切っていたら、そう思うこともないのかもしれないが…、
時任は欲望を満たすためだけに、久保田に抱かれた覚えはなかった。
生理的なものも確かにあって、お互いを貪りあうように身体を重ねることもあるが、それでもちゃんとそこに好きだという想いがあると信じたい。
だからこれ以上、ベッドにしばりつけられて快楽だけに溺れていくような、そんな抱かれ方をされたくなかったから逃げ出したのだった。
久保田の様子がおかしいことに気づいてはいたが、その原因が何かは抱かれていた時も逃げ出した今も少しもわからない。時任はどうしたら久保田が元に戻るかを考えながら走っていたが、そのせいで前をあまり良く見ていなかった。
考え事をするなら立ち止まってするべきなのかもしれないが、じっとしていたら久保田に捕まってしまう。しかし、体育館裏に行こうとしていた時任は角を曲がろうとした瞬間に、同じように角を曲がってこちらに来ようとしていた人物と勢い良くぶつかった。
「あ…っ!!」
「いてっっ!!」
速度が早かったのは時任の方だったが、転んだのはぶつかった相手ではなく時任だった。
時任は地面に尻もちをつくと、軽くうめいて打ちつけた腰をさする。
するとそんな時任に向かって、今度は久保田ではなくぶつかった相手が手を差し出した。
「派手に転んだようですが、ケガはありませんか?」
そう言って時任に向かって優雅に美しく微笑んだのは、抱きたい男NO.1の副会長の橘だった。
ぶつかったのは完全に時任の方が悪かったが、橘は「すいません」とあやまっている。
時任はさっきと同じように橘の手も振り払おうとしたが、背後から追ってくる気配にビクッと後ろを振り返った瞬間…、
時任の手は、強引に伸ばされた橘の手に握られてしまっていた。
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