幸せの定義.10




 リビングからベランダへと続く窓からは見えるのは灰色の空だけで…、降り続く雨の音が静かな部屋に響いている。そんな部屋の中で一人、時任は窓ばかりを眺めながら毛布にくるまっていたが、熱のせいなのか少しも身体は温かくならなかった。
 身体が熱っぽくて苦しかったが静かにベッドで寝ている気分にはなれなくて、桂木達が帰ってからずっとリビングにいる。
 ただひたすら…、いつ戻ってくるかわからない久保田が帰って来るのを待ちながら…。
 けれど降り続く雨の音を聞いていると…、身体だけではなく胸の奥まで冷たくなってズキズキと痛んでくる気がした。

 必ず、きっと…、絶対に…。
 
 そんな風に繰り返し思って…、そう信じてて…、
 きゅっと右手で毛布を握りしめていたけれど…、過ぎていく時間が心を苦しくさせる。
 このままじゃ終れないし、終わらないってわかっていても…、
 会えない時間と距離が重く重くなって…、それが好きだという想いを恋しい気持ちを涙で濡らしていた。

 「ゴメン、久保ちゃん…。やっぱさ…、もう限界…」

 時任はそう呟くと、握りしめていた毛布を手から離してフラフラしながら立ち上がる。
 そして外に続く玄関ではなく…、ベランダに続く窓の方へと歩いて行った。
 ユラユラとおぼつかない足取りで、目の前の景色が揺れるのに目眩を感じながら…。
 途中で気持ち悪くなって口元を押さえたが、それでもなんとかたどりつくと、時任はカチッとカギを開けて窓を開いた。
 窓を開けるとそこからは、雨の匂いのする風が一気に吹き込んでくる。
 その空気をすぅっと吸い込むと、時任はゆっくりとベランダへと出た。
 すると、リビングにいた時よりも静かに街を濡らしながら降り続く雨音が良く聞こえる。
 その音はどこか哀しく耳に響いていたが、時任は手にコードレスフォンを握りしめながら、青くない灰色だけで染まった空を眺めていた。

 手の届かない、遠すぎる空を…。

 けれどどんなに遠くて手が届かなくても、ドアを隔てた向こう側だったとしても…、胸の奥にある想いが変わることはない。
 それは、ただ好きだから一緒にいたいと願っている気持ちが…、
 手をつなぎたいキスしたい、抱きしめて抱きしめられたい想いが…、今、胸の中にある想いだけがすべてだったからだった。
 目の前にやりたいこととかしたいこととか、たくさんのことがあって…、それが目の前にあったとしても…、
 横に向かって伸ばした手が、大好きな人の手と手をつなげないなら意味がない。
 だから、つなげないなら自分から手を伸ばすしか…、
 どこまでもどこまでも…、遠ざかる後ろ姿を追いかけていくしかなかった。
 もしも一緒にいたいとそう想っているなら…、大好きだと感じているなら…、
 その気持ちを想いを抱きしめていたいと願っているのなら…、毛布にくるまって震えてるだけじゃなくて、精一杯、大好きな人に向かって手を伸ばさなくてはならなかった。

 限界まで、ギリギリまで…、たとえそれを超えたとしても…、

 今ある想いを…、恋しさを大好きな気持ちを抱きしめているだけで精一杯だから、わからない明日を想ってる余裕なんてない。
 胸の奥にある久保田を想う気持ちは遠い未来でも明日ではなく…、今だけにあった。
 降り続く雨を…、吹いてくる風を感じている今に…。

 この瞬間に…。

 時任の熱で身体は熱かったが、外の風に当たると寒気がして肩が少し震えた。
 だがそれに耐えながら、時任はマンションの部屋以外で知っている唯一の電話番号にかける。すると少しして、コール音が受話器から時任の耳に響いてきた。
 会いたい気持ちを、その音に乗せて響かせながら…。
 けれど、コール音は止まることがなく何度も何度も鳴り続ける。
 この電話をかけたのが誰なのかディスプレイに表示されているから、もしかしたらいくら鳴らせ続けても久保田は出ないかもしれなかった。
 時任は鳴り止まないコール音に、唇を噛みしめてぎゅっと受話器を握る。
 だが、しばらくしてやっとコール音が止まった。
 
 「・・・・・・久保ちゃん」

 時任はそう受話器に向かってそう呼びかけたが、受話器からは車の走る音と雨の音だけが響いていて他には何も聞こえない。
 ちゃんと聞こえるように名前を呼んだのに、返事は返って来なかった。
 もう目の前にドアはなかったが、時任の声は何かに阻まれて久保田まで届かない。
 けれど時任は受話器を握りしめたまま、灰色の空を見つめながら雨の音と車の音に耳をすませていた。
 時任の息遣いを…、ここから聞こえる音を聞いている久保田と同じように…。
 すると小さく息を吐く音が聞こえて…、
 その次に、どうしても聞きたかった声が時任の耳に届いた。

 「時任…」
 「・・・・・・」
 「起きてると熱上がるから…、早くベッドに行きなよ…」
 「・・・・起きてない、ちゃんと寝てる」
 「ウソつき」
 「・・・ウソじゃない」
 「雨の音が…、こんなに聞こえてるのに?」
 「そっちも降ってるから、そう聞こえてるだけだろ…」

 「確かに降ってるけど、聞き間違えたりしないから…、雨の音も時任の声も…」

 聞きなれている声でも…、受話器から流れてくる声はいつもと少し違う。
 だが、久保田がそう言ったように、時任も久保田の声を聞き間違えることなんてあり得なかった。いつもいつでも…、誰よりもたくさん自分の名前を呼んでくれていた声だから…。
 誰よりも名前を呼んで欲しい大好きな声だから…、間違えるはずなんてなかった。
 けれど、いくら受話器の向こうから声が響いていても、顔を見ることも触れることもできない。
 電話をしたのは久保田に会いたくて…、すごくすごく会いたくてたまらなかったからだったが…、
 声を聞いたらもっと会いたくて、会いたくなって…、その想いに胸が潰されそうで…、
 今すぐにでも玄関から飛び出して、久保田のいる場所まで走って行きたかった。
 そして…、好きだって大好きだって思い切り泣き叫びたかった…。

 その姿がどんなにみっともなくて…、情けなくても…。
 
 時任は久保田の声を聞いている内に滲んだ涙を手で拭うと、ベランダのコンクリートの囲いに手をかけてその上によじ登る。そして少し頭がフラフラしてバランスを崩しそうになったが、なんとか下に落ちることなく体勢を整え直した。
 けれど細いベランダの囲いの上なので、またいつバランスを崩して下に落ちるかしれない。
 今日は雨が降っているせいか、風も少し強かった。
 時任はいったん置いた受話器を手に取ると…、ベランダの上から下を覗き込む。
 すると…、受話器の向こうから久保田の叫び声が聞こえた。

 「時任っ!!!」

 その声を聞いた時任は、涙を目に浮かべながら笑顔を浮かべる。
 久保田が驚いて叫んだということは、ここにいないはずなのにベランダに立っている時任のことを見ていたということだった。
 もう電車にでも乗って、一人で遠くに行ってしまったと思っていたのに…、久保田はちゃんと近くにいる。
 まだ手の届く距離に…、走っていける場所に…。
 けれど時任が走り出したら、今度こそ久保田は遠くに行ってしまうかもしれない。
 そう思った時任はベランダの上に立ったまま、受話器の向こうの久保田に話しかけた。
 「帰って来いよ…、久保ちゃん…」
 「話は後でするから…、とにかく早くそこから…」
 「イヤだ」
 「時任…」
 「そんな心配しなくても、ぜってぇ落ちねぇから平気だっつーの」
 「そんなワケないでしょ…、いくら運動神経が良くても…」

 「それじゃあさ…、落ちるか落ちないか試してやるよ」
 
 時任はそう言うとフラフラしながら、ベランダの上でゆっくりと瞳を閉じる。
 すると、熱のせいで立っているのもやっとだった身体のバランスが崩れて、前のめりになって…、吹いてきた風に髪と服が激しくあおられて乱された。
 落ちるという感覚が全身に走って、その感覚に少し身体が震えたが…、
 時任はそれでも瞳を開かず、ここから落ちたら助からないとかそんなことも何も考えずに…、じっと吹いてくる風のように流れのままに身を任せる。
 するとなぜか身体が前ではなく、後ろにぐいっと勢い良く引っ張られて…、
 ・・・・・・暖かい何かに、時任の身体が包み込まれた。
 
 「やっぱ…、落ちなかったじゃんか…」

 時任はそっと目を開くと、そう言いながら自分を包みこんでくれている暖かい身体に、両腕を伸ばしてぎゅっとしがみつく。
 もう二度と、離れることのないように…、
 すると、聞き覚えのある少し震えた声が、時任のすぐ耳元でした。

 「・・・・・寿命が縮んだよ」

 その声を聞いた時任はしがみついていた腕を上の方に移動させて、久保田の頭を包み込むように抱きしめる。そして雨の匂いのする濡れた髪に頬を寄せながら、ゆっくりと眠るように瞳を閉じた。
 本当は来てくれて、こんな風に抱きしめてくれて…、すごくうれしかったから笑顔でいたかったのに、抱きしめて抱きしめられているとまた涙が溢れそうになる。
 愛しさも恋しさも…、なにもかもが今は自分の腕の中にあった。
 「ゴメンな…、俺の寿命だけじゃなくて、久保ちゃんの寿命も短くしちまって…」
 「べつにあやまらなくていいよ…。きっと、縮んだのは同じくらいだし…」
 「久保ちゃん…」

 「同じだけ生きられたら…、それで十分だから…」

 そう言いながら久保田の右手が伸びてきて、抱きしめている手の上にそっと重なってくる。時任は重なってきた久保田の手を取ると、その指に自分の指にからめながらぎゅっと強く握り込んだ。
 その指と手のひらに…、一緒にいたいという想いを込めながら…。
 けれど、久保田は時任の手を自分の唇に引き寄せて甲にそっとキスをしてから、まるでさよならを告げるように手を離そうとする。
 こんなにも胸が軋むくらい恋しくてたまらなくて…、やっと捕まえたと思っていたその想いを壊すように、久保田はまた離れて行こうとしていた。

 雨音だけが哀しく冷たく響いているこの部屋に、時任を一人残して…。
 
 時任は離れて行こうとしている手を抱きしめるように引き止めると、澄んだ瞳で真っ直ぐ久保田を見つめる。すると、見つめられた久保田は視線をそらそうとしたが、時任はぎゅっと痛いくらい強く手を握りしめてそうすることを許さなかった。
 こんなに大好きだって思ってるのに、その想いを今も胸が軋むくらい抱きしめているのに…、離れられるはずなんかなかったから…、
 もう握りしめた手を、抱きしめ合った腕を離したくなくて…、
 時任は久保田を見つめたまま自分の顔をゆっくり近づけると、冷たい唇に自分から深く深く口付けた…。
 「久保ちゃんがココにいてくれるまで…、繋いだ手を離さなくなるまで…。ずっと抱きしめてるから…」
 「・・・・・」
 「ずっとずっと…、こうしてるから…」
 「・・・・・時任」

 「好きだって大好きだって…、叫んでやるよ…、何度でも…」

 そう言いながら時任が瞳に涙をいっぱい溜めながらキスを繰り返そうとすると、久保田はつらそうに目を細めて時任のまぶたに口付ける。
 すると零れないように耐えていた涙が…、頬を伝って雨の雫のように下へと落ちた。
 時任は涙にかすれた声で久保田の名前を呼ぶと、目の前にある暖かい胸に頬を押し付ける。そうしながら久保田の腕に抱きしめられると…、好きで好きすぎて…、それだけで胸がいっばいで心が壊れてしまいそうだった。
 こんなことにならなくても…、こんなことが起こらなくても…、
 なんでこんなに好きになったのかわからなくて…、時々、胸が痛くなるくらいに…、

 久保田が・・・・、久保田だけが大好きだった。
 
 だから出会ったことを、こんな風に抱きあっていることを、運命だとかそんな風に思うことすらできないくらい…、
 一緒にいること、隣にいることを当たり前にしたかった…。
 流れ過ぎていく時が…、いつでも同じ早さで流れていくように…。
 時任が顔を上げて再びキスしようとすると、久保田はそれより早く時任の唇に短くキスをする。そして自分が殴って赤くなっている頬に、哀しい瞳のまま微笑んで右手をそっと当てた。
 「好きだよ、時任…」
 「久保ちゃん…」
 「けど…、今はその気持ちで、お前を傷つけることしかできないから…」
 「叩いたことを言ってんなら、そんなの全然ヘーキだって…。こんなのはすぐに治るじゃんか…」
 「これが治ったとしても、一緒にいたらまた叩いて…。たぶんそれから、この部屋にベッドに時任を縛り付けるよ…。好きだから、橘に触れさせたことが許せないし、大好きだから抱きたいんじゃなくて、めちゃくちゃに犯してやりたいから…」
 「・・・・・・・・」

 「ホントは時任をココに閉じ込めて…、カラダもココロも犯して壊したいって言ったら…、どうする?」

 久保田はそう言うと、手のひらを時任の頬から首筋へとすべらせて…、橘のつけた赤い痕のある場所で止める。その痕はすでに新たに付けられた痕によって消されてしまっていたが、久保田はその痕に唇を寄せるとそこに軽く歯を立てた。
 けれど首筋に歯を立てられた時任は、その痛みにきつく唇を噛みしめて声を立てないでいる。そんな時任の様子を見た久保田は、ベランダのコンクリートの上に熱っぽい時任の身体を倒した。
 まるでこれから、言ったことを実行しようとしているかのように…。
 だが、久保田は唇を噛みしめている時任の顔を覗き込むと、何もしないで哀しいくらい優しく時任を抱きしめた。

 「ゴメンね…。こんな風にしか、好きになれなくて…」
 
 両腕で包みこむように抱きしめながら久保田が呟いた言葉は…、ベッドで眠っている時任に囁いた言葉と同じだった。時任はおぼろげな意識の中で同じ言葉を聞いたことを覚えていたが…、今はそれが夢ではなかったことがハッキリとわかる。
 こんなことになったのは惚れ薬の影響だと思っていたのに、久保田は惚れ薬のことよりも傷つけてしまったことを、そんなことをしてしまった自分のことを責めていた。
 好きな気持ちは優しくて暖かいばかりじゃなくて、好きだから傷つけてしまうこともある。
 けれど…、久保田に叩かれた瞬間に時任が感じたことは、嫌われてしまったんじゃないかということだけで…、
 叩かれた時も、去っていく久保田の後ろ姿を見ている時の方が痛かった。
 赤くなった頬よりも、久保田を想っている心の方が何倍も痛かった…。
 涙が零れ落ちそうになるほど…、胸が痛くなるほど哀しくてたまらなかった。
 だから今も続いている胸の痛みと、雨と一緒に振り続いている哀しい気持ちを止めたくて…、 抱きしめていた腕を離して、起き上がろうとしている久保田の頬を…、

 ゆっくりと手を振り上げて…、思い切り引っ叩いた。

 するとバシィィンッという音が鳴り響いて、久保田が少し驚いた顔をして時任を見る。
 けれど時任は、そんな久保田を流れ落ちる涙を拭いもせずに…、
 ・・・・・・いつもと同じ強い瞳で鋭く睨みつけた。
 「ヒトのことをバカにすんのも、たいがいにしやがれっ!」
 「・・・・・・時任」
 「叩きたかったら叩けば…、殴りたかったら勝手に殴ればいいだろっ!」
 「そんなコト言うと…、殴る時も犯す時も手加減してあげないよ…」
 「手加減なんかしてくれって、誰も頼んでねぇっつーのっ!」
 「・・・・・・・なら、今からやってもいい?」
 「やってもいいけど・・・、カクゴしろよっ!」
 「覚悟?」

 「きっちり百倍返しにしてやるっ!!」

 時任はそう叫ぶとさっき自分がされたように、起き上がって久保田の身体をコンクリートの上に押した押す。
 そして何の痕もついていない柔らかい首筋に、軽く痕がつくように歯を立てた。
 久保田はじっとその様子を眺めていたが、時任がゆっくりと肩に顔を埋めながら抱きしめると…、腕を伸ばして背中を抱きしめてくる。
 その腕の暖かさを感じた時任は瞳から零れ落ちる涙を久保田の服に染み込ませながら、雨の匂いとセッタの匂いを嗅いでいた。
 「俺がおとなしく犯られると思ってんじゃねぇよ…、バーカ…。殴られたら殴られた分だけ殴り返すし…、嫌ならぶっ飛ばしてやる…」
 「けど、薬が切れるまで…、殴られても止まれないかもしれない…。ニセモノの好きでいっぱいになってるから…」
 「・・・・・って、ニセモノってなんだよソレ。じゃあさ、薬のせいで俺のコト好きになってんの?」
 「・・・・・・・・違うよ」
 「だったら、いいじゃん…。薬のせいでもなんでも、俺のコトもっと好きになったら…。俺も久保ちゃんのコト…、もっともっと好きになってやるから…」
 「時任…」

 「キスして抱いて、久保ちゃん…。俺がもっともっと…、久保ちゃんのコト好きになれるように…」

 いつの間にか雨の音のしなくなったベランダで…、時任はそう言いながら久保田の額にキスをする。すると久保田は胸の奥にある想いの痛みに耐えるように目を細めてから、穏やかに優しく微笑んで時任の頬にある涙の後にキスし返した。
 好きで大好きでその気持ちで胸がいっぱいで…、その想いは薬から来るものかもしれなかったが、もう久保田は時任を抱きしめていても目眩を感じない。
 胸が苦しくなるような想いに目眩はしても…、意識が遠くなることはなかった。
 抱いてくれと言った時任を両腕で抱き上げて立ち上がると…、遠くの空に青い色が広がり始めているのが見える。
 その青を少し見つめてから久保田が視線を時任の方に移すと…、時任はその空よりも鮮やかに柔らかく微笑んでいた。

 まるで雨上がりの…、青く澄み渡った空のように…。











 「今日も天気良いわよね…。あんなに雨が降ったのが嘘みたいだわ…」

 そう言いながら桂木が学校の校門をくぐると、ちょうど同じように登校して来た相浦と一緒になる。相浦は桂木の呟きに「そうだなぁ」と答えながら、小さくため息をついていた。
 酷い雨の日から三日…、なぜか久保田と時任は学校を休んでいる。
 そのせいでいつもの調子が出ないのか、桂木は公務をこなしながらもずっと沈みがちだった。
 何かあったのかと相浦が尋ねたが、桂木はなんでもないと言ったっきり何も言おうとはしない。それは同じ執行部で補欠の藤原も同じで、窓から外を見てはため息ばかりをついていた。
 この二人の様子を見ただけでも、確実に何かあったことは確かだったが…、
 やはり言いたくないものを無理やり聞き出すこともできず、相浦も三日間、桂木や藤原と同じようにため息をつき続けていた。
 「もしかして、執行部存続の危機だったりして…」
 冗談とも本気とも取れるセリフを相浦が呟いたが、桂木はボーッとしていて聞いてはいない。それに気づいて、相浦は桂木の横顔を見ながらまたため息をついた。
 だがその瞬間、なぜか悲鳴とも歓声ともつかない声が辺りから響いて来る。
 その声は校門の方向から聞こえてくるので、どうやらそこが騒ぎの発生源らしかった。

 「きゃーっっ、絶対っ、あの二人はそうだと思ってたのよっ!!」
 「ま、漫研の部長に連絡しなくっちゃっ!!」
 「ほらっ、見て見てっ! あんなに顔近づけちゃってるっ!」
 「だ、誰かケータイでもいいからっ、写真撮ってぇっ!!」

 あやしい会話と一緒に異様な熱気が後ろから押し寄せて来たので、相浦と桂木は思わずほぼ同時にパッと後ろを振り返る。
 するとそこには、三日ぶりに見る執行部のおちゃらけコンビの姿があった。
 だがその二人を見た桂木は一瞬だけうれしそうな表情になったが…、その後、すぐにビシビシッと青筋を立てて顔を引きつらせる。
 久しぶりに見た久保田と時任は、いつもよりもかなり仲が良さそうに見えた。
 時任は久保田に肩を抱かれながら少し顔を赤くして照れながら微笑んでいるし、久保田は時任の肩を抱きながら穏やかに優しく微笑んでいる。
 なにやらヒソヒソと顔を近づけたりして話しながら微笑み合う二人は…、誰もが顔を赤くしてしまうくらいピンク色の空気を振りまいていた。
 こんな状況はいつもなら時任の方が嫌がるはずなのに、今日はおとなしく久保田にされるがままになっている。
 桂木はそんな二人をこめかみをピクピクさせながらじっと眺めていたが…、
 やがて、どこからか取り出した白いハリセンをぎゅっと手に握りしめた。
 「ねぇ…、相浦」
 「な、なんだよ?」
 「・・・・私はアレを見て喜ぶべきなのかしら? それとも悲しむべきなのかしら?」
 「さぁ、どうなんだろうなぁ…。確かにいつもより仲良いけど」
 「甘いわ、相浦っ。あれは仲が良いだけじゃないのよ」
 「…って、それじゃあなんだよ?」
 「なんだよって、見てわからないの? 今日からあの二人はおちゃらけコンビじゃなくてっ、おちゃらけカップルになったのよっ!!」

 「・・・・・・それって、元からじゃないのか?」

 相浦の弱いツッコミで止まるはずもなく、桂木はハリセンを持って朝からイチャイチャしている久保田と時任の前に立ちはだかる。
 だが、二人は別に悪びれた様子もなく、いつもの調子で桂木に挨拶をした。
 しかしその時も久保田は時任の肩を抱いたままで、時任の方もぴったりと久保田に身を寄せたままである。
 そんな二人に桂木はますます青筋を立てていたが、ヒヤヒヤしていたのはおちゃらけカップルの方ではなく、関係のない相浦の方だった。

 「に、逃げた方がいいかも…」

 そんな風に呟いて本気でここから逃げ出そうとした相浦だったが、
 「ちょっと持っててっ!」
と、いう声が走り出そうとした瞬間にして、桂木のカバンが自動的に手の中に収まる。
 相浦は手の中のカバンを見て泣きそうな顔になっていたが、このまま逃走したら後でどうなるか考えると動けなかった。
 そんな相浦の視界に、松原と一緒に登校して来た室田の姿が入ったので、視線だけで「助けてくれぇぇっ」と訴えてみたが…、
 室田は冷汗を浮かべながら軽く挨拶しただけで、相浦の横を通り過ぎようとした。
 「この裏切り者〜っ」
 「ひ、人聞きの悪いことを言うな、相浦。俺はただ、無事に学校に着きたいだけだ…」
 「お、俺だって、無事に着きたいに決まってるだろっ」
 「すまん…、無力な俺を許してくれ…」
 「・・・・・・・つまり、俺を見捨てるってことだな?」
 「み、見捨てるんじゃなくてだな…、見守ってるぞ…」
 
 「どっちでも同じことだろっ!!!!」

 そそくさと逃げようとしている室田を、相浦はなんとか引き止めようとしている。
 引きとめた理由はなんのかんの言いつつも要領の良い室田を、今日は道連れにしてやるつもりだったからだった。
 だが室田の服をぐいぐい引っ張ってるのを何か勘違いしたのか、松原が妙に真剣な表情で相浦の肩を横からポンッと叩く。するとその叩かれた振動に驚いた相浦が、嫌な予感を感じながら横に立つ松原の方を見た。
 「ま、松原?」
 「僕はこの時を待ってました」
 「はぁ? 待ってって何を?」
 「相浦が僕と同じ日本男児として、武術に目覚める時を…」
 「そ、そんなモンに俺は目覚めたくなんかっ」
 「室田に勝負を挑もうとする心息は立派ですが、今のままでは力の差は歴然…」
 「だーかーらぁっ! 勝負なんか挑んでないって!!」
 「さぁ、今日から室田のような強い男を目指して、僕と一緒に修業しましょう、相浦っ」

 「ぎゃあ〜っ!! 助けてくれぇっ!! 俺は教室に行きたいだけなんだぁぁっ!!」

 自分よりも小柄な松原にずるずると体育館へ引きずられていく相浦は、これで桂木やおちゃらけカップルから逃れることは成功したが…、
 なんとなく、もっと最悪な事態に突入してしまった気がしてならなかった。
 室田も松原と相浦に続いて体育館に向かったが、熱い想いを寄せている松原と一緒なら遅刻しても本望だろう。
 室田という男は、松原に負けず劣らずマイペースな男だった。
 こんな調子で相浦は桂木のカバンとともに修業のために連れ去られ、この場に残っているのは、すでに桂木と久保田と時任しかいない。
 だが三人の様子を見守る生徒達に囲まれながら、桂木はなんとか一人で少しでも久保田と時任の有害さから学校を守ろうとしていた。
 
 「今日は一段と仲がいいわねぇ…、二人とも…」

 ふふふっと目の前でイチャイチャしている二人に向かって不気味に微笑みかけながら、桂木はハリセンを右手でパシパシと鳴らす。すると近くにいた登校途中の高校生達が、その音に驚いていっせいに桂木の周囲3メートル範囲内からいなくなった。
 久保田と時任からはピンク色のラブラブな空気が漂っているが、桂木からはトドメ色のよどんだ空気が漂っている。
 しかし久保田は時任を見つめるのに、時任は久保田を見つめるのに忙しくて、ハリセンを構えている桂木の姿は目に入っていなかった。
 「気分が悪くなったら、すぐ言いなね。保健室に連れてってあげるから」
 「べっつに行かなくてもヘーキだって、熱だってないしさ」
 「けど…、昨日もムリさせちゃったしね」
 「ば、バカ…」
 「あれ、今日はバカしか言ってくれないの?」
 「・・・・・・・そ、そんなの、ココで言えるワケねぇだろっ」
 
 「言ってくれないとここで、・・・・・しちゃうよ?」

 何をするのかは聞こえなかったが、それを聞いた途端、時任の顔がぽおっとますます赤くなる。そんな時任を見た久保田は、妖しい微笑みを浮かべて耳元で何かを囁きながら優しくよしよしと頭を撫でてやっていた。
 このままだと授業を受けず仮病をつかって、保健室に転がり込みそうな二人を見ているのに耐えられなくなった桂木は、
 「このっ、おちゃらけ有害バカップルがっ!!!」
と、叫びながら思い切りハリセンを振り上げる。
 しかし振り下ろした瞬間にかなりの手ごたえはあったが、ハリセンはバカップルではなくもっと別なものに当たってしまっていた。

 「く、久保田せんぱーいーーー……」

 登校してきた久保田の姿を見つけて物凄い勢いで走ってきたらしい藤原は、手が届く寸前でハリセンの餌食になってコンクリートに埋まっていた。すると藤原の存在に気づかなかったのか、久保田は時任のこめかみに軽くキスすると、埋まっている藤原の背中を踏みつけて校舎に向かおうとする。
 だがそんな久保田にちょっと待つように言うと、時任はやけに真剣な顔をして、不機嫌そうな桂木の傍までやってきた。
 「桂木…」
 「な、なによっ」
 「わりぃけどさ。当分の間、俺らのコト見逃してくんない?」
 「見逃すって、なに言ってんのよっ。まさか、教室でもあの調子だなんて言わないわよねぇっ」
 「学校には来たけど、まだ久保ちゃんは治ってねぇんだ…」
 「・・・・・・・」
 「だから今はできるだけ、久保ちゃんのそばにいてやりてぇから…」
 「・・・・・そう」

 「ありがとな…、桂木」

 時任はそう桂木に言うと、また久保田のそばへと戻っていく。
 その後ろ姿を深く息を吐きながら桂木が眺めていると、同じように時任を見ていた久保田と目が合った。久保田は二人の会話が聞こえていたのかいないのか、口元に薄く感情の読めない笑みを浮かべている。
 しかし、その笑みはなんとなく…、桂木の目には苦笑のように見えた。

 「いつ薬の効き目が切れるのか、わかったもんじゃないわねぇ。…ったく、付き合ってらんないわっ」

 桂木が肩をすくめてそう言うと、近くにある校舎の窓から桂木を呼ぶ声がする。
 だが、聞き覚えある声だったので、それが誰なのか見るまでもなかった。
 桂木に向かって手招きしている五十嵐は、いつものように保健室のお姉さんらしく白衣を着ている。しかしその胸元は肌がかなり露出していて、あまりにも濃すぎる大人の色気が漂っていた。これでは保健というよりも、そういう筋のお店のお姉さんにしか見えない。
 さすがにハリセンは構えたりしないが、桂木は軽く頭痛を覚えてこめかみを押さえた。
 「・・・・この学校って、どうしてこうも有害かしらね」
 五十嵐の方に歩み寄りながら、桂木はそう呟いて深々とため息をつく。
 するとそんな桂木に向かって、五十嵐はふふふっと妖艶に微笑んで見せた。
 「あらぁ、有害なんて失礼ねぇ。せめて、目の保養って言ってくれないかしらぁ?かわいい高校生の坊や達限定だけど」
 「それは、あのおちゃらけカップルものぞいてでしょう? 先生」
 「そんなことないわよぉ…って、言いたい所だけど、あれを見せられたらさすがに何も言えないわ。・・・・あの単細胞に負けるなんて、シャクだけどね」
 「確かにバカップルもあそこまで行くと、何も言えないかも…」
 桂木と五十嵐はそんな風に言うと、お互いの顔を見合わせて小さく声を立てて笑う。
 今日は授業中も公務中も大変なことになりそうだったが、目の前にはあの日のようなおかしな色の雲は微塵もなく…、ただ綺麗に青すぎるくらい青く晴れ渡っていた。
 五十嵐は窓枠にひじをつくと、桂木の肩を軽くポンッと叩く。
 けれど桂木は五十嵐の方を見ずに、空の青さだけを見つめていた。
 「やっぱり、ハリセンが使えなくて残念?」
 「そんなことはありません…。あの二人に使えなくても、ハリセンは必要不可欠な生活の必需ですっ」
 「ふふふっ、それもそうね」
 「それに…、有害は駆除しても、幸せをジャマするつもりはないですから…」
 「もしかして、その幸せって久保田君と時任君のこと?」
 「それはもちろん、幸福だとか不幸だとかそんなのじゃなくて…」
 「…そうじゃなくて?」

 「一緒にいるだけで、幸せってカンジのバカップルのことですよっ」

 桂木は校舎内に鳴り響くチャイムを聞きながらそう言うと、自分のカバンを取りに行くために体育館に向かって走り出そうとする。
 すると五十嵐は、桂木ではなく青空の方を向いて小さく息を吐いた。
 「使いたいとは思わないけど…。やっぱりちょっとだけ、惚れ薬って魅力的よねぇ」
 「今度、あの店に行ったら、ホンキで全部燃やしてやるわっ」
 「・・・と思ったけど、やっぱり一つだけ残しといてね?」
 「せんせ〜っ」
 「うふふふっ、いやぁねぇ。冗談よっ、冗談っ」
 
 「ぜったいにっ!! 一つ残らず燃やしてやるわっ!!」

 久保田と時任はますます有害になってしまったが…、一応、今回の騒ぎが一段落して桂木が惚れ薬撲滅を青空に誓った頃…、
 うっすらと埃のつもった東湖畔という店の中で、クシュンと何者かが小さくクシャミをした。
 けれどそれは、この店の店主である男ではなく、いつの間にか入り込んでいた黒猫のしたクシャミである。
 黒猫は三回もクシャミをしたので、もしかしたら風邪を引いたのかもしれなかった。

 「おや、風邪でもひきましたか?」

 東湖畔の店主は猫に向かってそう言いながらも、小さなハタキを片手に店内の棚の掃除をしている。掃除は毎日しているらしかったが、やはりいつ見ても店内は不思議とホコリだらけだった。
 店主は薬の入った棚を覗き込んでいたが、そこには袋がたくさん並んでいて、ちょっと見ただけではなんの薬が置いてあるのかはわからない。けれど、やはり店の持ち主である店主にはわかっているらしく、棚の置くから一つの薬袋を取り出した。

 「バラで売ってしまいましたから、一つ足しておかないといけませんね」

 店主がそう言ったのは、手に持っていたのが藤原という高校生に売った惚れ薬だったからである。けれど、良く見るとその惚れ薬が入っていた奥の辺りに、もう一つ似たような別の袋が置いてあった。
 なんとなく店主がその袋を手に取ってみると、なぜかその袋には中身が入っていない。
 店主は少しだけ首をかしげていたが、すぐに何かを思い出したようで右手の拳で左手のひらをポンッと打った。
 「そういえば、袋がネズミにかじられたので…、とりあえずこっちの薬も惚れ薬と一緒の袋に入れてました。うーん、うっかりしてましたねぇ…」
  そう店主が言った通り惚れ薬の袋は、表書きに書いてあるよりも少し薬方が多く入っているようである。しかし薬方は同じ紙で作られているので、どちらがどの薬なのかは判別不能だった。
 確認するには中を開けて、入っている薬の色を見るしかないだろう。
 店主は藤原に売った薬がどっちだったかと少し考えていたようだが、やがて薬を奥の棚に戻すと再び掃除を始めた。

 「心配してくれている人もいることですし、きっと大丈夫でしょう」
 「ウニャーっ!!!」

 大丈夫なワケあるかぁっ!!!とまるでツッコミを入れるように黒猫が鳴いたが、店主は気にせずに少しも綺麗にならない店内でハタキを振るっている。
 再び棚にしまわれてしまった薬袋は、一つが藤原が買おうとした『惚れ薬』、そしてもう一つは惚れ薬の袋に混じっていた『自白剤』だった。

 正式名『らぶらぶハイパワー、惚れ薬』と『超強力、自白剤MAX』。

 久保田がどちらを飲んでしまったのかは謎だったが、おちゃらけバカップル状態は薬が切れたことを時任が気づくまで続いたらしい…。
 そして今回に限ってなのかもしれないが、イチャイチャしているのに忙しくて、久保田も時任も橘に復讐するのを忘れていたようだった。

 「・・・・・仕返しされないと、なぜかちょっと落ち込みますね」
 「あれだけ毎日、イチャイチャしてれば復讐どころじゃないだろうな」
 「あ…、校庭に黒猫がいますよ」
 「どこにいるんだ? 俺には見えんが?」
 「仕返しもなくてヒマですし、僕は校庭で黒猫と遊んできますよ」

 二人のバカップルぶりが校内でも普通になり始めた頃、仲良く手をつないで下校していく久保田と時任の様子を眺めていた橘は、校庭に黒猫がいるのを発見してそう言った。
 けれど橘がそこにたどり着く前に、黒猫は通りかかった久保田と目が合った瞬間、逃げるように校庭から外へと走り去って行った。

 「なに? どうかしたのか?」
 「・・・・・べつになんでもないよ」
 「ま、まさか学校を休もうとか、また何か妙なコト企んでんじゃねぇだろうなぁ」
 「うーん、確かに一日中二人きりってのも捨てがたいけど…、今は手をつないでるだけで、それだけでも十分だから…」
 「・・・・・・うん」

 「好きだよ、時任…。何回好きだって言っても、何回抱きしめてキスしても…、足りないくらいにね…」

 そう言いながら時任の肩を優しく抱きしめた久保田の視界の中を、素早く走り去ったのは間違いなく黒猫だったが…、
 その猫が、藤原の見た猫と同じかどうかはわからない。
 だがそれ以来、あの裏路地の辺りで黒猫とあやしい薬店を見ることはなかった。



  このキリリクは33333hitvv三越彰様のリクエストで
 「とにかくしんどくなるほどあまあまv
 なのです〜〜vvvv\(^0^)/
 な、なのになのに、ラブラブなのは最後にちまっとだけ…(><。)。。
 くうううっ、本当にごめんなさいですっ、すいませんです〜〜(涙)
 けれど、何もなくてしんどくなるほどあまあまが書けなくて…(/□≦、)
 自分のふがいなさに涙なのですっっっ(泣)
 そしてまた反省の色もなく…、長くなってしまって…( iдi )
 なのに、最後まで読んでくださって本当にありがとうございますっっ(涙)
 とてもとても感謝なのです〜〜〜っっ(。>_<。)
 心より感謝申し上げますデスっvv(泣)

 三越様vvキリバンを踏んでくださって、
 ステキリクをしてくださって、本当にありがとうございますっっm(__)mvv
 な、なのに、すごくすごくお待たせした上に、こんな感じになってしまって…( iдi )
 しかもリクにお話が、全然、そってませんのですっっ(号泣)
 うううっ、本当にアマアマの欠片もなくてごめんなさいっっ。・・o( iДi )o・・。
 けれどステキリクをして頂けてvvお話を書かせて頂けてvv
 とっってもうれしかったですっっっvv\(>o<)/
 ステキリクをしてくださって、本当にすごくすごく感謝なのですvv
 心よりお礼と感謝を申し上げますvv(j o j) vv多謝v

 
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