ラブパニック.8




 本人達の知らない間に行われた、バカップル対策会議。
 そして、その会議で決定された『ヤキモチ焼かせて、告白させよう大作戦』は、今、まさに発案者であり実行者でもある橘によって、決行されようとしている。
 保健医の五十嵐から時任の居場所を聞いた橘は、一人で保健室に前に立っている。それは、作戦通りに時任を保護…という名目で久保田が簡単には入れない場所、つまり自宅へと誘い込むためだった。
 だが、時任は普段から橘に警戒心を抱いているため、誘い込むどころか保護するのも困難のように思える。他に案が出なかったので決定されたが、誰もがこの作戦が成功する可能性は低いと考えていた。
 そして、実は会議に参加した面々の中で作戦ではなく、別の可能性が高いと予感していた人物がいる。その人物の命令によって、保健室に入っていく橘の後ろ姿を見守っているのは…、執行部の室田と松原。
 久保田と時任と違い、正真正銘、本当に付き合っているカップルである。
 …が、想いは一応、伝え合ったはずなのだが、付き合ってもいないバカップルと違い、イチャイチャした事など、今まで一度としてなかった。

 「・・・・橘が作戦に乗じて、高校生にあるまじき不埒な行為に及ぼうとするなら、我が竹刀の錆にしてくれるっ」

 また昨夜、お気に入りの時代劇でも見たのだろうか…。
 ギリリと歯を噛みしめた松原は、そう呟いてギュッと手の中の竹刀を握りしめる。可愛い容姿のせいで男女を問わず山のような告白を受けてきたようだが、逆恨みなど、そういった関係でのトラブルも絶えず、室田と付き合い始めた今も恋愛に対して否定的な上に、潔癖症な部分があった。
 
 「竹刀は折れても…、錆びないと思うのだが…」

 橘を本気で切り捨てる勢いで、握りしめる松原の横…、室田は冷汗をかきながら、いつものように遠慮がちにツッコミを入れる。
 だが、室田が松原に入れられるのは、未だツッコミだけ。
 実は相浦と同じく、室田も好きな相手とキスはおろか手を繋いだ事すらもない。つまり告白して付き合っていながら、告白してもいない二人よりも清い仲なのである。
 一緒にした事があるのは、剣術や武道の修行。
 二人で流す爽やかすぎる汗に、時々、涙が出そうになるくらいだった。

 ほ、本当に俺達は…、付き合ってるんだろうか?

 そう問いかけてみたいと何度も思ったが、あっさりと否定されそうで怖くて聞けない。見た目は久保田の上を行く三十過ぎで、しかも完全なヤクザ系にも関わらず…、室田の心は始めて恋を知った純情な乙女のようだった。
 だが…、心は乙女でも外見は三十過ぎの強面のヤクザ系。
 二人きりでいるだけで照れて、耳まで真っ赤になってモジモジしているヤクザの姿は、ハッキリ言って不気味だ。そんな室田の姿を見た生徒達は心の中でギャーっと叫んだ後、見てはならないモノを見てしまったかのように、視線を不自然にそらせながら通り過ぎていく。
 そんな生徒達の目には、時任を襲う可能性が高い橘より、松原を襲う可能性が限りなく低い乙女なヤクザの方が危険人物に見えていた。

 「あ、あれ…、通報した方がいいんじゃないか?」
 「けど、一応、生徒な上に執行部で三年らしいしっ」
 「えーっ、何年留年してんだよ」
 「しかも、どう見てもヤクザだってっ」

 物陰でひそひそと、面識の少ない一年がそんな会話を交わしている。
 しかし、そんな会話は緊張の極地にいる乙女なヤクザの耳には入らない。今は時任が襲われないように見張らなくてはならないのだが、松原と二人きりという状況が室田の乙女心…、いや、男の欲望に火をつけるっ。
 しかし、室田は拳を硬く握りしめ、ぐぐっと欲望を抑え込み耐えた。

 お、落ち着け…っ、落ち着くんだっ!
 ここで不埒な行為に及べば、竹刀の錆びになるのは橘ではなく、俺っ!!
 それだけは何としても回避しなくては…っ!!!
 今こそっ、普段の修行の成果を発揮するんだっ!!!!

 愛犬とジロウとチューした相浦が聞けば、思わず涙ぐむかもしれないセリフを室田が心の中で激しく叫ぶ。それはまさに、恋する男の魂の叫びだったっ。
 普段、何の修行をしてるのかは謎だが、修行の成果を発揮した室田は、欲望を抑える事に見事成功する。だが、時任を橘から守るように指令を出した桂木に言わせれば、そんな室田はヘタレ…らしい。
 時任を見張る室田と松原を、更に見張る桂木は小さく舌打ちをした。
 「ウチの男どもは、どうしてそろいも揃ってヘタレなの? たまには男らしくっ、ブチューっとかブスーっとかヤる気はないの?」
 「…っていうか、そろいも揃ってヘタレかどうかより、その良くわからない擬音の方が、何かやたら気になるんだけど」
 「あら、そう?」
 桂木の近くに居た相浦がツッコミを入れたブチューっとかブスーっとか何をするのかどうかはともかくとして、今、保健室の中では橘が時任を保護という名の拉致をしようとしている。時任の悲鳴が聞こえたら、室田と松原が踏み込む手はずになっている…が…、
 橘が中に入ってすでに十分以上経過しているにも関わらず、やけに静かだった。
 静かすぎて…、そう、まるで中に誰もいないような…。
 自分の欲望を抑える事に必死になっている室田と違い、中の様子を冷静に伺っていた松原は、中から感じられる気配がおかしい事に気づき眉をひそめる。そして、竹刀を握りしめたままで隠れていた場所から飛び出し、保健室のドアの前に立った。
 そして、止めようとする室田の手が伸びてくるより早く、ドアを開こうと試みる。
 しかし、ドアには鍵がかけられていて開かなかった。
 「鍵がかかっていては致し方ないっ、然らば御免っ!」
 「ま、待てっ、松原っ!!」
 室田の静止を聞かず、松原はドアを勢い良く蹴破る。
 すると、ドアがバキリと音を立てて歪み、素晴らしい勢いで吹っ飛んだ。
 しかし、ドアが壊れて吹っ飛んで叫んだのは、中に居た藤原ではなく、離れた場所から見ていた相浦。執行部の会計係である相浦は、時任と久保田の追いかけっこで更に赤字になった帳簿を思い出し…、遠い目で窓から見える青空を眺めた。

 「あぁ…、今日もいい天気だなぁ〜…」

 遠い世界に逝ってしまった相浦の横で、桂木の握りしめたハリセンがグギギっと不気味な音を立てる。そして、次の瞬間、桂木は松原が蹴破った保健室の中に走り込むと、驚いてベッドの上で硬直している藤原の前に立った。
 だが、藤原が寝ているベッドの隣を見ても、そこには誰も居ない。ゆっくりと室内を見回してみても、藤原の他に誰か居る様子はなかった。
 「ちょっと、時任はどこに行ったのよっ!? アンタ、ずっとここに居たんだから、知ってるはずでしょっ!」
 「とか言われても、時任先輩の居場所も何も知りませんよ。少し前に、赤い顔して保健室を飛び出してったってこと以外は何も」
 「赤い顔? それって橘がらみ?」
 「だからっ、僕は何も知りませんって!具合悪くて寝て起きたら、時任先輩は真っ赤になってて、いきなり飛び出してくしっ、副会長は入って来たと思ったら窓から出てくし…っ!」
 「ちょっと待ってっ。橘が入ってきて窓から…って事は、まさか!」
 藤原からの情報に、嫌な予感を覚えた桂木は今度は窓へと走る。
 すると、藤原が言うように、確かに窓は閉められてはいたものの鍵が外れていた。
 つまり藤原の言う事を信じるなら、橘は中に居た藤原に時任の事を聞きもせず、そのまま保健室を出て行ったということになる。
 まるで、始めから時任が居ない事を知ってるかのような不審な橘の行動…。
 なぜ、赤くなっていたのかまではわからないが、もうすでに時任は橘の魔の手に落ちているような気がしてならなかった。
 「ち…っ、私とした事がぬかったわ…!!」
 軽く舌打ちをした桂木は、松原と室田に鋭い視線を送る。
 すると、桂木の言いたい事を視線だけで理解した二人は、同時にうなづいた。
 久保田と時任が両想いになり、元の二人に戻る事を、執行部では補欠を除く全員が望んでいる。だから、ヤキモチを焼かせるという作戦について異論はないが、時任を危険な目に遭わせる訳にはいかない。
 橘が聞いたら、そんなに信用ないんですか?と優雅に微笑みつつ言いそうだが、きっと、誰もが首を横に振らず激しくうなづくに違いなかったっ。
 何を隠そう…というより、別に隠してはいないらしいが、橘は男にしておくのが惜しいほど、美しい顔に優雅な微笑みを浮かべてはいるが…、
 あの容姿は整ってはいるが、可愛いと言い難い松本会長を相手に攻めまくる…っ、
 
 完璧鉄壁なっ、攻めだったっ!!!!!
 
 『ふふふ…、あの人は本当に可愛い人なんですよ』
 松本を相手にそんなセリフを吐けるのは、完璧鉄壁攻めな橘だけっ。
 橘は人を見かけで判断してはいけないという、まったくもって良い見本だった。
 そんな攻め攻めしい橘が本気を出せば、時任の貞操は奪われたも同然っ。
 松本の件だけではなく、久保田に屈折した感情を抱いているように見える橘が本気にならない保障はどこにもなかった。
 その証拠に…、すでに保健室に橘の姿はない。
 まさかと思ってはいたが、今、まさに嫌な予感が現実となって桂木達の前にあった。
 「やっぱり、こんな作戦…、反対するべきだったわね」
 人差し指で眉間を押さえた桂木が、思わずそう呟く。
 そして、そんな桂木の近くで、松原が竹刀を構えた。
 「止められないのなら、この竹刀で切り捨てるまでですっ」
 「う、うむ、その気持ちは俺もわかるのだが、し、竹刀では殴れても切れないと…」
 「僕に切れないものはないっ、たとえ竹刀だろうと気合いで切ってみせるっ!」
 「そ、そうだな…」
 完全にやる気になっている松原のボケに、室田はツッコミを入れ切れない。これもやはり恋する故なのか、松原が青を赤と言えば、なんとなく赤に見えてくるから不思議だ。
 だが、自分に言い寄ってくる相手を容赦なく、冷たくフリ続ける。
 しかも、自分にそういった意味での好意を持っていると感じた瞬間に、急速に冷たくなる松原を見ていると…、そんな恋心も冷たく凍りつきそうだった。
 やはり、想いが通じただけでも奇跡で、それ以上は望んではいけない。
 自分のようなむさ苦しい大男に言い寄られてうれしいはずなど、ないのだから…。
 今から、橘の魔の手から時任を救い出さなくてはならないのに、ふと、そんな事を考えてしまった恋する乙女心を持つヤクザな大男の、サングラスに隠された瞳にじわりと涙が滲む。すると、いつもは凄まじく鈍い松原が、室田の様子がおかしい事に気づいて、小さく首をかしげて室田の顔を覗き込んだ。
 「どうかしたんですか? 室田」
 「あ…、いや、なんでもない」
 「何でもなくはないでしょう…、泣いてるのに」
 「・・・・・っ!」

 む、室田が泣いているっ!!!!!

 松原の言葉に衝撃を受けた桂木が相浦が、そして藤原が驚いた表情のまま固まるっ。何がどうしたのかはわからないが、泣いているらしい室田を慰めるように見つめる松原は…、なんとなく直視できない何かがあった。
 松原は背伸びして手を伸ばして室田の髪に触れると、よしよしと撫でる。
 そして、更に背伸びすると…、室田の頬に軽く唇を寄せた。

 「お願いですから、泣かないでください…。室田が泣くと、僕はどうしたらいいのか、わからなくなりますから…」

  ・・・・・・・・・ちゅっ。

 うわぁぁぁぁぁぁーーーっ!!!!!!!
 今まで気づかなかったけど、こんな所にもっ!!
 こんな所にもバカップルがぁぁぁー…っ!!!!
 室田を優しく見つめる松原と、そんな松原の前でポンッと火を吹きそうなほど真っ赤になった室田をうかつにも見てしまった面々は心の中で絶叫し、いっせいに目を耳を塞ぐっ。背筋をゾクゾクと這い上がってくるような恥ずかしさに、桂木は思わずハリセンを振り上げかけたが、相手が松原と室田だったため、ぐぐっと耐えてかろうじて踏み留まったっ。
 「まっ、ま…っ、ま…っっっ!!」
 「僕らはまだ高校生ですから、今はここまで…」
 「松原…っ」
 「後は卒業してからですね」
 「・・・・・っ!!!!」
 まるで、今日の天気を話すように、松原が信じられない事を口にする。すると、ますます室田は赤くなり、目眩を起こしたようにフラフラと近くの壁に寄りかかった。
 うれしさと恥ずかしさで室田の乙女心は、破裂寸前っ。
 もしかしたらと心配していた事が、ただの杞憂だとわかって…っ、
 本当に松原が自分を好きでいてくれて、ちゃんと付き合ってるんだとわかった上に、始めて頬にだがキスされて…っ、瞳に滲む涙はいつの間にかうれし涙に変わっていた。
 だが・・・・、そんな室田の乙女心ではなく、男心を木っ端微塵にする一言を、この場にいる全員の視線が新生バカップルに集中している間に入り込んできた通りすがりのストーカーが耳元で囁く。すると、赤くなっていた室田の顔が、サァーっと音を立てて真っ青になった。

 「前々から言おうと思ってたんだけど…、たぶん松原って攻めだから」
 
 ま、松原が攻めってっ、な、何の話だっ!?

 「最初は痛いみたいだけどさ。回数こなせば、それなりに慣れるらしいし」

 痛いってっ、慣れるって…っ、俺は松原に一体何をーっっ!?

 ストーカーののほほんとした囁きに、室田は全身を硬直させる。
 今まで、少しもそんな気配がなかったから考えもしなかったが…、
 松原の発言からすると、高校を卒業したら…、頬にチューよりも先に進んで…、
 だが、乙女な室田の想像はキス以上には進まないっ。
 しかし…っ、まるっきり知識がない訳ではなく…っ、
 それが自分の身に起こるかもしれないと考えた瞬間、あまりの恐ろしさに心と手とプルプルと震えだす。すると、恐怖に震える手を優しく握りしめた松原が、爽やかな笑顔で室田を恐怖のどん底に叩き込んだ。

 「優しくしますから…、二人のために一緒に頑張りましょう、室田」


 ぎゃあぁぁぁぁぁーーー…っ!!!!

 
 あまりの恐怖に桂木達に続き、室田も両手で耳を塞ぐっ。
 聞きたくないっ、聞きたくないっ、聞きたくなーいっっ!!!
 だが、まるでそれを許さないとでも言うように、ポンポンと元気付けるように室田の叩いたストーカーは、普段は起きているか寝ているかわからない細い目を開眼するっ。そして、無言で耳を指で指し示し、全身から漂う冷気と共に手を外す事を伝え…、
 塞ぐ物の無くなった耳に、地を這うように低く冷やかな声を響かせた。

 「・・・で、こんなトコに皆サマお揃いで、一体、ナニしてたのかなぁ? 俺もヒマじゃないし、手短かに教えてくれるとありがたいんだけど…、ね?」

 口調はあくまでのほほんとしているが、最後の…ね?が凄まじく恐ろしい。
 恋する相手の前では告白もできないヘタレ犬だが、それ以外の前では地獄の番犬っ。開眼させた目をゆっくりと細めると、ストーカーは飛びついてきた藤原を珍しくサッと避けてかわした。

 「ウチの子…、ドコ行ったか知らない?」

 地獄の番犬こと久保田誠人はストーカーらしくなく、時任を見失っている模様。
 どうやら、松本の策略で職員室に呼び出されている間に、時任を見失ったらしい。
 そして、どこから何から話そうかと、桂木が頭を抱えつつ覚悟を決めた頃、学校から姿を消した時任は、同じクラスの遠藤という男子生徒と並んで道を歩いていた。
 遠藤は教室では時任の前の席で、クラスメイトの中でも比較的良く話をする方である。真っ赤になって駆け出したどり着いた屋上で、そんな遠藤から新しいゲームを買ったから遊びに来ないかと誘われた時任は、今の状況もあって二つ返事で行く事にした。
 「へー…、遠藤んちってココらヘンなんだ? なんか、自転車通学してたような気ぃしてたけど、案外近かったんだ?」
 「あ、あぁ…、うん、まぁな」
 時任は遠藤に案内されながら、遠藤の家に向かう。
 しかし、さっきから遠藤は、そわそわしていて様子がおかしかった。
 通い慣れた道のはずなのに、キョロキョロと辺りを見回したりしている。そんな遠藤の様子に時任は気づいてはいたが、少し疑問に思ったくらいで、警戒心を抱いたりはしていなかった。
 だが・・・・、実は遠藤が向かう先に、遠藤の家はない。
 向かう先で待っているのは、新作のゲームではなく…、
 まるで赤ずきんちゃんに出てくるオオカミのように、時任を罠にかけようと手ぐすね引いて待っている…、優雅な微笑みを浮かべた攻め攻めしい人物だった。

 「さぁ、早く僕の所へいらっしゃい、赤ずきん…。骨まで残さず、おいしく食べてあげますから…」

 恋人公認の浮気というのも、また乙なものですね。
 赤ずきんを待つオオカミは、遠藤に張り替えられた表札の辺りを窓から眺めて、ふふふ…と笑う。桂木達と接触した久保田が、いつオオカミのいる家までたどりつけるのか、そして食べられる前に赤ずきんを救助できるのか…っ、
 生徒会本部で一人成り行きを見守っているのは、生徒会会長の松本。だが、今から浮気しようとする恋人を思い浮かべた松本は、らしくなく大きくため息をついた。

 「確かに俺は認めた…が、それを望んだのはお前だ…。お前がその気なら、俺も浮気してやる…」

 冗談なのか本気なのか、松本の呟きが生徒会本部に響いたが…、
 それを聞いた人物は、一人を除いて他には誰も居なかった。
 


 
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