ラブパニック.5




 今日の晩メシは何にしようか…と思いつつ、立ち寄るのはコンビニ。
 そして、そこで買うのはコンビニ弁当とビール。
 荒磯高校から住んでいる場所までの距離はそれなりにあり、様々な店が軒を連ねているが、なぜかいつもコンビニ弁当に落ち着いてしまう。たまに飲みに行く事はあるが、ゴミの日に出す袋の中にあるのは弁当の空きガラやビールの空き缶が主だった。

 「最近、揚げ物ダメなんだよなぁ…、それってやっぱ歳?」

 コンビニ袋片手に、そう呟いたのは英語教師の三文字。
 荒磯高校に勤務しているが、存在感ははっきり言って薄い。
 生徒に三文字の事を尋ねると、あー…、あのオヤジね…で説明が終ってしまう。そんな三文字の髪はボサボサではないが、どこかボサっとしているし、着ている背広はヨレヨレではないが、どこかヨレている。
 良くわからないが、三文字はそんな印象の男だった。

 「あ…、また生徒指導室のカギかけ忘れたような気がするけど、まぁいいか〜…」

 自宅であるアパートへの道を歩きつつ、三文字がそう言ってポリポリと頭を掻く。
 いいワケねぇだろーっっ!!…と、この場に時任が居たらツッコミそうだが、突っ込んでも学校に戻らない確立は120パーセントだった。
 そして、何かマズい事が起きると執行部に駆け込む。
 そんな事を何回か繰り返しているため、執行部とは縁が深いというよりブラックリスト。相浦が作成しているという要注意人物のランキングでは、不良である大塚よりも上だった。
 そのため、三文字が生徒会室に入ると、まず最初に露骨に嫌な顔をした桂木に…、今度は何したんですか?と聞かれてしまう。すると、三文字は誤魔化し笑いをしつつ、いつも後ろ頭を掻きながら悪事ではなく、自分の犯したミスについて話し始める訳なのだが…、
 今日は住んでいるアパートの部屋の前で、うーんと唸りつつ後ろ頭を掻いた。
 
 「・・・・・・・・・・まぁ、いいか」
 「…って、何がいいんだよっ!!!!」
 
 三文字の呟きに、絶妙なタイミングでツッコミが入る。
 しかも、ツッコミを入れたのは聞き覚えのある声。だが、三文字はそれがわかっていながらも、何も言わず何も見ずにドアの鍵を開けた。

 ・・・・・・さっきから足元に何か居るが、アレは近所のノラ猫だ。
 うんうん、ノラ猫という事しておこう。
 絶対ノラ猫だ、ノラ猫、ノラ猫。

 そんな感じに心の中でノラ猫の呪文を唱えた三文字は、ふんふふーんと鼻歌を歌いなから、コンビニ弁当片手にドアを開け、玄関に足を踏み入れる。しかし、無事に玄関に踏み入れられたのは右足だけで、左足はノラ猫に捕らわれてしまっていた。
 「まぁ、いいか…で済まされてたまるかっ! 必死でココまで逃げてきたのにっ!」
 「なら、もっと遠くへ逃げた方がいいぞ。ココは学校からあまり離れてないし、壁もドアも薄いし、弁当も一個しかない。うん、そうしろ、そうしよう…、なっ?」
 「とか言いつつ、ドアを閉めようとすんな…っつか、弁当って何だよっ、弁当ってっ! それに自分んちの前でいたいけな教え子が困ってたら、教師として話くらい聞きたくなるだろっ!?」
 「あー…、俺の場合はならない、全然ならない、まったくならない。確かに教え子ではあるが、今は時間外。それにお前、いたいけじゃないしなぁ〜」
 「だーっ! このっ、鬼教師っ!!」
 「あ…、鬼とか言う生徒は部屋には入れたくないだろう、普通…というワケで、また明日でさよなら〜」

 「うわぁぁあっ、待てーーっ!!」

 時任が何から逃げているのかは知らないが、自分の所に来た時点で嫌な予感がする。もしも、本当に何か追われているとしたら、まず久保田の所へ行くはずだ。
 それから、久保田がダメな時は、他の執行部員の所へ…。
 なのに、わざわざ教師である三文字の所へ来たという事は、時任を追っている人間は執行部員では歯が立たない人物である可能性が高い。それに、そもそも時任が反撃もせずに、逃げなければならない相手なんて、そうそう居るはずがない。
 もしも、居るとしたら…、アイツしかいないっ!
 それは予感というよりも、すでに確信に近かった。
 
 「・・・・ついにガマンの限界を超えたとか?」

 この件に関わってしまったために、哀れ根も葉もない噂の餌食となった相浦のような事を考えると、三文字はくすぐって脱出を図るために上から時任の脇腹に手を伸ばす。だが、そうしようとした瞬間、下の方から怒鳴り声が響いた。

 「痴話喧嘩は他所でやれっ、うるせぇぞっ!!」

 は〜い…、スイマセーン…。
 同じアパートの住人に痴話喧嘩の濡れ衣を着せられた三文字は、はぁ…とため息をつく。すると、中に入れてもらえると思った時任が目をキラキラとさせた。
 そんな時任はノーマルな三文字の目から見ても、可愛いと言えないコトもない。
 …が、しかしっ、三文字は玄関に踏み入れていた足を外に出すと、開けたはずのドアを閉める。そして、ツカツカと歩いて隣の部屋の前に立つと、一つ咳払いをした後、コンコンコンとノックした。

 「こんばんわ〜、黒ネコ引越しセンターです。引越しの黒ネコをお持ちしましたぁ〜」
 
 コンコンコンコン…っ!

 「黒ネコ届いてますヨー」

 そんな三文字の言葉に、どこに黒猫が?と時任が辺りを見回す。
 だが、本物のノラ猫も黒猫もここにはいない。
 居るのは、まるでストーカーのように執拗に追ってくる、同居人兼相方から逃げている男子高生。しかし、三文字は隣の部屋へ黒猫の届け物をしようと、コンコンコンと執拗にノックし続ける。
 すると、勢い良くドアが開き、怒った住人が苦情を言うために中から出てきた。

 「てめぇっ、三文字っ! 人の部屋の前で何騒いで…っ!!」

 隣の部屋から出てきたのは、若い男。
 だが、その男はツバを吐く勢いで三文字に怒鳴り、襟首を掴みかけ…っ、
 それから、三文字と一緒にいる時任の存在に気づいて、ピシッと音を立てて固まる。
 そして、そのまま男は、開けた時と同じ速度でドアを閉めた。
 「なんだぁ? さっきのヤツ誰?」
 男の不審な態度に、時任が思わずそう尋ねる。
 すると、三文字はあー…と気の抜けたような返事をした。
 「誰って、そんなの徹に決まってるだろう」
 「とーる? とーるって?」

 「だから、さっきのアレは・・・・・・」

 …っと、三文字が何かを言いかけた瞬間、さっきの十倍の勢いでドアが開きっ、
 バシーンっと気持ちいい音を立てて、スリッパが三文字の脳天を直撃するっ!
 すると、そのスリッパは更に隣に居た時任の脳天も直撃しかけたが、キラーンと目を光らせた黒猫ではなく、時任が持ち前の反射神経で白羽取りにした。
 「このっ、オカマ校医っ! なんで、てめぇがんなトコにいんだよっ!!」
 「それはこっちのセリフよっ! 単細胞バカっ!」
 「ぬあにいぃっ!!」
 「なんですってぇぇっ!!!」
 隣の部屋から出てきたのは、さっきの若い男ではなく…、
 荒磯高校に勤務する、校医の五十嵐。
 五十嵐はいつも派手な化粧をして、生徒を誘惑するかのどこく際どい服装をしたボンッキュッボンのナイスバディの美人だが…、実は歴とした男である。今、時任の目の前にある素晴らしい大きさをした胸も、パット入りのウソ胸だった。
 「相変わらず、ルパンも真っ青な素早い変装っぷりだなぁ、五十嵐センセイ」
 「・・・・・・・・うるせぇっ、誰が変装だ、くそオヤジ。それ以上、何かいうとタマ潰すぞ」
 「おー、怖っ! ま、とりあえず、ソイツはお前に任せたからなぁ」
 時任がオカマだとか厚化粧だとか言いながら五十嵐の頬を引っ張り、五十嵐が単細胞とか単純とか言いながら時任の頬を引っ張っている。そんな状況が目の前で展開されていたが、三文字はそう言ってヒラヒラと手を振った。
 そして、コンビニ弁当を食べるために、素早く逃走し自分部屋へ戻る。
 戻って二人が侵入してくるのを防ぐために、ドアに光速で鍵をかけた。
 だが、しかし…っ!!
 自分の部屋のドアを開け、中に入ると驚きのあまり全身をビクッと震わせ、次に恐ろしさのあまりカチコチに硬直した。

 「あ、すでに入っといてなんですけど、お邪魔してマース。そんでもって、今日は泊まる予定なんで、どーぞヨロシク〜。それから部屋のカギは開けっ放しにしとくと、ドロボーとか殺人犯とか入ってきちゃうし、閉めといた方がいいと思いますけど? ほんっと、最近物騒だよねぇ?」


 ・・・・っていうかっ、物騒なのはお前だぁーーーっ!!!!!!

 
 黒猫の引越しは何とか成功したが、その隙にストーカーの侵入を許した三文字。
 そんな三文字の手から、ポトリとコンビニ弁当と缶ビールが落ちる。
 薄い壁の向こうから聞こえてくる、ギャアギャア言い争う時任と五十嵐の声を聞きながら、三文字はこんな事なら黒猫の方が…っと頭を抱え…っ、
 すると、三文字を思考を読んだのか、ストーカーの口元に笑みが浮かんだ。
 「自分んちの居間でいたいけな教え子が困ってたら、教師として話くらい聞きたくなるよねぇ? また、テスト置いてる進路指導室に、カギをかけ忘れた三文字センセ?」
 「・・・・・うぅっ」
 「アレ? もしかしてならない?」
 「き、聞きたいっ、ものすっごく聞きたくなったよ。うん、聞きたいなぁ〜、いたいけな生徒のオハナシっ」

 「そう? じゃあ話すけど…、実は時任が・・・・・・」

 そんな感じで基本的に不眠症気味のストーカーの悩みではなく、ノロケを延々と一晩中聞かされた三文字は砂を吐きすぎ、翌日、五十嵐に発見されるまで真っ白になっていたらしい。そして、荒磯高校の公認バカップルの追いかけっこは翌日まで持ち越され…、
 今日も元気に時任は久保田から逃げ、久保田は時任を追いかけているらしかった。



 
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