ラブパニック.2





 な、なぜ…、俺がこんな事になってるんだ!?


 相浦が心の中でそんな風に呟いた場所は、荒磯高校の一階廊下。
 二階や三階の廊下に比べて、一階は人通りが多いのだが、呼び止められたのがここなのだから、あきらめるしかない。あきらめるしかないのだが、さっきから通りすぎる生徒達の好奇の視線が背中や横顔に突き刺さるのが、気になって仕方がなかった。
 そんな事になっている原因は、相浦の横に立っている人物。荒磯で知らぬ者など居ないと言われている、相浦も所属している執行部、最強コンビの片割れ…、
 ラブリー久保田こと、久保田誠人。
 誰の目から見ても高校生に見えない、くわえタバコの似合う17歳。
 8月がくれば18歳になるらしいが、どう見ても20歳は越えているように見える。
 しかも、今日は頬に殴られた跡まであって…、かなりワイルドだ…。
 そんな久保田の背後には高校の校舎よりも、なぜかどこぞの組事務所が似合うような気がしてならなかった。

 「おい、今の見たか? 久保田の頬…」
 「珍しいよな…っていうか、やったヤツは生きてんのか?」
 「生きてねぇかもよ。なんか久保田って、マジやばいって話だし…」
 「まさか、殴ったの横にいるヤツじゃねぇよな? あれって、確か同じ執行部の…」
 「あー…、あのちっこいヤツ?」
 
 お、俺はやってないっ、無実だっていうかっ!!
 ちっこいヤツって何だっ、ちっこいヤツってっっ!!!!
 通り過ぎていく生徒達の会話を耳にした相浦は、心の中でそう叫ぶ。
 だが、ひょろりと背の高い久保田の横に立っていると、お世辞にも高いと言えない相浦の身長はいつも以上に低く見える。その上、久保田が珍しく深刻そうな顔なんてしてるものだから、妙に勘ぐられたり、濡れ衣を着せられそうになったりするのだ。
 廊下を歩いていた相浦の肩を後ろからポンポンと叩いて呼び止めた久保田は、今みたいな深刻そうな顔で相談あるんだけど?…と、言った。しかし、同じ執行部に所属しているとはいえ、深刻な相談を持ちかけられるような関係じゃない。
 別に悪くはないが、特に良くもないといった程度だ。
 
 俺に相談するくらいなら、時任に相談しろよっ!
 相方だろっ!??
 
 本当はそう言いたいが、久保田を包む陰鬱な空気に飲まれて言えない。
 しかも、相談があるといいながら、さっきから久保田は黙り込んだままだ。
 そのせいか雰囲気だけではなく、空気まで悪い気がするっ。このままだと久保田から発生した淀んだ空気にやられ、確実に窒息するに違いないっっ。
 そう思った相浦は手のひらと背中に嫌な汗をかきながら、とりあえず勇気を出して相談は何かと久保田に聞いてみる事にした…が…、
 そんな相浦に気づいたのか、久保田の方が先に口を開いた。
 「ねぇ…、時任から何か聞いてない?」
 「な、何かって、何が?」
 「だから、何か聞いたり、相談されたりしてないかって…」
 「それなら、今、時任じゃなくて久保田にされてるけど」
 「あぁ…、まぁ、それはそうなんだけどね」
 
 …って、いきなりワケわかんねぇーっ!!!!!

 陰鬱な空気に包まれた久保田は、陰鬱そうに妙な事を聞いてくる。
 だから、今度は思った事をそのまま口に出して、
 「時任が相談する相手って言えば、俺じゃなくて久保田だろ?! 久保田が知らないなら、俺が知るワケないじゃないかっ」
 と、この場から逃げ出したい一身で、そう言ってみた。
 だが…、しかし…っっ、
 相浦の言葉を聞いた久保田は、なぜか深くため息をつく。
 そして、口元に微笑を浮かべながら相浦を見た。
 「なんのかんの言って、相浦って時任と仲良いよね。いつも一緒にゲームとかして遊んでるし…、時任の帰りが遅い時って、いつも相浦がらみだし?」
 「い、一緒にゲーセンとか回ってて、ちょっと遅くなる事があるだけだろ」
 「・・・・・・そう」
 「そ、そ、それに、そういう時って久保田が生徒会本部とかに呼び出されてて居なくて、ヒマな時だけだしさっ」

 「・・・・・・・ふーん、俺の居ない時、ね」

  久保田がそう言った瞬間、外からの光が当たったのか眼鏡のレンズがキラリ…ではなく、ピカッと光った気がして、相浦は心の中でうっわぁぁあ…と叫ぶ。
 相談があると呼び止められたはずが、いつの間にか…、からまれている!
 気のせいではなくっ、思いっ切りからまれてるっ!!
 一緒にゲーセンに行っただけなのに、デートに行った勢いで嫉妬されてるっっ!!!

 手だって繋いだ事ないのにっ…て、それは違うか・・・・。
 
 そう心の中で呟いた相浦は、とりあえず話題を変えようと試みる。
 とにかく、早く話題を変えて、この場を立ち去ろう。
 今の久保田と話続ける事に危険を感じた相浦は、陰鬱な表情をしている原因と思われる殴られた跡について聞いてみた。
 「ちょ、ちょっと話は変わるけど、その頬の跡はどうしたんだ? 久保田が殴られるなんて珍しいじゃん。もしかして、公務の時とか…、でもそれって有り得ないか…、あははは…っ」
 普通に喋ったつもりが声も、無理やり浮かべた笑顔が引きつっている。
 しかし、久保田は別に気にした様子もなく、あぁ、コレね…と言いながら、殴られた頬に軽く手を当てた。
 「コレは、時任」
 久保田の口から、スルリと出てきた名前に相浦は久保田が時任に殴られる状況を想像して、頭の中で色々と展開させる。しかし、二人がケンカしたとしても、その原因はいつも犬も食わないようなものだし、それくらいで久保田は陰鬱な顔にはならない事はわかっていた。
 セクハラ紛いの事は毎日しているし、それには時任も慣れていて、どうやらジャレ合いとか冗談とか、そういう意味で受け取っているらしいが、本当はジャレ合いでも冗談でもない事を相浦は知っている。知らぬは本人ばかりなり…だ。
 時任にセクハラする久保田には、邪な欲望が見え隠れしている。
 いや、見え隠れではなく…、かなり見え見えだ。
 その中で一番確立の高そうな状況は、やっぱり久保田が有り余る欲望に耐えかねて本気で襲ってしまった場合。 そこに思い至った相浦は歪んだ笑みを浮かべながら、額に汗まで浮かべ…、久保田の肩をポンと叩いた。
 「あの、その…、なんだ。うん…、やっちゃったモノはしょうがないし…、時任もいつかはわかってくれるかもしれないからさ、げ、元気出せよ…、なぁんて…」
 男なのに男にやられた時任を思うと、気の毒でならない。
 もしも自分が…と思うと、背筋に冷たいモノが走りプチプチと腕に鳥肌が立つ。
 想像しただけで、うわぁあぁぁっと頭を抱えて叫びたくなった。
 男同士って、確かアレがアソコに…っ!
 うわぁ…、なんか生々しすぎるっ!!!!!
 ぎゃーっ、想像するなっ、俺っ!!!!
 俺はノーマルっ、俺はノーマルなんだぁぁっ!!!
 頭の中で絶叫する相浦に励まされた久保田は、不思議そうに首をかしげる。
 そして、更に陰鬱そうな表情で、重い息をはーっと息を吐いた。
 「今朝、いつものように時任を起こしたんだけど、なぜか起きた瞬間に大声で叫ばれて殴られたんだよねぇ…。何か怖い夢でも見たのかと思ったけど、そうじゃないらしいし…」
 「・・・・・は?」
 「しかも、それから一度も目も合わせてくれないし、3メートル範囲内に近づくなって言われちゃうし? そんなのって一緒に住んでて無理だよねぇ…。そもそも、そんな風に言われちゃう理由がわからないんだけど」
 「…って、嫌がる時任を無理やりってのじゃ…っ」
 「無理やりって何が? さっきもやっちゃったって言ってたけど、別に時任が嫌がるようなコトした覚えないよ。時任が嫌がるコトなんて、したいと思わないし?」
 てっきり久保田が時任を襲ったと思い込んでいた相浦は、久保田の思わぬ発言にぽかんと口を開けたまま固まる。さっきまで頭の中で、叫びながら逃げ回る時任を、無理やり捕まえて、とても口では言えない事をしている久保田を想像していたが…、
 そう言えば一緒に暮らしながら、二人が未だにキスもしていない清い仲なのを思い出した。それを知っているのは冗談交じりに時任に聞いた事があるからだが、あれだけ毎日イチャイチャ、イチャイチャしていて信じられない話である。
 けれど、その時、時任はきっぱりハッキリと否定した。

 『俺はホモじゃねぇっつーか、相方なのにチューとか有り得ねぇだろっ』

 その時の事を思い出して、なんとなく遠い目になった相浦は…、
 殴られた上に近づくなと言われて陰鬱な顔をしている久保田が本気で気の毒になり、今度は本気で慰めるために肩ではなく背中をポンポンと叩いた。
 見た目はオトナだけど…、久保田も高校生だったんだなぁ…。
 好きな子にチューどころか、告白もできない上に…、

 もしも童貞だったりなんかしたら、なんだか泣けてくるような気が…っ!

 「・・・・・・・・・・・・なんだかわからないけど、ゴメンな」
 「うーん、同じくなんだかわからないけど、もしかして俺って同情されてる?」
 「生きてれば、今に良い事あるよ」
 「…とか言われても、別に死ぬ気ないし?」
 さっきと違って二人の間には友好的な空気が流れてはいるが…、全然、見事なまでに会話が噛み合っていない。恐ろしいまでに、全然噛み合っていなかった。
 しかし、そんな二人の横を通りかかった人物が、更にそれに拍車をかける。
 何の偶然なのか何の冗談なのか、二人の横でピタリと足を止めた生徒会副会長の橘は、相浦と久保田を交互に眺めると妖艶に微笑んだ。

 「こんな人目につく場所で浮気ですか? 時任君が知ったら悲しみますよ?」

 あんなにイチャイチャしながら、時任と久保田が未だに清い関係なのを橘が知ってるかどうか相浦は知らない。だが、妖艶に微笑む橘を見ていると…、どうも知っていて言っているような気がしてならなかった。
 橘の微笑みは見惚れるほど綺麗だが、その微笑みには棘と毒がある。
 ノーマルな相浦は、いつ間にか妖艶に微笑む橘とのほほんと微笑む久保田に囲まれ、さっきよりも悪くなった状況に顔を青くした。
 後ろには壁、右に久保田、左に橘…。
 逃げ出すために前に出ようとしたが、その瞬間に二人の視線がいっせいに自分の方を向き、相浦はうわぁっっ!!と心の中で悲鳴をあげた。

 「ドコ行くつもり? まだ話終ってないんだけど?」
 「貴方に聞きたい事があるので、ここに居てくださると助かりますが?」

 同時にそんな言葉を投げかけられ、相浦は半泣き状態で固まる。睨み合いならぬ微笑み合いを続ける二人は、どうやらお互いに話すつもりはないらしく、無関係な相浦に話しかけてきた。
 ただでさえ目立つ二人が並んで立っている上、小さな相浦がその間に挟まれているとなると、これはただ事で無いと廊下を通りがかった生徒達の好奇な視線が、さっきよりも強く久保田と橘だけではなく相浦にも向けられる。微笑みと冷気を飛ばし合う二人の話題は、主に時任の事だったのだが、少し離れた位置から三人を眺める生徒達にはそうは見えない。
 まるで、二人が間にいる相浦をめぐって争っているように見えていた。

 ぎゃあぁあーーーーっ!!!誰か助けてくれっっ!!!!!!

 そんな相浦の叫びを無視して、根も葉も無い噂は校内に広まり…、
 放課後になる頃には、ほぼ全校生徒が知る所となる。
 けれど、そんな噂が広まっても、相浦は相変わらずノーマルで…、
 ラブラブバカップルな久保田と時任は、未だキスもした事がない清い仲らしかった。




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