ラブパニック.1




 晴れ渡った空に伸びていく、一筋の飛行機雲。
 それをじーっと眺め、通っている高校の屋上で良く冷えたパックのイチゴ牛乳をストローから、ズズーっと音を立てて飲んだ桂木は、はぁ…と盛大にため息をつく。そして、空に向けていた視線を、屋上の入り口へと投げた。
 けれど、未だ入り口のドアはピクリとも動かない。
 実はある人物に呼び出されて、桂木は屋上にいる。
 だが、持って来たイチゴ牛乳を飲み終えても、待ち人は現れなかった。

 「…ったくっ、呼び出しておいて何やってんのよ! あのバカはっ!!」

 そう叫んだ桂木は、イライラと手の中のパックを握りつぶす。すると、そのタイミングを待っていたかのように、バーンっと激しい音を立ててドアが開いた。
 しかし、走ってきて息切れしたのか立ち止まり、すぐには屋上に入って来ない。
 そんな相手に痺れを切らした桂木は、白いハリセンを片手にズンズンとドアまで歩いていくと、バシィィイっと勢い良く待ち人の頭を叩いた。
 「おそーいっ!!!!」
 「いってぇーっっ!!!!!」
 派手なハリセンの音と共に殴られた人物…、時任稔の叫び声が木霊する。
 だが、叫んだわりにあまり痛そうにしていないのは、桂木が手加減したからではなく、ただ単に殴られ慣れているせいに違いない。一日に少なくとも1回…、いや3、4回はハリセンの餌食になっている。
 しかも、いつもは天誅っという言葉付きで、桂木は時任にハリセンを振り下ろしている。
 そして、そんな時任の横には決まって…、ある男がいるのだ。
 
 ・・・・・・久保田誠人。

 桂木の所属している生徒会執行部の部員にして、同じく部員の時任の相方。
 だが、この二人は相方というだけではなく、同じマンションに住む同居人でもある。
 つまり学校でも家でも一緒…という事になるのだが、その中の良さというのは、ただの相方や同居人というには、あまりにも度が過ぎていた。
 毎日毎日、学校で公衆の面前でイチャイチャイチャイチャ…、たまりかねてハリセンで叩いても、それが止むことはない。バカップルという言葉がピッタリの二人だ。
 校内の誰もが知っているし、ラブラブカップルとして公認されている。
 しかし・・・、桂木に相談があると屋上に呼び出した時任は、顔を真っ赤に染めて痛む頭を右手でさすりながら信じられない事を口にする。その言葉を聞いた瞬間、桂木はすでに飲み込んだはずのイチゴ牛乳を口から吹き出しそうになった。

 「あ、あのさ…、今まで気づかなかったけど…、俺っ。もしかしたら、久保ちゃんのコト好きかもしんねぇ…っっ」


 ぶーーー…っっっ!!!!

 ちょ…っ、今、このバカなんて言ったっ!??
 心の中で盛大に噴出し叫んだ桂木は、握りしめていたパックをポトンと下へと落とす。
 けれど、そんな桂木の様子に気づく事なく、時任は顔を赤く染めながら告白を続ける。その内容に頭痛を感じた桂木は、こめかみを押さえながら、ハリセンを握りしめた手をプルプルと震わせた。
 「久保ちゃんのコト、相方だって思ってるし…、そういうイミでは好きだし…。けど、なんか最近、久保ちゃんの傍にいるとドキドキが止まんなくてさっ。だ、だから、もしかしたら俺って相方とかってイミじゃなくて好きなのかもって…っ」
 「・・・・・・・・」
 「そう思ったら、どーしていいかわかんなくなってっ、意識し始めたら久保ちゃんのカオもまともに見らんねぇし…っ」
 「・・・・・・・・へぇ、ふーん」
 「って、マジメに聞けよ! ヒトがマジで相談してんのにっ!!」
 必死の形相で時任は、桂木に恋愛相談を持ちかけている。
 だが、そんな時任を、桂木は生ぬるい笑みを浮かべ見つめていた。
 毎日毎日っ、ベタベタくっついててキスどころか、それ以上の事も数え切れないくらいしていそうな二人でありながら、時任は好きだと意識し始めたら顔をまともにみられなくなったなんて冗談みたいな事を言う。それだったら、実はお腹に二人の子供が…とか言われた方が、まだ信じられそうだった。
 どこからどう見ても時任は男だが、何かいつも怪しい雰囲気を醸し出している久保田なら、変態一歩手前的な愛で妊娠くらいさせられるかもしれない。いや、むしろ…っ、それくらいが普通くらいに思えるから不思議だった。

 ・・・・・・・・完全に毒されているわ。

 時任の天然記念物並のニブさと、二人に汚染されている自分の思考回路を嘆きながら、桂木は盛大にため息をつく。そして、そんな桂木のため息を聞いて怒っている時任を、はいはい…と軽くいなして宥めると、桂木は回りくどい事は何も言わず、恋に悩む時任の真正面に直球を投げた。
 「だったら、告白すればいいじゃない」
 「・・・・は?」
 「だーかーらっ、好きだって気づいたなら、さっさと告白しちゃいなさいよ」
 「えぇぇえっっ!? な、なに言ってんだよっ、桂木っ!」
 「一言、好きだーって言えば済む事じゃない?」
 「す、済むって、そんな簡単に行くワケねぇだろっ!俺も久保ちゃんも男だし! 告白したって気持ち悪がられるだけかもしんねぇじゃんか…っ!!」
 「・・・・・・・・」
 久保田も時任も男…、そして気持ち悪がられる…。
 周囲の人間が目を覆いたくなるほど、久保田とイチャイチャしていた時任の口から、妙な言葉を聞いた桂木の生ぬるい笑みが、更に生ぬるくなる。どこをどうしたら、あんなに毎日バカップルよろしくイチャイチャしていて、そんな発想が生まれるのか…、それは桂木の通う荒磯高校最大の謎だった。
 「残念ながら、それは100パーセント無いわ」
 桂木がキッパリとそう言い放つと、時任は眉間に皺を寄せて表情を曇らせる。
 そして、唇を噛みしめて俯いた。
 「なんで、久保ちゃんでもないのに、そんなコト断言できんだよっ」
 「そんなの、この学校に通ってる生徒なら誰でも断言できるから、あたしにだって断言できるに決まってるでしょ?」
 「はぁ? 言ってるイミわかんねぇしっ」
 「別にそれは理解しなくてもいいから、とにかく、さっさと告白しなさいって事よ」
 「そんな簡単に告白できたら、桂木に相談なんかするワケねぇだろっっ。そんなの言えねぇし、けど、なんか態度が不自然になっちまうしっ、だから相談してんじゃねぇかっ!」
 「だったら、そんなトコでうじうじ、うじうじしてないで、あたしのアドバイスに素直に従いなさいよっ。そうすれば、すぐに解決するからっ」
 「イヤだ」
 「時任っっ」
 「ぜっってぇっ、告白なんかしねぇっっ! 気味悪がられたり、気持ち悪がられるくらいなら、今のままでいいっ」
 
 ああぁぁぁっ、もうっ!!!コイツの頭を思い切り殴ってやりたいっ!!!!

 頑なに告白するのを拒否する時任に、桂木は頭を抱え心の中で絶叫する。
 久保田も時任が好きだと教えてやってもいいが、それはそれで問題がある気がするし、知らないのなら久保田自身の口から聞くのがいい。どちらにしろ、この調子なら桂木が言ったとしても信じないだろうし…、それが一番だろう。
 生ぬるいを通り越して遠い目で時任を眺めながら、桂木は再びため息をついた。
 このままだと執行部の任務にも支障が出かねないし、これはもう時任ではなく、相手である久保田にどうにかしてもらうしかない。初めて自分の気持ちに気づいた時任は、完全なパニックに陥ってしまっていて、相談を持ちかけながらも桂木の言う事はあまり頭に入っていないようだった。
 そう考えて気を取り直すと、桂木は下に落としたパックを拾い上げる。
 そして、さっきから疑問に思っていた事を、時任に尋ねてみた。
 「とりあえず、その話は横に置いておいて、実は一つ質問があるんだけど?」
 「し、質問?」
 「なんで、あたしに相談したの?」
 「へ?」
 「こういう相談なら、普通は室田とか相浦辺りとかじゃないの? 相浦はストレートらしいけど、室田が松原の事を好きなのはアンタも知ってるでしょう?」
 小さくて可愛い松原を前に、真っ赤になって硬直する室田の姿を思い浮かべた桂木は、そう言って自分で自分の言葉に納得して何度もうなづく。しかし、時任はキョトンとした顔で、首を軽く横にかしげた。
 「なんでって…、そりゃあやっぱ…」
 「何よ?」
 「なんのかんの言って、桂木って久保ちゃんと仲良いし…。時々、久保ちゃんと二人で何か話してる時とかあるしさ」
 「勘違いの無いように、ハッキリ言っとくけど…」
 「言わなくても、わぁってるってっ。二人見てるとそういう感じしねぇし、なんつーか男の友情っつーか…、お互いに一目置いてるっつーか、そういう感じじゃん。久保ちゃんがそんな風に認めてるヤツって珍しいし、だから久保ちゃんのコト相談するなら、桂木がいいかもって…」

 「・・・・・・・・男の友情」

 今度は桂木ではなく、時任の方が自分の言葉にうんうんとうなづきながら話している。しかし、そんな時任の言葉を聞いた桂木の表情は、再び生ぬるい笑みを浮かべたままピキーンと凍りついた。
 毎日、毎日っっ、イチャイチャと有害なモノを見せられ、良くわからない理由で有り得ない相談をされた上に・・・・、男の友情…っ!!!
 桂木は握りしめていたハリセンを振り上げると恋する乙女でなく、恋する男の頭に思い切り振り下ろした。
 「一回と言わずっ、百回死んでこーいっ!!!!」
 「うわぁぁっ!!!つーかっ、ニンゲン百回も死ねねぇだろっ!!!」
 「天誅ーっっ!!!!」

 「ぎゃあぁぁぁ…っ!!!!」

 そんなこんなで時任はハリセンの餌食となり、恋愛相談はうやむやに…。
 そして、久保田がなんとかするだろうと思われていた事態は、桂木の予想を超えて複雑になり、様々な人々を巻き込んで行く事となる。けれど、屋上でハリセンを片手に時任を追いかけている桂木と、桂木に追いかけられている時任は、まだ、そんな事を知る由もなかった。




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