ラブパニック.16




 久保田に向かって、彼氏のナイフが迫りくる!
 そして、時任が走り出す!!
 今回も距離が遠く出遅れた執行部の面々は、本日二度目の危機を見守り。近くにいた松本と橘も時任の気迫に押されたのか、その場から動かないっ。
 しかし、実はこの危機に走り出したのは、時任一人だけではなかったっ!

 「久保田せんぱあぁぁぁあいぃぃぃっ!!!!!」
 「させるかぁぁああぁぁーーっっ!!!!」

 叫び声と言うよりも、奇声に近い声がグラウンドに響き渡る。
 そして、それと同時に砂埃を立てながら迫り来る、二人の男子生徒の姿が時任と彼氏の視界に映った。二人の目的はそれぞれ違うようだが、一直線に時任と彼氏に向かって突撃してくる姿は何だか怖いっ。物凄く怖いっっ。
 何だかわからないが目がっ、目が血走ってやがるっっ!!
 そんな二人の勢いは闘牛場の猛牛っ、いや餌を前にした公園のハトだった!
 
 『うあぁぁ…っっ、来るなぁぁ!!!!』

 恐怖というよりも、あまりの気持ち悪さに動きを止め叫んだのは、彼氏と時任っ。だが、餌を前にした空腹時の二匹のハト…、恋する男どもの羽ばたきを止めるすべはなかった。
 久保田に恋する男、その名は補欠こと藤原っ!
 時任に恋する男、その名は不良こと大塚っっ!
 二人合わせて何と呼ぶのかは知らないが、不毛な恋が藤原と大塚を乙女ではなく、ヘンタイに変えるっ。それは元からだというツッコミをしたのは、悪友だったか執行部の面々だったか、ともかく、このままでは事態が更に混乱するのは必至っ!
 藤原は未だ風邪菌保有でゴホゴホ言っているし、お友達復活で群れてる大塚は無駄に元気いっぱいっ。しかしっ、ヘンタイが餌に群がるより先に、少し離れた場所から聞こえた彼女の一言が、彼氏の嫉妬の炎に油を注いだっ!

 「久保田くーんっ、危ないから逃げてぇ!」
 「おのれぇぇぇぇ…っっ、久保田ぁぁぁぁ…っ!!!!!」

 痴話ゲンカ中の彼女に、アンタと付き合ったのは目元とかちょっと久保田君に似てたせいよ!…っと痛恨の一撃を食らった彼氏の逆恨みは一気に燃え上がりっ、嫉妬を燃料に動く鋭いナイフが、奇跡の速さで再び襲いかかるっ。
 すると、その瞬間、また橘が動きかけたが、松本の手が袖を引き止めた。
 そんな松本に橘が驚いたように目を見開き、さっきの決着をつけてやると前に立ちはだかった時任が彼氏を睨むっ。観客席や放送席に居る生徒や教師達の目には、時任に向かって彼氏がっ、藤原が大塚が同時に攻撃を仕掛けているように見えた。
 時任の恋する大塚は一応味方なのかもしれないが、エロい理由で目が血走っているっ!!これはまさにっ、二度目のピーンチっっ!
 
 『またしても突然の乱入者でビューティ時任っ、さすがに万事休すかぁぁっ!!!』

 グラウンドに響いた放送の通り、時任は絶体絶命っ。
 松本と橘は、複雑な感情のもつれで動けないっっ。審判の松原と室田が動こうとしたが、屋上からダッシュしてきた大塚の素敵なお友達二人に阻まれた!どうやら、時任にもタッグマッチにも興味がない笹原と石橋が、暇つぶしに痴話ゲンカを見ていたせいで、いち早く彼氏の動きに気づく事が出来たらしい。
 しかし、そんな絶体絶命の状況の中にいる時任の耳のすぐ傍で、吐息と共に聞きなれた声が響く。すると、迫り来る三人に意識を集中していた時任の背中にゾクゾクっと何かが走り、それに気を取られた瞬間、背後から伸びた手が彼氏の腕をっ、ナイフを止めたっ!

 「敵に背中見せて、ただで済むなんて…、思ってないよね?」
 「・・・・・っ!?」
 
 自分に向かって来る三人の姿を目にした時、時任は無意識に久保田の存在と気配を意識から外した。それはタッグマッチの最中だという事はわかっていたが、それでも、とっさに久保田に対して防御本能が働かなかったせいだった。
 久保田は相方…、その意識が時任の心の奥底まで染みついている。
 久保田と彼氏の間に挟まれた状態で、時任は自分の無意識の行動に初めて気づき、その失態に頬を赤く染めた。
 「・・・っ、く、久保ちゃんの方こそ、こんな状態でただで済むなんて思ってねぇよな?」
 「へぇ…、今の無防備な俺に、お前から何かしてくれちゃったりするワケ?」
 「ぎゃーっ、み、耳に息吹きかけんな!」
 「ねぇ、ナニしてくれるの?」
 「…って、攻撃に決まってんだろっていうかっ、言い方がいちいちヤらしいんだよっ!」
 ハトが餌に群がるまでっ、あと5秒っ!!
 そんな状態でイチャイチャイチャイチャしているようにしか見えないバカップルを、これでもかっっっというくらい間近で見せつけられた彼氏はプルプルとナイフを持った手を震わせ、襲い来るハトのこめかみにもピクピクと血管が浮かぶっ。
 すると、三人の心が奇跡の合体を果たし、藤原がタックル、大塚がパンチ、彼氏がキックという絶妙なタイミングの連係技が生まれたっ!!!

 「僕の久保田せんぱいがああぁぁっ!!!!!」
 「ぶっ潰すっっ!!!!」
 「ちくしょうぅぅぅっっ!!!!!」
 
 恋と逆恨みの渦の中、四方を敵に囲まれた時任は、軽く舌打ちして防御態勢を取る。だが、最初の衝撃に備えて身を低くした瞬間、その身体がふわりと宙に浮かんだ。
 そのせいで、藤原タックルは時任に届かず地を這いっ。放たれた大塚パンチは、時任の身体を軽々と抱きあげた人物によってスルリとかわされるっ。
 そして、時任を抱えたまま後方へとジャンプし、最後の彼氏キックは何も無い空間を切った!
 
 「コイツをヤるのは俺だから、ね。他の誰にもヤらせてあげない」
 
 時任を肩にかつぐように抱え上げた人物…、久保田がそう宣言し微笑む。
 しかし、唇は微笑んでいても、その目は少しも笑ってはいなかった。
 いつもの糸のように細い目ではなく、珍しく開いている久保田の目を見た彼氏と大塚はその瞬間、絶対零度で凍りつき、現実逃避で妄想の世界に旅立った藤原はグラウンドではなく、お花畑で寝転がるっ。
 あはははっ、うふふ…っ、久保田せんぱいってば。
 そんな藤原を回収して引きずり、保健室に連行したのは桂木と相浦。
 笹原と石橋は、問答無用で松原と室田に瞬殺され。
 大塚は不屈の恋心を見せ立ち上がったが、久保田に抱えられたままの時任の拳…ではなく腹チラに鼻血を吹き、そぉれというやる気の無さそうな軽い掛け声とともに放たれた久保田の蹴りにグラウンドの果てまで吹っ飛ばされたっ。
 「うごっ、ぎがぁぁぁぁ…っ!!!!!!」
 「ナイスシュート?」
 「って、コレってタッグマッチとかじゃねぇのかよっ!」
 もはや、この状態では突っ込んでも突っ込んでも、ツッコミが追い付かない。それでもあきらめずになんでやねんとツッコミを入れようとした訳ではないが、久保田の背後から彼氏が右手を振り下ろそうとする!
 だが、なんと、あり得ない事に、今の久保田は後ろに目が付いていた!
 抱え上げた相方というっ、第3、第4の目が…っ!!!
 「俺様の目の前で、どーどーとナニやろうとしてんだっつかっ、久保ちゃんのツッコミは相方の俺様一人で十分だってのっ!!」
 「そーそー」
 「…って、誰もナイフ握りしめてツッコミなんて入れねぇよっっ!!というか、コレはツッコミじゃなくて、刺し込みっ、いや切り込みだぁぁぁ!」
 「なお、わるぅぅいぃぃ…っ!!!」

 「ぎゃあぁぁぁっっ!!!」

 猫パーンチ!ではないが、見ようによっては飼い主に抱き上げられた猫が、背後から近づいてきた不審人物をシャーっと爪で引っ掻いたように見えなくもない。それくらい抱え上げられた状態の時任に、抱えている久保田に違和感はなかった。
 いや、むしろ自然?
 そのせいか、放送部員も誰もツッコまないっっ。
 唯一、ツッコミを入れられそうな人物は、今はグラウンドではなく保健室にいる。誰にも突っ込まれなかった時任は、そのまま身体のバランスを取るために無意識に久保田の首に両腕を回して抱きつきながら、最愛の彼女にフラれ、恋敵に一矢報いること叶わずガックリと地面に膝をつき、絶望に打ちひしがれた彼氏を見た。
 「あのさぁ、さっきから久保ちゃんコロスとか言ってっけど、アンタはホントにソレでいいのかよ? 今のまんま、彼女とケンカしたままでさ」
 「だってアイツは言ったんだ。本当に好きなのは久保田で俺じゃないっ。少し似てるから付き合ったんだ!それに、金欲しさに大塚の口車に乗ってウソまでついて…っ、アイツはそういうヤツなんだよっ!」
 彼氏の叫びがグラウンドに響き、いきなりのシリアス展開に誰もが黙り込み、息を飲み様子を見守る。そんな中、彼氏を見ていた彼女だけが、そっぽを向き視線をそらした。
 けれど、それを目の端にとらえていながらも時任は揺るがず、アンタは彼女のコト、なんにも信じてねぇんだな…と言い放つ。すると、それを聞いていた橘の肩が、なぜかピクリと揺れた。
 「信じるって、一体、彼女の何を信じろって言うんだっ」
 「金欲しさって…、そのワケ知ってんのかよ? そーやって、いっつも嫉妬ばっかで何にも信じてねぇなら、聞いてもムダだろうけどな」
 「・・・っ! ムダって、裏切られた俺に何をしろとっ」
 「こっから先は、自分で考えろよ」
 「考えろって…、そういうお前はどうなんだっ。好きなヤツにあんなこと言われてっ、それでも平気なのかっ」
 「ヘーキじゃない」
 「だったら、俺と同じ…」
 「んなワケねぇだろ。俺はお前と違って信じてる…。嫉妬してバカやって、けど何があっても何が起こっても絶対に見失ったりしない…、俺だけが知ってるアイツを…」

 ・・・・信じるだけだ。

 時任の言葉を聞いた彼氏が目を見開き、一番近くで聞いていた久保田は抱え上げた腕の中にあるぬくもりに目を閉じる。その時の二人の脳裏に浮かんでいたのは、彼女が嘘をついた時の時任の反応だった。
 時任だけが知っている…、久保田。
 おはようからおやすみまで、時任の暮らしを365日欠かさず見守ってる久保田。
 なんだろう、目頭が熱くなってきたぞとばかりに潤む瞳で、彼氏が彼女の方を見る。そして、グラウンドに突き刺さったナイフを拾わず放置し、彼女の元へと歩み寄った。
 「そうか…、そうだ…。俺は365日欠かさずとは言えないが、ずっとお前を見てきた…、だからわかる。時任に言われて目が覚めた。もしも、お前の腹に子供が居るなら、それは俺の子供以外考えられないし、あり得ない」
 「だ、だからっ、あれは全部ウソだって」
 「誰よりも君を知ってる俺にはわかる、あれは本当は俺に向けて言うはずだったんだろう? そうか…、今納得した。そうでなければ君があんな真似をしてまで金を欲しがる理由が思い当たらない。ごめん…、俺が頼りないせいで一人で悩ませて…」
 「・・・・ま、松吉君」
 「産んでくれ、そして二人で育てよう」
 「そ、そんな事言って後悔しても知らないから…っ」
 「後悔なんてするはずないだろ…、俺達はこれから幸せになるんだからさ」
 そう言うと彼氏は彼女を抱きしめ、彼女は彼氏をぎゅっと抱きしめるっ。
 今まで生ぬるく遠くを見ていた生徒達の目も、この展開に目頭が熱くなってきたのか瞳を潤ませる。皆、口々に良かったな、良かったねと囁き合い、この展開を見ていた放送部も感動ですっっと興奮気味にマイクに向かって叫んだ。
 いつの間にか、感動と拍手に包まれ始めたグラウンドで、今度は橘が自分の袖を掴んだままの彼女…ではなく、恋人の松本を見る。そして、まだタッグマッチの勝負はついてしないし、別れる理由も聞いてもいないのに、らしくない情けない顔ですいませんでした…と松本に詫びた。
 すると、松本は袖を掴みながらも、素知らぬ顔で何がだと聞く。
 しかし、橘は袖を掴む手に自分の手を重ね握りしめながら、すいませんでしたと同じ言葉を口にした。
 「僕も365日とは言えませんが、ほぼ毎日、生徒会室に行く時もトイレに行く時も貴方だけを見つめてきました。けれど、いつも不安なばかりで、少しも貴方の事を信じていなかった…。だから、貴方が困った事が起こるたびに久保田君を呼ぶのも、久保田君だけを名前で呼ぶのも苦しくて仕方がなかったんです」
 そう言った後で惚れた方が負けですから、僕の負けは最初から決まってたんですと情けない顔のまま微笑む。だが、勝って別れると言っていた松本は何が負けだ、バカ者と橘の額を軽くデコピンした。
 「お前はいつもそうだ。自分ばかりが好きで、自分ばかりが嫉妬していると思い込んでいる。だから、俺の気も知らないで、あんな真似ができるんだ」
 「あんな真似?」
 「誰にでも微笑みかけ優しくして、その綺麗な顔で誰でもすぐにその気にさせる。その上、誠人に嫉妬するそぶりを見せながら、時任にまでちょっかいを出して…、攻めのクセに何が抱きたい男ナンバーワンだ。ふざけるのも大概にしろっ」
 「・・・・会長」
 「俺はお前が想っているよりも、ずっとお前が好きなんだ。ほぼ毎日、トイレに行く時も風呂に入る時も一緒にいながら、なぜ、それがわからない…っ。俺だって本当は、お前と別れるなんて嫌だ…、なのに、それを俺に言わせたのはお前なんだぞ」
 「・・・・・すいません。風呂からベッドの中まで一緒にいながら、僕は何か大切なモノを見失っていた気がします。貴方を、貴方だけをこんなにも愛しているのに…」
 「橘…」
 「会長…っ」
 彼氏と彼女に続いて、橘は松本を松本は橘をぎゅっと抱きしめるっっ。
 すると、潤んでいた生徒達の瞳から涙がっ、教師達の瞳にもうっかり涙が浮かびっ、タッグマッチ会場が二組のカップルのチャペルと化す!どこからか聞こえてきたリンゴーンという鐘の音は幻聴か、それとも神の祝福か…っ!
 おめでとうっ、おめでとうっ!! 
 どうかお幸せにっ!!
 ほぼ365日、トイレからベッドまでなんてすげぇぜっ!
 なんか俺っ、感動しちまったっ!
 うぉおぉぉ…っ、どこまでも着いていきます橘副会長っっ!!
 感動の嵐に包まれたグランドで、相変わらず久保田に乗っかったままの時任が良かったな…とうんうんとうなづく。すると、久保田もだぁね…といつもの調子で返事をした。
 タッグマッチの決着はつかなかったが、感動の最終回っ、幸せな結末っ!!
 これが映画なら、あとはエンドロールを待つばかり…のはずだが、スパコーンという音とともに流れるはずのエンドロールが、時任の後頭部にさく裂した白いハリセンによって阻止されたっ!!

 「いってぇぇっ! なにすんだよっ、桂木!」
 「何すんだよっじゃないわよっ!ぬぁにどさくさに紛れて、感動のラスト迎えようとしてんの! このストーカー野郎どもっっ、もといっ、スットコドッコーイっ!! あの校舎に貼られた大弾幕を忘れたワケじゃないでしょうねっ!?」

 颯爽と現れた白いハリセンの女っ、執行部の紅一点、桂木っ!
 お付きの犬…ではなく、どこか遠い目をした相浦を連れた彼女の鶴の一声に反応して、この場に居たすべての人間の視線が大弾幕に集中する。すると、良く見えなかったのか、彼女を抱きしめた彼氏がポケットから眼鏡を出して装着した!
 ・・・・・・ブルータス、お前もか。
 オー、ミゼリィィィっ!
 大塚がとっさに素敵なお友達の一人の眼鏡を見たのは、気のせいだったのかどうなのかっ、この荒磯において眼鏡とはキラリと光る危険の証っっ!そうっ、すべてがすべてとは言わないが、眼鏡を見た3歩っ、いや、30歩下がれぇぇぇっ!緊急退避ィィっっ!!
 そんな気分にさせられる、今日この頃、本日は晴天なり。
 混乱のため意味不明だが、久保田、時任を含めたすべての人々の視線が貼られた大弾幕に集中する中、完全なる背景、完全なるモブだと思われていた人物のかけていた眼鏡がキラリと怪しく光った。
 



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