ラブパニック.11
私立荒磯高等学校のグラウンドの中央…。
そこで、さっきから向かい合っている二人の名は、時任稔と久保田誠人という。
二人は共に執行部に所属し、コンビを組んで校内の治安を守っている。
そして、校内の誰もが認めるバカップルでもある。そんな二人は今まで一度もケンカをした事がなく、こうして拳を交える目的で向かい合うのは始めてだった。
グラウンドを渡る風は、睨み合う二人の間をひゅるりと音を立て吹き抜け…、
普段では考えられない緊張の糸が、その間に紡がれ張り詰めていく。
結局、昨日も時任がマンションに帰られなかったため、二人が顔を合わせるのは、オープンカフェ以来、始めてだった。
「・・・・・まさか、こんな風に向かい合う日が来るなんてな」
そう言った時任は握りしめた拳に力を込め、口元に笑みを浮かべる。
しかし、その笑みを見た久保田はのほほんとした相変わらずの調子で、やれやれと軽く肩をすくめてみせた。
「ホント、まさかこんな風に向かい合う日が来るなんてね」
時任はやる気十分、久保田はやる気…、あるのかどうか不明。
だが、時任が自分の気持ちを自覚して以来、ずっと逃げられっぱなしだったせいか、どことなく嬉しそうに見えるのは気のせいではないだろう。昨日、時任はなぜか顔色の悪い室田の家に半ば強引に泊まり眠ったが、久保田の方はおとなしくマンションに帰ったもののタバコをふかしつつ眠れぬ夜を過ごし、一睡もしていなかった。
いつもは授業中に眠って解消されるはずの睡眠不足も、欠席していた時任のために健気にノートを取っていたために無理だったらしい。
メガネのフレームに隠れて目立たないが、久保田の目の下にはクマがある。
着ているシャツもズポンも、いつもより皺が入り、よれている気がする。
そんな久保田は、橘に言わせると妻に逃げられた旦那。
桂木に言わせると、飼い主に捨てられた犬らしい。
一見、いつもと同じように見えるが、二日も帰って来てくれなかったのがショックだったのかどうなのか、いささか憔悴気味だった。
「昨日、浮気者呼ばわりされて、あーんなに尻尾振って喜んでたのにねぇ」
「…って、それってもしかしなくても久保田の話?!」
「あったり前でしょう。時任に浮気者呼ばわりされた上に、殴られ蹴られて喜ぶヤツなんて他に誰がいるのよ」
「うわー…、なんつーか否定したいけど、否定できねぇぇ…っ!」
二人の勝負の行方を遠くから見守りつつ、桂木は机に頬杖。
今回の件で妙に久保田に同情的な相浦は、心の中でスマンと詫びる。
そして、そんな桂木と相浦の後ろで、同じく勝負の行方を見守る松本と橘は、向かい合う二人とは対照的に、さっきから一度も目を合わせない。この二人にして珍しく、気まずーい雰囲気が流れていた。
「・・・・何も聞かないんですか?」
「お前がそう聞くなら、逆に尋ね返すが…、聞く必要があるのか?」
「いいえ、何も」
「ならば、問題は無いだろう」
「・・・・・はい」
松本が何も聞かないのは、久保田との仲を疑ったりしていないし、写真についても撮られた状況を何となく把握しているからだ。しかし、松本と橘の間に流れる空気は、グラウンドで向かい合っている二人よりも遥かに気まずい。
犬も食わないのは間違いないが…、とにかく気まずいっ。
そんなどんよりとした空気が後ろから漂ってくるのを感じた桂木は、少し離れた場所で松原と一緒に今回の勝負のジャッジをしながら、苦悩している室田を横目で見る。そして、やれやれと首を軽く横に振った。
「あっちを見ても、こっちを見ても犬も食わないのばっかりだってのに…、まったくっ」
「けど、本当に決着なんか着くのか? あの二人が戦って」
「さぁ、どうかしらね」
「なんとなく、久保田に時任は殴れないような気もするし、やっぱ時任? それとも、俺らの予想もつかないような作戦とかで…、久保田とか?」
同じ執行部に所属しているだけあって、相浦はそれなりに二人の事を知っている。それでも、どちらが勝つのか予想がつかず桂木に尋ねて首をかしげた。
久保田と時任…、どちらが勝ち、相手の告白を聞くのかと…。
けれど、そんな相浦をバッカねぇっと笑い飛ばした桂木は、どこから取り出したのか、トレードマークの白いハリセンでパシリと自分の左手を軽く叩いた。
「恋ってのは、より多く相手に惚れてる方が負けに決まってるでしょう。拳の強さで決まる恋なんて、クソ食らえだわ」
二人の告白をかけた勝負は、桂木のひと言で決まった。
なのに、桂木はそんな事を言い、ハリセン片手に笑う。
相浦は桂木が何を考えているのかわからず、きょとんとした顔で今から勝負をする二人を見た。けれど、向かい合ってはいるものの、二人が戦いを始める気配はない。
開始の合図は、ジャンケンで勝った久保田ではなく、負けた時任がする事になっているばすだが…?
あれ? どうしたんだ?
そう思い相浦が、不思議そうに首をかしげる。
すると、同じ事を思ったのか、室田も松原も首をかしげ…、
連鎖的に、おや? ん?…と松本と橘が、そして最後に久保田がどうかした?と首をかしげると、時任が拳を握りしめたまま、プルプルと震え始めた。
「あれ、もしかしてトイ…」
「じゃねぇよっ!」
「なら、お腹が…」
「痛くないっ!!」
「ん〜、空いてるなら、そこの屋台で焼きそば…」
「…っていうか、そこで屋台とか焼きそばとかっ、そーいうのが出てくんのを久保ちゃんは不思議に思わねぇのかっっ!!」
「不思議って、なんで?」
「だーかーらっ!」
「ん?」
「ココはガッコのグラウンドなのにっ、なんで屋台とか観客席とか放送席とか設置されてんのかって聞いてんだっっ!!このスットコドッコイっ!!」
グラウンドの中央で向かい合う時任と久保田。
そして、そのグラウンドの周囲には、焼きそば、たこ焼きなどの屋台が所狭しと並び、観客席の一番前には執行部の二人、その後方には会長を始め生徒会役員が座っている。他には放送席では放送部が実況を、体育館の裏では新聞部が二人の勝敗を使って賭けを行っていた。
「あー…、アレね。なんでって聞かれても、ココって荒磯だし?」
「だよな…って、そんな理由で納得してんなよっ!」
「それに屋台の売り上げの何パーセントかは、執行部に上納。んで、俺らが壊したモノとかの費用にするって、桂木ちゃんが言ってたけど?」
「俺らは客寄せパンダかっっ!!」
「ホント、敵に回したくないタイプだぁね」
「こうなったら、とっとと決着つけてっ、俺サマが最強だってコトを全世界に知らしめてやるっっ!!」
「いや…、うん、気持ちはわからなくもないけど、全世界は無理でない?っていうか、本来の勝負する意味とか色々と、どこに行ったのかなぁ〜…なーんて?」
「は? 本来のイミとか色々って、なんだソレ?」
「・・・・まぁ、ベツにいいんだけどね」
あぁ…、どこまで行っても不毛だっ、不毛すぎるっっ!!!
戦いを前に血が騒ぎ、校内のお祭騒ぎに血がのぼり、時任は完全に本来の目的を忘れ切っている。そのせいだろう…、自分の気持ちに気づき、逃げ回っていた時の照れや羞恥心は、今は微塵も見られなかった。
うれしはずかし初恋から、ドメスティックに発展…したはずが逆戻り。
そんな時任を前にした久保田の瞳は、陽の光が反射してキラリと光るメガネに隠れて見えない。だが、やる気がなさそうに見えた久保田の拳に、わずかに力が篭った。
「とっとと決着…つくと良いけど、そうもいかないかもよ?」
そう言った久保田の口調はのほほんとしていたが、明らかに時任を挑発している。久保田の挑発を受けた時任は恋する相手ではなく、好敵手に向ける好戦的な笑みを浮かべた。
「俺さ…、実は一回、久保ちゃんとマジで戦ってみたいって思ってたんだ」
「ソレって、なんで?」
「だって、俺と対等に戦えるヤツなんて、久保ちゃんくらいしかいねぇだろ?」
「…で、最強の時任クンとしては、俺に勝ちたいと?」
「当然だろ。やるなら、勝ちたいに決まってる」
「・・・・そう」
極度に気まずい空気が流れているのは、松本と橘の間だったはずだが…、
時任の目が好敵手として久保田を見た瞬間、二人の間にも似た空気が流れ始める。緊張の意図が徐々に張り詰めていき、観客席の生徒達も放送席の放送部員も息を呑んだ。
この勝負はバカップル対決っ!告白するのはどっちだ?!…というお気楽極楽なタイトルだったばすだが、今の二人の間に流れる空気に甘さは微塵も感じられなかった。
『え…、やっぱコレって修羅場?』
『告白って、浮気を正直に告白って意味?』
『久保田君の浮気発覚で、マジ別れちゃうとか!?』
『あー、でも、相手が橘君じゃあね…、勝ち目無いし』
『時任、かわいそー』
『でも、昨日、時任も松本会長と浮気してたって…』
『えぇぇっ、マジ?』
様々な状況が重なり、ウワサがウワサを呼び…、真実は霧の中。
観客席からの声は、途切れ途切れだが時任の耳にも届いていた。
久保田の耳にも、もちろん届いていた。
だが、二人ともお互いだけの声を聞き、お互いの顔だけを見ていた。
周囲の雑音は風と一緒に、ただ二人の間を吹いて行くだけ。
時任が右足を半歩踏み出し構えを取ると、久保田もわずかに姿勢を低くする。しかし、拳を交えるよりも早く、時任のひと言が浮かべられた笑顔が、久保田の周囲を包み始めた冷たい空気を見事に木っ端微塵に吹き飛ばした。
「それにさ。勝っても負けても、戦って楽しいのは、きっと久保ちゃんだけだろうってっ。そう思ったら、戦いたくてたまんねぇだろっ! やっぱ…っ!」
その叫び声とともに叩き込まれた拳をするりとかわし、次に攻撃を仕掛けるかと思いきや、肩を震わせ腹を抱えて笑ってる。そんな久保田を見た時任は、真面目にやれっとぷっくりと頬を膨らませた。
あぁ…、もうホント、たまんないなぁ…。
そんなセリフが聞こえてきそうな顔で笑う久保田は、ふくれっ面で繰り出された蹴りを右手で受けると、すさかず左足で時任の足を払いにかかる。しかし、それを動物的感で察知した時任は軽く後方に飛んだ。
「うん…、確かに楽しいかもね」
「だろ? そう思うならマジでやれよっ。マジでやんなきゃ、ぶっ倒しても、ぶっ倒されても楽しくねぇし、絶交だかんなっ!」
「なら、手加減ナシで」
「望むトコロだっっっ!!」
ようやく始まった、バカップル対決。
勝って告白するのは、一体どっちなのかっ。
果たして、時任はマンションに帰るのかっっ。
そんな戦いの間も、松本と橘の間の気まずい空気は悪化していくっ!
しかし、二人は未だ何も知らず、自分達に接近しつつある危険にも気づいていなかった。
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