くぼずきん 4
時任はたわいのない話をくぼずきんにしながら、屋敷への道を歩いていた。
しかし、自分がなぜこの森に来たのかとか、そんなことは話さないし話せない。
実は時任はごく最近の記憶しか持っていなかった。
ようするに、記憶喪失というヤツなのである。
自分がワイルド・キャットという種類だいうことも、自分のことを捕まえようとしていた人間達の口から知ったことであった。
しかし、それはくぼずきんも同じで、自分のことについてはあまり話そうとしなかった。時任と同じ理由ではないだろうが、何かワケありな感じもする。
くぼずきんは名前もその存在もミステリアスだった。
「なぁ、さっきのタチバナってヤツとどういう知り合いなんだ?」
時任としては、くぼずきんがどういう素性なのかより、さっきの眼鏡の男、タチバナとの関係の方が気になっていた。まさか、恋人とかそういうのだとは思わないが、なんとなく意味深な会話をしていたような気がする。
ちょっとドキドキしながら時任がした質問に、くぼずきんは微笑しながら、
「どういう知り合いなのか気になる?」
と、時任の顔をのぞきんだ。
「べ、べつに気になんかなんねぇケド、ちょっと聞いてみただけ」
気にならないと言いつつも、態度がそれを裏切っている。
あまり表情に感情があらわれにくいくぼずきんと違い、時任は感情がすぐ顔にあらわれるタイプだった。
「ちょっと?」
そう聞き返してきたくぼずきんに、時任は意地をはって、
「そう、ほ〜んのちょっとっ」
と言った。
(そぉいうトコもかわいいねぇ)
くぼずきんに言わせるとそんな感じだろう。
そんな風に飽きることなくほのぼのとした会話を交わしている内に、二人は目指していた屋敷に到着した。
それは代々くぼずきん家の人間が住んでいた屋敷というより、洋館と言った方が正しいような建物で、その建物の周囲を高い壁が囲んでいる。
現在、なぜ橘が住んでいるのかはやはり謎だったが、洋館も庭も手入れが行き届いているのを見ると、やはり橘らしいなどと思えてしまうから不思議である。
「でっけぇ家だなっ。なんでこんなトコにこんなモンあるんだ?」
時任が素直な感想を言うと、くぼずきんは軽く肩をすくめてみせた。
「まぁ、初代のヒトの趣味ってヤツでしょ?」
「初代って?」
「ココに初めて住んだ、くぼずきんってヒト」
「ごせんぞサマってヤツだなっ」
「そうそう、そういうヤツね」
「ヘンな趣味してたんだな、久保ちゃんのごせんぞって」
「そおみたいね」
そのご先祖の血は、きっちりとくぼずきんにも混じっていると思われるが、くぼずきんはまるで他人事のように話していた。
この洋館にも、全然思い入れはなさそうである。
しかし、デザイン的にはありきたりのでかい洋館といった感じだが、なぜか普通ではない感じがこの洋館から感じられた。そういう野性的カンみたいなものが優れている時任は、ヘンだと言っているのである。
もっとも、この立地条件だけ見れば、それだけで普通ではないのだが・・・。
二人は巨大な門から屋敷の敷地内に入ると、野ばらの咲いている庭を通り、くぼずきん家の玄関の前に立った。
シンプルだが重厚な扉の中心に、小さな鍵穴がある。
ここに入るのは橘から渡された銀の鍵が入るに違いない。
くぼずきんはポケットから鍵を取り出し、その鍵穴に差し込んだ。
すると、ガチャリと錠の外れる音がする。
時任はなんとなく、くぼずきんの顔を見た。
くぼずきんが時任の視線を受けて、優しく微笑む。
時任はくぼずきんに向かって、ニッと笑い返した。
「とりあえず入るとしますか?」
「おうっ」
二人で暮らすとかそういう話も約束もしていなかったが、なんとなく成り行きでそんな感じになっていた。
まるで、プロポーズしてもされてもいないのに結婚したカップルのようである。
運命と言ったら聞こえはいいだろうが、運命なんかじゃなく、二人でいることが普通だったと、そう言った方がしっくりとくる。
不思議なカンケイの二人だった。
屋敷の中は先代の趣味なのか、それとも橘の趣味なのか、アンティーク系の家具や調度品に囲まれていた。そしてそれは決して度が過ぎて多くなく、すっきりと必要な場所に必要な物が置かれている感じである。
「部屋がいっぱいある。食料のあるトコってドコ?」
この洋館の豪華さにも広さにも興味がない時任は、まっさきに食料のありかをくぼずきんに尋ねた。だが、くぼずきんも知らないらしく、
「探検しなきゃ、だよねぇ?」
という返事が返ってくる。
その返事に、時任は盛大にため息をついた。
「めんどくせぇ・・・」
「まあそういわないで」
「見つけたら絶対なんか作れよ、久保ちゃん」
「はいはい、わかってますって」
出会って数時間にして、二人のポジションは定まってしまったようである。
見た目は飼い主とペットみたいだが、どっちが飼われているのかわからない。
この洋館を背景に配役を考えると、さしずめお嬢様と執事。悪くすると、お姫様と従者、もしくは小間使いといった感じかもしれなかった。
もっとも、くぼずきんが女ならメイドの方がふさわしいかもしれないが・・・。
「遅いっ!早くこねぇと置いてくぞっ!!」
この洋館は3階まであり、廊下もとてつもなく長く続いている。
探検するだけで日が暮れそうだった。
時任はめんどくさがっていたにも関わらず、やり始めると夢中になってしまっている。くるくるばたばたと洋館の中を走り回るその姿は愛らしくは、楽しそうにはしゃぎ回る猫そのものだった。
「あ〜、あんまり走ると転ぶよ」
「平気だってばって・・・うわっ!!」
くぼずきんが言った先から、時任が慣れない絨毯に転びそうになった。
しかしその身体を、普段からは想像もつかないほどの早業で、くぼずきんは抱きとめている。もの凄い反射神経と瞬発力だった。
はっきり言って人間業ではない。
「大丈夫?」
さりげなく肩とか腰の辺りを触りながらくぼずきんがそう言うと、時任は真っ赤な顔をして小さくうなづいた。
「へーき。きんきゅー、久保ちゃん」
時任はまだ経験値不足でくぼずきんのセクハラに気づいていなかった。
(細い腰してるなぁ。もうちょっと太ったほうがいいかも)
などと、そんなことをくぼずきんが思っていることなど、時任が知るはずも無い。
くぼずきんの眼鏡に外からの光がキランと眩しく反射していて、その表情を時任が見ることはできなかった。
台所を捜すなら、一階だけを捜せばいいのだが、やるとなると徹底的にやりたくなるのが時任の性分らしく、探検は3階から始められていた。
けれど使われていない部屋が沢山あるだけで、あまり発見と言う発見はない。
橘が使っているらしい部屋が一つと、ドアの開かない部屋が二個。
開かない部屋は3階と2階に一つずつあったが、それよりも妙な部屋が1階に一つだけあった。
長い廊下を左にずっと行った行き止まりの部屋。
その部屋で見つけた床のあやしい継ぎ目跡。
その継ぎ目を同時に見つけた二人は、その継ぎ目をしばらく無言でじっと眺めたのだった。
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