くぼずきん 3
さっきまで元気が良かったのに、今はなんだかびくびくしてしまっている。
(う〜んまあ、それはそれでカワイイからいいけど)
そんなことをくぼずきんが思っていると、前方からニッコリと艶やかな笑みを浮かべた人物が歩いてきた。
どうやらこの人物と時任は顔見知りらしいが、それはくぼずきんも同じだった。
「おや、くぼずきん君ではありませんか。お久しぶりですね」
「ど〜も」
簡単にくぼずきんが挨拶した相手の名は、橘遥。
美しく整った容姿に周囲を和ませる温和な雰囲気のせいで、一見、ただのお坊ちゃん育ちに見えるが、実は魔獣の森の住人ですら適わない力の持ち主である。この森に住むようになった事情も、その正体もはっきりとはわからないが、現在、この森で最強なのは橘に違いなかった。
「こんにちわ、時任くん。元気そうでなによりですね」
橘はくぼずきんから時任の方に視線を移すと、時任は恐がってくぼずきんの後ろにますます隠れてしまった。
「どしたの、時任?」
くぼずきんが声をかけても、ぎゅっと服を握り締めてくるだけで、何も言おうとしない。なぜかはわからないが、相当恐がってる様子である。
「なんかやったの?」
くぼずきんが時任を指差してそう言うと、橘は苦笑しながら、
「屋敷に招待しようと思っただけなんですけど、どうやら嫌われてるみたいですね」
と、言った。
何か事情がありそうだったが、橘の個人的趣味が見え隠れしていなくもない。
くぼずきんはその件について突っ込んだりはしなかったが、
「この子。人見知りみたいだから、あんまり驚かせないでやってよね」
と、しっかり釘を刺すことは忘れなかった。
現在、橘は松本と付き合っているが、気に入った子がいるとちょっかいを出す癖がある。どうやら今回、松本が怒っていた理由は時任のことらしかった。
「お知り合いだったんですか? 随分なつかれてるみたいですね」
に〜っこりと笑ってそう橘が言ったが、多分、内心面白く思っていないに違いない。
自分にちっともなつかなかった時任が、あっさりくぼずきんに気を許しているのだから・・・・。けど、橘はプライドが高いので、そんなことは口に出さない。
くぼずきんはそんな橘の気持ちを知ってか知らずか、時任の見た目より柔らかい髪を撫でていた。
「知り合いじゃなくて初対面。さっき会ったばっかり」
「そうですか、それはすごいですね」
「別にすごくはないケドね」
二人の視線と視線がぶつかり合い、無言の攻防が展開されている。
お互い笑みを浮かべて話しているが、二人の間の空気はかなり淀んでいた。
(次は負けませんよ、くぼずきん)
(コレはあげないよ)
そんなことを二人が思っていたかどうかは別として、橘が現れたことによって、くぼずきんの用事はあっさりとすんでしまうことになった。
「ちょっと食われちゃったケド、コレ、松本からね」
くぼずきんがカゴを渡すと、橘は笑顔でそれを受け取った。
「それはどうもわざわざありがとうございます」
「どういたしまして」
時任は未だにくぼずきんの後ろに隠れてはいたが、くぼずきんが微笑んで見せるとほっとしたのか、少し緊張を解いたようである。
くぼずきんは時任から橘に視線を移すと、軽く肩をすくめて、
「ああ、そうそう。ウチでさ、松本待ってると思うから行ってやってくんない?」
と、言った。それは予想ではなく紛れもない事実で、そのことは橘も良くわかっているようで、考えることなく即座にうなづいた。
「ええ、伺わせていただきますよ」
「そうしてくれる?」
橘とケンカをしてる時の松本は、いつものあの落ち着きぶりがウソのみたいに、家中をうろうろしたりして騒々しい。それをやめさせるのは、やはり橘しかできないのである。
橘はくぼずきんと時任に挨拶すると、麓の家へと行こうとしたが、ふと何かを思いついたような感じで振り返ると、何かをくぼずきんに向かって投げた。
「ん〜?」
くぼずきんがうまく手にキャッチしてみると、ソレは一本の銀の鍵だった。
「当分、僕は戻りませんから、よかったら使ってください」
「それはそれは、どうもご親切に」
「礼にはおよびませんよ。あれは元々、くぼずきん家の持ち物なんですから」
「・・・・・」
「あれは貴方の家なんですよ?」
「さてね」
くぼずきんはそう言って誤魔化したが、橘の言うことは本当だった。
実際、くぼずきんの両親はあの屋敷に住んでいたのである。
そっけないくぼずきんの態度を気にしたようでもなかったが、橘はふいに真剣な顔になった。いつも微笑を浮かべている橘だが、こういう時には少しだけいつもと違う部分を垣間見ることができる。
時任も何かを感じたらしく、くぼずきんの後ろからひよっこりと顔をのぞかせた。
「注意してください。最近、この森に不審な人物が頻繁に出入りしているようです。何か探し物をしているようなんですけどね。なかなか尻尾がつかめない」
橘が言うには、この所、森のあらゆる場所で、外部の人間が目撃されているらしい。外部というのは、森の外の住人という意味ではなく、この森周辺の町や村の住人ではなく、別の場所からやってきた者を指していた。
「ふ〜ん、なるほどね。それでこんなトコをお散歩してるワケね」
「そういうことです。狙いが時任くんとは限りませんが、用心したほうが良いでしょうね。何かあってからでは遅いですから」
「ご忠告どうも」
「では、私はこれで・・・」
この森は先代のくぼずきんが行方不明になってから、平穏な日々が続いていた。
けれども、やはり何かをかぎつけてやってくる人物はいるらしい。
この森にも、くぼずきん家にも興味はなかったが、狙いが時任となると話は別だった。
(う〜ん、どうしたもんかなぁ)
さっき会ったばかりなのに、どうしてだか、自分がこの時任を守らなければと言う気がしている。ソレは理屈じゃなくて、本能みたいな感覚だった。
「まぁとりあえず、行きますか?」
さっきからくぼずきんに隠れていたのを恥しく思ったのか、橘がいなくなった途端、ばっと傍から離れてしまった時任に、そう言いながら微笑みかけた。
「行くってドコに?」
「ん〜、食料のあるトコ」
食料という言葉に、時任がすごくうれしそうな顔をする。
やっぱりまだ、腹が減っているらしい。
「なぁなぁ、久保ちゃんって、なんか料理とか作れんの?」
「ほどほどかなぁ。カレーとか得意だけど」
「やったっ、ラッキー!」
この時、時任は無邪気に喜んでいるが、くぼずきんは一応料理ができるものの、レパートリーはかなり少なかった。
料理をするといっても、作っているのはほとんどカレーばかりである。
つまり、松本の料理はああだし、久保田の料理はこんな感じなので、実はあまりろくなモノが食卓に上ることはない。まともなものが食えるのは、橘が来た時だけである。
「早くいこうぜっ! 久保ちゃん」
「はいはい」
かくして、二人は謎の多いくぼずきんの屋敷に行くことになった。
一見平和な魔獣の森に迫る黒い影を未だ感じてはいなかったが、それは確実に二人に近づいてきていたのである。
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