くぼずきん 2
目の前に見知らぬ男が立っている。
しかも人間だ。
時任は耳をぴんと立てて、戦闘態勢に入った。食べ物の匂いに誘われてしまったのはうかつだったが、それくらい腹が減っていたのだった。
(もう丸二日何も食べてなかったから、仕方ないじゃんっ)
そう自分に言い訳しながら、時任は相手の様子を探った。
戦う気がないと言ってるが、そんなことはわかったもんじゃない。今までずっと、人間は時任を捕まえようとする悪い奴でしかなかったからだ。
「お前が怪しいヤツじゃないって、そういう証拠でもあんのかよっ!」
「まっ、証拠はないけど? ウソは言ってないよ」
「今、言ってんじゃん!」
よくよく見ればのほほんとして間の抜けた感じがしないでもなかったが、油断は禁物。
時任は警戒しながら、男の出方を見ていた。
男は小さくため息を付くと、時任の方に手を伸ばしてきた。
「さっ、さわんなっ!」
「あっ・・・」
人間に対して警戒心が強い時任は、思わず出された手を爪がしゃきんと出たままで振り払ってしまった。男の手には見事な爪の跡が付き、血が滲んでいる。
かなり痛そうだった。
「お、お前が手なんか出すから悪いっ、俺は悪くないんだからなっ!」
痛いのは男の方なのに、時任の方が痛そうな顔をしながらそう言った。
ちょっと脅かすだけで、あんな風に傷つけるつもりではなかったからである。
そんな時任を見た男は、少しも怒ったり怒鳴ったりなどせず、時任を見て優しく微笑んでいた。
「うん、俺が悪い。お前は悪くないから気にしないでいいよ。あんまり大したことないし」
血が出てるのだから、大したことないはずはない。なのに、男は時任を責めようとはしないどころか、気にしないでいいと言ってくれている。
時任は途端にしゅんとした顔になって、ぴんと張っていた耳がしょぼんとうなだれた。
「お、おれ、スゴクびっくりして、それでさ・・・」
泣きそうな声でそう言う時任の頭を、男はその眼差しと同じように優しく撫でた。人間に撫でられるのなんか嫌いなはずなのに、この男に撫でられるのはイヤじゃない。
「みんな俺のこと捕まえようとするし、ここにいても仲間はずれとかされててさ・・・・」
「うん、わかってる。わかってるからいいよ」
「・・・・・ごめん」
時任があやまると、男はぎゅっと時任のことを抱きしめた。
(なんかわかんないケト゜、すごく気持ちいい)
こんなに優しく抱きしめられたのは初めてかもしれない。
時任はうっとりとして男の胸に顔をすり寄せた。
「俺はねぇ、くぼずきんって名前らしいんだけど・・・」
「くぼずきん?」
「うん」
男はくぼずきんと名乗ったが、あまりにヘンな名前なので、時任は顔を上げて男の顔を見た。さっきは気づかなかったが、近くで見ると男はかなりイイ男の部類に入る顔だった。
(カッコいいけど、俺様の次にだなっ)
美しい種族とされているワイルド.キャットであるため、時任は自分の姿形にはかなり自信を持っている。今は少し薄汚れているが、それでも少しもその美しさと言うよりも、可愛らしさはは損なわれていなかった。
「それじゃあさ。俺はお前のコト、くぼちゃんって呼ぶことにする。くぼずきんよか似合うし」
「そう? じゃあ俺はお前のことなんて呼ぼうかなぁ。う〜ん、子猫ちゃん?」
「猫って呼ぶなっ!」
子猫と呼ばれて、時任は再びシャキンと爪を出す。だが、今度は攻撃するような真似はしなかった。
「俺の名前はときとーってんだっ。今度猫呼ばわりしやがったら、ミンチにしてやるからなっ!」
「はいはい、わかりましたよ。時任くん」
「ハイは一回でいいっ!」
つーんとした態度は、プライドの高いワイルド.キャットの特性などではなく、単に照れ屋な時任の照れ隠しに他ならなかった。
それをなんとなくわかっているのか、くぼずきんは寛容な様子で時任を見ている。
それくらい器が広い人物なのか、それとも単に猫好きなのかはわからなかった。
「なんか、今、思い出したけど、俺様やっぱ腹減った」
くぼずきんが敵ではないと知って気が緩んだのか、時任は腹が減っていたことを思い出した。すると、くぼずきんはすかさずポケットから小さな箱を取り出した。
「コレなら食べられるっしょ?」
「何コレ」
「カロリーメイト」
「うまいの?」
「ん〜、まあ、食べてみれば?」
くぼずきんに進められるまま、そのクッキーっぽい感じの四角い棒みたいなのを口に運んだ時任は、思わず目を丸くした。
「うまい?」
そう尋ねてくるくぼずきんに、時任はうんうんとうなづき返した。
「そういえばさぁ、くぼちゃんはここに何しに来たの? あんま、人間てここに来ないじゃん」
ぼりぼりカロリーメイトを食べながら時任が尋ねると、くぼずきんは下に転がっているかごを指差して、
「ちょっと届け物」
と、言った。
しかし、この森には人間は住んでいなかったはずだ。時任が首をひねっていると、くぼずきんは面倒臭そうな感じて゛カゴを拾い上げた。
「この森に住んでるヤツが約一名」
「そんなヤツいるの?」
「いるの。だから俺がおつかいなんかさせられてるワケ」
「ケドさ、人間なんていたっけ?」
考えてみてから、ふと一つの事を思い出した。
そういえば、ここのところずっと時任のことを追いかけてくる妙なヤツがいたような・・。
嫌な予感がして、時任はピクピクと耳を動かした。
「なぁ、くぼちゃん」
「何?」
「そいつって、くぼちゃんみたく眼鏡とかかけてたりするか?」
「したりするけど?」
くぼずきんの返事を聞いた時任の背中に悪寒が走った。
ここ最近、どこからともなく現れる眼鏡の男は、食べ物を片手に時任を自分の屋敷へ連れて行こうとする。その男はかなりしつこかったが、それよりも、広い森の中のどこにいるかもわからない時任を見つける眼力?は恐ろしいものがあった。
「お、おれ、ちょっと用事思い出したからさ・・・」
「時任?」
この場から離れようとしたが、時すでに遅く、前方から見たことのある人物が歩いてきた。
「く、くぼちゃんっ・・・」
時任は恐くなって、ぎゅっとくぼずきんにしがみついた。
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