くぼずきん9
木々の間から漏れてくる陽射しが暖かくて気持ちいい。
そんな陽射しの中、屋敷内の木陰の下で、くぼずきんは本を読んでいて、その膝に頭を預けて時任がすやすや眠っている。
夕食にカレーではなくピラフを食べた次の日の、のんびりとした午後の時間帯だった。
森にあやしげな人々がうろついているため、実はあまり安心できるような状態ではない。本当ならばこんなにのんびりしている場合ではないのだろうが、くぼずきんも時任もそれについてあまり慌てたりはしていなかった。
慌てても仕方がないということもあるのだが、二人とも家とか財産とか家族とかそういったものを持たないので、いざとなれば自分の身一つの問題だったからである。
「ホント、よく寝てるよねぇ」
くぼずきんは、自分の膝の上の時任の顔を覗き込んでクスッと笑った。
本当は始め、時任は室内で寝ていたのである。だが、くぼずきんが外で本を読み始めると、目を覚ましてしまったのか、時任がここまでやって来たのだった。
『いなくなっちまったのかと思った…』
時任は寝ぼけたのような声でそう言うと、倒れ込むようにくぼずきんの膝を枕にして再び眠ってしまったのである。まだ、一緒に暮らし初めて少ししかたっていないからなのか、くぼずきんがいなくなるかもしれないと不安に思っているようだった。
「どこにもいかないから安心しなね、時任」
そう言いながら、くぼずきんは少しだけ苦笑した。
そんな風に言いながら、安心しているのは自分の方だと思うからである。時任に優しくしたい、そばにいてやりたいと思うことは、やはり自己満足に過ぎないのかもしれない。
「俺ってエゴの塊かも?」
そんな風に呟きつつ、くぼずきんが時任の頭を撫でていると、突然ぴくっその肩が揺れる。
「うっ…」
「時任」
こんな明るい光に満ちた時でさえ、時任の眠りは穏やかなものではなかった。
一晩中というわけではないが、時任は夢にうなされることが多い。
今までの記憶が全然ないと言っていたので、もしかしたら昔の夢とかそんなのかもしれないが、いつもひどく苦しそうだった。
くぼずきんはそっと時任の手を握る。
自分がいることを伝えるために。
一人じゃないことを知らせるために。
すると、時任の荒くなっていた息が少しずつ静かになっていく。
どうやら、時任はくぼずきんの存在を感じてくれたみたいだった。
安らかになった時任の寝顔を眺めていたくぼずきんは、その眠りに吸い込まれるように目を閉じる。するとしばらくしてから、くぼずきんからも寝息が聞こえ始めた。
穏やかな昼の時間帯。
いつまでもこんな日が続きそうな錯覚に、目眩を起こそうになる。
そんな目眩を感じながら、二人は手をつなぎあったままで、深い眠りの中にいたのだった。
「・・・・・?」
少し涼しい風が頬を撫でたので、時任は目を覚ました。
パチッと目を開けると、陽射しが少しだけ傾いている。思っていたよりも長い時間眠ってしまっていたようだった。
「久保ちゃん…」
時任は本を読んでいるはずのくぼずきんの顔を見上げたが、くぼずきんは瞳を閉じて眠っている。
いつも時任の方が遅くまで寝ているので、時任はくぼずきんの寝顔を見たことがない。初めて見るくぼずきんの寝顔は優しい表情をしていた。
時任はくぼずきんと自分が手を握っていることに気づいて、くすぐったそうな顔になる。
繋ぎ合っている手が、まるでお互いを想い合う気持ちのようにも見えた。
時任はくぼずきんを起こさないように注意しながら手を放すと、ゆっくりと立ち上がる。そして、眠っているくぼずきんを置いたまま、屋敷の方へと歩き出した。
風が少し冷たいので、眠っているくぼずきんのために何かかける物を取って来ようと思ったからである。
時任は自分達が寝ている部屋まで行くと、ベッドにかけられていたブランケットを手に取った。
眠っているのを起こしたくないけど、あのまま寝ていれば風邪を引く。
時任はブランケットを片手にくぼずきんの元に戻ろうとした。
だが、突然の突風にカーテンが大きく揺れたので、思わず足を止める。
どうやら、窓を閉め忘れていたらしかった。
「やっぱ、閉めトコ」
時任が窓を閉めようと、窓際に立つ。
だがしかし、その瞬間右肩に鋭い痛みが走った。
「ぐっっ!!!!」
右肩を見ると、そこには何かが刺さっている。
刺さっているのは見覚えのあるモノ。
麻酔銃で使う、動物用の麻酔針だった。
「くっ、くそぉ…」
普通の麻酔では、一本くらいならまだ動ける。だが、この麻酔は効き目がかなり強力だったため、時任の意識はあっという間に薄れていった。
「…くぼちゃん」
意識が完全に途切れる瞬間、時任はくぼずきんを呼んだが、その声は小さすぎて、木陰で眠っている久保田まで届かない。
ずるずると座り込むように倒れると、時任は動かなくなる。すると、それを見計らったかのように、部屋に3人の男達が入ってきた。
「さっさと運んでちょうだい」
リーダーらしき男がそう命令すると、一人の男が時任を担ぎ上げる。
時任は軽いので、運ぶのに苦労はなさそうだった。
「ふーん、カワイイ顔してるじゃないの。結構高値が付きそうね」
リーダーらしき男の髪は、ウェープがかかっている。丸いサングラスに隠れて目は見えないが、きっとその目は笑っているだろう。
時任を捕らえる命令をしたのは関谷だった。
関谷はそう言うと、気を失っている時任の顎に手をかける。まだ多少意識が残っているのか、時任の眉がピクっと動いた。
「…もう一本刺せ」
時任にもう一本麻酔が打たれる。
強力な麻酔を二本も打たれているので、おそらく時任は明日まで目を覚まさないだろう。
時任が完全に意識を失ったことを確認した関谷達は、時任を連れ屋敷を出た。
屋敷内の妙な気配を感じて、くぼずきんが目を覚ました。
さっきまではなかった不穏な空気。
「時任」
自分のそばで眠っているはずの時任の姿がないのを見て、くぼずきんの表情が厳しくなった。
…嫌な予感がする。
時任はそれなりの戦闘力を持っているので、ある程度は心配ないと思うが、だからといって安心はできない。絶対とか、必ずとか、そんなものはこの世にはないからだ。
くぼずきんは起き上がると、時任を捜すために屋敷に入った。
敷地内から出ないようにと注意しておいたので、よっぽどのことがない限り、自分から出て行くことはないだろう。
時任は一度約束したことを、簡単に破るような真似はしない。
「時任…」
時任が屋敷内で行きそうな場所。
現在使用しているのは、台所、風呂、トイレ、居間、寝室。
その他の場所に行くことはない。
それに、なぜか一階の一番奥の部屋を嫌っていて、あそこだけは近づこうとしないから、それは除外してもいいだろう。
くぼずきんは一階から順番に時任を捜したが見つからなかった。
次に二階に行ってみたが、やはりその姿は見つからない。
「・・・・・・・」
くぼずきんは自分の心臓の鼓動が、少しずつ早くなっていくのを感じていた。
自分の中で、何かがじわじわと染み出してくる感覚。
次第に早くなっていく足。
それは、今まであまり感じたことのない感情と感覚だった。
嫌なカンジと嫌なヨカン。
くぼずきんは三階に上がると、次々とドアを開けていく。
しかし、寝室に使っている部屋のドアを開けた瞬間、くぼずきんの動きがピタリと止まった。
室内を見回しても、やはり時任の姿はない。
だが、床には一枚のブランケットが落ちていた。
くぼずきんはブランケットを手に取ると、開いている窓をじっと眺める。
そして、すぅっと目を細めると、近くの壁に力一杯自分の拳を叩きつけた。
守れなかった悔しさと怒り。
今まで感じたことのない感情がくぼずきんを支配する。
くぼずきんは身につけている拳銃の存在を手でさわって確認すると、部屋から飛び出し、階段を駆け下りた。
時任を連れてこの森を出るとしたら、一番近いのは松本達が住んでいる村のある方向。そこに向かっている可能性がかなり高い。
くぼずきんは屋敷を出ると、時任の後を追って走り出した。
森の中ならいいが、森を出て車に乗られたりすると、追いかけるすべがない。
車はまだ高級品で、その生産台数も極わずかなため、こんな田舎で車を持っている者などいないからである。
「おいっ、来たぞ!!」
案の定、森に入るとくぼずきんの追跡を妨害するために配置されている者達が、拳銃を構えて立ちはだかる。くぼずきんは拳銃を抜くと、相手が自分に照準を合わせるより早く引き金を引いた。
「うわっ!!」
「ぎゃぁぁぁ!!!」
誰一人として引き金を引いていない。
くぼずきんのあまりの早さについていけなかったからだ。
ガゥンッ!ガゥン・・・・・・!!
次々と、情け容赦なく鉛弾を食らわせながら、くぼずきんがひた走る。
こんな状況だが、くぼずきんの狙いは恐ろしいほど正確だった。
「・・・・・どけ」
前方には、まだ時任の姿らしきものは見えて来なかった。
二人で街まで買い物に出ていた松本と橘は、家に到着する直前、奇妙な男達が魔獣の森から出てくるのを目撃した。
黒服を着ている、いかにもあやしい感じの男達である。
それを見た松本は眉間に皺を寄せた。
「あれは例の奴らか?」
「はい、おそらくそうでしょう。けれど、ちょっと様子が変ですね。…まるで、誰かに追われてでもいるような感じが」
橘にそう言われて、松本が目を凝らして男達を見ると、言われた通り急いでいるような感じだった。しかも、その中の一人が何かをかついでいる。
「あれは…人か?」
どうやら、人を担いでいるようである。だが、その担がれている人物に、何か見覚えがあるような気がした。
松本が首を傾げしていると、橘が低い声で、
「今からすぐ、くぼずきん君を呼んで来てください」
と、言う。
なぜかがわからないので、松本が理由を尋ねようとしたが、尋ねる前にその答えが橘の口から告げられた。
「時任君が何者かにさらわれかけてます。私がなんとか食い止めますので、できるだけ早く呼んできてくださいっ、お願いします」
橘の真剣な言葉に松本はすぐにうなづいた。
時任がさらわれそうなら助けなくてはならないが、松本にはそれができるだけの力はない。ここにいては、かえって橘の足を引っ張る結果になるだろう。
それがわかってるから、松本は素直にうなづいたのだった。
「わかった、誠人を呼んでくる。だが、あまり無茶はするなよ。橘」
「わかっています」
「では行くぞ」
「はい、お気をつけて」
「…お前もな」
橘は男達に向かって、松本はくぼずきんのいる森に向かって走り出した。
男の数は五人。
おそらく拳銃を所持していると思われるが、橘の方は持っていない。
普通なら、足止めすらできないだろう。
「だからって、このまま見過ごすなんてできませんよね」
橘はそう呟くと、男達の前に立ちはだかる。
麻酔を打たれて意識を失っている時任は、男の肩に担がれた状態で硬く瞳を閉ざしたままだった。
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