くぼずきん8




 「相変わらず見事な腕だ。さすがだよ、くぼずきん君」
 真田が賛辞の言葉を送ると、久保田は感情の読めない笑みを浮かべた。
 「そうでもありませんけど?」
 「そういうところも相変わらずといった所か」
 「俺ってあんまり進歩ないですから」
 そこら中から漂ってくる、むせ返るような血の匂いの中、真田は微笑んでいた。
 自分がくぼずきんと時任に差し向けた部下達を見ることもなく。
 真田にとって部下とはその程度のものなのだろう。
 「で、なんですか?」
 そうくぼずきんが切り出すと、真田は視線をくぼずきんから時任の方にうつした。
 「可愛い猫を飼っているとは聞いていたが。なるほど、少々気が強そうだが、調教すればいい猫になりそうだ」
 舐めるような視線が時任を這い回る。
 時任は鳥肌を立てながら、真田を鋭く睨み付けた。
 「気色悪いんだよっ、てめぇ!! このクソヘンタイ中年っ!!」
 ヘンタイ中年呼ばわりされた真田は、フッと目を細めて笑う。
 その笑い方にむかついた時任は、いつでも飛びかかれるように姿勢を低くした。
 「すまないが、私は中年と呼ばれるにはまだ早い年齢でね」
 「いくつだろうと、ヘンタイ野郎には違いねぇだろ?」
 「君は面白い子だ。くぼずきん君も君のそういう所を気に入ったのかな? そうでなければ、その可愛い顔か、それともそのしなやかそうな身体か…」
 さすがに時任も、真田が何を想像してそのセリフを言ったのかが理解できた。
 真田が自分のことを人間扱いにしていないことも。
 時任は爪を伸ばして、攻撃の標的を真田に定めた。
 「死ね」
 低く静かな声でそういうと、時任は真田に向かって襲い掛かろうとする。
 けれど、その腕をくぼずきんがつかんだ。
 「なんで止めんだよっ、久保ちゃん!」
 時任がそう叫ぶのには答えず、くぼずきんは真田に視線を向けた。
 くぼずきんは相変わらず、ポーカーフェイス変わりのような笑みを浮かべている。
 どうしようとしているのかわからず、時任は少しの間じたばたしていたが、少しも腕をつかんでいるくぼずきんの力が緩まないのでおとなしくなった。
 くぼずきんは時任がおとなしくなるとその腕を放してやってから、
 「すいませんけど、このまま帰ってくれません? 買い物の途中なんで」
と、真田に向かって言う。
 真田はその言葉を受けて口の端を吊り上げた。
 「私は用事があってきたんだがな」
 「知ってます」
 「それでも帰れと?」
 「そうです」
 「君は私がここに来た理由を知りたくないかね?」
 「ぜんぜん」
 くぼずきんの食えないセリフにも動じることなく、真田はそのまま話を続けようとする。
 時任は早くここから離れたくて、くぼずきんの服の端を引っ張ったが、くぼずきんはその手を軽く握っただけで何も言わない。時任は伝わってくるぬくもりを感じながら、静かに二人の会話に聞き耳を立てていた。
 「あの屋敷の初代主は、幼い少女だったのを知っているかな?」
 「まぁ、一応」
 「この近くに住む平凡な少女が、なぜこの魔獣の森の主になりおおせたのか? 私はそれが不思議でならなくてね」
 「はぁ」
 くぼずきんは興味のなさそうな返事を返すが、真田は少しも気にした様子はなかった。
 実はくぼずきんもさっさと買い物に行きたかったのだが、とりあえずという感じで真田の話に付き合っていた。
 つまり、やっかいごとになるのが面倒なのでこうしているだけなのである。
 真田は買い物に行きたがっている二人を前にして、まだまだ話を続けていた。
 「少女の直系の血筋であるくぼずきん家の人間に、特殊な能力があるという報告はない。だが、長年に渡って森を支配してきたという事実がある」
 「俺に何か期待してんのなら、ムダですよ。くぼずきんって名前は、単なる戸籍上の問題ってだけなんで」
 「そういうワケではないがね。最近、ちょっと気になる情報が手に入ってね。それが事実なのかどうか確認するために来たんだよ、私は」
 「情報、ねぇ」
 「くぼずきん家には一匹の魔獣が幽閉されていた。その魔獣の力を利用して森を支配していたが、近年それが逃げ出したらしい。それでくぼずきん家の主はこの屋敷を出ざるを得なかったというのだが、どう思うかね? くぼずきん君」
 「さぁ、俺にはなんとも」
 「そうかね」
 真田はなぜか、くぼずきんからそれを聞き出そうとはしなかった。
 聞き出そうとしたところで何も知らないのだが…。
 屋敷については、今、橘が住んでいるのだから、それで出て行ったとは考えづらい。
 なにか他に事情がありそうだった。
 くぼずきんはじっと横から自分を見ている時任に気づき、その頭を軽く撫でる。
 時任は気持ち良さそうに目を細めた。
 「話が終わったみたいなんで、俺はこれで行かせてもらいます」
 くぼずきんはそう言って、時任とともに真田に向かって歩き出した。
 真田のいる方向が町への道なのである。
 「さよなら」
 「また、すぐに会うことになるだろうがね」
 「遠慮しときます」
 すれ違う瞬間、周囲の空気が張り詰める。
 けれどそれは時任の怒鳴り声によって壊された。
 「てっ、てっ、てめぇっ!!」
 怒りに震えながら、時任が真田に手を伸ばす。
 けれど爪は寸でのところで空を切った。
 「今度会った時は、その爪を切ってあげよう」
 「切らせるかっ!!」
 「では、また」
 真田が二人に背を向けて歩き出す。
 これだけ周囲が血の匂いに満ちているにも関わらず、真田からは血の匂いがしなかった。
 自分の手は汚さない主義らしい。
 「ぜってぇ、ぶっ殺す!!」
 真田がいなくなっても時任は怒りをあらわにしている。
 くぼずきんは歩き出そうとしない時任の肩を軽く叩いた。
 「どしたの? なんかされた?」
 そう聞いてくるくぼずきんをギッと睨むと、時任は顔を真っ赤にして、
 「…ケツ撫でられた」
と、小声で言った。
 「セクハラな人だからね」
 そう言うくぼずきんの返事に時任は目を見開いた。
 「く、久保ちゃんもなんかされたのか!?」
 「まぁ、ちょっとね」
 「許せねぇっ! 今度会ったらミンチにしてやるっ!!」
 「俺のために?」
 「俺とくぼちゃんのためにやんのっ!」
 真田をぶっ殺す宣言をした時任に、くぼずきんは嬉しそうな笑顔を向ける。
 そんな笑みを見た時任は、さらに真っ赤になった。
 「二度とさわらせないから、安心しなね?」
 耳元で囁かれた言葉に、時任はバカと言ってそっぽを向く。
 本気でそう思っていたのではなく、ただ単に照れていただけだった。
 けれど、こんなところで照れている場合ではない。
 早くしないと店が閉店してしまうかもしれなかった。
 「早くいかないと、今日もカレーになっちゃうかもよ?」
 「それだけはダメだってのっ」
 二人は血なまぐさい森の中を、夕飯を買うために走り出した。
 こんな状況なのだが、くぼずきんも時任もあまりそのことを気にしていない。
 喜ぶべきかそれとも悲しむべきなのか、二人ともこんな状況には馴れていたのである。
 けれど、そんな自分達のことを不思議ともおかしいとも思わない。
 今を生きることだけが、二人にとって大切なことだった。



                    戻 る         次 へ