くぼずきん.60




 「急がば回れってな。正面から行くよりも、最終的にはこっちの方が早い」

 荒磯部隊の元部下達と救護班のお姉さんに向かって、そう言いながらライフルを肩に背負った葛西が本部ビルへの入り口を指し示す。
 だが、そこは人間が出入りする場所ではなかった。
 入り口の前に立っている今も、中から何か音がする。
 すると、その音を聞いた五十嵐と藤原が、思いっきり嫌な顔をした。
 「まさか、アタシにこんな場所に入れって言うつもりじゃないわよね?」
 「こんなトコに入ってもっ、ぜっったいに見つかりますよっ。ダメですよぉぉ…っっ」
 「嫌だったら、残ってもいいんだぜ? 別にムリに一緒に来いとは言ってないしな。行かないなら、お前らは表で待ってろ」
 絶対に入りたくないっ、嫌だと駄々をこねる五十嵐と藤原に、葛西があっさりとそう言う。すると、まるで最初から頭数に入っていないような言い草にムッとしたのか、五十嵐は嫌がる藤原の耳を引っ張ると、自分から入り口を開けて中に突入した。
 「ほらっ、ボサッとしてないでさっさと行くわよっ。早くしないと軍が廃ビル群に向かったくぼずきん君達にも、危害を加えちゃうかもしれないじゃないっ」
 「ここに入るのは、嫌じゃなかったのか?」
 「おーほっほっほっ、誰が嫌なんて言ったかしら? 愛するくぼずきん君のためなら、これくらいなんでもないわ」
 「・・・・報われねぇな、お前ぇも」
 「あら、それが恋というものよ。報われなくてもあきらめられない…、だから恋でしょう?」
 そう言ってニッと笑った五十嵐は藤原を先に放り込んで、続いて自分も中に入る。
 すると、そんな五十嵐を見た葛西はやれやれと軽く肩をすくめた。
 実は人知れず本部ビルに潜入するために、葛西達が入ろうとしているのはダストシュート…。表から人目につかない裏に回り、更に街の地下をくまなく走っている水路を通って、ダストシュートのある場所までたどりついたのである。
 ダストシュート近くへ続く水路は、緊急時のための隠し通路になっていた。
 その通路を知っているのは本部の上層部の人間のみだが、運の良い事に葛西達の中に上層部の…、しかもトップに立っていた人間がいる。本部への隠し通路を教えたのは、元魔獣対策本部、本部長の松本だった。
 「お飾りの本部長だが、これくらいは知っている」
 五十嵐と藤原、そして相浦に続いてダストシュートに入りながら、松本が苦笑しながら明るい口調でそう言う。たが、そんな口調とは裏腹に魔獣の森近くにある村から、この街に来てからの事でも思い出しているのか…、松本の表情は暗く沈んでいた。
 葛西と五十嵐から聞いた話…。
 自分を助けたという魔獣の事が、ずっと気にかかっている。名前はわからないが、その魔獣は話を聞けば聞くほど、関谷と共に松本の前から消えた橘としか思えなかった。

 「橘が魔獣…、そんな事が…」

 そんな風に言いながらも、魔獣だと考えた方が納得がいく事もある。時任と久保田が一緒に屋敷で暮らすようになってからは松本の家にいたが、そうなる前、橘は一人で魔獣の森で暮らしていた…。
 魔獣達のテリトリーを犯さないように気をつけているとは言っても、そのテリトリー自体が松本にはわからない。
 だから屋敷へ行く時は、子供の頃にそこで暮らしていたという久保田と一緒だった。
 久保田は人間だが、魔獣に襲われるどころか塞がれた道を開けさせる場面を何度か見た事もある。しかし、橘は久保田のように魔獣達を従わせるのではなく、自らの直感でテリトリーを避けて歩いている様子だった。
 どこか遠くから来たという事以外、橘については何も知らない。
 何を聞いても答えないし、自分の過去を絶対に喋ろうとはしない。
 けれど、月日が経つ内に気にならなくなり…、橘の過去について聞く事をやめた。
 橘が話したくなるまで待とうと思っていた。
 だが、橘自身が魔獣だ…、などとは少しも考えた事も思った事もなかった。
 「もしも引き返したいと思うなら、今しかないぞ。今なら、あの魔獣が言った通りに町を出て村へも帰れる…」
 松本が橘の事を考えていると、そう言った葛西の声が耳を打つ。
 今なら何もかも忘れて町を去り、住んでいた村に帰れると…、
 だが、松本は迷うことなく首を左右に振った…。
 「俺がここに来たのは、あの醜悪な肉塊を倒すためだ。そのためにここに来て、ここにいる。だからこそ、俺は魔獣対策本部長のイスにも座った…」
 「あの魔獣はやっぱり…、知り合いなのか?」
 「わからない…。だが、今はその事に気を取られて立ち止まっている余裕はない」
 「たとえ、そいつと戦う事になってもか?」
 「・・・・無論だ」
 「そうか…」
 そこで二人の会話は途切れ、五十嵐と藤原に続いて松本もダストシュートの中に消える。他の場所のものよりも少し大きく作られたダストシュートの入り口と、そこから伸びる壁の中に作られた通路は普段は鍵のかけられている資料室まで続いていた…。
 だが、資料室からは排気口か天井を伝って移動する事になる。それは潜入する目的を果たすためには、誰にも見つからずに本部長室と放送室にたどりつかなくてはならないせいだった。
 葛西は背後にいる松原と室田を振り返ると、室田の方に声をかける。
 そして一緒に本部に潜入するのではなく、ここで待機する事を命じた。
 「お前はここに残れ…。説明しなくても、お前なら俺の言ってる言葉の意味はわかるな? そして、自分の役目の重要さも…」
 「わかっているつもりだ」
 「頼んだぞ」
 「了解した」
 室田が自分に課せられた任務を了解すると、松原が室田の横に立ち肩に手を置く。
 すると、室田は松原の方は見ずに、その手の上に自分の手を重ねた…。
 「お前の背中は俺が必ず守る…」
 「室田の背中は僕が守ってみせますよ…」
 お互いの口から、同時に出た言葉…。
 その言葉を聞いた二人は、お互いの顔は見ずにそのまま擦れ違う。拳を握る室田も、刀を握る松原も…、戦場にいる時と同じ厳しい表情になっていた。
 だが、肩で重ねられた手が離れても、心は繋がったまま…、
 その絆は刑事時代から、それよりもずっと前から繋がってはいたが、ここまで強くなったのは戦場に立ってからかもしれない。そして、軍に入る前から常に己を鍛え刀を拳を磨き、強さを求めていた二人は、もしかしたら軍に荒磯部隊として参加していなくても、この戦場に立っていたのかもしれなかった…。
 外に室田を残して内部に潜入した葛西達は、通路を通って資料室の本棚裏側にある隠し扉から出ると、そこから二手に分かれる。向かう目的地は、司令室と本部長室…。
 司令室へは五十嵐と藤原、そして相浦…、本部長室には葛西と松本、そして松原が向かう事になる。まずは無線のある司令室を占拠して、外部の部隊との連絡を不通にし、それから次に本部長室を押さえる必要があった。
 今は軍の内部にいる刑事時代からの葛西の知り合いの情報によると、今、真田は本部にはいないらしい。だからこそ、こんな一か八かの賭けに出る気になったのだが、それが成功するかどうかは葛西達だけではなく軍内部の人間…、一人一人にかかっていた…。
 「目的は何としても果たなきゃならねぇ…。だが、ムリはするなよ、死んじまったら元も子もねぇからな」
 拳銃を差し出しながら葛西がそう言うと、五十嵐は差し出された拳銃を受け取らずに微笑む。そして、ポケットの中から怪しい液体の入った注射器を取り出した。
 「医療班のアタシに拳銃は必要ないわ、コレがあれば十分よ」
 「…って、まさか」
 「ふふふ…っ、真田なんかに従う悪いコには、アタシがおしおきしてあげるわ〜」
 「注射器の中身はなんだ?」
 「ヒ・ミ・ツ」
 「じゃあ、いつから持ってたんだ?」
 「それもヒ・ミ・ツ」
 「・・・・・前々から思ってたが、お前ぇだけは敵にまわしたくねぇな」
 「あらぁ、良くわかってるじゃな〜い。アタシを敵に回すヤツは地獄じゃなくて、天国に落ちるわよ〜。でも、天国は好みのコ限定だけど…、うふふふふ…」
 拳銃片手に潜入ではなく、注射器一本で潜入した五十嵐は怯えている藤原をどつきながら、ヒラヒラと軽く葛西に手を振って通気口ではなく、堂々とドアを開けて廊下へ出て行く。すると、何かを思い出したようにその背中に葛西が声をかけた。
 「指定の場所でアイツに会ったら、よろしく言っといてくれ」
 「言われなくても、わかってるわよ」
 葛西の声にそう答えると、五十嵐はドアを閉めて廊下を歩き始める。
 けれど、ドアを出て廊下を歩いている五十嵐と藤原を咎める者は誰もいなかった。
 実は刀も銃もあまり扱えない二人を、一緒に連れてきた理由はここにある。
 元荒磯部隊の隊長である葛西と右腕である相浦、魔獣対策本部が指揮している軍の精鋭中の精鋭である松原と室田は面が割れているが、内部に藤原の顔を知る人間は少ない。そして、救護班である五十嵐については顔は知られているものの、葛西と行動を共にしている事実はまだ知れ渡っていなかった。
 荒磯部隊に遭遇した時も、夜だった事が幸いしたらしい。
 そのため藤原と五十嵐の二人について、軍は完全にノーマーク…。
 そして、その二人を追うように相浦が通気口のルートから司令室を目指す。
 相浦は松原達のように戦闘力はなかったが、機械類に強いという特技があった。
 「五十嵐と藤原、そして司令室はお前に任せる。自分の判断で、迷わず思う通りにやってくれ」
 「了解っすっ」
 「いつも面倒な事を任せて悪りぃな、相浦」
 「な、何、葛西さんらしくないしおらしい事言ってんっすかっ、気持ち悪いっ」
 「気持ち悪くて悪かったなっ、たまには俺にもしおらしい時が…」
 「ま…、でも…。それだけ俺を信用してくれてるって、そう信じてるっすからっ」
 服の中に色々と隠し持っているせいか、いつもよりも着膨れしている相浦は、そう言うと松原に手伝わせて本棚に登り、そこから通気口に入る。すると、そんな相浦に向かって、葛西はポケットから取り出した物を投げた。
 「お前は俺の右腕だ…。そして俺の右腕は一本で、他に代わりはねぇからな」
 「隊長こそ、一本しかない右腕を置いていくようなヘマはしないでくださいよ」
 葛西が投げた物を右手でしっかり受け取った相浦は、松原に目だけで隊長を任せたと…、そう伝えると通気口の中に消える。すると、資料室の中には葛西と松原、そして元魔獣対策本部長である松本が残された。
 三人が向かう先は、警備の厳重な本部長室…。
 資料室から更に伸びる隠し通路を使って本部長室の中に侵入する事はできるが、別にそこへは篭城するために行く訳でなかった。
 おそらく、そこは指令室とは違い真田の息のかかった者達が守っている。
 つまり軍の人間ではない…、外部の人間…。
 葛西は自分を見つめている松本と松原に向かって頷きかけると、通路の入り口である本棚に向かった。




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