くぼずきん.55
・・・・・・・魔獣。
そう呼ばれる存在には様々な種類の者がいるが、その中の何種類かが戦闘に向いているとされていたとしても、その能力を使わない環境で育ったとしたら、ただ戦闘に向いているというだけに留まる。実際にその能力を使った事がなければ、戦った事がなければ何の役にも立たない…。
それは、魔獣も人間も同じ事だった。
ワイルド・キャットは見た目も美しく、戦闘能力が高い…。だが、大塚に向かって走り出した時任の速度は、ワイルド・キャットだからと納得できるような速さではなかった。
宗方に薬を射たれベッドに繋がれ、その後も深手を負って眠るくぼずきんの横で食事も取らずに衰弱していた時任のどこに、そんな力が残っていたのか…、
それはもしかしたら、走っている時任自身にもわからないのかもしれない。
走り出した時任の速さは、この場にいる人間の魔獣の予想を遥かに超えていた。
・・・・・・・・・来るっ!!!
黒服の男達は引き金を弾こうとしたが、時任の姿を捉え切れない。
魔獣達も身構えたが、あまりの速さに反応が遅れた。
迫り来る時任に真っ直ぐな瞳に心臓を射抜かれてしまったかのように、大塚の隣に居る佐々原も石橋も動けない。だが、大塚だけは驚きと恐怖に大きく目を見開きながらも、時任に向かって拳銃を構えた。
血の匂いの混じる風を切り…、時任が走る…。
そして時任の背中を、くぼずきんの銃口が狙う…。
廃墟と化した町をすり抜けて吹いてくる向かい風も、二人を止める事はできなかった。
「ちぃっ!!!」
「やらせるかぁぁーーっっ!!!!」
間近に迫った時任に向かって、大塚が引き金を弾き絞る。
大塚の銃口が、狙っているのは心臓…。
この距離では、たとえ銃の腕が悪くても確実に当たる。だが、大塚がニヤリと笑った瞬間に、その瞬間に大塚の視界から時任が消えた。
「な…っ!?」
さっきまで、時任は目の前にいた。
握りしめた拳銃は時任を、獲物を完全に捉えて外さないはずだった…。
目の前から消えるなんて事は、絶対にあり得ないはずだった…。
だが、今、大塚の目の前に居るのは時任ではない。大塚の目の前で拳銃を構えているのは…、時任の背中に銃口を向けていたくぼずきんだった。
「くぼちゃん…っっっ!!!」
時任が叫び、くぼずきんがそれに答えるように引き金を弾く。この場にいる全員の視線が走り出した時任に集中していたため、時任の背中に隠れるように拳銃を構えていたくぼずきんは完全にノーマークだった。
さっきまで目の前にいた時任は引き金を弾こうとした瞬間に、姿勢を低くして大塚と佐々原の間を滑り込んで…、今度は逆に大塚達の視線がくほずきんに集中した瞬間に後方に回っている。魔獣達が二人を襲うよりも、黒服の男達の銃弾が二人を撃ち抜くよりも、おそらく大塚をくぼずきんの銃弾が撃ち時任の爪が抜き切り裂く方が早かった。
だが、くぼずきんの銃口は大塚の急所を狙ってはいない。
そして、時任の爪も違う場所を狙っている…。
目をも開き恐怖に顔を歪めた大塚は、手のひらの中の小さな箱を握りしめた。
こんな状況で形成を逆転されるなんて、絶対にあり得ない。しかし、時任はくぼずきんを信じて走り、くほずきんは時任を信じて引き金を弾く瞬間が来るのを待ち…、
そして、今、この瞬間がある…。
だが、二人が狙っているのは大塚ではなく、大塚の持っている小さな箱…。
この場に居る魔獣達を縛り付けている、憎しみの詰まった箱だった。
「チェックメイト…」
くぼずきんの唇が、終わりを告げる言葉を刻む。
すると、それと同時に辺りに、憎しみを切り裂くように銃声が響き渡った…。
ガウゥゥゥゥンーーーーーっ!!!!!!
「うあぁぁぁぁーっっっ!!!!!!」
響き渡る銃声と叫び声…。
そして、大塚の手から流れた赤い血が、小さな箱と一緒に地面に零れ落ちる。
その瞬間に佐々木と石橋の手が小さな箱へと伸びたが、それよりも早く時任の手がそれを拾い上げた。
・・・・・・・・・・神の憎しみを。
すると、時任とくぼずきんに向いていた魔獣達の哀しみと憎しみに燃えた瞳が…、
いっせいに大塚を…、
同じ魔獣を…、仲間を殺した本当に憎むべき相手を見た。
「な…、なんだよ…」
大塚は拳銃を握りしめたまま、佐々原と石橋は一緒にゆっくりと後ずさる。
だが、すでに魔獣達に囲まれてしまっている三人に逃げ場はなかった…。
この場には黒服の男達もいたが、助けを求めるように大塚がその方向を見ると男達は大塚を見てはいない。男達は魔獣に襲われようとしている大塚ではなく、くぼずきんの方を見て、くぼずきんの方に銃口を向けていた。
「何やってやがんだっ!!!てめぇらっ、俺を助けろーーっっ!!!」
大塚の叫び声は男達にも、誰にも届かない…。
大塚の手にかかって命を失った、魔獣や人間と同じように…。
そんな絶望の中で大塚は訪れる死の恐怖に震えながら、同じように無数の銃口を向けられて絶対絶命のピンチに陥っているくぼずきんを睨みつけた。
「てめぇも死ね…っ、死にやがれっっっ!!!」
大塚はそう叫んだが、すぐに近くからした声になぜか心臓の鼓動が大きくドクンと鳴る。弱った身体に鞭を打って全力で走り無理をしてしまったために少し前に屈み込んで苦しそうに肩で息をしていたが、時任の声は大塚の耳に強く響いた。
「いくら叫んでも誰も助けてくれねぇのは、くぼちゃんのせいじゃなくて自分のせいだろ。それに、もしも誰も助けてくれるヤツがいないだけじゃなくて、好きなヤツとか守りたい大事なヤツとかもいねぇんだとしたら…。マジでかわいそうなヤツだな…、お前」
・・・・・・かわいそう。
時任の言った言葉が、大塚の胸に深く突き刺さる。ずっと仲間としてやってきた佐々原と石橋は、じりじりと魔獣に狙われている大塚から離れようとしていた。
・・・かわいそう。
・・・・・・・かわいそう。
耳の中で繰り返し繰り返し、時任の声が木霊する。
大塚は額に流れる汗を拭う余裕もなく、明日もなく希望もなく…、
自分に襲いかかってくる魔獣達に紛れ時任が再び走り出すのを、同じように混乱に乗じてくぼずきんが時任と合流するために動き出すのをじっと見つめていた。
男達の撃った銃弾はくぼずきんの頬や肩をかすめたが、致命傷を与えるには至っていない。けれど、それでもまだ執拗に二人を、くほずきんを黒服の男達の銃口が狙っていた。
「好きだとか守りたいとか、そんなくっだらねぇ感情がなんの役に立つ。てめぇらみたいな虫ケラやクズは、ゴミみたいに死ぬって決まってんだよっ。偉そうに正義面して…、ブッ殺されやがったクソ親父みてぇにな…っ!」
大塚の目はくぼずきんに向いていたが、くぼずきんを見てはいない。
くぼずきんの目が気にいらない…。
くほずきんを見ていると憎しみが湧いてくる…。それには何も理由などなかったはずなのに、理由のない憎しみのはずだったのに…、
くぼずきんを見る大塚の目にはなぜかかつて荒磯部隊の隊員にヘブンズ・ゲートと呼ばれている教会の神父をしていた父親の姿が映っていた。
ある日、教会に迷い込んできた怪我を負った魔獣…。
それを大塚の父親は怪我の手当てをし、介抱して助けた。
けれど、魔獣は軍の施設から脱走してきたらしく追われていたのである。
しかも、何か軍の機密を持って…。
だが、それは間違った情報で、本当は同じ時期に脱走した魔獣の橘が持っていたのだが、それがわかったのはすべてが終わった後だった。
『・・・・・・・・すまん』
それが、大塚の父親の最後の言葉…。魔獣を引き渡さなければ妻と息子を殺すと脅した軍に、首に十字架をかけた大塚の父親は首を横に振った。
飛び散る赤い血と響く銃声…。
その中でどうやって助かったのか、大塚にはその時の記憶がない。
ただ気づくと母親も…、そして父親も魔獣も死んでいた…。
「・・・・・・俺も死ぬのか?」
大塚がそう呟いた瞬間、魔獣達の爪に牙に切り裂かれ血しぶきが上り、視界が赤く染まる。けれど、大塚の赤く染まった視界の中にいるくぼずきんはまだ倒れてはいなかった。
大塚の全身は赤く染まっていたが、くぼずきんはまだ死んではいない…。だが、すでに初めからくぼずきんの身体は限界を超えていて、本当なら走るどころか歩ける状態にすらなかった。
それでも時任を守りたいという想いだけで、強い精神力だけで拳銃を握りしめ引き金を弾き続けている。騒ぎにまぎれて時任がこちらにたどり着くまで、二人でこの場から脱出するまであと少し…、
しかし、その前にくぼずきんの足を銃弾がかすめ身体が揺らいだ。
「くぼちゃんっっ!!!」
くほずきんの身体が前のめりになり、時任が叫ぶ。
だが、黒服の男達に隙を突かれたのは、くぼずきんではなく時任だった。
くぼずきんに駆け寄ろうとした時任を男達が狙っている。それに気づいたくぼずきんは駆け寄ってきた時任の腕を掴んで引き、時任の代わりに銃口の前に立って一丁しかない拳銃を構えた。
「・・・・・・ゴメンね」
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