くぼずきん.54
時任のくぼずきんの行く先…、宗方のいる廃ビル群との間から吹く風に血の匂いが混じっている。それに最初に気づいたのは、くぼずきんではなく時任だった。
魔獣と軍との戦いが続くこの町では、血の匂いがするのは別に珍しい事ではないが、今、流れてきている匂いの濃さは尋常ではない…。
この先で確実に異常な事態が、何かが起こっている。そう感じた時任はくぼずきんのコートの裾をぎゅっと握りしめると、周囲の気配を探りながら爪を出して身構えた。
これ以上、誰にも傷つけさせない…。
もう二度と…、離れたくない…。
その想いの強さが、裾をぎゅっと握りしめる手を震えさせる。
けれど、そんな時任の手をくぼずきんの手がゆっくりと優しく撫でた。
「大丈夫…。お前と二人でいるなら、もう何も心配はいらないから…」
くぼずきんはそう言ったけれど、そんな言葉が欲しくて袖を握りしめた訳じゃない。
優しく大丈夫って言ってもらって、安心したかった訳じゃない。でも、その想いを伝える前にくぼずきんが雲間から覗いた月光を受けて鈍く光る冷たい拳銃を構えた。
血の匂いと共に二人に向かって近づいてくる気配は殺気に満ちていて、廃ビルに真っ直ぐに向かわずに迂回してもついてくる。
まるで、二人に発信機でもついているかのように…。
確実に着実に…、追い詰めるようにおいかけてくる気配は、もちろんさっき別れた葛西でも相浦達のものでもなかった。
「くぼちゃん」
「ん?」
「・・・・・囲まれた」
「みたいね」
「もう、気づいてるかもしんねぇけどさ。たぶん、俺らの動きは読まれてる」
「でも、いよいよカミサマのお出まし…にしては匂いも気配もないし?」
「もしかして、また橘が…っ」
「うーん、だったら案内してくれそうでいいけど、不良A君とかチンピラB君みたいよ?」
くぼずきんが言った通り、前からニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら歩いてくる人物は、仲間らしき二人と黒服の男達と一緒にいる。しかも、それだけではなく魔獣をも従えているが、近づいてくる人物は橘ではなかった。
あのホテルで見ているので、顔はハッキリ見覚えがある。だが、葛西達が名前を呼んでいたような気もするが、時任もくぼずきんも名前を覚えていなかった。
けれど、別に思い出さなくても問題はないので、二人とも大塚をチンピラとか不良と呼んである。だが不良A…、大塚はそれが気に入らないらしく、憎悪に満ちた目でくぼずきんを睨みつけ口を歪めた。
くぼずきんにとって大塚は気にする必要のない、どうでもいい存在だったが、大塚にとってはそうではない。二人は今までまともに向かい合った事も話した事もないが、大塚の方はなぜかくぼずきんを憎んでいた。
けれど、それは関谷に殺せと命令されたからでも、何か別に理由があったからでもない。ただ理由も訳もなく目が、くぼずきんの存在が無性に気に入らないというだけだった。
「会いたかったぜぇ、くぼずきん」
大塚は少し距離を置いてくぼずきんと時任の前に立ち止まると、そう言って低く不気味に笑う。だが、そんな大塚の笑い声を聞いても、くぼずきんはのほほんとした様子で肩を軽くすくめただけだった。
「そう言われても今はデート中だし、俺にその気はないんですけど?」
「その気がなくても、すぐに進んで付き合いたくなるさ」
「うーん、俺の好みは猫っぽいコで目つきの悪い不良じゃないんだけどなぁ」
「俺の方はてめぇみたいなヤツはすっげぇ好みだぜぇ〜。ゆっくりと時間をかけて劇的に、感動的にブッ殺したくなるくらいになぁ」
そう言った大塚の後ろにいるのは、荒磯部隊ではなく魔獣。
そして荒磯部隊に命令を下したのは真田で、くぼずきんを殺そうとして肉塊ではなく魔獣を動かしているのは…、おそらく関谷…。
これが、何を意味するのかは考えなくともわかる。大塚が真田の命令で荒磯部隊を率いていてはずなのに、今は魔獣を従えて目の前に立っているという事は真田から関谷に寝返ったという事だった。
魔獣対策本部本部長の松本と、出雲会の真田は繋がりある。だから、荒磯部隊に所属していた大塚が真田と繋がっていても不思議はないが、さすがに関谷とも繋がりがあるとは誰も予想していなかった。
「橘だけじゃなくて、不良君も守備範囲…。うーん、確かに予想外だけど、あまり想像はしたくないなぁ」
関谷が聞いたら怒り出しそうなセリフを呟くと、くぼずきんは視線だけで周囲の様子を探る。だが、周囲には魔獣だけではなく、拳銃を持った関谷の部下もいるために隙をついて脱出するのは難しそうだった。
宗方のいる場所にたどり着くまでに、こんな風に魔獣や軍の人間と戦う事になるのは最初からわかっている。だが、魔獣と人間が同時にしかも組んで襲ってくるとはさすがに思っていなかった…。
両者が戦闘状態にあるからこそ、その間に生まれる隙をつけるのだが組まれてしまってはどうしようもない。大塚が肉塊を手にしてしまったがために、くほずきんと時任は最悪な状況に追い込まれてしまっていた。
肉塊を手にした大塚は人間でありながら、魔獣を従えて立っている…。
だが、それは魔獣達の憎しみに同調したからでも、同情したからでもない。
大塚は自分の手ひらの中にある小さなガラスの箱を、憎しみに波打つ肉塊をくぼずきんと時任の前にかざした。
「こんなモンが、こんな腐った汚ねぇモンがカミサマだったなんてなぁ。道理で国も町もニンゲンも何もかもが腐れちまってるはずだぜ…、くくく…っ」
そう言った大塚は、持っていた拳銃を近くにいた魔獣に向けて引き金を引く。
すると、銃口から細い煙が上がって…、魔獣が胸を押さえて倒れた。
だが、魔獣達は大塚を殺意に満ちた目で睨み付けても、まるで金縛りにでも合ったかのようにその場から動かない。すると、大塚は自分の手の中にある小さなガラスの箱を眺めて、廃墟と化した町に笑い声を響かせた。
「あのオカマ野郎が言った通り、コレさえ持ってればヤツらは俺に逆らえない。どんなに憎んでも殺したくても、俺を殺せねぇ。ははははっ、マジで最高だぜっ!!!」
大塚は腐臭漂う肉塊の欠片を、橘ではなく関谷から受け取っている。
しかし、それが神だと聞かされても大塚にはどうでもいい事だった。
手にしたのが神だろうとなんだろうと、今が楽しければそれでいい。だから、ウィッチ・ドッグに襲われた後で神の入ったガラスの箱を見せられた瞬間、真田を裏切り荒磯部隊を捨て関谷に付く事に決めた。
町が魔獣に支配されようと、人間が滅びようが知った事ではない。関谷の部下達と魔獣達を従え、これから気に食わないくぼずきんを八つ裂きにできるかと思うと最高に愉快で楽しい気分だった。
けれど、そんな大塚の気分を壊すように、目の前に魔獣であるはずのワイルド・キャットが長い爪を出して構える。そして怒りに満ちた瞳で真っ直ぐに大塚を睨み付けたワイルド・キャット…、時任は、周囲にいた魔獣達ですら捕らえ切れない速度で前に足を踏み出すと同時に鋭い爪でヒュンッと空気を切り裂いた。
すると、爪は届いていないはずなのに大塚が驚いた顔をして数歩後ろに下がる。
けれど、大塚は傷一つついていない頬に手を当てると、くぼずきんに向けていた憎しみに満ちた視線を時任の方へと向けた。
「てめぇ…、たかが魔獣の分際でっっ!!!」
大塚はそう叫んでガラスの箱を憎しみを込めて握りしめたが、時任は大塚を真っ直ぐに睨みつけたままで少しも恐れた様子はない。それどころか逆に時任の揺るがない強い瞳に圧倒されたかのように、関谷の部下と魔獣達を従えた大塚の方が焦りと恐怖を感じていた。
だが、すぐにそれを誤魔化すように舌打ちすると、頭から爪先までなめるように時任を眺める。そして、あらためて時任を見て小さく口笛を吹くと、余裕を取り戻した大塚は隣にいる石橋と佐々原と顔を見合わせてニヤリと笑った。
「そこで転がってるヤツみたいにすぐにブッ殺しちまってもいいけどさぁ、そこのボケた顔した野郎をたらし込んだカラダってのには興味あるよなぁ」
「あー、そいつは俺も知りたって思ってたトコだぜ、大塚」
「俺もっ、俺も佐々原と同じで色々知りたいなぁ。たかが魔獣でも、ワイルド・キャットは一味違うらしいし」
「じゃ、満場一致ってコトでボケ顔の男は殺してもいいが、猫は絶対に殺すなよ。手間かけさせられた駄賃として、色々と楽しませてもらわなきゃならないからなぁ…、くくく…っ」
耳障りな笑い声と、まるで物を見るように全身を這い回る不快な視線…。
時任はぎゅっと拳を握りしめて軽く唇を噛みしめたが、こんな風に見られる事も言われる事にも慣れている。だが、それを自分は魔獣だからと当たり前のように感じたくなかった。
頭の上についている耳も、動くたびに風に吹かれるたびに揺れる尻尾もずっと気に入っていて好きで…、くぼずきんが好きだと言ってくれてから、もっと好きになって…、
だから、どんな時も背筋を伸ばすようにピンと耳を張って、空に向かって大きく伸びをするように尻尾を隠さずに伸ばして生きていく。
一人じゃなくて…、くぼずきんと一緒に…。
時任は力を抜いて握りしめた拳を開いて大きく息を吸い込むと、大塚達ではなく周囲を取り囲んでいる魔獣達をじっと見つめた。
「たかが魔獣で、たかが人間でそれがなんだってんだよっ。そんなの生まれて生きるのに、生きてくのに関係なんかない…っ。魔獣に生まれても人間に生まれても、俺は俺だ…っ」
時任の声はすぐそばにいるくぼずきんには届いても、魔獣達の耳までは届かない。けれど、まるでその声を聞いたかのように魔獣達の耳がピクりと反応したが、大塚の手にある肉塊がビチャリビチャリと不気味にそれを打ち消すように蠢いていた。
永遠に消えない命…、永遠に消えない憎しみ…。
時任の言葉を聞きながら、くぼずきんが自分を憎み続けている波打つ肉塊を見る。すると、肉塊は永遠に求めるように憎むように、手を肉をくぼずきんに向かって伸ばし続けていた。
くぼずきんと肉塊の間にあるのは、銃弾を打ち込まれ殺された憎しみ…。けれど、それだけではない何かがくぼずきんと時任を、そしてこの町を覆いつくそうとしていた。
まるで、明けない夜の暗闇のように…。
そして、そんな憎しみの暗闇の中でくくく…っと不気味に声を立てて笑い続けながら、大塚は肉塊の入ったガラスの箱を持ったまま手をゆっくりと上げる。すると、くぼずきんと魔獣達の間に緊張の糸がピンと張り詰めた。
状況は一触即発…。
少しでも動けば、緊張の糸を切れ魔獣達はそれに反応して襲ってくる。
無駄だと知りながら呼びかけてみたが、やはり魔獣達は憎しみに支配されていて答えなかった。くぼずきんは呼びかけるのをやめるとゆっくりと拳銃を握りしめると反対側の手で、横に立つ時任の手をぎゅっと握りしめる。
すると、時任も同じようにくぼずきんの手をぎゅっと握り返した。
血の匂いの混じる風の中、あの森で一緒に暮らした日々と少しも変わらない笑顔で…。
それだけで…、その笑顔だけでたとえ走れなくなっても歩けなくなっても、二人で森に帰るまで命尽きるまで戦い続ける理由には十分だった。
「好きだよ、時任。耳もしっぽも…、魔獣だってコトも何もかも…」
何度言っても…、何度伝えても伝え切れない気持ちを口ずさんでくぼずきんが微笑むと、それと同時に大塚が振り上げていた手を勢い良く降ろす。すると、憎しみに支配された魔獣達がいっせいに二人に襲いかかってきた。
くぼずきんは傷から来る熱と痛みに耐えながら、常人には見えない速さで拳銃を構えて引き金を引く。襲い来る魔獣達の急所を確実に狙って…。
だが外れこそしないものの、銃弾は思う場所にはなかなか当たらない。廃屋を出てから薬を注射するヒマがなかったせいか手が震えて、廃屋で真田とやり合った時以上にどんなに狙いを定めても思い通りには撃てなかった。
「まだ、終われない…。今はまだ…、終わるワケにはいかない…」
くぼずきんの呟きは銃声に掻き消されて、すぐ近くでくぼずきんの背中を守りながら戦っている時任の耳にも届かない。けれど、その呟きは時任でも他の誰でもない…、自分自身に向けられた言葉だった。
ここで…、こんな所で倒れるわけにはいかない。
何があっても何が起こっても、絶対に時任を宗方に渡すわけにはいかない…。
そう思ったが、薬で無理やり持たせている身体は悲鳴を上げ続けていた。少し目眩を起こした隙をついて襲ってきたウィッチ・ドッグの攻撃が頬をかすめたが、くぼずきんはなんとかそれをかわして至近距離で銃弾を打ち込む。
すると、くぼずきんを背後から狙っていた魔獣を時任が鋭い爪で倒した。
「ナイスフォロー」
「当然っ!」
時任は元気良くそう言ったが、すでに肩で苦しそうに息をしている。魔獣だけで倒せると思っているのか黒服達が攻撃せずに傍観しているので、なんとか今の所は攻撃を防ぐことができているが、この場から早く脱出しなければならなかった。
だが、この場を運良く突破できたとしても、大塚の手の上には肉塊がある限り逃げ切れない。くぼずきんは魔獣達の攻撃を防ぎながら、後ろで戦っている時任に話しかけた。
「時任…」
「ん?」
「大丈夫?」
「そう言うくぼちゃんこそ、大丈夫なのかよ?」
「うーん、実はもう少しで限界っぽいんだけど?」
「…だと思ったっ」
「時任は?」
「実は俺もっ」
二人でそんな風に言い合いながらも、声も表情も明るい。
くぼずきんも時任も、二人ともまだ何もあきらめてはいなかった。
けれど、周囲を取り囲んでいる魔獣達は戦いながら、次第に二人との距離を縮めてきている。そして、その様子を見ていた大塚は不機嫌そうにチッと舌打ちすると、再び手を上げて魔獣達の攻撃を止めた。
「やっぱり、これっくらいじゃあ感動的にはならねぇなぁ〜。猫は生かしといて犯すとしても、なーんか足りねぇんだけど、なんだと思う? 佐々原」
「そうだなぁ、悲鳴とか叫び声とか足んねぇんじゃねぇの?」
「だよなー…っで、石橋はどうよ?」
「確かに追い詰めてブッ殺すだけじゃつまんねぇし、芸がないだろ。どうせなら、もうちょっと演出とか凝った方がいいんじゃねぇか?」
魔獣達の憎しみと殺意を込めた視線を浴びながら、大塚は他の二人と平然とくぼずきんと時任をどんな風に殺すかという相談をしている。肉塊を手にいれた大塚にとっては、くぼずきんや時任、そして魔獣達も自分より弱い自分よりも下の存在だった。
・・・・・・弱肉強食。
大塚は自分より強い相手には媚を売り取り入ろうとするが、相手が自分より弱いと知ると途端に手のひらを返したように強気になり、見下し裏切り、時には残酷に命を奪う。人の弱みを握り利用し、時には自分に向けられた愛情まで利用して非道の限りを尽くしてきた。
しかし、大塚はその報いを何一つ受けてはいない。
それどころか、今は手の中に神と呼ばれる存在の欠片を握りしめていた。
「運が向いて来たぜ…」
短い話し合いで演出を決めると、大塚はそう呟いて魔獣ではなく黒服の男達に指示を出す。すると、今まで男達のやる気を示すように下を向いていた銃口が動いた。
関谷の部下達が大塚の命令に従って銃口を向けたのは、くほずきんではなく時任。
このまま発砲されれば一瞬で全員倒さない限り、時任の命はなかった。
周囲の建物に一時的に避難したとしても、すぐに取り囲まれて逆に逃げ場を失う。そして、相手の隙をついて運良く脱出できたとしても、肉塊が大塚の手にある限り逃げ切る事はできないに違いなかった。
せめて…、時任だけでも先へ…。
くぼずきんは魔獣を倒している最中もずっとそう考えていたが、そんなくぼずきんのコートの袖を時任の手がぎゅっと引っ張った。
「ダメだ…、くぼちゃん…」
「・・・・・・」
「そんな事は、絶対に許さない…」
「・・・・・時任」
まだ何も言っていないのに、時任はくぼずきんが何を考えていたのかを知っている。じっと見つめてくる時任の瞳が、何があっても絶対に離さないと告げていた。
けれど、この状況での選択肢はあまりにも少ない。黒服の男達や魔獣達をすべて倒すにも、この場から脱出するのにも体力も弾も足りなかった…。
だが、手の震えさえ止まれば大塚一人だけなら確実に殺せる。そう考えたくぼずきんは、拳銃を強く握りしめると、銃口を黒服の男達ではなく大塚に向けようとした。
しかし、自分の方に銃口が向く前に、大塚が手の中の蠢く肉塊を弄びながら不気味な笑みを浮かべて口を開く。そして、ある提案をくぼずきんにした。
「そーんなにその猫を助けたいなら、俺の言う通りにしたらソイツだけ助けてやらない事もないぜ? カミサマの慈悲ってヤツだ」
「ソレって慈悲じゃなくて、欲望じゃないの?」
「だとしても、てめぇはそれにすがるしかない。神に憎まれ明日も希望もねぇ、後はここで無様に死ぬだけとはいい様だなぁ、くぼずきん」
「・・・・・・・・」
「その猫の命が惜しけりゃ、その銃で自分の頭をブチ抜けっ! 思いっきり脳みそブチ撒いて、思わず涙が出ちまうくらい劇的に感動的になぁっ!!」
自分の頭を拳銃で撃たなければ、黒服の男達が時任の頭を銃弾でブチ抜く。そう言われたくぼずきんは、迷うことなく持っていた拳銃の銃口を自分のこめかみに押し当てた。
そして、自分の頭をブチ抜くために引き金に指をかける。すると、今まで引いてきた引き金と同じように、自分の頭をブチ抜くために引こうとしている引き金も軽かった…。
明日も希望もなくて、ここで無様に死ぬのだとしても…、
もしも本当に時任が助かるなら…、それでいい…。
けれど、自分のこめかみに向けたはずの銃口が、横から伸びてきた腕に抱きしめられた瞬間に急に引き金が重くなる。拳銃を握りしめた手とは反対の手で抱きついてきた時任の身体をくぼずきんが抱きしめると…、辺りを照らしていた月が雲に隠れた。
「くぼちゃんっ、アイツは…」
「うん、わかってる。俺もお前も、絶対に助ける気なんかない」
「だったら、無理でもなんでもやるしかねぇよな」
「だぁね」
「けど、どうせやるなら可能性の高い方にかけようぜ」
「・・・・・・・」
「俺は絶対に死なない…、くぼちゃんも絶対に死なせない…っ。だから俺だけを見て、俺だけを信じろっ、くぼちゃん」
時任はそう言うと抱きしめていた腕を離して、戦うために爪を構える。そして月の光も差さない暗闇の中で血の匂いの混じる風に髪を乱されながら、くぼずきんを守るようにその前に立った…。
敵は魔獣と黒服の男達と…、それを操っている大塚…。
この場を乗り切る方法があるとしたら、それは一つしかない。口に出しては何も話さなかったが、時任が何をしようとしているのかくぼずきんにはハッキリとわかっていた。
そして…、それにはくぼずきんの銃の腕がいる。
だが、くぼずきんの手は怪我と薬のせいで震えが止まらない。
けれど、それを知りながら時任は…、信じろとそう言った…。
くぼずきんは前に立つ時任に近づいて背中に額を軽く押し付けると、目を閉じて口元に笑みを浮かべる。そして、二人分の命のかかった重い拳銃を震える手で握り直した。
「スゴイ殺し文句。そんな風に言われたら、なんでもできちゃいそう」
「い、今のは殺し文句とかじゃ…っ」
「俺を殺せるのは、お前しかいないよ」
「バカっ、殺し文句なんかで殺されてんじゃねぇっつーのっ」
「・・・・ねぇ、時任」
「な、なんだよ?」
「弾は絶対に外さない…。だから、お前も俺だけを見て、俺だけを信じてくれる?」
「当ったり前だろっ。最初から始めて会った時から、俺はくぼちゃんだけしか…」
時任が先に続く言葉を言おうとしたが、それを大塚の早くしろという怒鳴り声がさえぎる。大塚は自分の思う通りに動かないくほずきんに、一向に劇的に感動的にならない事にイラついていた。
けれど、これから先も大塚の思い通りにはならない、何も思い通りにはさせない。時任はくぼずきんが背中から離れるのを感じながら、真っ直ぐに明日を見るように前を見つめた。
「・・・・・・・行ってくる」
時任はそれだけ言い残すと、全力で走り出す。銃口を向けている黒服の男達にも、憎しみに操られた魔獣達にも目もくれず、真っ直ぐに大塚に向かって…、
くぼずきんを憎みながら、蠢き続けている肉塊の欠片に向かって…。
だが、拳銃を構えたくぼずきんが銃口を向けたのは大塚ではなく、目の前を走っていく時任の背中だった。
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