くぼずきん.53




 ヘブンズ・ゲートに向かわなかった室田が、時任とくぼずきんを発見する前。
 荒磯部隊に襲われた相浦や松原達が、魔獣達に助けられる前…。
 まだ五十嵐を追って走り続けていた頃、同じように時任とくぼずきんもヘブンズ・ゲートには向かわずに真っ直ぐ廃ビル群に向かって走り続けていた。

 「行くよ、時任」
 「行こうぜ、くぼちゃん…っ」

 そう言って微笑み合って走り出した先に、何があるのかはわからない。
 だが、これから向かう先に何があっても、二人でいるなら何も迷う必要はなかった。
 まだ何もあきらめてはいない…、何もあきらめる必要がないから二人で走り出した。
 宗方のいる廃ビル群ではなく、まるで明日に向かうように…。
 けれど、怪我を負っていて痛くて苦しいはずなのに、穏やかな表情をしているくぼずきんを見ていると不安と恐怖で胸の鼓動が早くなる。時任は横を走るくぼずきんから視線を前に向けると、手を伸ばしてくぼずきんのコートの裾をぎゅっと強く握りしめた。
 やっと会えたのに…。
 やっと…、やっと一緒にいられるようになったのに…。
 くぼずきんに触れるたびに、抱きしめて抱きしめられるたびに暖かくてうれしくて…、そして哀しくなる。明日に向かって走りながら、どうしても嫌な予感が胸の奥から滲み出してくるのを止められなかった。
 すると、そんな時任の想いに気づいたかのように、くぼずきんがコートを握りしめた時任の手を優しく握りしめる。そしてくぼずきんはその手を引いて先にある十字路を急に右に曲がると、なぜかそこで立ち止まった。
 「くぼちゃん?」
 「・・・・ごめんね」
 一緒に立ち止まって顔を見上げた時任に、くぼずきんがそう言って微笑む。
 その穏やかな微笑みを見た時任は、ずっと後ろから追いかけている葛西を振り切るまで走り続ける事がくほずきんにはできないのだと…、言葉ではなく微笑みと握りしめた手のひらから伝わってくる暖かさで知った…。
 あの地下水路で助けてくれた鵠のように、医者じゃないから詳しい事はわからない。けれど、つい昨日まで瀕死の重傷を負って眠っていたくぼずきんが、こんな風に起きて歩いていていいはずはなかった。
 時任は握りしめた手のひらの暖かさ感じながら…、一人で行くと…、そう言いかけて唇を噛む。くぼずきんの身体を心配しながらもまた離れる事が、もう会えなくなる事が怖くて握りしめた手が離せなかった。
 離さないと誓った手は握りしめればしめるほど、暖かくて優しくて…、
 こちらに向かって近づいてくる葛西を見つめながら、時任は横に立つくぼずきんの気配だけを感じていた。すると時任とくぼずきんの前で、葛西が何も言わずに立ち止まる。
 そして、ゆっくりと上に上げた指先で、二人の向かっている廃ビル群じゃない方向を指差した。

 「ヘブンズ・ゲートは、俺達がそう呼んでる教会はこっちの方向にある。だが、やっぱり本当にそこに向かう気はねぇんだろうな…」
 
 そう言った葛西に、時任は揺るがない意思を秘めた強い瞳を向ける。廃墟となったホテルに行く前から、乗り込んだトラックの不規則な振動に揺られながら時任もくぼずきんも決めていた。
 ここまで一緒に来てくれた葛西達と別れて…、二人で行く事を…。
 だが、すでに葛西達は魔獣である時任を助けたために軍から追われ、荒磯部隊には戻れない。そうなる事を知った上で、覚悟を決めて葛西達は一緒に来てくれた。
 しかし、それがわかっていても一緒に先へは進めない。
 二人が向かおうとしている先には、人間でも魔獣でもない神と呼ばれる存在が待ち構えている。神と呼ばれる腐臭漂う肉塊は、殺されてもなお憎しみを撒き散らしながら自分を殺した相手を殺すために、くぼずきんを殺すためにどこまでも追ってくるに違いなかった。
 神の愛情ではなく憎しみを受け続けているくぼずきんは時任の肩を軽く抱き寄せると、葛西と向かい合う。そして怪我の事など少しも感じさせない、のほほんとした表情で口を開いた。
 「今は襲ってくる様子もないし気配も感じないけど、どうやら俺の居場所ってカミサマにはわかっちゃうみたいだし? 一緒にいると発信機付けてるようなもんデショ?」
 「だから、行かないってのか?」
 「うーん、それだけじゃないけどね」
 「俺達を巻き込んでるとか、そういういらねぇ心配してんなら…」
 「そうじゃなくて、俺らの邪魔しないでくれる?」
 「あぁ?」
 「デート中だから誰にも邪魔されたくないんだよねぇ。馬に蹴られて死にたいなら、話はベツだけど?」

 「おいっ、今は冗談言ってる場合じゃ…っ!」

 葛西がデート中だと言ったくほずきんを怒鳴ると、怒鳴られたくぼずきんは軽く肩をすくめる。そして横にいる時任の額に軽くキスして、そのキスに驚いて時任がくぼずきんの方を顔を真っ赤にしながら見ると今度は額ではなく唇にキスした。
 「ちょ…っ、くぼちゃ…っ!!」
 「しー…、ちょっと黙ってて」
 「って、おっさん見てるしっ!」
 「見られてる方が興奮しない?」
 「んん…っっ」
 「ね?」
 「な…っ、なにがね…っだっ!!!興奮なんかするワケねぇだろっっ、 くぼちゃんのバカーーっ!!!」
 額ならまだしも唇にキスされる所は、できれば誰にも見られたくない。でも、やめろとかバカとか叫びながらも、時任はキスしてくるくぼずきんの唇から逃げなかった。
 くぼずきんに抱きしめられるのは、暖かくて気持ちよくて大好きで、
 そして同じようにキスされるのも、逃げられないくらい気持ちよくて大好きで…、
 でも、それはくぼずきんとするから…、大好きな人とするから感じられる感覚だった…。
 
 『・・・・・・・ミノル』

 けれど、キスをしながら見えたビル群に、それを見た瞬間に聞こえた幻聴に…、無理やり身体に覚え込ませられた感覚がよみがえりかける。どんなに心が身体が拒絶しても、鎖で繋がれ打ち込まれた楔が熱い痛みとなって時任を苦しめていた。
 くぼずきんは、時任を抱きしめてくれている。
 繋いだ手を離さないでいてくれている。なのに、自分を呼ぶ声が聞こえてくる気がして、時任は優しいキスを受けながら腕を伸ばして、くぼずきんをぎゅっと抱きしめた。

 『お前は僕のモノだ…』

 違うっ、俺は俺のモノだっっ!

 『・・・・・ミノル』

 消えろっ!!俺はお前なんかいらないっっ!!!!

 記憶の中に残る声…。
 身体中に残る…、くぼずきんじゃない男の感触…。
 船から助け出された時に、すべてを振り切ったつもりだったのに、
 くぼずきんに抱きしめてもらえたから、そんな事に捕らわれる必要も思い悩む必要もないのに、宗方のいる場所に近づいているせいか、今になって身体に心に付けられた傷が痛む。腕を伸ばして抱きしめながらコートを握りしめた時任の手は、いつの間にか強く握りしめすぎて白くなってしまっていた。
 そんな時任の様子に気づいていながら、くぼずきんは何も言わない。何も言わずにキスを終えると、そのまま時任の身体をゆっくり抱き返した。
 そして、よしよしと子供にするように優しく頭を撫でる。すると、聞こえていた声が聞こえなくなって、くぼずきんの手が頭を撫でるたびに傷の痛みが消えていくのを感じた。
 「くぼちゃん」
 「ん?」
 「・・・・ガキ扱いすんじゃねぇっつーのっ」
 「ガキ扱いじゃなくて、コイビト扱いなんだけど? それでもイヤ?」
 「こ、こ、こっ、コイビト…っっ!」
 「じゃなかったっけ? 俺らって」

 「そ、そんなの俺が知るかっっ!!」

 耳まで真っ赤になってそう言った時任と、そんな時任を穏やかに見つめるくぼずきん。
 そんな二人を見ないようにそっぽを向いていた葛西が、甘ったるい聞いているだけで恥ずかしくなってくるような会話を聞きながら、こめかみを指でガリガリと掻いて大きなため息をついた。
 こんな状況でなければ…、確かに馬に蹴られる…。
 恋人というよりも新婚さんな雰囲気を醸し出している二人は、こんな状況にありながら一緒にいる事を、二人でいる時間を楽しんでいるように見えた。
 葛西がいる事をすでに忘れてしまっているのか、時任はくぼずきんだけを見つめて抱きしめている。けれど、くぼずきんは時任だけを見つめながら抱きしめた手に冷たい黒い鉄の塊を握りしめていた。
 それは抱きしめ合って、微笑み合う二人には似合わない。
 けれど、二人には必要な物だった…。
 葛西が握りしめられた拳銃を見ると、くぼずきんは時任の頭を腕の中に抱え込むようにして視界を奪う。そして時任に向けていた時と違う冷たくはないけれど、底知れぬ暗闇を感じさせる黒い瞳で葛西を見つめた。
 「俺らに同情はいらない、そんなモノは必要ない…。妙な仲間意識もね」
 「必要なのは、今、手に握りしめてるそれだけだってのか?」
 「拳銃と…、それともう一つ…」
 「もう一つ?」
 葛西はそう尋ねたが、くぼずきんは答えない。答えずに抱きしめた時任の髪に拳銃を握りしめたままキスを落とすと、自分達と葛西との間に線を引くように下に向けていた冷たい銃口をすぅっと上げた。
 だが、葛西は自分を狙う銃口を見ても、その場から動かない。
 動かずにくぼずきんの瞳を何かを探ろうとするかのようにじっと見つめ返すと、同じようにポケットに入れられていた拳銃を握りしめて構えた。
 「悪いがお前らには、俺と一緒にゲートまで来てもらう」
 「しつこいオジさんは嫌われるよ?」
 「別に構わねぇさ、お前らが一緒に来るならな。俺は馬に蹴られても、お前らを連れていく。あいつらが俺と…、そしてお前らが来るのをゲートで待ってんだ」
 「・・・・・・・・」
 「俺もあいつらもお前らと会わなかったとしても、軍や本部に…、この戦い自体に疑問を持っていた。だから、いずれ同じ事になってただろう…。だから何も後悔してねぇし、後悔するくれぇなら荒磯部隊を抜けてねぇよ」
 
 ・・・・・この先、何があっても何が起こっても後悔はない。

 お互いに銃口を向けあったまま、葛西がそう言って口元に笑みを浮かべる。その表情は荒磯部隊の隊長として魔獣との戦いの最前線に立っていた時よりも、すっきりとした気持ちの良い思わず笑い返したくなる感じの表情で…。
 けれど、その笑顔の裏にはまだ迷いが…、隊長である自分についてきてくれた、同じ戦場で戦ってきた相浦達に対する思いがある。できることなら、この絶対的に不利な戦いに相浦達を連れて行きたくなかった。
 だが、葛西が何を言っても相浦達は一緒に来るだろう。
 葛西と同じように、相浦達も自分の意思でここまで来ていた。
 魔獣だけではなく得体の知れない神と呼ばれる存在と戦うのなら、できるだけ人数は多い方がいい。しかし、大きな戦いを前にして未だ迷いは消えない…。
 すると、そんな葛西の想いを知っているかのように、くぼずきんではなく時任が葛西の前に立つ。自分を抱きしめていた優しい腕から逃れた時任の手には、くぼずきんが握っていたはずの拳銃が握られていた。

 「くぼちゃんは俺が守る…。もう絶対に誰にも傷つけさせないっ。だから頼むから…、おっさん…」

 向けられた銃口に、強い意思を秘めた澄んだ瞳に時任の想いが宿る。どんな時でもくぼずきんが時任を守ろうとしてきたように、時任も同じようにくぼずきんを守ろうとしていた。
 くぼずきんだけではなく、時任の身体も傷ついて弱っている。
 けれど、この二人には絶対に敵わない。
 そして、この二人を引き離す事はきっと誰にもできない。
 人間でも魔獣でも…、たとえそれが神と呼ばれる存在でも…。
 もしも、二人で行く事を止められないのなら、多少傷つけても止める気だったが拳銃を構えた時任に向かって…、時任が守っているくぼずきんを引き金を引く事はできなかった。
 「・・・・・わかった」
 葛西がそう言って、くぼずきんに狙いを定めていた拳銃を下へと降ろす。
 すると、拳銃を構えた時任の手を、後ろから伸ばしたくぼずきんの手が降ろした。
 「葛西さん」
 「なんだ?」
 「俺らの事は追いかけたけど、巻かれて見失ったってコトにしといてよ。その方が追いかけようって気もあまり起こらないだろうし、その方がいいデショ?」
 「・・・・・・」
 「それと・・・・・・」
 くぼずきんがそう言いかけると、時任がその言葉を継ぐように口を開く。ここに来るまで…、そしてこれからも辛く哀しい事や、痛く苦しい事が待ち構えているのに、拳銃を握りしめていない方の手を上げて親指を立てるとニッと笑った。

 「これは町のためでも誰のためでもない、俺らのための戦いだから…っ。だから絶対に勝ってみせる…っ。そしてこんな戦いも全部っ、俺らが必ず終わらせてやるっ!!」
 
 必ず戦いを終わらせて、絶対に森に帰る…。
 何があっても何が起ころうとも…、二人で…。
 時任がそう叫びながら笑って手を振ると、くぼずきんも同じように軽く手を振って二人で同時に葛西に背を向ける。そして、カミサマと宗方の待つ廃ビル群に向かって歩き始めた。
 並んで歩く二人の怪我や身体の不調を感じさせない背中は、時任の言葉通りこれから死に逝く人間の背中には見えない。まだ…、夜が明けるまでには時間が必要だったが、二人の行く先には必ず明日がある…。
 そう感じた葛西は、二人とは違う方向に向かって走り出した。

 「俺は俺のやり方で、この戦いを終わらせてやる…」
 
 葛西はこの後、五十嵐達と合流してヘブンズ・ゲートに向かう。
 そして、くぼずきんと時任は真っ直ぐに廃ビル群を目指していた。
 これから、くぼずきんと時任の…、この町の本当の戦いが始まる…。
 長く長く…、終わりの見えなかった戦いに幕を引くために…。
 だが、その戦いの前に廃ビル群に向かったくぼずきんと時任の方を、くくく…っと不気味に笑う男の狂気に満ちた目が捕らえていた。
 

 「見ぃつけたぁ〜」

 
 まるでかくれんぼをしていた相手を見つけたように、うれしそうな声が辺りに響く。しかし、その声の主は現荒磯部隊隊長、大塚だったが、大塚の背後にいるのは荒磯部隊の隊員ではなかった…。
 大塚の手に握られているのは、小さな四角い透明な容器…。
 その中には、びちゃりびちゃりと気味の悪い物体が何かを求めるように蠢いていた。




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