くぼずきん.52 　「おそらく、もう一方に走って行った相浦や藤原は松原が守っている。だから、こちらに隊長がついていてくれるのなら、もう心配はいらない…」 　葛西が松本を背負って五十嵐と一緒に歩いて行くのを、そう呟きながら物陰から見つめてたのは、さっきまでいた魔獣や松本と知り合いらしい怪しい男ではない。愛用しているロケットランチャーを下に降ろして警戒を解いた大男…、元荒磯部隊隊員の室田はヘブンズ・ゲートではなく別の方向に向かって走り始めた。 　けれど、実はこの場所に葛西よりも遅れて来たのではなく、五十嵐が来るのと同時に到着していたいたのである。廃墟となっているホテルから出て、すぐに五十嵐と松本がバラバラになって走り出してしまったので、室田は赤いパンプスを履いた足の遅い荒磯部隊に追いつかれる可能性の高い五十嵐の方を追っていたのだが、葛西が来たのを気配で感じ取って物影に隠れていた。 　そうしたのには室田なりの事情があったのだが、それを葛西にも五十嵐にも話す事はできない。もしも五十嵐に言えば行くな止められるだろうし、葛西に言えば五十嵐達を護衛しながらヘブンズ・ゲートに行くように言った後で、葛西自身が室田が行こうとしている所に行くだろう事がわかっていたから、何も言わずに隠れるしかなかった。 　それでも何かあればすぐに飛び出すつもりでいたが、魔獣と遭遇しながらも不審な男と話しただけで危機は去り、追いかけて来ていた荒磯部隊の足音も聞こえない。だから、室田は葛西に五十嵐達を任せて一人で走り出したのだった。 　 　「俺は松原と共に、あの二人と共に戦う覚悟でここまできた…、だが…」 　そう呟いた室田は前方をじっと睨みながら、周囲の気配を感じ取ろうと雑念を払い意識を集中させる。すると、そんなに離れていない場所から、ウィッチ・ドッグの哀しみと怒りに満ちた遠吠えがかすかに聞こえてきた…。 　大塚を襲ってきた魔獣達は、時任とは違って言葉が話せない。けれど、それは醜悪なる神のせいではなく、魔獣を道具として利用し続けた人間の仕業だった。 　荒磯部隊に入る前は警察にいたため、軍の施設で育てられていた魔獣達を見る機会は少なかったが、時任と出会った後でそんな魔獣達の姿を見ていると何が正しくて、何が間違っているのかと考えずにはいられない。ずっと荒磯部隊の隊員として戦いながら感じていた疑問と違和感が時任とくぼずきんと出会った事で、今までと違った立場に立った事ではっきりとした形になっていく気がした。 　だが、何が正しくても何が間違っていても、室田にはしなくてはならない事がある。 　室田が荒磯部隊を抜けた理由は、松原や相浦達とは違っていた。 　 　「すまん…」 　 　哀しい遠吠えの聞こえてくる方向に向かって走りながら、室田はそう呟くと拳を強く力を込めて握りしめる。そして、今まで一緒に戦ってきた右肩に乗せ右腕で支えているロケットランチャーを見た。 　廃屋での戦闘で弾を使い果たしてしまったが、室田の場合は弾がなくてもランチャーは武器として使える。しかし、その武器で今から戦おうとしている相手は魔獣ではなかった。 　「おい…っ、あっちから走ってくるヤツは…っ」 　「あれはまさかっ！」 　「間違いないっ、室田だっ！！！」 　「な、なぜだっ！　俺達はワイルド・キャットの方を追ってきたはずなのにっ！！」 　「ど…、どうする！？　俺達が敵う相手じゃ…っ」 　「それでも殺るしかねぇだろっ！！　殺らなきゃ俺らが殺される…っ」 　室田の行く手に見えてきたのは荒磯部隊だが、ワイルド・キャットを追ってきた言いながらも人数はそう多くない。しかし、それでも襲ってきたウィッチ・ドッグに誰一人として怪我を負わされた様子もなく、まるで何者とも戦っていないかのように息も乱れてはいなかった。 　・・・・・・何かがおかしい。 　終わりの見えない悲惨な戦いの中、ずっと最前線に立ちながらも生き抜いてきた室田のカンがそう告げている。だが、それでもここから引き返す気も、集合場所であるヘブンズ・ゲートに向かう気もなかった。 　荒磯部隊の隊員達は怯えて震えながらも、立ち止まらず真っ直ぐに突進してくる室田に銃口を向ける。本当なら拳銃に向かって正面から戦いを挑んでも、弾切れしている室田に勝ち目はない…。 　しかし室田が間近に接近しても、隊員達は引き金を引く事ができなかった。 　「撃ちたければ、俺を撃つがいいっ！　だが、俺は何があろうと共に戦い、死線を越えてきた仲間と戦うつもりはないっ！」 　どんなに傷ついても疲れ果てても荒磯部隊には最前線へと…、死地へ向かえと所属している軍から命令が下る。それは荒磯部隊が銃器がなくとも戦える精鋭部隊だからというだけではなく、裏組織と深い関わりを持つ警察や軍から煙たがられていた人間が多く所属しているせいだった。 　精鋭だ、最強だと称えられながら、まるで軍事用に飼育された魔獣のように他の部隊の盾となり、戦って戦い続けて血の海に倒れ…。けれど、どんなに荒磯部隊が傷ついて血を流しても、それを見た部隊の人間に舌打ちはされても哀しみの涙が大地を濡らす事はない。 　守るべき町はすでに廃墟と化し、そこに住む人々も武器商人のみを残して消え…、 　なのに、それでも荒磯部隊が今まで戦い続けて来たのは、戦い続けて来れたのは…、そんな隊員達よりも前で戦う室田や松原の姿が、しっかりとした揺るがない足で地面を踏み前線に立ち続けた隊長である葛西の存在があったからだった。 　最前線の凄まじい戦闘と、そこから聞こえる耳を塞ぎたくなるような叫び声と悲鳴と…。 　それを隊員達が拳銃を握りしめたまま思い出していると、そんな隊員達の間を室田が迷いもせず恐れもせずに走り抜ける。けれど、振り返らずに走り去っていく室田の背中に誰も銃口を向けたりはしなかった…。 　「ワイルド・キャットと一緒にいた所を見た今は、隊長達が裏切ったのは嘘ではなく、本当だとしか思えない…。しかし今まで俺達を…、最前線に立つしかなかった俺達の命を誰が守ってくれた？　今、俺達が生きてるのは誰のおかげなんだよ…っ！」 　隊員の一人が胸の奥にある熱い想いを叫ぶようにそう言うと、他の隊員達の表情が変わる。大塚に撃たれた魔獣達のように殺されたくない、絶対に死にたくないけれど、室田の背中を撃てば二度と青く澄んだ美しい空を見上げる事はできない。 　そんな気がして…、たまらなく苦しくて…、 　ここにいる誰もが血の匂いの混じる乾いた風の吹く町に、世界に向かって叫ぶように心の中で叫んだ。 　誰か教えてくれ、誰か助けてくれ…！ 　誰か俺をこの町を…っ！！ 　・・・・・・・・・カミサマ。 　どんなに祈っても、神様と呼ばれる存在には誰の声も届かない…。 　そして教えてくれ、助けてくれと祈るように叫ぶ隊員達に背中を向けて走り続ける室田は、神様にも誰にも救いを求めず祈りもせずに、ただひたすら一つの事だけを願っていた。 　先にヘブンズ・ゲートに行って待っている…、松原の事を…。 　けれど、それは今だけではなく、いつもずっと願っている事だった。 　 　「もしも、お前が魔獣だったらと聞かれた事があったが、そんな事は考えるまでもない。お前が何者だろうと俺はお前の背中を守る…、それだけだ…」 　そう呟くと、室田は前方に鋭い視線を向ける。すると、そこには葛西に代わって荒磯部隊の隊長となった大塚。そして、その横にはウィッチ・ドッグにやられた傷の手当を終えた佐々原と石橋もいた。 　三人の周囲にウィッチ・ドッグ達がいたが、なぜか攻撃を仕掛ける様子はない。しかし、そんなウィッチ・ドッグが見ているのは仲間を殺した大塚達ではなく、その前にいるくぼずきんと時任だった。 　この先には宗方がいるという廃ビル群があるが、どうやらくぼずきんと時任はたどり着く前に大塚達に追いつかれてしまったらしい。顔色の良くないくぼずきんを支えるように寄り添いながら、時任が大塚達を威嚇するように長い爪を出した右手を胸の辺りで構えていた。 　「集団や部隊などというものは、アタマを殺ればいい。　そうすれば、命令ではなく自らの意思で動かざるを得なくなる…、そうだろう？　葛西隊長」 　室田は一度、立ち止まって元を付けずに隊長と葛西を呼ぶと、悠然と歩いて大塚達とくぼずきん達の前に出る。だが、何かがおかしいと感じていた自分のカンが外れてはいなかった事を、室田はまだ知らなかった…。 　 　 　 　 　　　　　　　　　　　戻　る　　　　　　　　　　次　　へ