くぼずきん.50




 「おいっ、三方向に別れたぞっ」
 「なら、俺達も部隊を三つに分けて追うしかない」
 「お前、本気で隊長を…」
 「俺はまだ死にたくないんだ…。それに隊長が軍を裏切ったのなら、裏切り者が処分されるのは当然のことだろう…」
 「だが、隊長の口からはまだ何も聞いていないのにっ」
 「聞かなくても、あのワイルド・キャットが裏切りの証拠だろう」
 「だったら、隊長達と一緒にいたワイルド・キャットを処分して、それで終わりにできないのか?」
 「甘いな…」
 「え?」

 「それで終わりにできるくらいなら、わざわざ荒磯部隊に…っ、俺達に命令などするものかっ!!!」

 廃墟となっていたホテルにいたくぼずきん達は、ウィッチ・ドッグの襲撃の隙をついて三方向に別れて闇の中を走り出す。すると、ウィッチ・ドッグを片付けてから荒磯部隊も三つに別れて後を追い始めた。
 しかしこの戦いは軍としてではなく、個人の命をかけた戦いと言った方が正しいのかもしれない。葛西と戦うことを望んでいなくとも、背中に銃を突きつけられていては戦わざるを得なかった。
 裏切ったのは隊長である葛西と数人の隊員のみで、荒磯部隊全体が裏切った訳ではないことを証明するためにも、命令通りに葛西達を処分してみせる必要がある。かつて隊長だった葛西と仲間だった相浦達を見て、このまま見つからなかったことを理由に戻ることを考えた隊員もいるかもしれないが、現在の隊長が大塚である限りそれは望めなかった。
 そんな荒磯隊の隊員達の気持ちは、銃を向けた時の視線から葛西だけではなく相浦達も感じている。だからこそ、出来る限り隊員達との戦いを避けなくてはならなかった。
 人数からすると圧倒的に不利だったが、戦闘能力は圧倒的に葛西達の方が強い。しかし戦えばどちらが勝つのか予想がつかなくても、お互いに勝つか負けるかなどという決着をつけたい相手ではなかった。

 「昨日まではこんなことになるなんて…、誰も思ってもなかったもんな…」

 相浦はそう呟きながら走っていたが、走っても走ってもその先には暗闇しか見えない。けれど後ろから追いかけてくる足音が、前へ前へと走ることを強要していた。
 相浦がよたよたと走っている藤原の背中を押しながら走っているのは、五十嵐に一緒に連れていくようにと頼まれたからである。どうやら五十嵐は藤原を相浦にまかせて、怪我をしているくぼずきんを追って行ったようだった。
 くぼずきんが負傷しているらしいことは相浦も知ってるが、一緒にいる時任もあまり顔色が良いとは言えない。そんなくぼずきんと時任の様子を見ていると、これまで二人がどんな過酷な状況の中にいたのかと考えずにはいられなかった。
 国のためでも政府の命令でもなく、二人はお互いを守るために戦っている。
 その姿は人間と魔獣が戦っている状況の中で信じらない光景として相浦の目にも…、そして松原達の目にも写った。けれど、人間だとか魔獣だとかそんなことではなく、ただ二人が恋人同士だったと考えれば少しも不自然じゃない…。
 寄り添いながら手を握りしめ合っている二人の姿を見ていると、なぜこんなにも自然なことがあんなにも不自然に見えてしまったのか不思議に思えてならなかった。
 「なぁ、松原」
 「・・・・なんですか?」
 「この戦いが終わったら…、俺も彼女作ろうかな」
 「俺も…なら、彼氏の間違いじゃないですか?」
 「ちっ、違うっ! 俺が欲しいのはゴツイ彼氏じゃなくて可愛い彼女っ!」
 「ゴツイ? 時任は可愛い部類でしょう?」
 「はははは…、松原の顔を見てると、思わず時任じゃなくて別なヤツ想像しちまった…」
 「僕の顔を見て思い出した別なヤツとは…、何者?」
 「思わず想像しちまっただけだから、そんなに気にすんなってっ」
 「ゴツイと言えばまさか…、相浦が葛西隊長と付き合っているという噂は事実…」
 「なんでそこからそんな話に…って言うよりっ、どこからそんな噂が流れてんだよっ!」
 「どこからかは知りませんが、荒磯部隊の隊員なら誰でも知ってます」

 「そ、そんなのウソだぁぁぁっ!!!!」

 今まで知らなかった事実を松原の口から知らされて、相浦は頭を抱えて絶叫する。だが、そんな相浦達の背後には荒磯部隊の追っ手が迫っていた。
 相浦と藤原の背後を二人を守るように、愛刀を握りしめながら走っている松原がいる。相浦は拳銃は持っているものの弾に限りがあるし、藤原はまったく戦力にならないので、やはり三人の中で一番戦えそうなのは松原だった。
 しかし、そんな松原の近くにいつもいるはずの室田の姿がない。もしかしたら、さっきの混乱の中でバラバラになった時、室田は松原の姿を見失ってしまったのかもしれなかった。
 「俺のことは心配いらねぇから室田を探しに行けよ、松原。たぶん室田もお前のことを探してると思うし…」 
 相浦が立ち止まってそこまで言うと、松原の持っていた刀の切っ先が軽く何もない空間を切る。すると、小さな虫が真っ二つになって下へと落ちた…。
 その様子を見た相浦は自分が言うまでもなく、松原がここにはいない室田のことを気にしていたことを知る。けれど、松原は視線だけで後ろから追ってくる荒磯部隊を指し示すと、ゆっくりと首を左右に振った。
 「隊長からの指示で、行くべき場所は決まっている。だから、探す必要はないはず…」
 「そうかもしれないけど…、でもさ…」
 「別行動を取ったのは室田の意思…、そしてその行動は間違っていない」
 「松原が俺と藤原を護衛してるみたいに、室田もたぶん五十嵐のねぇさんか松本ってヤツを守るために追ってったんだろうな」

 「それでこそ室田です…。だからこそ、あの戦場で共に戦い抜いて来れた…」
 
 松原はぎゅっと刀の柄を握りしめながらそう言うと、振り返って追ってきている荒磯部隊の位置を確認する。するとやはり開いていたはずの距離が、次第に縮まってきていた。
 松原一人なら余裕で逃げ切ることができるかもしれないが、足の遅い藤原を連れていてはそれも難しい。いざとなれば松原が戦って足止めしている隙に、相浦と藤原を逃がすしか手はなさそうだった。
 荒磯部隊は戦闘能力の高い者を集めた精鋭部隊だが、中には様々な理由で厄介払いするように入隊させられた者もいる。おそらく、そんな中に見習いという名目で配属された藤原も含まれるのに違いなかった。
 藤原のように戦闘に参加しない者を軍へ報告せずに放置していたのは、隊長である葛西がそういう事情を知っていたせいである。藤原が大塚に脅されていたのは事実かもしれないが、くぼずきん達のことを真田にしゃべったせいでこんな事態になってしまったことも事実である。けれど、よたよたと走っていく後ろ姿を見ているとなぜか憎めなかった。
 それは相浦も同じようで、怒鳴りつけながらも藤原を見捨てずに一緒に連れて行こうとしている。だが、やはり藤原の足は瞬発力も持久力もないせいでのろかった。
 「もうちょっと早く走れないのかっ、藤原っ」
 「も、もうちょっとってっ、むちゃくちゃ言わないでくださいよっ!」
 「お前…、ホントによくそんなので荒磯部隊にいたよなぁ」
 「僕だって、あんな野蛮な隊に好きで入ったんじゃありませんっ!!できることなら、すぐにでもやめたかったのに、それもこんな時だからって許可されなくて…」
 「もしかして、大塚に今より安全な所に配属されるように口を聞いてやるとか言われて、思わずつられたとか…」
 「うっ・・・・・」
 「…だと思ったぜ」
 「け、けどっ、僕はアンタ達みたいに魔獣となんか戦えないし、戦ったって死ぬだけで…、だからっ、だから仕方ないじゃないですかっ!!!」
 「藤原…」

 「今は弱い者は…、弱ければ強い者にすがりついてないと生きていけない時代なんです…っ」

 藤原はそう呟くと荒い息を吐きながら、少しだけ走る速度を上げる。けれど、そんな藤原の横顔を見ながら相浦は何も言うことができなかった。
 それは藤原の言ったことが、間違いなく現実で事実だったからである。今でも相浦が会ったこともない国の上層部のお偉方は、次々に終わりの見えない戦いの中に兵士達を送り込んだクセに自分達は戦いのない安全な所へ避難していた。
 そして何よりも、その事実に対して誰も何も言うことが出来ないことが、この国の今の状態を良く表している。だから、もしこの戦いに勝って魔獣をすべて処分することができたとしても、人々の上に本当の意味での平和も安息も訪れることはないのかもしれなかった。
 相浦はきつく唇を噛みしめると、暗闇に沈む廃墟となった町を眺める。けれど、死に絶えたように静まり返った町は冷たいばかりで、いくら耳を澄ましても追ってくる荒磯部隊の足音と自分達の足音だけしか聞こえてこなかった。
 あまりに寂しすぎる光景に相浦が目をそらすように俯きかけると、後ろから聞こえてきてた足音が聞こえなくなる。それに気づいて振り返るとそこには、月光を受けて白く光を放っている愛刀、童子切安綱を強く握りしめながら立っている松原がいた。
 走ることを止めて立ち止まった松原は、迫り来る無数の足音がすぐ近くから聞こえてくるのを聞き取ると、立ち止まってカチャリと音を立てて剣を構える。その構えはいつ見ても松原の想いのままに、真っ直ぐで揺るぎ無く美しかった。
 「このままではすぐに追いつかれます…。だから、僕が足止めしている隙に相浦は藤原を連れてヘブンズ・ゲートへ…」
 「おいっ、何バカなこと言ってんだよっ!」
 「もしも、僕が約束の場所に来なかった場合は先に行ってくださいと隊長に…」
 「ちょっと待てっ!!松原…っ!!」

 「そして室田には…、すまないと伝えておいてください…」

 相浦が止めるのも聞かず、松原はヘブンズ・ゲートの方角とは逆の荒磯部隊がいる方向へと歩き出す。けれど、あの赤く血の色に染まった戦場で共に戦った相手と、松原が迷うことなく戦えるとは思えなかった。
 だが、すぐに追いつかれるということもあるが実はそれだけではなく、ヘブンズ・ゲートまで追っ手を連れていく訳にはいかないということもある。そのためには、ここら辺で追っ手を振り切っておく必要があった。
 松原が歩調を急速に早めていくと、その後ろに続いて相浦も走り出す。松原の手には刀が握られていたが、相浦の手には拳銃が握られていた。
 「藤原…、ここから抜け出せたら一人で七区の外れにある小さな教会まで行け、そこが目的地のヘブンズ・ゲートだから…」
 「えっ?」
 「確かに戦ったら強い方が勝つけど…、死にたくないなら弱いからってあきらめずに戦えよ。そしたら、俺が奇跡が起こるように祈っててやるからさっ」
 「なにをっ、なにワケのわかんないこと言ってんですかっ…」

 「今の内にさっさと走れっ!!藤原っっ!!!」

 相浦の叫び声とともに、走っている道の上を銃弾が軽い音を立てて跳ねる。だが、その銃弾の中を止まらずに松原が勢い良く走り抜けた。
 振り下ろされた剣が夜の闇を切り裂き、荒磯部隊の隊員が呻き声を立てて倒れる。けれど切り裂いたはずなのに倒れた隊員の身体には、なぜか切り傷一つ付いていなかった。
 それに気づいた相浦は向かってきた隊員の心臓でも頭でもなく、腕や足を狙って引き金を引きながらニッと笑みを浮かべる。けれど、相手を完全に倒さないこんな戦い方では、本当に時間稼ぎくらいにしかならない。
 なのに、藤原は戦っている二人を見ながら走り出さずにじっと立ち止まったままだった。
 「俺は自分のためにアンタ達を売ったのに、なんで先に逃がそうとしたりするんですかっ!! 戦えなくて役立たずだし、このままゲートに行かずに逃げるかもしれないし…、また裏切るかもしれないのにっ!!!」
 藤原はそう叫んだが、必死に戦っている相浦も松原にもその声は届いていない。手加減をして戦っているために、相浦の銃の腕も松原の剣の切れもいつもより悪かった。
 そうしている内に、二人の隙をついて藤原に攻撃をしかけてきた隊員がいたが、相浦の撃った銃弾に足をやられて倒れる。そんな光景を見ているのも恐ろしくて逃げ出してしまいたくて、藤原はガタガタと震えてしまっていたが…、
 足を打ちぬかれた隊員が相浦の背中を拳銃で狙っているのを見た瞬間、藤原は思わず近くに落ちていた石を拾って投げていた。

 「アンタ達はバカだっ、大バカ野郎だっ!!!!!」

 そんな叫び声とともに投げられた石は、奇跡を起こすことなく目標に当たらず地面へと落ちる。だが、相浦を狙っていた隊員の手に握られていた拳銃の銃口からは、引き金を弾いたこと示す硝煙は上がっていなかった。
 しかし、その理由は隊員が相浦を撃つことを躊躇していたからではなく、背中を鋭い爪で切り裂かれていたからである。その爪持ち主は隊員の隣に立っていたが、他にも鋭い爪を持つ者達がいつの間にかこの周囲を囲んでしまっていた。
 鋭い爪を持つ者達…、魔獣達は夜行性ではないために戦闘は昼間が多い。なのに、まるで相浦達と荒磯部隊が同士討ちを始めるのを待っていたかのように、魔獣達は人間に向かって襲いかかってきた。
 だが魔獣に向かって相浦が拳銃をそして松原が剣を構えたが…、魔獣が襲うのは荒磯部隊の隊員だけで二人には何もしようとはしない。もしかしたら、この魔獣達は荒磯部隊だけを襲うように誰かに命じられて、ここに来ているのかもしれなかった。
 何のためにこんなことをしているのかわからなかったが、松原は相浦にうなづいてみせると怪我をした隊員に襲いかかった魔獣を殺さずに首を強打して気絶させて倒す。そして、松原にうなづき返した相浦はかつての仲間達に…、荒磯部隊に向かって撤退するように呼びかけた。

 「これほどの数の魔獣を相手にするのは無理だっ、だからこの場は引けっ!! 頼むから引いてくれっっ!!!」

 たとえ戦わなくてはならない理由があったとしても、誰も傷つけたくない…。そんな想いを叫ぶように相浦がそう言うと、荒磯部隊は魔獣達の攻撃に応戦しながら徐々に撤退を始めた。
 こんな風に追う者と追われる者になってしまったが、共に戦った日々の記憶が消えることはない。けれど、そんな日々に想いを馳せる余裕などなく、相浦と松原はボーっと突っ立っている藤原を引っ張ってヘブンズ・ゲートに向かうために走り出す。しかし、結局魔獣に助けられることになってしまったのだが、なぜこんなことが起こったのか誰にもわからなかった。

 「人間に襲われて魔獣に助けられる…。なんかヘンな気分だな…」

 相浦がそう言うと、持っていた剣を鞘に収めながら松原もうなづく。けれど、この違和感は走って走り続けて、小さな教会が目の前に現われてもなかなか消えなかった。
 同じ魔獣である時任を助けたせいかもしれないとも考えたが、くぼずきんの話した事情からするとそれはあり得ない気がする。これから廃ビル軍で魔獣と戦うことになるかもしれないこともあって、相浦は頭の中で色々と考えをめぐらせながら細く長く息を吐いた…。

 「俺は…、俺達は何と戦えばいいんだ…」

 相浦の小さな呟きは、教会の静寂な空気の中に混じり込んで消える。
 しかし、穏やかな美しい微笑みを浮かべた慈悲深きマリア像は、じっと静かに相浦達を見下ろすばかりで何も答えてはくれなかった。
 荒磯部隊を魔獣が襲撃したおかげで相浦達は無事にヘブンズ・ゲートまでたどり着くことができたが、未だにくぼずきんと時任…、そして他の皆もここには到着していない。相浦達の方を追ってきた正確な人数がわからないのでなんとも言えないが、もしかしたら他の二つの方向へと向かった隊員の数の方が多いということなのかもしれなかった。
 相浦が見事な細工の美しいステンドグラスを見上げると、松原は愛刀を片手に床に座り込んで柄の部分に額をつけると何かを祈るようにゆっくり瞳を閉じる。そして二人の間にいた藤原は、拳銃の引き金を弾いたことのない柔らかな自分の手のひらをじっと眺めていた。
 そんな三人の上に暗闇に満ちた夜は更けていくばかりで、誰かが教会に入ってくる気配はない…。けれど、この静寂の中で耳を澄ましているのは、教会のドアがノックされるのを待っているのではなく…、

 この教会にあるというヘブンズ・ゲートのドアがノックされないことを…、心のどこかで祈っているせいかもしれなかった。




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