くぼずきん.49
警察内で高い戦闘能力を持つ集めて作られた特殊部隊…、通称、荒磯部隊。
終わりの見えない戦いの中で荒磯部隊は隊長である葛西の指揮の元、常に最前線で戦ってきた。しかし葛西が軍を離れてしまった今、荒磯部隊は共に戦った仲間としてではなく敵対する者として目の前に立っている。
白い冷たい月の光の中で荒磯部隊が向けている銃口は、自分達の隊長であり仲間であった葛西達に照準が合わせられていた。
だが、銃口を向けることになった経緯は聞かなくても隊員達の表情を見ればわかる。隊員達の表情には葛西達に銃口を向けてはいても、軍を裏切ったことへの怒りよりも困惑の色が濃かった。
今まで隊長として自分達を指揮しながら戦ってきた葛西が…、自分達と同じ人間である葛西が魔獣の側につくなんて信じられない。そんな隊員達の気持ちが見つめてくる視線から痛いくらい感じられて、葛西はギリリと歯を噛みしめた。
荒磯部隊は魔獣と戦うために結成された部隊で、こんな風に裏切り者を処分するために出動するための部隊ではない。しかも本来なら精神的な配慮から同じ部隊の者に出動を命じることはないはずなのだが、今回、あえて本部は荒磯部隊に命令を出していた。
部隊で葛西の補佐をしていた相浦は、やめろと隊員達に向かって叫んだが返事は返ってこない。けれど、やはり松原達と同じように銃口を向けられても戦闘体勢を取ろうとはしなかった。
「頼むから引いてくれっ! 俺は…、俺達はお前らと戦いたくて部隊を抜けたわけじゃないんだっ!!」
「よせ、相浦…」
「あいつらと戦えるはずなんかないのになんで止めるんっすかっ、葛西さんっ!」
「お前の気持ちはわかるが、命令にさからえばどうなるか想像くらいはつくだろ」
「・・・・・・・でもっ」
「でももクソもねぇよ、それが現実だ」
葛西がそう言うと、ライフルを構えている大塚がニイッと楽しそうに笑う。そして葛西に見せつけるように、時任に銃口を向けたまま引き金を引こうとした。
するとくぼずきんが大塚に向かって拳銃を構えたが、そのくぼずきんを葛西に向けられていた銃口が狙う。この状況では大塚を倒すことができても、次の瞬間に弾丸の雨の打たれて蜂の巣になるのは間違いなかった。
室田はロケットランチャー、松原も愛刀を構えてはいたが多勢に無勢…、しかも相手が荒磯部隊では戦う意思も鈍る。だが、時任とくぼずきんが撃たれるのをこのまま見ている訳にはいかなかった。
大塚が放つ一発の弾丸で、荒磯部隊との戦いの火蓋は切って落とされようとしている。葛西は右手で松原と室田に武器を収めて下がるように伝えると、懐から拳銃を抜いて銃口を大塚へと向けた。
「荒磯部隊に俺達を始末するように命じたのは…、出雲会の真田だな?」
「出雲会の真田? そんなヤツは知らねぇぜ」
「なら、命じたのは誰だ?」
「魔獣対策本部、本部長代理の真田サン」
「へぇ、そいつは初耳だな。いつから対策本部には、本部長代理なんてのができたんだ?」
「さぁなぁ? けど、今に代理の代理ってのもできるかも知れねぇぜ?」
葛西が銃口を向けても大塚はあくまで時任を狙い続けながら、そう言って不気味な笑い声を廃墟に響かせる。あくまで大塚が時任を狙い続けているのは、葛西が自分の方に銃口か向いた瞬間に蜂の巣にされるのを覚悟で引き金を引くことがわかっていたからだった。
それは大塚に銃口を向けているくぼずきんも同じで、銃口が時任ではなく自分を狙っていたとしたら、時任をこの場から逃がすために迷うことなく引き金をひくだろう。片手で時任をかばうように抱きしめながら拳銃を構えているくぼずきんは、凍りつくような殺意に満ちた冷たい瞳で大塚を見ていた。
くぼずきんも葛西も…、そして大塚も荒磯部隊も銃口をお互いに向けたまま動かない。冴え冴えと空を白く照らす月が静かにその様子を見守っていたが、生と死の狭間でピンと張り詰めた空気を打ち壊したのは意外な人物だった。
廃墟となったホテルの室内に荒磯部隊によって銃弾が打ち込まれた時、実は一番出口の近くにいた人物がドアから出て外へ向かって走り出していたのである。しかしその人物はホテルの玄関から外に出たが、逃げずに銃口を葛西達に向けている荒磯部隊の前へと立った。
「私は魔獣対策本部本部長の松本だ。今からここにいる全員に、本部長として命じる。今すぐ銃をすべて降ろせっ!」
突然、両者の間に割って入った松本の言葉を聞いた荒磯部隊にどよめきが走る。本部長である松本が荒磯部隊のいる最前線に出向いたことはなかったが、戦況を報告するために本部に行ったことのある隊員の中に松本の顔を知っている者がいた。
荒磯部隊に葛西達の処分を命じたのは本部長代理と名乗った真田という男だが、今、銃を降ろすように命じているのは本部長の松本である。本部長と本部長代理…、どちらの命令を聞くかは明白だった。
軍において、階級や地位の差は何よりも優先する。しかし真田が元荒磯部隊隊長と隊員…、そしてくぼずきんと時任のこと話していたが、松本に関しては何も話していないのにも関わらず大塚と石橋、そして佐々原は拳銃を降ろさなかった。
松本の方も真田の口から自分のことが伝わってるのか、それとも伝わっていないのか知らなかったが、毅然とした態度で銃を降ろさない三人に向かって鋭い視線を向ける。
これで荒磯部隊を一時的にでも引かせることができるかどうか、これは松本の打った一種の賭けだった。
松本がそんな手に出たのは魔獣の森でも、そして廃屋でも何もできずに人質の身に甘んじてしまっていた自分に怒りを感じていたせいかもしれない。くぼずきん達のように戦えるだけの技術も力もなかったが、自分の想いと意思に従って松本も戦っていた。
だが、今は本部長の椅子に座っていた時のように、戦うのは人類を魔獣やあの肉塊から守るためだと言い切れなくなっている。それは人類が肉塊に汚染され、魔獣が人間に代わって地上を支配することになっても、時任と時任を守ろうとしているくぼずきんを助けることを間違っているとは思えないせいだった。
「私が銃を降ろせと言ったのが、聞こえなかったのか?」
「ちゃーんと聞こえてるぜ、松本本部長サマ」
「なら、なぜライフルを降ろさない。それとも私の命令に逆らうつもりか?」
「だぁからっ、逆らってねぇから降ろしてねぇんだろ」
「それは、どういう意味だ?」
「どういうイミかって…っ、ははははっ!!! こいつは傑作だぜっ!」
「・・・・・何がおかしい?」
「今更忘れたとは言わせねぇぜ、本部長…。魔獣殺せっ、処分しろっ!それが政府とアンタの出した命令じゃねぇかっ!」
大塚達の銃口は葛西達ではなく、ワイルド・キャットである時任だけに向けられている。その事実に改めて気づいた松本は、表情を硬くしながら拳をきつく握りしめた。
魔獣は見つけ次第、即刻処分しろと命じたのは、他の誰でもなく松本自身である。
松本は今まで最前線の生と死の境目で魔獣と戦い続けてきた荒磯部隊の隊員達の視線を感じて、自分の出した命令を撤回するとは言えなかった。
自分のしようとしていることの正当性を主張した大塚達は、荒磯部隊の本来の任務を果たすために魔獣である時任に向かって引き金を引こうとする。けれどそれを見た瞬間、松本は大塚達の行動を止めるために、本部長としてではなく一人の人間として叫んだ。
「やめろっっ!! その子を撃つなーーーっっ!!!!」
松本の叫び声が暗闇に沈む廃墟に木霊すると、大塚は何かとてつもなく楽しいことがあったかのように声を立てて笑い出す。そして悪意に満ちた表情で本部長の命令を聞いてとまどっている荒磯部隊の隊員達を見回すと、佐々原と石橋と顔を見合わせてもう一度笑った。
「人間を脅かす魔獣を殺すな…、それってすっげぇ問題発言だよなぁ?」
「ホント、大塚の言う通りだぜ。それってもしかして、人類が滅びてもいいって言いたいワケ?」
「おいおい、人類が滅びていいワケないだろぉ、石橋」
「そこのお偉い本部長サンが言ったんだよっ、俺が言ったんじゃないってっ」
「だよなぁ〜」
「魔獣をかばってるってことは、どうやら葛西のクソじじぃにそそのかされて本部長サマも寝返りやがったらしい」
大塚はニヤニヤと笑みを浮かべながらそう言うと佐々原と石橋ではなく、荒磯部隊の隊員達の方を向く。大塚の言葉は事実とは異なっていたが、葛西だけではなく松本も裏切ったことを隊員達に印象付けるのには十分だった。
その言葉だけでは納得しなかったかもしれないが、隊員達の目の前で松本もそして葛西も明らかにワイルド・キャットである時任を助けようとしている。それを見た今、裏切ったという事実が現実のものとして隊員達の目に写っていた。
大塚が片手を上へと上げると、それを見た隊員達がいっせいに降ろしていた銃を上げる。そして、再び銃口を大塚からワイルド・キャットを守ろうとしている葛西達に向けた。
「魔獣と裏切り者どもをっ、人間の敵をブチ殺せっっ!!!」
その言葉と共に大塚が腕を降ろすと佐々原と石塚が時任に向かって引き金を引き、隊員達もゆっくりと震える指で引き金を引き絞っていく。だが、時任に向かって放たれるはずだった弾丸は、白い月の輝く空へと向かって放たれた。
けれど、それは故意に狙いをはずしたのではなく、二人の腕に犬の鋭い牙が切り裂いていたからである。佐々原と石塚を攻撃しているのはくぼずきんでも葛西達でもなく、仲間を大塚に殺されたウィッチ・ドッグという魔獣だった。
「い、犬がっっ!!!」
「ぎゃあぁぁぁぁぁっっ!!!!」
「ちぃっ!! こいつらよりも先に犬を始末しろっ!!」
ガゥンッガゥンッっ、ガゥンッッッ!!!!
大塚達に襲いかかってくるウィッチ・ドッグは一匹ではなく、十匹以上いる。つまりそれだけ大塚達が葛西達を探す途中で憂さ晴らしために、たくさんのウィッチ・ドッグを殺したということなのかもしれなかった。
怒りと哀しみに我を忘れているウィッチ・ドッグ達は撃たれても、撃たれた部分から赤い血が流れ出しても戦うことを止めない。この終わり見えない戦いの中で大勢の人間が魔獣によって血の海に沈んだが、同じように魔獣も人間の手によって命を失っていた。
人間も魔獣も誰もが生きるために、そして大切な誰かのために戦っているのかもしれなかったが…、いくら戦って戦っても…、
怒りも憎しみも…、悲しみも戦いの中で増殖し連鎖し続けていくだけだった。
ウィッチ・ドッグ達の思わぬ攻撃に、荒磯部隊は不意を突かれて総崩れになっている。その様子を見たくぼずきんと時任、そして松本と葛西達はこの隙をついて出口に向かって走り出した。
戦うことができない以上、この場はなんとしても逃げ切るしかない。葛西はくほずきんと時任の姿を追って走りながら、この場にいる全員に向かって逃げるための指示を出した。
「バラバラになって散れっ! 目的地はヘブンズ・ゲートだっ!!」
というのは宗方の潜伏している廃ビル群の入り口付近にある、小さな教会のことを指している。教会ことをヘブンズ・ゲートと始めて呼んだのは、魔獣との戦いの中で死んだ荒磯部隊の中の一人だった。
戦いが終わった戦場でその隊員を看取ったのは葛西と相浦達の四人と、他には呼ばれてかけつけてきた救護班の五十嵐がいたが…、肩から胸の辺りまで魔獣の牙で切り裂かれてしまっていて手の施しようがない。そんな絶望的な中で隊員は苦しい息を吐きながら、葛西達に自分を教会まで連れていくように頼んだ。
『あの教会には…、すごく優しい顔したマリア様がいてさ…。だから…、きっとあそこにヘブンズ・ゲートがあって…、そこにいけば俺でも天国に…』
葛西は冷たくなった隊員の身体を背負って教会まで運んだが…、そこから天国へと行けたかどうかはわからない。けれどもしかしたらヘブンズ・ゲートのある場所に、優しいマリア様に看取られたがっていたのは、人間を守るために戦っていると信じながらも魔獣を殺し続けてきたことに罪を感じていたからかもしれなかった。
五十嵐も相浦達もマリア像に向かってヘブンズ・ゲートが開くように祈ったが、葛西だけは祈らずにマリア像に背を向ける。そして苦しんだままの表情で冷たくなっている隊員の顔に、ポケットに入れっぱなしになっていた白いハンカチをかけた…。
『期待してるとこすまねぇが、天国も地獄もこの世にしかねぇよ…。 だから、夢も見ねぇくらい安らかに眠りやがれ…。今まで良くがんばったな…、お疲れサン…』
戦って戦って…、その果てに残るものが何なのかはわからない…。けれど前へ前へと歩いていく足に…、行くべき場所に向かって走り出した足に迷いがないのなら、その足跡がたとえ消えてしまったとしても後悔はしないのかもしれない。
祈るための神が、天国へと続く階段もが存在しなかったとしても…、
葛西の前を二人で走っていく、時任とくぼずきんの足取りに迷いはなかった。
そんな二人の後ろ姿を見た葛西は、二人の前に続く道がどこまでもどこまでも続いていくよう願いながら…、持っていた拳銃を強く握りしめる。そして握りしめた手のひらから拳銃の冷たさと重さを感じながら、葛西は鋭い真っ直ぐな視線で前を見つめた。
「立ち止まらずに、振り返らずに走り抜け…っ、どこまでも二人で…」
くぼずきんと時任…、そして葛西は迷路のような裏路地を走り始めたが、相浦達も葛西の指示に従ってそれぞれ別な方向に向かって走り出している。けれど、そんな葛西達の様子を高いビルの上から双眼鏡で眺めていた人物がいた。
その人物はくぼずきんと時任がホテルから脱出して走っているのを見つけると、ゆっくりと口元に感情の読めない笑みを刻む。そばに控えていた護衛の男が二人を追って出動することを告げたが、それは即座に却下された。
「ずいぶんと楽しそうだが、我々はもうしばらく見物するとしよう。この高い場所から、まるで神のように…」
そう言った男と同じ白く冷たく輝く月の下で銃声が鳴り響き、新しい血の匂いが辺りを包み始める。けれど、その匂いはすでに戦いの続くこの町そのものの匂いになってしまっていた。
しばらくしてウィッチ・ドッグを倒し終えた大塚は、傷を負った佐々原達の手当てが終わるのを待たずに道にできた赤い溜まりに足を濡らしながらくぼずきん達の後を追う。葛西の言っていたヘブンズ・ゲートの場所は知らないし、この町にそんな場所があるとは聞いたこともなかったが…、
天国ではなく地獄行きの切符を…、大塚はくぼずきんと時任に渡そうとしていた…。
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