くぼずきん.47




 薄闇に包まれていく町並みと、そこにある冷たい静寂。
 かつては、人々が大勢行きかっていた商店の並ぶ通りには人の姿も気配もない。
 激しい銃撃戦の中から走り出したトラックの荷台の上で、松本はそんな寂しすぎる廃墟となった家々を眺めながら、この町に始めて来た時のことをさっきから考えていた。
 あの魔獣の森で橘と別れ、真田に誘われるまま黒塗りの車に乗り込んだ日のことを…。
 自分が選んだ道を後悔はしないとその時は想っていたが、今はなぜか後悔する気持ちばかりが胸の奥に湧き上がってきていた。
 こんなのは自分らしくないと感じてはいても、後悔せずにはいられない。
 それはもしかしたら松本の目の前で、くぼずきんと時任が眠るように目を閉じたまま、そっと身を寄せ合っているからかもしれなかった。
 荷台に飛び乗ってからしばらくして落ち着くと、時任は何か言いたそうな顔をしていたにも関わらず、くぼずきんの右手を握りしめるとその横にちょこんと小さく寄りそって…、涙のこぼれ落ちそうな瞳を閉じて、コツンと軽く肩に頭を乗せる。
 すると、時任の身体のあたたかさと重さを感じたくほずきんは、哀しいくらい優しく微笑んで同じように目を閉じた。
 そんな二人の姿を見ていると、まるで町に染みこんで行く薄闇のように松本の心を深く強く揺さぶる。魔獣が人間にとって危険だという考えは少しも変わらないのに、このままでいられたら…、いてくれたらと願ってしまっていた。
 
 「なぜ、穏やかな日々ほど…、長く続かないんだろうな…」

 松本はくぼずきんと時任を見つめながらそう呟くと、きつく両手の拳を握りしめて声を出さずに橘の名前を呼んだ。あの森で別れてから名前を呼ぶこともなくなっていたのに、一度、呼んでしまうと何度も何度も自分でも気づかない内にその名を唇が刻んでいる。
 しかし、時任が橘のことを何か知っているらしいが、それを聞きたいのか聞きたくないのか自分でもわからなかった。
 それは状況に流されて真田の腕に抱かれてしまったことだけではなく、それ以上に橘の口からはっきりと別れの言葉を聞きたくなかったからかもしれない。目の前で手を握りしめ合っている二人のように、激しい恋ではないのかもしれなかったが、胸の奥でずっと橘への想いが消えずにくすぶり続けていた。
 一緒にいなくても生きていけるのに、他の男の腕に抱かれることもできるのに…、無意識に唇が刻み続ける名前は一つだけで、その事実が苦しくてたまらない。松本はそんな自分の想いを殺そうとしているかように、どこへ向かって走っているのかわからないトラックの荷台の上で唇をきつく噛みしめた。

 「もしも会うことができたなら、こんな苦しみは想いと一緒に消えてなくなるのか…。お前はどう想う? 橘…」

 そんな風に呟いた松本を見ていた葛西は、軽く息を吐いてタバコを取り出そうとしたが、前に座っていた五十嵐に視線だけでダメだと言われてポケットに置いた手を下におろす。くぼずきんと時任を助けたことも、松本を荷台に乗せたことも後悔はしていなかったが、葛西や五十嵐達が軍から追われる身になってしまったことは消すことのできない事実だった。
 相浦も松原も、そして室田も五十嵐もそれなりの覚悟をしているとわかってはいるが、おそらく全員、葛西が動かなければ今も軍にいたに違いない。特に今ままで最前線で戦ってきた松原と室田は、かなりの迷いと葛藤があっただろう。
 けれどもここにいる全員が何を言っても、自分で決めたことだときっぱりと言い切ることがわかっているため、葛西は黙ったまま何も言わなかった。
 
 「…ったく、思い切りが良すぎだぜ」

 葛西がそう言いながら頭をガシガシと掻くと、その隣にさっきから考え込むような表情をしていた相浦がやってくる。普段はいつも明るく振舞っている相浦だったが、今はそうもいかないらしかった。
 軍隊に配属されて葛西の補佐をするようになってから、相浦はカンに頼って動きがちな葛西のために状況を正確に把握し伝えてくれている。それは軍隊を離れた今も変わらないようで、相浦は現状を説明しながら、これからの行き先について葛西に相談してきた。
 「どんな風に俺らのことが伝わっているかはわからないっすけど…、あの真田が軍に関与しているとなると、俺らには逮捕ではなく処分命令が出てると見た方かいいかもしれないっすね。たぶん、軍全体に…」
 「あぁ、そう考えて間違いねぇだろうぜ。邪魔者は消すってのが、裏社会の法則で掟ってヤツだからな」
 「それはやっぱ、軍は完全に真田に掌握されてるからってことっすか?」

 「いいや、常に裏と表は一体だってことだ」
 
 ・・・・裏と表は表裏一体。
 その言葉を聞いた相浦は、それについては何も言わなかったが、それは葛西の言っていることが事実だということを知っていたからである。
 魔獣狩りが軍に命令として下るよりもずっと以前に、すでに警察機構も軍隊も出雲会や東条組と関与していた。しかし、それは脅されていたというのではなく、警察や軍側から関与することを望んだからこその結果である。
 すでに法も秩序も闇に犯され腐敗し、この国の正義はどこにも無い。
 だが、そんなものは最初からどこにも存在していないのかもしれなかった。
 正義の在り処もわからずに人々は戦い続け、その戦いの意思と炎が町を赤く赤く染めていく。けれど、血の色に染まっていく町を見つめながらも戦いが終わることがないのは、正しいとか正しくないとかそういう理由を求めているからではなくて…、崩れかけた廃墟に埋もれながらも生きようとする意思がそこに働いているからなのかもしれなかった。
 生きるために戦って戦い続けて、その果てに何があるのかはわからない。
 
 だが、生きようとする意思もその想いも…、魔獣も人も何も変わりないに違いなかった。

 葛西はポケットからタバコではなくライターを取り出すと火をつけて、そのオレンジ色の炎を見つめる。
 すると、小さな炎は空気の動きに合わせて葛西の目の前でゆらゆらと揺れた。
 その炎は相浦と松原の横顔を照らしていたが、松原は愛刀を自分の肩に立てかけて、片手でされを支えながら瞑想するように目を閉じたまま開かない。松原の横顔には疲労の色が濃かったが、それはトラックを運転している室田も同じで、なんとか危機からは脱出したものの、まだまだ危険から脱出したわけではなかった。
 葛西はライターの炎を消して立ち上がると、隣にいる相浦の頭をがしがしと乱暴に撫でてから、前にある運転席とつながっているガラス窓の前に立つ。
 そして、このトラックの行き先を室田に向かって告げた。

 「室田…、今から七区に向かえ。追っ手に見つからないように、七区付近でトラックを降りて隠す」

 今から七区に向かうことを葛西の口から聞いた相浦は、少しだけ驚いた顔をしたが反対はしなかった。
 七区と言えば荒磯部隊が今日戦闘しているはずの場所で、そこに行くということは荒磯部隊と出会う可能性があるということでもある。だが、良く知っている荒磯部隊の動向を探ることができれば、真田の出方がわかるかもしれない。
 やはり、自分達の置かれている状況を正確に把握することはやはり必要だった。
 さっきからムスッとした顔をしてくぼずきんと時任を見ていた藤原は、ビクッと肩を揺らせて慌てていたが、松本も七区に向かうことを聞いても何も言わない。だが、何かを想うように握られた手のひらの中に何が入っているのかはわからなかったが、その瞳には仄かな意思と想いが宿っていた。

 「あきらめるにはまだ早過ぎだぜ…、そうだろ?」

 葛西はそう言いながら相浦の頭を更にぐちゃぐちゃに撫でまわすと、今度は五十嵐が止めるのも聞かずにタバコに火をつける。そして、うまそうにその煙を肺の中に吸い込むと、ニッと笑いながら思い切り白い煙を口の中から吐き出した。
 すると、そんな葛西の行動にムッとした五十嵐が移動してきて、赤く火のついているタバコを奪おうとする。だが、葛西はひょいとそれをかわして、また五十嵐の目の前で笑みを浮かべながらタバコを吸った。
 「病人の前でタバコは厳禁よっ、クソ親父」
 「そう冷たいこと言うなよ、ねぇちゃん」
 「アンタってほんっと、こんな時でものん気なんだからっ」
 「はははっ、まぁいいじゃねぇか」
 「良くないわよっ」
 くぼずきんのことを気に入ってるせいもあるのか、あくまで五十嵐は葛西のタバコを消そうとする。しかし、葛西は少しも言うことを聞かずに吸い続けていた。
 そんな様子を見ていた松本と目が合うと葛西は笑いながら、
 「空気とタバコのうまさを知ってれば…、いざって時に死神に足を引かれずにすむってもんだぜ」
と、タバコを差し出しながら楽しそうに言う。すると、それを聞いた五十嵐はため息をつきながら、軽く肩をすくめて元いた場所に座り込んだ。
 松本は本当にうまそうにタバコを吸っている葛西を見て苦笑すると、差し出されたタバコを一本取って口にくわえる。そして、葛西の持っているライターでそれに火をつけると、深く息と煙を肺の中に吸い込んだ。
 さっきから浮かべている、苦いような苦しいような表情のままで…。

 すると、そのタバコはいつの間にか覚えてしまったアークロイヤルとは違った味がした。

 くぼずきんと時任、そして葛西達を乗せたトラックは、軍の追っ手に襲撃されることもなく七区の手前に到着すると、偶然見つけた食料品店の大きな倉庫にそれを隠した。
 そして、そこから周囲に注意しながら、裏路地を歩いて七区へと足を踏み入れる。
 だが…、そこには戦っているはずの荒磯部隊の姿も戦った痕跡も残されていなかった。

 「何かあったってことか…」
 
 葛西は苦い顔をしてそう呟いたが、荒磯部隊に何かあったとしたら、それが自分のせいだということは十分に承知している。しかし、隊員にまで危害が及ぶことはないと思ってはいても、やはり隊長である葛西が裏切ったことで何かあらぬ嫌疑かかけられた可能性がないとは言い切れない。
 それを相浦もわかっているのか、厳しい表情をして七区の廃墟の中に立っていた。
 けれど、後悔した所で何も変わらないし、後悔するくらいなら初めからくぼずきん達を廃屋にかくまったりはしない。葛西は夜風に変わりつつある埃混じりの風に吹かれながら、時任の肩をその風から守るように抱いているくぼずきんの方を向いた。

 「それじゃ…、詳しい事情を聞かせてもらおうか?」

、神と呼ばれる肉塊と魔獣と…、そしてそれをめぐって暗躍していた真田と関谷と…。
  すべては宗方の思惑通りなのか…、それともただ運命に流されているだけなのかはわからなかったが、町の状況は刻一刻と変化している。
 夕日が沈んで町を完全に暗闇が包み込むと、そこには冷たい静寂だけがあった。
 夜になっても一つの明りもつかない廃墟を眺めていると、絶望と言う名の暗闇が見る者の心に忍び寄ってくるが…、もしも絶望がすべてを覆い尽くしたとしても…、
 
 この戦いに、終わりはないのかもしれなかった。












 ズガガガ・・・・・ッ、ガゥンッ!!!!

 夜の帳が下りた町の中を、マシンガンの音が闇を切り裂いて響き渡る。
 魔獣と軍隊との戦闘が始まっても、夜の静寂だけはなぜか守られていたのだが、その静寂までもが悲鳴と銃声に破壊されようとしていた。
 魔獣の中には夜行性の者が多そうに見えるのだが、実は時任を見てもわかる通り活動時間は昼間である。そのため、いつも戦闘は朝から夕方の時間帯に行われるのが常になっていた。
 どんなに外見が獣に近いものだとしても夜目が利いたとしても、そんな部分ばかりが人間と似通っていて…、皮肉にもそのためにお互いに限界まで疲労しながらも今も戦闘が続いている。しかし、闇を切り裂きながら偶然見つけた魔獣に向けて銃弾を撃ち放ったのは、魔獣ではなく同じ人間に銃口を向けるためにやってきた大塚だった。

 「あーあ、また犬かよ…」
 「なぁ、大塚。トラックをここらの地区で見たって情報って、当てになんのか?」
 「そんなん俺が知るワケねぇだろっ、バーカッ」
 「そーいや、藤原が一緒にいるってウワサじゃん。アイツと連絡取れねぇのかよ?」
 「あのバカと取れてりゃ探してねぇだろうがっ」
 
 「うだうだ言ってねぇでとっととブッ殺しに行くぞっ、てめぇらっ」

 目の前で血を流して倒れている魔獣にとどめの一発を撃ち込むと、大塚は石橋と笹原にそう声をかけて七区へと足を踏み入れる。この七区の周辺で不審なトラックを見たという情報があったが、この町では金儲けのために流されるカゼネタも多いため、その情報もやはり定かではなかった。
 大塚率いる荒磯部隊は真田の命令でここに来ていたが、やはり葛西のようにうまく指示を出せないため、七区の捜査も難航してしまっている。情報が少ない以上、しらみつぶしに探していくしかないが、一向にそれらしい報告は大塚の耳には入らなかった。
 
 「見つからなかったら、どうなんのかわかってんだろうなぁ?」

 定期連絡に来た隊員をにらみつけて大塚が言うと、隊員は大塚を鋭い瞳で睨みつけたが、すぐそれを見とがめられて腹にきつい蹴りを食らう。だが、大塚の言葉がただの脅しではないことがわかるため、どんなに蹴られても反撃はできなかった。
 それはどんなことがあっても、下士官は上官には従うように軍規で決められていて逆らえないからである。軍の法律も規則も、すべては階級が上の者を優位づけるものでしかなかった。
 それが軍の腐敗を招く元にもなったのだが、今もやはりそれは変わらない。
 大塚は威嚇するように倒れている部下の額にライフルの銃口を押し付けると、ニヤリと口元に嫌な笑みを浮かべた。

 「死んじまって死体になれば、魔獣も人も変わらねぇって知ってたか?」
 
 見下した表情でそう言った大塚を見つめながら、銃口の下で隊員の額に汗が滲む。
 今、大塚が引き金を引けば、すぐそばで銃弾に倒れた魔獣と同じようにここに死体として転がることになるに違いなかった。
 隊員は止めてくれと言おうとしたが、その瞬間に撃たれそうな気がして何も言えない。
 軍隊に入った時にやはり覚悟はしていたが、それはこんな風に同じ人間である同じ部隊の人間の手によって銃弾を打ち込まれることではなかった。けれど、今、この瞬間にも大塚によって予期しなかった終わりが来るかもしれない。
 すべての終わりの予感を感じて隊員はゴクリと息を飲み込んだが…、その瞬間、別の隊員が大塚の前に走り込んできた。

 「は、発見しましたっ! 葛西達は七区の廃墟になっているホテルの中にいますっ!」

 その隊員の報告を待ちわびていた大塚は、あっさりとライフルを額から放して肩にかつぎ直す。そして近くにいる佐々原と石橋と顔を見合わせて、冷ややかな悪意に満ちた笑みを浮かべあうと、血に濡れた地面を蹴って前へと歩き出した。

 「まったく、今日はホントにいい夜だぜ」

 いつの間にか顔を出した月が動かなくなった魔獣を照らし出し、その冷たい光に混じるように遠くから犬の遠吠えが聞こえる。
 だが、その哀しく切なく夜空を震わせる泣き声も、大塚達の耳には届かなかった。


 
 

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