くぼずきん.46




 人間に害を及ぼすとされている魔獣を排除するため、軍が一区から十三区までの地域に分散して戦闘を繰り広げていたが、その中に警察からの協力で結成された部隊があった。だが、その部隊の中でも精鋭集めた荒磯部隊はやはり他の隊と雰囲気が違っている。
 それは、隊長である葛西の影響が大きかったのかもしれなかったが…、今はその葛西の姿は荒磯部隊の中にはなかった。
 普通は隊長である葛西がいなければ副隊長がその任務を引き継ぐことになるが、荒磯部隊には副隊長がいない。それは変わりは誰にもできないということを意味しているのかもしれないが…、やはり戦闘を続けていくためには、葛西が魔獣の刃に倒れた時のことを考えなくてはならなかった。
 部隊の一部では何かあった時の後任には補佐をしている相浦をという声もあったが、その相浦も葛西と同じくなぜか忽然と姿を消している。
 しかも、荒磯部隊の中でも精鋭中の精鋭である松原と室田も一緒に…。
 この状況を知った荒磯部隊に所属している隊員達は、やはり動揺を隠せなかった。
 部隊の中心人物であった四人がいなくなってしまったため、もし戦闘に参加したとしてもいつもの半分の働きもできないに違いない。
 隊員達は動揺しながらもそれがわかっているのか、誰も七区へは向おうとはしなかった。
 だが、そんな隊員達に魔獣とともに軍隊と戦った葛西達の反逆行為が伝えられたのは、いなくなったことが発覚してからそう遅い時間ではない。
 けれどそれを伝えたのは軍の人間ではなく、黒塗りの高級車に乗ってきた男だった。
 その男は自分を魔獣対策本部、本部長代理という肩書きを名乗って口元に嫌な笑みを浮かべる。しかし、ついさっきまで本部長代理などは存在していなかった。
 なのに、隊員達は不審に思いながらもそれを真田と名乗った男に言ったりはしない。
 そんな荒磯部隊を見回した真田は、浮かべていた笑みを深くして本部長代理として隊員達の前に立った。
 「君達の隊長である葛西は、どうやら人間でありながら魔獣側に寝返ったらしい。同情なのか、それとも何か…、寝返りたくなるような楽しいことがあったのかは知らないが」
 「隊長が魔獣に寝返るなんて…、そんなバカな…」
 「信じられないかね?」
 「・・・・・・・・信じたくはありませんよ」
 
 「だが、自分の命よりも重いものはドコにもないと…、そう考えれば寝返りも裏切りも、簡単に信じられるようになるだろう?」

 真田がそう言いながら懐から出した拳銃を、信じたくないと言っていた隊員の額に当てる。すると葛西の反逆にざわついていた辺りが、真田の言葉に飲まれたようにシーンと静まり返った。
 今まで葛西の指揮の元で戦ってきた隊員達だったが、やはり相浦達まで消えていることが、どうしても考えの答えを悪い方向へと導く。けれどそれは相浦達のことだけではなく、魔獣との戦いが毎日続いていて全員が疲れているため…、
 このままでは、いつか自分もという危機感があったせいかもしれなかった。

 銃声と悲鳴と…、そして洗っても洗っても取れない血の匂いと…。

 そんな中に長くいると精神がそれに蝕まれていくのは、やはり仕方のないことなのかもしれない。けれど戦いの中にあっても、葛西はその惨状からも目をそらすことなく血に濡れた戦場に立っていた。
 もしかしたらそんな葛西の姿を見ていたからこそ、荒磯部隊は終わりの見えない戦いから逃げ出すこともなく戦い続けていられたのかもしれない。
 葛西さえいれば大丈夫だと…、そんな想いが隊員達の中にはあった。
 だが、その葛西がいなくなった今は、不安だけが荒磯部隊を覆い尽くしている。
 そんな荒磯部隊を真田は口元に笑みを浮かべながら、目を細めて眺めていたが…、
 その中に、実は例外が三人だけいた。

 「つまり早い話が、あのクソ親父が裏切ったってだけだろ」
 「いつか裏切ると思ってたんだよなぁ」
 「あーいう顔してて、かなりの動物好きとか?」
 「おいおい、人間だって動物だろぉっ」
 「あんなのと一緒にすんなよっ」

 葛西に一目も二目も置いている者の多い荒磯部隊で、葛西を親しみを込めておっさんやおっちゃんと呼ぶ者はいたとしても、クソ親父と呼ぶ人間はこの三人だけだろう。周囲の隊員達は鋭い目つきでにらんでいたが、三人はその視線を気にした様子もなかった。
 どうやらこの三人は、荒磯部隊の雰囲気に馴染まずに浮いてしまっているようである。
 真田は三人にさほど興味はなさそうだったが何かを思いついたらしく、三人の中のリーダー格らしき男の方に視線を向けた。
 「君達の上官は、今まで戦っていた魔獣側に寝返った。つまり敵になったワケだが、それについて君はどう思うかね?」
 「うるさいのがいなくなったって、思ってるだけっすけど?」
 「ほう…。では、かつての上官と戦えるとでも?」

 「命令して頂ければ、必ず仕留めてみせますよ」

 ニッと悪意の満ちた笑みを浮かべたリーダ格の男の名は大塚と言ったが、その名前に聞き覚えはない。だが、大塚からはこの街の闇の匂いが漂っていた。その匂いは裏の世界に通じる者の持つ特有の匂いだったが、その匂いはやはり真田の前では薄くなってしまう。
 真田の持っている闇の部分は浮かべている底知れぬ笑みに混じって、目の前にいる大塚や荒磯部隊の隊員達を圧倒していた。
 一見、冷静な顔をしてはいるが、大塚の額には汗が浮かんでいる。
 真田は汗を浮かべている大塚からすぅっとそらせると、ポケットからアークロイヤルという名前のタバコを取り出して火をつけた。
 「必ずと言った言葉に偽りがないのなら、すべて君にまかせるとしよう。荒磯部隊を率いて、反逆者の始末に行きたまえ」
 「…ということは、俺が荒磯部隊の隊長?」
 「不満かね?」
 「隊長になった初仕事が、魔獣じゃなくて人間の始末ってトコが気に入ってますよ」
 真田の発言に荒磯部隊は再びざわついていたが、大塚は驚いた様子もなく始末のところを強調してそう言った。確かに気は絶対に合いそうにもないが、仮にも同じ荒磯部隊に所属していたというのに、大塚は葛西だけではなく相浦達のことを始末することについても何も感じていない。
 そういう面で適任といえば適任だが、大塚の命令に荒磯部隊は従わないに違いなかった。
 だが、従わないとどうなるのかは、今の状態を見れば簡単に想像できる。
 現に命令に逆らった葛西には、処分命令が下っていた。
 「処分するのは荒磯部隊の元隊員と元隊長…。だが、くぼずきんと名乗る男だけは殺さずに私の元まで連れて来い…」
 「・・・・・・そうしなきゃならない理由は?」
 「理由などない。ただ欲しいから言っただけだが、何か問題があるかね?」
 「べつに…」
 「では、私は本部で報告を待つとしよう」
 「期待しててください」
 大塚の言葉に返事をしないまま、真田は荒磯部隊に新しい任務を命令し終えると、再び黒塗りの高級車に乗って帰って行く。それを愛想笑いを浮かべながら見送った大塚は、仲間である笹原と石橋と見合わせてから振り返ると、荒磯部隊の隊員に向って自分が隊長になったことを宣言した。

 「今日から荒磯部隊の隊長になった大塚だ。隊長である俺に逆らうヤツは、葛西の野郎と同じ運命をたどることになるぜっ」

 大塚はそう言いながら、睨みつけてくる隊員達に向ってニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。
 誰も大塚を隊長と認めるはずなどなかったが、隊員達は人を人とも思わないような冷淡な真田の雰囲気に飲まれてしまっていた。けれど雰囲気に飲まれてしまったのは、やはり葛西の寝返りに衝撃を受けていた影響も大きいだろう。
 隊員達は誰もが信じたくないと言いながら、葛西の寝返りを完全に否定はしなかった。
 それはやはり…、隊員達の心の中にも戦いに対する疑問があったせいに違いない。
 軍事用やペットとして、人間と共存しているのかように見えた魔獣だが…、今は排除しなくてはならない人間にとっての敵になってしまっていた。
 この戦いに果たして意味は存在するのか…、
 それはやはり、戦いが終わらなければわからないのかもしれない。
 けれど今はまだ…、戦いは激しくなるばかりで終わる気配はまるでなかった。
 大塚の仲間である笹原と石橋は隊長宣言が終わると、わざと周囲をあおるように声を立ててで楽しそうに笑う。すると今日から隊長になった大塚も、その声を聞きながら悪意に満ちた笑みを浮かべていた。
 「これから、面白くなりそうだぜ」
 「…って、マジであのオカマの側につくのかよ?」
 「そういうお前はどうなんだ、佐々原」
 「俺はそれなりに楽しけりゃ、どこでもいいけどな?」
 「石橋は?」
 「俺も佐々原とオンナジ」

 「オカマの野郎がヤバくなったら、いつもどおり裏切るだけだ。これまでの分も、ぜいぜい楽しんでやろうぜっ」

 大塚がそう言ったのは、警察から追い出されるように荒磯部隊に配属されてから、あまりろくなことがなかったからだった。
 隊長である葛西が常に目を光らせていることも原因の一つだったが、魔獣狩りの最前線に借り出されてしまっては、さすがにそうそう働ける悪事もない。ここ最近は、せいぜい同じ隊員の弱味を握ってカツアゲをするくらいだった。
 だが、そんな大塚達に突然の転機が訪れる。
 それは出雲会という裏組織と街を二分している東条組の関谷が、幹部にするという条件をちらつかせながら接触してきたことだった。
  
 『こんな所で一生を終わるつもりがないなら、選択肢は一つしかないわよね? それとも、戦場で血まみれで死ぬ方が好みかしら?』

 関谷にそう言われるまでもなくこんな戦いで死ぬつもりはないし、葛西達のように律儀に戦いに参加する気もなかった。しかし、それはやはり荒磯部隊がある意味ゴミ捨て場だということを、知っていたせいもあるかもしれない。
 大塚も葛西と同じように、警察の上層部から煙たがられていた。
 葛西は戦いが終わったら警察に戻りたいと言っていたようだが、おそらく戦いが終わっても戻ることは出来ないに違いない。大塚のように悪事を働く者は確かにやっかい払いしたくなるかもしれないが、葛西のように切れすぎるのも警察にとっては問題らしかった。
 魔獣のことがなかったとしても、この国のすべてがすでに破綻している。
 その破綻の中で生きることは、他人から甘い汁を吸って楽しく生きることしか考えていない大塚にとっては生きやすかった。それは探したりしなくても、いつだって目の前にはゴロゴロと他人の弱味が転がっていたからである。だが、この薄汚れた街の住人らしく、自分のしていることに大塚が罪悪感を感じることもなかった。
 大塚は見る者を不快にさせる笑みを浮かべると…、今まで戦闘に参加しないために置いたままになっていたライフルを肩に背負って、楽しそうに佐々原と石橋を引き連れて歩き出す。
 荒磯部隊に配属なった大塚が始めてライフルを握ったのは、軍の命令で魔獣を処分するためではなく…、
 自分と同じ人間に、その銃口を向けるためだった。

 「それじゃ、せっかく隊長になったことだし皆殺しツアーにでも行こうか」
 
 荒磯部隊を引き連れて歩きながら小声でそう呟くと、大塚は軍と戦闘が行われたという場所から東方面へと向った。
 目撃情報によるとすでにトラックは乗り捨てて逃走したらしいが、このあまり広くない街にいるのなら、まだ十分に探し出せる。しかし探し出したとしても、持っているライフルを向ける相手は葛西ではなく別にいた。
 しかもその人物の名前は大塚の雇い主である関谷も、そして隊長になって葛西達を処分することを命令した真田も知っている。実際には、廃屋にいた藤原の影からチラリと姿を見ただけだったが…、窓越しに見た瞬間から大塚はその男が気にいらなかった。
 男の名はくぼずきんと言ったが…、チラリと姿を見ただけでも圧倒される何かがある。
 一瞬、その雰囲気に飲まれた自分にムカついたが、それ以上にくぼずきんに対する逆恨みの感情も芽生えていた。
 始めは魔獣と敵対している今は政府に関与している、真田と荒磯部隊の動向を探ることが大塚が幹部のイスを手に入れるためにしなくてはならないことだったが…、
 ワイルド・キャットとくぼずきんの話をすると、関谷はふふっと声を立てて笑いながら、大塚に二人の処分を依頼したのだった。

 『二人で仲良くあの世になんて、幸せな結末よね。あは、ホント感動的で涙でそうだわ』

 関谷は言葉に反して楽しそうにそう言うと、持っていたナイフを大塚に向って投げたが…、ナイフは大塚の頬を少しかすめただけで壁に突き刺さった。
 けれどそのナイフは当たらなかったのではなく、わざと当てなかっただけに違いない。
 もしかしたらナイフを投げたのは、いつでも簡単に消せるということを大塚に肌で感じさせるためなのかもしれなかった。
 なぜなのかはわからないが…、どうやら関谷は二人を真田に渡したくないようである。
 けれどすべてが謎につつまれていたとしても、大塚はこの面白い状況から手を引く気はなかった。
 
 「俺の手で感動的に殺してやるぜっ、くぼずきん」

 大塚の呟きは小さくて誰の耳にも届いていなかったが、やる気だけは佐々原と石橋に伝染したようだった。
 大塚には従わないと思われていた荒磯部隊はなぜか一名も欠けることなく、かつて自分達の隊長であった葛西に処分を下すために動き出し…、
 荒磯部隊の抜けた最前線では、ある人物によって指揮されている魔獣達によって、今まで保たれていた戦いの均衡が崩れようとしていた。
 今までは勝ちもしないが負けもしないという状況だったが、自分達は負けるかもしれないという予感が戦い続ける人々の脳裏に浮かび始める。
 そして、そんな嫌な予感が人々を襲っていた頃…、
 真田はまるで何かを想うように黒塗りの高級車の中で、目を細めて車窓から見える青く遠い空を眺めていた。
 










 「戦いが優勢になったにしては、浮かない顔じゃない?」
 「・・・・・・・・」
 「その反抗的な目を見てると、ナイフを持ってる手がうずくんだけど?」
 「…そうしたければ、勝手にすればいいでしょう?」

 「ステキな悲鳴をあげてくれるなら、今すぐにでも切り刻んであげる」

 そう言いながらぐっりたと床に横たわっている橘の頭の上に、黒い革靴を履いた足を乗せたのは、くぼずきんと接触した真田を見物してから魔獣達の集まる廃ビルに戻ってきた関谷だった。けれど橘は頭を踏まれても払いのける気力もないのか、そのままじっと床に横たわっているだけである。
 暑くもないのに額に浮かんだ汗は、長い前髪を少しだけしめらせていた。
 元々、見かけに似合わず体力があるおかげでなんとか戦いの間は持ってはいるが、その顔は紙のように白い。優雅で美しい美貌はそのままだが、苦しそうな様子がその美貌に壮絶さを与えていた。
 橘は人間ではなく魔獣だが、その頭には耳はないし尻尾もついていない。
 見た目は人間と変わらないが、それでも橘の身体と心を襲っている苦しみが、やはりどんなに姿形を変えても自分が所詮魔獣でしかないことを教えていた。
 同じ魔獣でありながらワイルド・キャットである時任は…、橘の感じている苦しみを少しも感じていないようだったが…、
 やはり今も人間に対する憎しみが、橘の中で息もつけないくらい苦しく渦巻いていた。
 関谷はそんな橘を見ていつも嘲るような笑みを浮かべながら、身体だけではなく心をも踏みつけにする。
 そして自分の革靴に踏みにじられて、苦しんでいる橘を楽しそうにじっと眺めていた。
 「ああ、そういえば忘れてたけど、今日は面白い人物を見かけたわ」
 「・・・・・・」
 「そう名前は確か…、まつ…」
 「・・・・・・・・松本」
 関谷の口から出る前に、橘が静かにその名を呼ぶ。けれどその名を呼ばなくなってしまっていたせいか、橘の声は少しだけ震えてしまっていた。
 橘が何かに耐えるように唇を噛みしめると、関谷は頭を踏んでいた足を下ろす。
 そしてゆっくりと前に屈み込んで、横たわっている橘の顔をのぞき込んだ。

 「ここに招待したら、カレシは来てくれるかしらね?」
 「・・・・・・・貴方という人は」
 
 そう呟いた橘の鋭い視線を受けながら、関谷は口元にゆっくりと笑みを浮かべる。
 その笑みからは関谷が何を考えているのかはわからなかったが、橘は視線だけを動かしてドアの方を見た。
 そこには、ここに来ることを約束した時任の姿はまだ見えなかったが…、
 夜の帳だけがそこから忍び込んできているような…、そんな気配だけがしていた。
 



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