くぼずきん.44




 「もうじき出発の時間だというのに、葛西隊長はどこへ…」
  
 終わりのない戦いの中でやってくる朝も、やはり当たり前のように太陽が空に昇る。
 そんな太陽を椅子に座ってまぶしそうに眺めながら、いつも使っている名刀、童子切安綱を磨きながら松原は隣にいる室田に向かってそう言った。
 すると室田は手に持っていたコーヒーを松原に手渡しながら、何も言わずに首をゆっくりと横に振る。それを見た松原は仕草だけで聞いたことの答えがわかったのか、らしくなく小さく息を吐いた。
 ここは荒磯部隊の駐留しているテントのある場所だが、もうすぐ魔獣との戦闘に向かわなくてはならないというのに葛西の姿はどこにもない。
 その理由は、本当は聞かなくても松原にはわかっていた。
 
 昨日、街の中で出会ったワイルド・キャットとくぼずきん。

 この二人のいる廃屋におそらく同じ荒磯部隊の相浦と救護班にいる五十嵐を連れて、葛西は朝から行っているに違いない。廃屋に隠れてはいても発見される危険性が高いので、昨日、室田と二人で警護を買って出ようとしたが葛西にそれを断られていた。
 葛西はいつも前線で戦って疲れている二人のことを気遣って断ったのに違いないが、時任というワイルド・キャットとくぼずきんに出会ったことで松原の気持ちはすで大きく揺れ動いている。今までは任務が最優先でただ魔獣を戦う相手としか見ていなかったが、人間と魔獣という垣根を越えて抱きしめ合っている二人の姿を見た瞬間に…、
 握っていた童子切安綱の切っ先が、恋し合っている二人の想いに反応するように小さく震えるのを感じていた。

 生きる意志と、想い合う心…、そして見つめ合う瞳と…。

 もしも二人の身体をこの刀で切り裂いたとしても、その想いも意思も決して切ることはできない。
 童子切安綱で切れないものはないと思っていたのに、今は切れないものがこの世に存在することを松原は知っていた。けれどそれを知ることは不快ではなく、むしろその事実は暖かく心地よく腕だけではなく心まで震わせている。
 こんな状態では任務のための戦いには行けなかったが、もっと別の戦いに向かわなくてはならなかった。
 剣技を競い強い者求めて刀を振るうのではなく…、任務という枠に囚われ、任務をすべての言い訳にしてきた弱い己自身との戦いに…。
 何が正しいのか正しくないのかその見極めをするよりも、今は想いのままに行動したい。
 松原は時任とくぼずきんを見て、そんな風に思うようになっていた。
 けれど、そんな自分の勝手な想いに、室田を巻き込むことはできない。
 唯一、自分の背中を預けられる存在だった室田と離れることは辛かったが、自分の意思を貫くためには離れるしかなかった。
 松原は手入れいていた刀を鞘に収めると、渡されたコーヒーを一口だけ飲む。
 そして立ち上がってコーヒーの入ったカップを座っていたイスの上に置くと、戦闘に向かう準備をしている荒磯部隊の隊員達を眺めながら松原は室田に静かに話しかけた。
 「室田…」
 「なんだ?」
 「僕は荒磯部隊の戦闘には参加しない…」
 「・・・・・・・そうか」
 「今日だけではなく、ずっと…」
 「・・・・・」

 「最後まで面倒をかけてすまない…、室田…」

 松原はそう言うと、室田に背を向けてそのまま廃屋のある方向に向かって歩き出す。だが室田は持っていたカップをイスの上に先に置かれていた物の隣に置くと、その代わりにロケットランチャーを手に持って、ゆっくりと朝日を浴びながら長く伸びる松原の影を踏むように歩き始めた。何を言うでも話すでもなく、ただ松原の後を追うように…。
 そんな室田の気配を感じた松原は、刀の柄に手をかけながら勢い良く後ろを振り返った。
 「これ以上、後をついてくるつもりなら…、僕は刀を抜きます」
 「別に俺は、ついて行ってなどいないが?」
 「・・・・・・・ウソをつくつもりですか?」

 「ウソじゃない…、行く方向が同じだけだ」

 刀の柄に手をかけたまま睨みつけてくる松原に、室田は歩みを止めずにそう言う。
 松原はあくまで歩みを止めようとしない室田に向かって、本気で刀を抜こうとしたが、そうするよりも早く室田はすっと松原の横を通り過ぎた。
 刀を抜くタイミングを失った松原が、室田の方へと視線を向けると…、
 広い室田の背中が少しずつ、松原の視界から遠ざかっていくのが見えた。
 その背中を松原はじっと見つめていたが、室田の足取りには迷いが一切感じられない。
 室田は松原と同じように、廃屋の方に向かおうとしていた。
 廃屋に行くことが、あの二人に関わることがどういうことなのかを知りながら…。
 しっかりとした歩みに室田の覚悟を感じ取った松原は、軽く息をついて刀の柄から手を放した。すると刀を抜くことをやめたのが気配でわかったのが、室田はゆっくりと松原の方を振り返る。
 そして重そうなロケットランチャーを肩に背負い直しながら、少し照れくさそうに口元に笑みを浮べてみせた。
 「どうせ同じ場所に行くのなら、人数は多い方がいいだろう?」
 「・・・・・室田」
 「それに…、俺の背中を守れるのはお前しかいない。だから、一緒に行ってくれると助かるんだが…」
 「そんなのは…、そんなのは言われるまでもありません。僕の背中を守れるほど強い男は…、室田を置いて他にはいない…」
 「では、決まりだな…。これからもよろしく頼む」
 「・・・・そうと決まれば急ぐぞ、室田っ」
 
 「了解だ」

 松原は自分のために、室田にまで軍規違反を犯させたくなくて刀を握ろうとしていたが、室田は自分の意思で時任とくぼずきんに関わろうとしていた。
 端から見ればいつも松原に従っているだけのように見えるが…、自分の意思で決めて歩き出した室田を止めることは松原にもできない。
 もし本当に刀を抜いたとしても、室田はその刀を豪腕でへし折ってでも行くに違いなかった。
 松原が再び歩き出すと、室田はいつものポジションである数歩後ろを歩き始める。
 けれど室田の視線は、実は廃屋の方向ではなく松原の後ろ姿を捉えていた。
 
 「・・・・すまん、松原」

 そう室田が松原の背中に向かってつぶやいたのは、本当は同じ場所に行くという言葉が嘘だったからである。確かに時任とくぼずきんのことが気にはなっていたが、松原がこのまま荒磯部隊で戦い続けると言えば、それに従っていたに違いなかった。
 室田にとって戦うことの意味も、理由も…、松原の上にしかない。
 戦いに集中するあまりに空きがちになる松原の背中を守ること…、想いを伝えることよりも守り続けること…。それが松原に恋した瞬間から、ずっと室田がしてきたことだった。
 そうしてきたのは、告白する勇気がないということもあったのかもしれないが…、もしかしたら、戦いの時に見せる美しい松原の剣技にも惚れてしまっていたせいかもしれない。

 松原の繰り出す曇りのない剣は、武術を愛する真っ直ぐな潔い心そのままに美しかった。

 室田はそんな自分の想いを改めて自覚しながら、急いで松原とともに廃屋に向うことにする。
 そうしたのは、あまり見かけることのない不審な黒い高級車が廃屋の方向に走って行くのを発見したからだった。
 しかもその後ろには、軍のものと思われるトラックが二台連なっている。
 それが室田と松原が所属している荒磯部隊が駐留している場所にいる軍の部隊ではないことは、駐留地を出る時に何の動きもなかったのでわかっていた。
 つまり高級車とトラックは別の場所から、わざわざやって来たということだが、今日の戦いに加勢が入るという情報が荒磯部隊に何も入っていない。
 それにトラックが黒い高級車に先導されていることも、向かう方向が廃屋の方だということも明らかにおかしかった。

 「まさか…、もうすでにバレてしまったんでしょうか?」
 「あまり考えたくはないが、密告者…」
 「密告などと…、そんな卑劣な真似をする者は許さないっ」
 「お、落ち着け、松原」
 
 走って廃屋にたどりついた室田は小声でそう言いながら、今にもトラックから降りてくる軍隊目がけて飛びかかりそうな松原を抑えながら近くの空家の垣根に身を潜める。
 やはり予測通り、高級車もトラックも時任とくぼずきんのいる廃屋で止まっていた。
 目的が何なのかはまだはっきりとしていないが、あまり良い状況ではないことは確かかもしれない。黒い高級車から降りてきた二人の人物に、室田も松原も見覚えがあった。
 顔を見たことがあるだけで面識はないが、少し茶色がかった髪の真面目そうな男は、室田達の所属する荒磯部隊だけではなく、魔獣狩り全体を指揮してる魔獣対策本部本部長。
 そして黒い髪をオールバックにしているもう一人の男は、荒磯部隊に参加してからではなく、警察にいた時に見たことのある顔だった。
 不審な人物の登場に少しだけお互いの顔を見て視線を交わすと、室田と松原の表情が同時に険しいものに変わる。ワイルド・キャットのことで魔獣対策本部が出てくるのはわかるが、出雲会が出てくることなるとただ事ではなかった。
 出雲会の男と本部長が護衛らしき男を二人連れて廃屋に入っていくと、まるで包囲するように軍人達が周囲を取り囲み始める。おそらくワイルド・キャットを逃がさないためなのかもしれないが、たかだか一匹の魔獣を捕まえるためにしては大げさすぎた。
 ワイルド・キャットの戦闘能力もあるのかもしれないが、もしかしたら、出雲会の男と本部長はくぼずきんのことも知っているのかもしれない。くぼずきんがどれほどの強さを秘めているのかは戦ったことがないのでわからなかったが、目の前で対峙した時に感じた圧倒されるような冷たい空気からだけでも、十分にただ者ではないことはわかっていた。
 ワイルド・キャットである時任とくぼずきんが、なぜこんな場所にいたのかはわからなかったが、おそらく出雲会が関係しているに違いない。
 最近の出雲会の動向はわからないが、魔獣対策本部と絡んでいるとなると、やはり魔獣狩り自体にも国の政府ではなく出雲会の思惑が潜んでいるのかもしれなかった。
 垣根に潜みながら二人が捕らえられて出てくるのを狙って待っていたが、いつまでたっても中からは誰も出て来ない。そして時任やくぼずきん…、そして葛西達がいるはずの室内からは銃声一つすら聞こえなかった。
 不気味な沈黙だけが辺りに流れていたが、その沈黙の中に嫌な予感が混じる。それは出雲会の汚いやり口を、松原も室田も警察にいた頃に葛西から聞かされていたからだった。
 このまま様子を見守っていても良かったが、戦いの中でつちかわれた二人の感が嫌な予感を確信に変える。
 その己の中の確信を信じた松原は、静か過ぎる廃屋の様子をうかがいながら童子切安綱の柄に手をかけ、荒磯流抜刀術の構えを取ると…。
 まるでタイミングを計ったように、室田も持っていたロケットランチャーを肩に乗せたまま、照準を軍のトラックに合わせた。
 「出雲会がからんでいるとなると、裏で何か動いているようです」
 「なぜ、こんな所まで本部長と出向いてきたのかはわからんが、出雲会に二人を渡さない方がいいだろう…」
 「人数はおよそ四十人で、二で割ると一人頭二十人…」
 「一人で訓練された軍人、二十人か…」
 「寝起きの準備体操にはいい人数だと思いませんか? 室田」
 
 「同感だ」

 室田の言葉を聞くと、松原が鋭い視線を前に向けたまま童子切安綱を鞘からすらりと抜く。すると童子切安綱が、松原の剣術に込めた魂を受け取るように朝日を浴びて美しく光り輝いた。
 松原が廃屋を取り囲んでいる軍の男達目掛けて走り出すと、まるで戦いの始まりの合図を中にいる時任やくぼずきん、そして葛西達に知らせるかのように室田がロケットランチャーを打つ。すると弾は廃屋の屋根をかすめて、後方に止まっていたトラックを轟音と共に吹き飛ばした。
 その音に男達も松原や室田の存在に気づいたが、その男達が拳銃やライフルを構えるよりも早く、松原の剣が美しい曲線を描く。
 朝日の中で冴え渡る松原の剣は、いつものように迷いなく真っ直ぐな美しい剣だった。

 「荒磯抜刀術!! 霧雨っ!!!」

 松原の剣の凄まじい速さに声をあげることすらできずに、次々と男達がその前に倒れ伏していく。しかし吹き上がる血しぶきに身を汚すこともなく、松原は剣を切り返して振るいながら廃屋の入り口を目指して走り出した。
 するとそれをサポートするようにランチャーで男達をかく乱しながら、室田は松原の背後に迫ろうとする者達を凄まじい力で殴り倒す。二人に向かって拳銃の弾が飛んで来たが、とっさに室田がランチャーで受けてそれを防いだ。
 
 「こ、こいつら…、何者だっ!!」
 「弾をはじき返すなんて…、まさかそんなことが…」
 「おいっ、こいつら荒磯部隊の…」
 「もしかして、ば、抜刀斬りの松原とクマ殺しの室田かっ!!!」

 二人の技を見て侵入者の正体を知った男達の間から、口々に思わずといった感じの叫び声が漏れる。特殊部隊である荒磯部隊の中でも最強を誇っている二人の噂は、軍の内部に広く伝えられていた。
 二人が戦う所を見たことがない者には信じられないかもしれないが、こうやって実際に戦って見ると噂が本当だという事を身を持って知ることになる。室田のクマ殺しという名はグレイト・ベアを素手で倒した時につけられたものだが、実はその前はトラ殺しと呼ばれていた。
 今度はどんな名で呼ばれるのかはわからなかったが、ランチャーと素手で次々と軍人らしい体格の良い男達を薙ぎ払っていく姿は見るものを蒼白にさせるほど凄まじい。
 だが、軍人としての意地があるのか、男達は二人を恐れて引いたりはしなかった。

 「ここは俺が引きつける!だから構わずに行けっ!!!」

 前へと剣を振るいながら進んでいく松原が、後方で数人の男達に囲まれている室田を振り返る。すると室田は厳しい表情で、松原に向かってそう言った。
 松原は少しの間、そんな室田を見つめていたが、声には出さずに室田の名前を呼ぶと…、
 再び前に向き直って振り上げた剣をカチリと構え直して、気合いを込めた鋭い声で叫んだ。

 「我が後ろに道はなく、我が前に道はありっ!! 松原潤っ! いざ尋常に参るっ!!!」

 松原の叫び声が辺りに響くと同時に、瞬殺の剣が廃屋の入り口で唸りを上げる。
 その声と音は廃屋周辺だけではなく、くぼずきん達のいる室内にも響き渡っていた。
 











 「さあ、どうするかね?」

 自分の方へと来ることを迫る真田を前に、くぼずきんはポケットからセッタ取り出して火をつけた。時間稼ぎをしているようにも見えるが、それは本人にしかわからない。
 くぼずきんの隣にいる時任は相変わらず鋭く真田を睨み付けていたが、松本の頭に拳銃が突きつけられているせいなのか動く気配はなかった。
 しかし真田の方に加担していて裏切られた立場にある松本は、くぼずきんに向かって助けてくれと命乞いをしたりはしていない。
 このまま殺されても自業自得だと、そんな風に思っているのかもしれなかった。
 そんな松本の様子を、葛西は少し難しい顔をして眺めていたが…、
 それは何も言ったりはしていないが、時任もくぼずきんも松本を見捨てたりはしないだろうことを感じ取ったからである。
 本部長である松本と二人との間に何があったのかはわからないが、少なくとも時任は松本を人質に取られたことで身動きが取れなくなっているように見えた。

 「くぼちゃん…、やっぱり俺は…」

 そう呟いた時任の肩に腕を回して自分の方に強く引き寄せると、くぼずきんはタバコを右手で持って黒くて柔らかい髪に頬を寄せる。すると時任は自分を抱きしめているくぼずきんの手に、自分の手を重ねてその上からきつく握った。
 その握りしめてくる手の強さには、松本を見殺しにはできないという想いが込められていたが…。
 今、目の前で人質に取られている松本は、さっきまで時任を殺そうとしていたのである。
 くぼずきんは重ねられた手を取って指をからめて握り込むと、、少しだけ屈んで時任の耳元に軽くキスした。
 「ゴメンね…、時任」
 「・・・・・・・」
 「もしも背負うモノがあるとしたら…、全部、俺が背負うから許してくれる?」
 「どうして…、なんでそんなこと言うんだよっ!」

 「生きるためにできることって…、俺は引き金を引くことしか知らないから…」

 くぼずきんは手に持っていたタバコを床に落とすと、懐から拳銃を取り出して構える。
 その照準は確実に急所に向けられていたが、真田は銃口を向けられた瞬間も不気味な笑みを浮かべ続けていた。
 引き金を引こうとしているくぼずきんに時任が叫び、隣にいた葛西が護衛の一人に向かって拳銃を抜く。すると護衛の二人がとっさに真田を守るように前に立ちふさがり、松本からくぼずきんと葛西へと銃口を向けた。
 
 「私を殺そうとしてもムダだよ、くぼずきん君」

 笑いを含んだ真田の声が廊下に響くと、くぼずきんは時任の叫び声を無視して引き金にかけた指に力を込めようとする。
 だがその瞬間、廃屋を揺るがす轟音が辺りに鳴り響いた。



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