くぼずきん.43




 「そいつを早く窓から逃がせっ!!」

 隣の部屋に飛び込んだ葛西は五十嵐に向かってそう叫んだが、すでに廃屋周辺は魔獣対策本部付きの精鋭部隊に取り囲まれてしまっていた。
 葛西は軽く舌打ちすると、同じようにあわてて部屋に入ってきた相浦に窓を警戒するように伝えて廊下に戻る。するとそこにはくぼずきんが立っていたが、すでにここが囲まれてしまったことを気配で悟っていたようで、拳銃を取り出して弾の確認をしていた。
 くぼずきんが只者ではないことは、ワイルド・キャットを守るように抱きしめているのを見た瞬間から雰囲気でわかってはいたが、どうやら葛西が思っている以上にこういう場面に慣れているらしい。さすがの葛西もこの状況に少しあわてたが、くぼずきんは冷静に相手の出方を待つつもりのようだった。
 葛西がそばまで行くと、くぼずきんが拳銃をすぐ抜けるようにベルトに差し込む。
 くぼずきんの顔色はさっき見た時よりも良くなっていたが、かなり無理をしていることは確かだった。倒れている場合ではないような状況だが、その精神力の強さには驚きを隠せない。
 負っている傷は、葛西が予想していたよりもずっと酷いことに間違いなかった。
 だがその精神力を支えているものが何なのかは、部屋から走り出してきた時任を見ればすぐにわかる。くぼずきんは自分の方に向かって走ってくる時任を、これ以上ないと言ってもいいほど優しく愛しそうに見つめていた。
 そんな二人を見ていると微笑ましいはずなのに、なぜか少しだけ胸が痛くなる。しかしその痛みはこんな状況だからなのか、それとも別に原因があるのか、葛西にはわからなかった。
 葛西がズキズキと胸に痛みを感じながらくぼずきんと時任の様子を眺めていると、二人はお互いの顔を見合わせるとニッと不敵に笑う。
 どうやら二人はこんな状況でも、少しもあきらめてはいないようだった。

 「くぼちゃんっ、囲まれてるってマジなのか?」
 「おヒマな軍人サン達が、わざわざ来てくれてるみたいよ?」
 「ふーん、軍隊も裏組織もすっげヒマしてんだな」
 「すぐに仕掛けてこないってコトは、ただ来ただけじゃなさそうだけどね」
 「なにかあんのか?」
 「さぁねぇ?」

 くぼずきんが時任に向かってそう言ったように、ワイルド・キャットの情報が漏れていたとしたら、取り囲むだけ囲んで動かないのはおかしい。そんな風に思うのは、この国の人間は魔獣を軍事用やペットとしてしか認識していないので、ワイルド・キャットと話をしようと思うような者がいるとは考え難かったからだった。それに政府から出されている命令は、魔獣の処分である。
 ただ命令に従って銃口を向ける相手と、話し合いをするとは思えなかった。
 だがワイルド・キャットがいるとわかって出てきたのは、前線にいる軍ではなく魔獣対策本部。
 つまり今回の魔獣狩りの本体が、ここまで出向いて来ている。
 ワイルド・キャットの戦闘能力を考慮に入れたとしても、これはただ事ではなかった。
 葛西は時任ではなくくぼずきんの方を向くと、くわえていたタバコを下に落として踏み消す。
 そしてくぼずきんと同じように、持っている拳銃の弾をチェックしながら軽く息を吐いた。
 「ココの回り取り囲んでる魔獣対策本部の連中と、お前らが関係ねぇってのはわかっちゃいるが、この状況は妙だぜ…」
 「ふーん、魔獣対策本部ねぇ?」
 「・・・・・・なにか、本部に目ぇつけられるような心当たりはねぇのか?」
 「あると言えばあるし、ないと言えばないけど?」
 「そいつはどういう意味だ?」
 「もしかしたら、俺がくぼずきんで時任がワイルド・キャットだってコトが関係あるかもしれないってコト」
 「おい…、ホントはお前ら何者なんだ? 二人でこんなトコにいるのは、カケオチの途中ってわけじゃねぇんだろ?」
 
 「カケオチじゃなくて…、新婚旅行に行きたい気分なんだけどねぇ」

 くぼずきんは口元に笑みを浮かべながら葛西に向かってそう言うと、きょとんとして言葉の意味が良くわかっていない時任の肩を抱きよせて額に軽くキスを落とす。
 すると時任はくぼずきんではなく葛西の方を見て、少し赤くなってじたばたと暴れた。
 もうすでに何回もキスをしてはいても、やはり人に見られているとなると恥かしくなるらしい。
 そんな時任を面白がっているのか、くぼずきんはのほほんとした様子で逃げようとしている時任をぎゅっと抱きしめた。
 葛西はイチャイチャしている二人を見て、どんな顔をしていいものかわからず冷汗を浮かべている。戦闘には馴れすぎるくらい馴れている葛西だったが、こういう場面には馴れていないようだった。

 「・・・・・・一応、取り囲まれてるんだが」

 目のやり場のないこの状況に耐えかねた葛西は、ボソボソとそう呟いてみたが、くぼずきんは時任とイチャイチャするのをやめない。
 そのため、思わず「こんな時に…」とそう言ってしまいそうになってしまったが…、時任を見つめるくぼずきんの瞳が、あまりにも優しすぎるのを見てやめてしまった。
 すると、その瞬間に部屋から顔をのぞかせてその様子を見ていた五十嵐と目があって、葛西は自嘲気味な笑みを浮かべる。
 そして、手に持っている拳銃の冷たさを感じながら玄関へと続く廊下を眺めた。

 「こんな時だから…、か…」
 
 葛西のため息のような呟きが、聞こえていたかいないかはわからなかったが…、
 時任はくぼずきんに抱きしめられてじたばたと暴れながらも、楽しそうに笑っていた。
 まるで一緒にいられるだけで…、うれしくてうれしくてたまらないというように…、
 今度はそんな二人をジャマする気はないらしく、五十嵐は葛西に向かって少しおどけたような笑みを返しながら大げさに肩をすくめた。
 葛西は二人を本部に突き出すつもりはなかったが、五十嵐もすでに腹をくくっているらしく、床に転がっていた木材を武器としてにぎっている。
 本部がどう出てくるかはわからなかったが、二人を逃がすにはそれなりの覚悟が必要だった。運が悪ければ前に松原が言っていたように、命令違反を犯したということでその場で銃殺されかねない。
 それがわかっているから、くぼずきんも時任も隠れもせずに廊下に立っている。
 おそらく二人はできる限り葛西達に迷惑をかけないように、ここから出て行くつもりに違いなかった。
 何を言うでもなく、何を話すでもなく…、自然にそうしている二人を見ていると、なんとしても助けてやりたいという気持ちが強くなってくる。
 だが自分だけならまだしも、協力してくれている五十嵐や相浦を巻き込むわけにはいかなかった。

 「ったく、そろいもそろってお人好しすぎだぜ…」

 きつく拳銃を握りしめながら、葛西がそう呟きながらどうするべきかを迷っていると…、
 ほんのひと時のくぼずきんと時任の穏やかな時間を壊すように、、廊下の向こうから何者かの靴音が響いてくる。するとその靴音に気づいた時任の耳がピクピクッと揺れて、くぼずきんがゆっくりとかばうようにその前に立った。
 葛西が五十嵐に部屋の中にいるように伝えると、靴音は一定の速度を保ちながら近づいて来て廊下の角を曲がる。
 そして硬い感触のその音は、葛西の見ている廊下の角を曲がり切るとピタリと止まった。

 「・・・・・久しぶりだね、くぼずきん君」

 葛西ではなくくぼずきんにそう言った男は、タバコをくゆらせながら嫌な笑みを浮かべている。
 男はどうやらくぼずきんの知り合いらしいが、葛西もこの男には見覚えがあった。
 だが、その姿を良く見かけたのは軍に入ってからではなく、刑事だった頃である。
 いかにも高そうなスーツを身にまとって、髪をオールバックにしている嫌な笑みの男。

 葛西が記憶しているその男の名前は…、真田だった。

 葛西の記憶が間違っていなければ、真田は出雲会という裏組織の支部長をしている男である。
 刑事時代に起こった事件の中には出雲会がらみのものも多くあったが、捕まるのは末端のチンピラばかりで尻尾はまったくつかめなかった。そういうやり方は出雲会だけではなく、裏組織ならばどこでもやっていることたが、真田のやり方の汚さには眉をひそめてしまうことが多い。
 出雲会に入会している若い連中のほとんどが、身寄りがなかったり親から見放された者がほとんどなのも、その汚さの証拠だった。
 葛西は魔獣対策本部になぜ真田がいるのか疑問に思いながらも、くぼずきんと時任の横に並ぶ。
 しかし真田は葛西のことなど眼中にないようで、くぼずきんと一緒にいる時任の方を見ると、更に深く見るものを不快にさせる笑みを口元に刻んだ。
 「相変わらず動物好きのようだね?」
 「くぼちゃんに近寄んなっ、エロじじぃっ!!!」
 「宗方に捕らわれていたようだが、君も相変わらず元気そうでなによりだ。それでこそ、爪の切りがいもあるというものだよ」
 「・・・・・誰が切らせるかよ。切られる前にてめぇのイヤラシイ顔を切り裂いてやるっ!」
 「これでも私は自分の顔を気に入っているのでね。その爪で切り裂かれては困るな」

 「だったら、ココからとっとと失せろっ!!」

 時任は爪を出して戦闘態勢を取りながら、自分をかばおうとしてくれているくぼずきんの背中から出て横に立つ。くぼずきんは身体が弱り切ってしまっている時任を戦わせたくないと思っているようだったが、時任はくぼずきんと一緒に戦うつもりだった。
 状況はかなり最悪だが、あきらめるつもりは毛頭ない。
 くぼずきんと一緒にいるからこそ、ここで倒れるわけにはいかなかった。
 強い意思を感じさせる強い瞳で時任が真田を睨みつけると、真田はくぼずきんの方を見てフッと笑う。その笑みはやはりいつ見ても、不快さしか感じさせない底知れぬ笑みだった。
 「ずいぷんと懐かれてるようだね、くぼずきん君」
 「懐いてるのは俺の方なんですケド」
 「ほう、そうなのかね?」
 「…で、御用は?わざわざ暇つぶしに、ココを包囲したってワケじゃないでしょ?」
 「せっかく迎えに来たのだが、相変わらずつれないな」
 「前にも言いましたけど…、一度もつれたいと思ったことないんで」
 「私は君一人を迎えに来たと言ったつもりはない。君の可愛がっている猫と一緒でも、私は一向にかまわんのだがね」

 「ウチの猫は俺にしか懐きませんので、遠慮しときますよ」

 くぼずきんがそう言うと、真田は笑みを浮かべたままでくくっと笑い声を立てる。
 二人とも笑みを浮かべているので、一見、知り合い同士の穏やかな会話に思えるが、その間に流れる空気にはピンと糸を張ったような緊張感があった。
 以前、くぼずきんは出雲会に入っていたが、退会した後も真田はくぼずきんに執着を見せている。
 その執着は、くぼずきんが宗方の息子だからというだけではないようだった。
 あまり深く考えたくないような理由なのかもしれないが、今も昔もくぼずきんは真田になびくつもりはない。真田もそれをわかっているようで、軽く横に手を上げるとある人物を呼んだ。
 呼ばれた三人の内、二人は真田を護衛している男だったが…、
 残りの一人が目の前に現れた瞬間、くぼずきんではなく時任があっと短く声をあげた。
 「あれっ、松本じゃんかっ!」
 「こうして会うのは、魔獣の森以来だったな…」
 「なんでこんなトコにいんだよっ」
 「・・・・・・・・・」

 「俺っ、こないだ橘に・・・・・」

 真田の後ろから現れた松本に、時任は橘のことを伝えようとする。
 だが、その時任の口を横からくぼずきんがふさいだ。
 いきなり横から口をふさがれた時任は、その手を振り払おうとしたがくぼずきんの目を見て開きかけた口を閉じる。時任は同じ魔獣なのでなんとなく気づいてはいたが…、松本は橘が魔獣だということをまだ知らなかった。
 橘という言葉が時任の口から出た瞬間に松本の顔色が少し変わったが、なぜか黙ったまま時任に向かって橘のことを尋ねない。もしかしたら時任やくぼずきんと離れている間に、心境が変化するような何かがあったのかもしれなかった。
 松本は深く息を吸い込むと、少し前まで同居人として一緒に暮していたくぼずきんと、かつての恋人だった橘の命の恩人である時任の方を真っ直ぐに見つめる。
 そして胸の中にある思いを振り切るように表情を引きしめると、松本らしいハッキリした口調で今の自分の立場を二人に向かって告げた。

 「魔獣はすべて処分するのが、人類のためであり政府の意向だ。魔獣対策本部、本部長として、魔獣であるワイルド・キャットを見逃す訳にはいかない」

 魔獣対策本部本部長、松本隆久。
 望んでなった訳ではなかったが、それが今の松本の肩書きだった。
 松本の言葉を聞いたくぼずきんは表情を変えなかったが、魔獣対策本部の裏に出雲会がいたことを悟った葛西の眉間には皺が刻まれている。
 魔獣に関する情報がどこまで正しいのかはわからなかったが、真田が人類を救うためだけに動いているとは考え難かった。
 何が狙いなのかはわからないが、真田は確実に葛西達を指揮している対策本部と絡んでいる。それがわかった瞬間に、葛西の心の中から迷いはなくなっていた。

 迷いがある内は走り出せないが、迷いがなくなったら前に向かって走るだけである。

 しかしワイルド・キャットの情報が漏れていたとなると、犯人は間違いなく大塚ということになるが…、昨日の大塚達にはそれらしい動きはないのが気になっていた。大塚が裏切ることは予想の範囲内だったが、他に荒磯部隊に真田と内通している者がいるのは予想外の出来事である。
 葛西は無言で対峙しているくぼずきんと松本の横から、真田に鋭い視線を向けた。
 「今回の魔獣騒ぎで、出雲会もヒマになったみてぇだな」
 「おかげ様で」
 「そのワリには、ちっとも応えてねぇカオしてんじゃねぇか?」
 「ほう…、そう見えるかね?」
 「・・・・・・何を企んでやがる」
 「人聞きの悪いことは、言わないでもらいたいな。私は善意で人類のために働いている」
 「善意…、てめぇの口から出ると、胡散臭すぎて鼻をつまみたくなるぜ」
 「これはまた、ずいぶんな言われようだな。 善良な市民を守る、元刑事の言葉とは思えない」
 「俺のことを知ってやがんのか?」
 「警察一の切れ者不良刑事と言えば、葛西の名を知らない者はいないだろう?」
 「へぇ、俺も結構有名じゃねぇか」

 「今は負け知らずの最強部隊、殺した魔獣の数もトップと言えば…、君の名前が浮かぶだろうが」

 わざと殺した魔獣の数のところを強調して言った真田は、おそらく魔獣である時任やくぼずきんに、葛西が荒磯部隊という部隊で魔獣狩りを行っていることを思い出させるつもりなのだろう。
 相変わらずの汚いやり方に葛西は真田に向けた視線を更に鋭くしたが、その言葉を聞いた時任は耳を少し動かしただけだった。
 二人が葛西のことを信用してくれているかどうかはわからないが、今からすることは決まっている。
 葛西は拳銃を握り直すと、この状況を打開するための隙をうかがった。
 だが、そんな葛西の視線の中にチョロチョロと動く影がある。
 そしてその影は、なぜか真田を護衛している二人に隠れるように動いていた。
 なんとなく見覚えのあるような気がするが、それが誰なのかとっさには浮かんでこない。
 だが、オロオロとしている様子で落ち着きなく行ったり来たりしているのを見ている内に、ある一つの名前が葛西の脳裏に浮かんだ。その名前は荒磯部隊に所属している人物の名前だったが、影が薄いだけではなく、正式に配属されているのではなく見習ということもあったせいか、なかなか思い出せなかったのである。
 葛西は頭をガシガシと掻くと、ウロウロしている見習い隊員の名前を呼んだ。

 「そんなトコでなにやってんだっ、藤原っ!」

 藤原と呼ばれた人物は、葛西の声を聞くとビクッと怯えたように身体をふるわせる。
 そして少し迷っている様子だったが、恐る恐る真田の後ろから顔をのぞかせた。
 その顔は情けないくらい青くなっていたが、なぜかあまりにも情けなさすぎて真剣に見えない。
 見た目にたがわず情けない藤原は見習いということで荒磯部隊に所属していたが、実は恐がって一度も前線に行ったことがなかった。
 それ故に藤原はいつまでたっても、入った時と同じ見習いのままなのである。
 藤原も大塚と同じように悪い噂はあったが、小心者で一人で何かできるタイプではなかったので、葛西はそれほど注意を払わずに放置していたのだった。

 「ご、ごめんなさいぃぃぃっ、大塚達に脅されて仕方なくやったんですぅっっ」

 藤原は涙をダーッと流しながら葛西に向かってそう言ったが、それが事実かどうかはどうも疑わしい。かなり気が弱いのは認めるが、ただ情報を伝えるだけの役割を頼まれたのなら、この場にいる必要はないように思えた。
 葛西が疑いのまなざしで藤原の方を眺めていると、その横でくぼずきんが感情の読めない微笑みを浮かべる。すると藤原はその顔に見惚れたように、ぽーっと顔を赤くした。
 「藤原クンって言ったっけ? 実は俺と初対面じゃないよねぇ?」
 「えっ?」
 「昨日、窓から俺のコト見てたの知ってるよ?」
 「まさか…、俺に気づいてたんですか?」
 「あんな熱い視線向けられたら、気づかない方がおかしいっしょ? もしかして、俺のこと好き?」
 「ひ、ひ、一目見た瞬間から好きなんです〜〜っっ」

 「…だそうだけど?」

 くぼずきんはのほほんとした口調で、藤原の方ではなく葛西の方に向けてそう言う。
 だが、本当にくぼずきんが藤原に気づいていたかどうかは、大塚に脅されたという藤原の言葉並にあやしかった。藤原は本気でくほずきんに恋してしまったような様子だったが、くぼずきんは時任のことしか眼中にないので、完全にその視線を無視してしまっている。
 しかし時任はくぼずきんが藤原に向かって微笑んでいるのを見て勘違いしたのか、ムカッとした顔をして藤原を睨みつけていて…、そんな時任を藤原も負けじと睨み返していた。

 「さっさと引っ込まねぇとぶっとばすぞっ! ブサイクっ!!!」
 「ぶ、ブサイクなのはアンタの方でしょうっ!!ちゃんと自分の顔、鏡見たことあるんですか?!」
 「なんだとぉっ!! てめぇこそ見たコトあんのかよっ!!」
 「当たり前に毎日見てますよっ! アンタと違ってねっ!」
 「俺だって、超絶美しい顔を毎日鏡で見てるに決まってんだろっ!!」
 「鏡が曇ってたんですね、きっとっ!」
 「ぐあぁぁっ、ムカツク〜〜〜っ!!!!」

 勝負はすでに決まっているのに、なぜか時任と藤原は言い争いを続けている。
 そんな二人を横目で眺めていた葛西は藤原を少し気の毒に思いながら、この緊張が緩んだ隙をついて真田に攻撃をくわえようとする。
 だが、その前に真剣な顔をした松本がくぼずきんに向かって口を開いた。
 「まるで人類そのものを侵食するように、魔獣の数が増え続けているのは事実だ…。いずれ人類は魔獣によって滅びの道を歩むことになる」
 「ふーん、それで?」
 「俺は…、自分がしていることを間違いだとは思わない」
 「なら、別にそれをわざわざ俺に言う必要はないっしょ?」
 「・・・・・・・・」

 「自分が間違ってないことを…、本当に信じてるならね」

 松本の口調は自分の迷いを振り切るように強かったが、くぼずきんから返って来た言葉を聞いた瞬間に松本の顔に浮かんだのは魔獣を殺すことへの迷いだった。
 現在は魔獣の凶暴化が進んでいるが、初めからそんな状況だったわけではない。
 それにそもそも魔獣がこんなに増える結果になったのは、人間が自らの利益のために魔獣を利用したせいだった。
 
 つまり最初に魔獣と人間との境界を越えて、その領域を犯したのは魔獣ではなく人間なのである。

 魔獣の凶暴化がなぜ起こったのか、正確な原因は未だ不明だったが…、すぐに処分いう真田が出した決断には疑問を感じてはいた。
 しかし、本部長というイスがその疑問を打ち消そうとする。
 自分の中にある疑問と、本部長という立場が松本の中でせめぎ合っていた。
 人類を守らなくてはならないのはいつの時代でも共通の意識なのかもしれないが、魔獣も人間と同じように何かを想い、悩み、苦しみながら生きている。
 前に会った時よりやつれてしまっているが強い意思を秘めた綺麗な瞳を失うことなく、くぼずきんの隣に立っている時任を見て、松本はきつく両手を握りしめた。
 「俺は・・・・・・」
 苦しそうな表情で、松本が何かをくぼずきんと時任に告げようとする。
 だがその声をさえぎるように、短くなったタバコを床に落としながら真田がもう一度、自分の元に来るようにくぼずきんに言った。
 
 「君と飼い猫の命は保証しよう。持っている武器を捨てて、こちらに来たまえ」

 時任を助けると言う真田の言葉を、松本が本部長の権限で否定しようする。
 しかし、松本の命令を聞く者は誰一人としていなかった。
 つまり本部長のイスは松本が思っていた以上に、ただのお飾りでしかなかったのである。
 真田に利用されていることは承知していたつもりだったが、まさか真田が自分を使い捨ての部下と同列に置いていたとは思っていなかった。
 くぼずきんに武器を捨てるように言った瞬間、真田の背後にいた護衛の男達が銃口を向けたのは、くぼずきんでも時任でもなく…、
 魔獣対策本部長として、真田と同じ側にいる松本だった。

 「芸がないなぁ…」

 松本に銃口が向けられたのを見てくぼずきんはのほほんとした口調のままそう言ったが、真田は余裕の笑みを浮かべたままくずさない。
 魔獣の森でも同じような状況ではあったが、あの時と今の状況はかなり異なっていた。
 前は松本次第で助かる見込みがあると判断したので、くぼずきんは拳銃を投げたのだが…、今の状況では確実に松本は殺される。
 つまり真田にとって松本は最初から人質でしかなく、自分の側にくぼずきんを引き入れた時点で完全に利用価値がなくなって用済みになるということだった。

 「君の友人が、目の前で死ぬのを見たいのかね?」

 こんな状況になって始めて自分の立場を知った松本は、怒りに満ちた表情で唇をかみしめていたが、その怒りは真田だけではなく真田に踊らされていた自分自身にも向けられていた。
 人類を守るどころか…、目の前にいるくぼずきんや時任の重荷にしかなれない自分に…。

 「橘…、俺は…」
 
 激しい怒りを感じながらそう呟いた松本は、橘の名前を自分が呼んでいることにすら気づいていない。忘れたつもりの名前は、今も深く松本の心の奥に刻まれていた。



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