くぼずきん.39




 荒磯部隊の前に突然現れた黒いコートを着た男は、ワイルド・キャットと同じ魔獣かと思われたが、予想に反して松原達と同じ人間だった。そのことに気づいた松原は、震え続ける腕をなんとか押さえようとしながら、後方にいる葛西を振り返る。すると葛西も現れた男が何者なのか判断がついていないらしく、松原に何の指示も出さなかった。
 相浦と室田も同じらしく、不審な顔をしながら男とワイルド・キャットを眺めている。
 その様子を見た松原はさっきから刀を男に向けてはいたが、相当の戦闘を経験しているにも関らず、目の前にいる男の視線だけで動きを封じられてしまっていた。
 そんな自分に松原は愕然としていたが、しばらくすると気力で立ち直って再び戦う姿勢を取る。すると男は松原と戦えるように、意識を失いかけているワイルド・キャットを片手で支えた。
 「…一つ質問がありますが、貴方は人間ですよね?」
 「そうだけど?」
 「なら、そのワイルド・キャットを渡してください。気がすすまないのはわかりますが、魔獣は人間にとって危険な存在でしかないんです」
 「人間にとって、ねぇ?」
 「一時の感情に流されると、後で後悔することになりますから…」
 ワイルド・キャットは魔獣なので処分命令が出ているが、男の方と殺し合いをする理由はない。そのため松原はそう言ったが、男は何も答えずに口元に笑みを浮かべただけだった。
 どうやら松原の説得に応じるような気は、本当にまったくないようである。
 男は正義の味方とふざけた名前を名乗っていたが、その言葉通りワイルド・キャットを守るように鉄パイプを構えている。
 そんな男の様子は、今の町の状況からして信じられないことだった。
 「貴方はどうして…、その魔獣を守るんですか? もしかして、そのワイルド・キャットの飼い主?」
 「違うよ」
 「だったら、守る理由は一つもないはずですっ」
 「なんで?」
 「貴方が人間だからです」
 その松原の言葉を聞いた男は、何かおかしいことでも聞いたかのように小さく笑う。
 そして男は抱きしめているワイルド・キャットの髪にそっと頬を寄せると、軽くその額に慣れた仕草でキスをした。
 「好きな子を…、大切なヒトを守るのに理由が必要?」
 「好きな子って…、それはワイルド・キャットでしかも性別が…」
 「それが何?」
 「それがって…、貴方は一体…」
 松原はすべてにおいて武士道精神が優先してしまう傾向にあるため、かなり恋愛関係にはうといが、男が何を言おうとしているのかわからないわけではない。
 しかし、魔獣が危険だという事実がどうしても引っかかっていた。
 政府は魔獣についての詳しい事情を公表はしていなかったが、軍や今回の戦いに参加している松原達はいくらか魔獣を処分しなくてはならない理由を聞かされている。しかも魔獣の凶暴化が始まっているとなれば、やはり政府の命令に従う方が正しいと松原は判断していた。
 だが大切そうにワイルド・キャットを抱きしめている男を、その優しい仕草を見ているとどうしても戦う気にはなれない。
 松原は剣を構えながらも、前に踏み出せないでいた。
 すると、そんな松原の肩を何者かがポンッと叩く。
 驚いた松原が叩かれた方を向くと、そこにはさっきまで黙って成り行きを見守っていた室田が立っていた。
 「後は俺に任せてさがってくれ…、松原」
 「戦いを途中で放り出ことはできないっ」
 「お前はすでに戦意を失ってる…、そんな状況では戦えないだろう?」
 「・・・・・・否定はしません。ですが、魔獣を処分するのが僕の任務です」
 「魔獣の処分は松原だけの任務じゃない。俺達全員の任務だということを忘れないでくれ…」
 「室田…」
 惚れた弱みなのかいつも強気に出ることのない室田が、強引に松原を下がらせる。
 松原も自分が戦えないことを薄々とわかっているためそれに従って、後方でこの様子をじっと眺めている葛西の所へと向かった。
 松原の変わりに男の前に立った室田は、深呼吸すると持っていたロケットランチャーを投げ捨てて素手になる。けれどそれは戦わないということを示したのではなく…。
 自分の大切な人を守ると言った男と、せめてその意思に敬意を表して対等の条件で戦おうとしたためだった。
 筋肉を異常なほど鍛えている室田には、鉄パイプは通用しない。
 男もその意味を悟ったのか、持っていた鉄パイプを地面にするりと落とした。
 「戦う前に名を聞いておく…。俺の名は室田だ」
 「くぼずきん」
 「くぼずきん? 変わった名だな…」
 「良く言われるよ」
 「今なら、まだ間に合う。 本当に魔獣を渡す気はないのか?」
 「じゃ、聞くけど。さっきの松原って言ったっけ? その松原クンが実は魔獣だから、こっちに引き渡せって言ったら渡してくれる?」
 「・・・・・・いや」
 「つまり、そういうこと」
 くぼずきんと名乗った男にそう言われて、室田は軽く眉間に皺を寄せる。
 それはその例えが、なんとなく冗談には聞こえなかったからである。
 ありえないとわかってはいても、松原を渡すかどうかと聞いた時のくぼずきんの冷たいが熱い瞳を見ていると、冗談を言うなとは言い返せなかった。
 人間と魔獣との恋愛がまったくないとは言わないが、ワイルド・キャットを抱きしめているくぼずきんからは恋とかそういったものよりも、もっと強い感情が感じられる。
 しかし、その感情はすべてワイルド・キャットだけに注がれていた。
 室田はわずかに松原の方に視線を向けると、すぅっと息を胸の中に吸い込む。
 実は松原の戦いに室田が割って入ったのは、この戦いの後で松原が剣を握れなくなることを恐れたからだった。
 松原の剣は、その心を表すように真っ直ぐで曇りのない剣だからこそ強い。
 それ故に剣を握ることに迷いが生じることは、これから戦って行く上では命取りだった。
 室田はくぼずきんがワイルド・キャットをそっと地面に寝かせると、自分の左手に右手の拳を叩き付けてバシッと鳴らした。
 「魔獣の処分は任務だ…、恨みたければ恨め…」
 「ヒトの心配より、自分の命の心配した方がいいと思うケド?」
 
 「・・・・・では、行くぞっ」

 室田はそう言うと、太い豪腕でくぼずきんに殴りかかる。
 魔獣と素手で対等に戦えるだけあって、その威力もスピードも波ではなかった。
 しかし、その攻撃はくぼずきんに到達する前にピタリと止まる。
 迷いなく攻撃したはずの室田の拳は、なぜかくぼずきんではなくワイルド・キャットの前で止まっていた。

 「…そんな身体で何をしようというんだ」

 そううめくように言った室田の前には、気を失っていはずのワイルド・キャットが立ちふさがっている。しかし意識は朦朧としているようで、瞳は開いているが視点は合っていなかった。
 今の状況すら把握できているように見えなかったが、ワイルド・キャットは鋭い爪を構えて戦う体制をとっている。
 けれど、その爪が室田を切り裂くことができるとは思えなかった。
 魔獣を処分することが任務のはずだったのに、室田の拳は止まってまま動かない。
 くぼずきんはそんな室田の隙をついて戦うこともできたはずだが、そうしないで自分の前に立っているワイルド・キャットを抱きしめてその肩に顔を埋めていた。
 
 「・・・・・・・・時任」

 室田との戦いを放棄したくぼずきんの口からは、ワイルド・キャットの名前らしい言葉が一言だけ漏れただけだった。
 しかし、時任という名を呼んだくぼずきんの声がなぜか深く胸をえぐる。
 決して放さないように優しいけれど強く…、愛しそうにワイルド・キャットを抱きしめている腕を見た室田は苦しそうな表情をして目を背けた。
 戦うことに迷いはなかったはずなのに、お互いを守ることだけしか…、それだけしか考えていない二人に向かって拳を振り下ろすことができない。しかし、拳を振り下ろさなくては再び責任感の強い松原が戦うに違いなかった。
 歯を噛みしめて室田が、振り下ろせない自分の拳を見つめる。
 すると、今まで沈黙を守っていた後方から、大きな声が響いてきた。
 「もういい…、さがれ室田!」
 「しかし…」
 「隊長の俺がいいって言ってんだから、いいに決まってんだろっ」
 「だが、魔獣を見逃したことが軍にバレたら…」
 「バレても、かまわねぇよっ」
 「軍法会議にかけられて銃殺されても?」

 「こいつら殺して生き残るような明日なんざ、こっちから願い下げだっ!」
 
 隊長である葛西がそう怒鳴ると、室田は松原と顔を見合わせてから後方に下がる。
 魔獣と戦って処分することを命じられていた荒磯部隊だったが、結局、時任と呼ばれたワイルド・キャットとくぼずきんという男に刃を向けることはできなかった。
 人間と魔獣、男と女…、恋する形は色々あるのかもしれない…。
 けれど、この世にお互いしかいないかのように抱き合っている二人の形は、いびつかもしれないが、それ故に胸がしめつけられるほどに想いが深すぎて哀しかった。
 葛西達が見守る中、くぼずきんは驚かさないように静かに時任の耳元に何かを囁く。
 すると、時任の瞳から涙が一筋だけ零れた。

 「もうどこにも行かない…、ずっと一緒にいるから…」
 
 その言葉に安心したようにゆっくりと崩れ落ちていく時任を、くぼずきんはゆっくりと腕の中に抱き上げた。しかし、その身体はくぼずきんが予想していたよりも軽い。
 あの地下道で銃弾に倒れて意識を失ってから、始めて抱きしめた時任の肩は前よりも細くなってしまっていた。
 くぼずきんは抱き上げた時任の頭をそっと撫でてやりながら、少し苦しそうな表情しながら目を閉じる。すると赤く血に染まった自分の身体を、なんとかして運ぼうとしていた時任の姿が脳裏に浮かんだ。
 二人分の重さを背負って…、絶対に一緒に行くんだと叫んでいた時任の姿が…。
 あの時、時任さえこの地下道から抜け出せばもう思い残すことはないと想っていたのに、細い肩を抱きしめた瞬間にそう想ったことを後悔していた。
 思い残すことはないということは、もうそこに想いがないということだから、そう思った瞬間に時任のことを突き放してしまっていたのかもしれない。
 あんなに一緒にいたいと…、そう願って願い続けていたのに…。
 そのことに気づいたくぼずきんの胸に、時任の身体の軽さが痛く苦しく染みる。
 時任がくぼずきんが眠っていた間も一人で戦い続けていたことを、くぼずきんは鵠という無免許医から聞かされていた。

 『時任君に貴方のことが嫌いになったので、一緒にいられなくなったと伝えて欲しいと言われました』

 雑貨店の二階の部屋で目覚めた時、そこの店主をしている鵠という男はくぼずきんに向かってそう言った。くほずきんを残して時任がここを出て行ったと…。
 しかし、鵠はベッドに身を起こしたくぼずきんに向かって妙な質問をした。
 『貴方はこの言葉を信じますか?』
 『・・・・・ホントにそう言ったのかはわからないけど』
 『けど…、なんです?』
 『そう言われても、追いかけて行くしかないから』
 『どうしてです? 彼は貴方を嫌いだと言ったのですよ?』
 『それでも抱きしめたいと思うなら…、這ってでも行くしかないでしょ…』
 鵠の質問にくぼずきんがそう答えると、鵠は満足そうな表情で微笑む。
 そして取り出したアンプルに注射針を突き刺して中身を吸い取ると、ベッドにいるくぼずきんの腕に注射した。
 『それでこそ、強引に起こしたかいがあるというものです』
 そんな風に鵠が言っていた通り、くぼずきんは半ば強引に薬品によって意識を覚醒されられている。その薬品を注射して起きるかどうかは、一か八かの賭けだったと鵠は言っていた。
 薬品は裏ルートでしか入手できないもので、効能は各地で大勢の中毒患者を出している麻薬に成分が近い。それを注射されると傷の痛みも和らぐのだが、常用すると身体をボロボロに破壊するという危険性を孕んでいた。

 『おそらく、動けるのはこの薬が効いている間だけです。ですがあまり打ち過ぎると逆にショック状態に陥って昏睡状態になりますから、使用量用法は守ってください』

 そう注意されて鵠に渡された薬品は、くぼずきんのコートのポケットに入っている。
 薬が切れかかると打たなくてはならなかったが、やはり薬だけですべての痛みが押さえてられている訳ではなかった。
 くぼずきんが苦痛に耐えながら時任を抱き上げたまま移動しようとすると、荒磯部隊の隊長である葛西が声をかけてくる。再び出会うことはできたが、二人にあの森で過ごしていたような平穏な日々が訪れるのはまだまだ先のようだった。



                     戻 る            次 へ