くぼずきん.35




 政府からの発表で魔獣狩りが始まった当初では、予想もしなかった事態に町はなりつつある。
 それは魔獣同士が集まって組織化してしまったこともあるのだが、やはり出雲会と東条組が暗躍していたため、この国の軍も警察もかなり衰退してしまっていたことが原因だった。
 実はいずれ起こるかもしれない他国との戦争でも、国は魔獣を使うことを考えてたため軍の方は形だけのものになっていたのだが…。それは戦闘能力が高かったからというだけではなく、それだけ魔獣の命が軽んじられていたということでもあった。
 元々、魔獣は魔獣の森にしか生息していなかったはずだが、今では軍と対等に戦えるくらいの数の魔獣がこの町に存在している。
 だが、その魔獣を国に持ち込んだのは誰なのか、それは未だ不明とされていた。

 「ふふっ、なかなかいい眺めね。町が血の色に染まっていくのは…」

 そんな風に呟きながら激しい戦闘の名残りの残る町並みを関谷は歩いていると、隣を歩いている宗方は口元に薄く笑みを浮かべて足元に転がる死体を見る。初めは戦闘が終了すると回収されていた遺体も、今はそのまま数日間放置されてしまうことが多くなっていた。
 政府に魔獣対策本部が設置されていたが、やはり長く続く戦闘に余裕がなくなってきているらしい。本部長の椅子には無名の男が座っているという噂だったが、この混乱した状態ではその情報はどこまで当てになるのかはわからなかった。
 終わらない戦いに町の住人は田舎に避難を始め、魔獣と人間の生死をかけた戦いの残骸の残る道は、人通りもなく静まり返っている。そんな中をいつもと変わらない足取りで歩いていた関谷と宗方は、未だ血の匂いの漂う路地に入った。

 「君はこの景色を美しいと思うかね? それともおぞましいと思うかね?」
 「もちろん両方よ。おぞましくて美しいから心惹かれる」
 「なかなかいい趣味をしているな、君は」
 「趣味はいいけど、貴方ほどじゃないわね」
 「・・・・猫は嫌いかね?」
 「アタシは犬派よ」
 「ほう」
 「ふふっ、犬はご主人様に忠実で、なぶりがいがあってカワイイでしょう?」
 「私はバカな犬より、ワガママな猫の方が面白いと思うが?」
 
 不毛な会話をしている二人の目の前には、一見、廃屋に見えるビル郡がある。
 そのビル郡の中からは、うめき声に似た叫び声があちこちから聞こえてきていた。
 声だけで姿はあまり見えないが、時々、影がビルの谷間を走り抜ける。
 実はここは、人間と戦闘を繰り広げている魔獣達の住みかとなっていた。
 人間がこの中に入るのは危険な気がしたが、関谷は何も恐れることもなくビル郡へと足を踏み入れる。魔獣達は人間の気配に少し色めきたったが、入ってきた関谷だと知ると静かになった。
 それは関谷が前に魔獣を戦闘にしようしていたからではなく、宗方がそばにいるせいである。
 魔獣達は人間との戦闘が長引くにつれて戦いに我を失っていくように見えたが、くぼずきん家の当主である宗方の命令はまだ有効だった。
 宗方は主に魔獣達を指揮して戦闘を行っている橘に協力して、魔獣達の制御を行っていたが、それも最近では完璧ではなくなってきている。
 ただ沸き起こる憎しみの感情にまかせて、がむしゃらに突進していく者も最近では出始めていた。
 そうなった魔獣は痛みすら感じないらしく完全に死ぬまで戦い続けるのだが、やはり軍を相手にするにはある程度統率が取れていないと戦闘がフリになる。
 そのことを関谷が肩を軽くすくめて言うと、宗方はいつもと変わらない表情でポケットに入れている鎖をチャリッと鳴らした。
 「もうじき、神としてすべてを握ることになる。 そうすれば問題はない」
 「でも、貴方は本当に神になれるかしら?二人とも死んでたらガッカリね?」
 「その心配はない。未だ憎しみは消えず継続している、それが証拠だ」
 「あのネコを再びうばわれた時のくぼずきんの顔が見モノね」
 「奪うのではなく、取り返すのだよ。あれは僕のものだ」
 宗方がそう言いながらポケットから手を離すと、一つのビルに向かって歩き出す。
 そのビルは、宗方がここにいる間に隠れ家として使っている場所だった。
 魔獣達が住みかにしているだけあって、人間は誰も近づかないので隠れるには最適だが、この長引いている戦いは今のところ終わりが見えてこない。
 しかし、宗方はくぼずきんと時任を手に入れることで、自分が神としてなにかを握るつもりでいた。
 そんな宗方を利用しているつもりでいる関谷は、魔獣達の唸り声とうめき声を聞きながら口の端を少し吊り上げて笑う。
 その視線の先には、橘が東条組の本社ビルで捕らえた肉塊が大きなガラスの檻の中で蠢いていた。

 「この町が魔獣の手に落ちて、それから世界も同じように貴方の前にひざまづいたととしたら今度はなにをするつもりなのか…、良かったら聞かせてもらえないかしら? 神となったその後のことを…」

 関谷が宗方の方に視線を向けないままでそう言うと、宗方はすうっと目を細めて肉塊を眺めた。
 だが、その視線にどんな感情が込められているのかは、隣にいる関谷にもわからない。
 橘にくぼずきんと時任を連れてくるように命じていたが、すでに二人が自分の手に落ちると確信しているのか慌てている様子は微塵も感じられなかった。
 そうしている間にも、激化していく魔獣と人間との生存をかけた戦いが町を赤く染めていたが…。
 実はここに魔獣が集結しているのは自然に集まったのではなく、宗方が政府の魔獣狩りが始まってすぐに、自分の能力を使って魔獣をこの廃ビルに呼び寄せたからだった。
 他のどこでもなく、わざわざ醜悪な神のいる場所に…。
 ここにいれば魔獣に対する自分の制御がきかなくなるとわかっているはずだが、神となれば問題ないと言いながらも、宗方はそれを楽しんでいるようにも見える。
 神になろうとしている男は、暗い廃ビルの中で血の匂いを嗅ぎながら微笑を浮かべていた。
 「ずいぶんと楽しそうね? なにかいいことでも思いついたのかしら?」
 「そんな風に見えるかね?」
 関谷の問いに向かってそう答えた宗方は、再びゆっくりとビルの中を歩き始める。
 その後ろ姿を見ながら、関谷はそれに行方不明になっているくぼずきんの姿を重ねていた。
 普段はそれほど意識はしていないが、やはり目も声も…、どことなく雰囲気も二人は似通っている。
 それはやはり同じ血を引いている証拠なのだが、二人にとってそれは無意味なものらしかった。
 関谷にも父親はいたが、すでに東条組と出雲会の抗争に巻き込まれて亡くなっている。
 実の父親と関谷の関係もやはり冷ややかなものだったが、この二人の関係は薄っぺらな紙一枚の繋がりすらないように見えた。
 だがそんな宗方とくぼずきんも、今は少しだけ繋がりを持っている。
 しかしその繋がりを作っているのは親子としての絆ではなく、真っ直ぐな綺麗で鋭い瞳をした一匹の猫。・・・・・・・時任稔の存在だった。
 ポケットに鎖を入れ続けている宗方の、時任への執着は尋常ではない。
 それはまるで自分のものだと誇示するように、時任を抱き続けていたことからも明白だった。
 関谷は宗方に続いて歩きながら、その後ろから少し声を低くしながら話しかける。
 しかしその問いは、宗方がまともに答えないことを承知でしたものだった。
 「・・・・・・貴方は一体、なにをしようとしているの?」
 「私が何をしようと関係がないという顔をしながら、どうしてそれを聞く?」
 「そんな風に見られてるなんて心外ねぇ…、ふふっ…」
 「心配などしなくとも私は何もしない」
 「けれど、貴方はカミサマになるのでしょう?」

 「君は神というものを勘違いしている。神と言うのは…、なにもせずにすべてを傍観しているものだよ」

 宗方と関谷は出雲会と政府の動きを廃ビルの中から伺っていたが、肉塊の欠片を持って、時任とくぼずきんの探索に向かった橘からはまだ連絡がない。
 橘は他の魔獣と同じように暴走の兆しを見せていたが、まだ強い精神力で正気を保っていた。
 しかし初めは宗方の命令で魔獣を指揮していた橘も、今は人間への憎しみに駆られて自ら望んで戦場に立っている。
 なぜ自分が憎んでいるのかを…、その訳すら考える余裕すらもなく、何者かの意思に操られたかのように魔獣も人間も町を血の色の染め上げようとしていた。








 自分の中の大切な想いを…、大切な人をどんなに抱きしめたくてもできなくなることもある。
 魔獣であることがばれる前にいずれは身を引くつもりだったが、あの魔獣の森で暮している内に平穏に過ぎていく日々に立ち止まっていたくなってしまっていた。
 だが関谷に魔獣であることを見抜かれた瞬間、あの穏やかだった日々を橘は手放してしまっている。
 時任の言葉を聞いた橘は、苦しい息を吐きながら床にうずくまっていた。

 「大切なものは…、もうないんです。もう、僕の手には戻らないんです…」

 そんな橘の方を時任が見ると、鵠がそばに屈み込んで様子を見ているのが見える。
 不自然に汗を浮かべている橘の顔は、いつもの美貌が哀しみと憎しみに歪んでしまっていた。
 時任は最初に会った時からなんとなく橘から魔獣の匂いを感じ取っていたが、やはりそれは間違いではなかったようである。
 時任はふらつく足で橘の前まで歩み寄ると橘に向かって手を伸ばしたが、それは一緒に戦う意思をしめたのではなく、立ち上がる手助けをしようとしただけだった。
 だが橘は差し出された時任の手を拒むと、手をきつく握りしめながら自分の力だけで立ち上がる。
 しかしその拳込められているのが、憎しみなのか哀しみなのかはわからなかった。
 強がってみせるように美しい笑みを浮かべて見せると、橘は拳銃に弾を充填しながら時任と向かい合う。そして、時任に向かって再び冷たい銃口を向けた。
 「今度はちゃんと弾が入ってます」
 「みたいだな」
 「死にたくなければ僕と一緒に来てもらいますよ、時任君」
 「・・・・誰が行くかよっ」
 「残念ですがそうはいきません、貴方には帰ってくるのを待ってるヒトがいる」
 「・・・・・・・・」

 「宗方誠治・・・。それが、僕に貴方を連れてくるように命じた人物の名前です」

 橘の口から宗方の名前が出ると、時任の身体がビクッと反応する。
 あの船からくぼずきんに助けられて、今は腕についていた注射針の跡も少しずつ消えてきてはいたが、身体がまだあの屈辱の日々を忘れてはいなかった。
 繋がれたベッドの上で無理やり身体を開かされた時の痛みと、それを感じてしまっていた自分の嬌声がよみがえってくる。くぼずきんはそんな時任を抱きしめてくれたが、宗方に犯された記憶はそう簡単には消えなかった。
 耳の奥に残る宗方の声が…、繋がれていた鎖の重さが時任を苦しめている。
 宗方の命令で迎えに来たという橘の言葉で、時任はよみがえってくるその感覚に捕らわれそうになったが、銃口を向けられたままでゆっくりとくぼずきんの眠っているベッドに伸ばした。
 「撃つなら撃てよ。 その前にてめぇをぶっ飛ばしてやる」
 「ふっ…、やっと貴方らしくなりましたね。 それでこそ捕らえがいがあるというものです」
 「顔色が悪いぜ、橘。そんなんで俺を捕まえられると思うなよ」
 「それは貴方も同じでしょう?」

 「同じでもなんでも、俺は…、負けるわけにはいかねぇんだ…」
 
 橘を真っ直ぐ見つめながら時任はそう言って、ベッドに眠っているくぼずきんの手を握りしめる。
 ずっとずっと…、この部屋で目覚めてくれることを願い続けて握っていた手…。
 その手はやはり握り返してはくれなかったが、手から伝わってくる温かさがその存在を伝えてくれている。この温かさが感じられる限り、まだ明らめたりはしたくなかった。
 くぼずきんが再び目覚めてくれることを…。
 胸の奥はまだ哀しみに揺れていたが、銃口を向けられた瞬間から時任は苦しみの中から立ち上がろうとしていた。

 ベッドで眠り続けているくぼずきんを…、今度こそ自分の手で守るために…。

 時任は頭に銃口の冷たい感触を感じた時、自分の置かれている状況をなんとなく理解はしていた。
 けれど、これで引き金を引かれたらとか、そんなことは考える余裕なんてなくて…。
 ただ、その銃口からくぼずきんを守ることしか考えられなかった。
 自分の頭に向かって引かれた引き金の音も…、きつくしめあげられた首も…。
 なにもかもがなぜかひどく遠くて…、橘の声もまるでガラス越しに聞くように時任の耳に届く。
 しかし一つだけハッキリと耳に聞こえてきたのは、くぼずきんが眠ったままなのも魔獣である自分を好きになったせいだという言葉だった。
 
 『魔獣と人間は所詮、住む世界が違うんです』
 
 眠っていてもちゃんとくぼずきんは目の前にいて…、ちゃんと同じ世界で呼吸してるのに…。
 橘はそう言って、人間への憎しみを胸に戦えと時任を責め立てた。
 魔獣なら憎しみの波動が伝わってくるはずだと…。
 けれど、いくら責め立てられてもそんなものは聞こえて来なかった。
 魔獣と人間が戦っている外の騒がしさも…、話しかけてくる鵠の声すらも…。
 こうしている今もただひたすらこの部屋が静かすぎることが、いつも薬の匂いしかしないことだけが、時任の胸の奥に痛く苦しく…、時を刻む時計の針が進むごとに染み込んでいっていた。
 けれどいつだって、くぼずきんに出会う前も出会った後も人間を憎んで戦ってきたわけじゃない。
 苦しそうにうめきながら床に倒れている橘を見ながら、しめられていた首をさすりながら咳き込むと、少しだけ周りの状況が見えるようになった。
 目覚めてはいないけれど、くぼずきんは今も確かに生きていて…、だからもう二度と誰にも傷つけさせるわけにはいかない。
 所詮は人間と魔獣でしかなくても…、住む世界が違うのだとしても…。
 くぼずきんを好きな気持ちはなくならないから…、その想いを抱きしめて戦わなくてはならなかった。

 目の前で自分に銃口を向けている橘ではなく、大切なモノを切り裂こうとする宗方と…。

 時任は突きつけられた拳銃の銃身を手で握りしめると、ぐいっと指に力を込める。
 すると、鉄でできた銃身は簡単にあらぬ方向に捻じ曲がった。
 見た目からはそんな怪力があるとは思えないが、ワイルド・キャットはやはり戦闘能力も魔獣の中ではきわめて高かったのである。
 橘は外見に似合わないその力を見せられて、わずかに目を見開いた。
 「・・・・・さすがはワイルド・キャットですね」
 「あのヘンタイ野郎の居場所を教えろ…」
 「どこへ逃げてもムダだとようやく気づきましたか…。心配しなくても、僕が連れて行って差し上げますよ」
 宗方の居場所を聞いた時任に、橘は少し荒く息を乱しながらも微笑みかける。
 だが時任はそんな橘を睨みつけながら、曲がった銃身から手をはなして今度は襟首を掴み上げた。
 きつく襟首を閉められた橘は、時任の視線を受けて少し眉をしかめる。
 強い意思を秘めた時任の瞳は、目の前にある現実を見つめるようにしっかりと前を見つめていた。
 「もうあの野郎の思い通りなんかさせねぇ…、ケリをつけてやる」
 「ケリをつけるもなにも、貴方に勝ち目はありません」
 「やってみなきゃわかんねぇだろっ」
 「少しは身の程を知った方がいいですよ、時任君。結局、貴方は宗方の鎖につながれるしかない」
 「そんな鎖は立ち切ってやるっ。 今度は自分の手で…、くぼちゃんと一緒にいられるように…」
 「・・・・・・どうしてもあきらめないつもりですか?」

 「俺はあの森に…、くぼちゃんと一緒に帰りたいんだ…」

 握りしめた手に、指先に力を込めながら時任がそう言うと…、橘は宗方が潜伏している廃ビルのある場所を言う。しかし、外からはまた軍と魔獣との衝突が起こったのか、派手な銃撃戦の音が聞こえていた。
 橘のように憎む気持ちがなくとも、やはりワイルド・キャットである限り人間との戦闘はさけられない。だが時任も眠り続けているくぼずきんにも、魔獣側である宗方と人間側の軍を相手に逃げ場はもうどこにもなかった。


                       戻 る            次 へ