くぼずきん.27




 運良く天気は良かったが、やはり今日の港はいつも以上に人の数が多かった。
 東条組の船が着くのは一般の船が着岸する港ではなく、そこから少し離れた軍事として作られた港である。
 この港は国が管理していることになっているが、実際はここから魔獣の輸出のほとんどが行われていた。
 それは、ここから出航する船が一般の港と違って検閲を受けることがないからである。
 そのことを知っている人間は大勢いたが、政府と闇の組織の両方が常に目を光らせているため、この事実を公表することに成功した者はいなかった。
 この港は東条組と出雲会という国内最大の闇の組織の船が出入りしているが、ここでの抗争は禁止されている。それを両組織が忠実に守っているのは、ここで抗争を起こせば最初に仕掛けた方が港への出入りを禁止されることになっていたせいだった。
 町にある裏のマーケットで通行証は売られていたが、チェックが厳しいのでそれもばれる可能性がある。そのため軍と闇の組織に見張られているこの港に忍び込むのは、命がけどころか自殺行為と言っても過言ではなかった。
 
 「悪いことはいわねぇよ。あそこだけはやめといた方がいいぜ、兄ちゃん」

 くぼずきんが銃弾と港の地図を依頼した武器の売人が、船が入港する朝、頼まれた物を渡しながら眉をひそめてそう言った。
 しかし、その売人は善意からそう言ってくれていることはわかるが、やめておけと言われてもやめる訳にはいかない。それに何度か入ったことのある場所の地図をわざわざ頼んだのは、脱出経路も何も考えずに忍び込むのは危険だと言うことがわかっていたせいだった。
 くぼずきんは一通り地図に目を通すと次に銃弾を確認して、目の前に売人に金を渡す。
 そして黒いコートの内ポケットに、その両方を無造作に放り込んだ。
 「ここにね…、俺を待ってるヒトがいるから」
 「待ってるって、恋人か何かかい?」
 「違うけど?」
 「それじゃあ、アンタは恋人でもない女のために行くってのか?」
 「そう…、恋人じゃないけど、誰よりも会いたいヒトに会いにね」
 くぼずきんがそう言いながらベルトから拳銃を抜いて弾の確認をしていると、売人の男は大きなため息をついた。そして横に置かれいてた鞄から、手榴弾を出すとくぼずきんに向かって差し出す。
 しかし、くぼずきんは売人に手榴弾を頼んだ覚えはなかった。
 「・・・・・・・コイツはオマケだ」
 「どーも…」
 「生きて戻れよ」
 売人の手から手榴弾を受け取ると、くぼずきんは何も答えず軽く口元に笑みを浮かべて見せてから取り引きをしていた裏路地の店から出る。
 しかし売人は、何も言わないくぼずきんに気を悪くしたような様子はなかった。
 この町は闇の組織が野放しになっているせいで、武器の売人が路地裏とはいえ店を構えているほどかなり治安が悪い。そのため武器を買いに来た客が、次の日には死体で海から上がるなどということは珍しくないと売人は言っていた。
 おそらく売人が手榴弾を渡したのも、くぼずきんにそういう破滅的な何かを感じたのかもしれない。くぼずきんは重くなったコートを着たまま路地を出ると、海のある方向に向かって歩き始めた。
 実は船が入港するまでの三日間は、今出てきた店のあった路地裏で肉塊の気配に注意しながら潜伏していたのだが、その間に拾った情報からしても東条組の船が着くのは間違いない。
 その船に乗っているかどうかはやはりわからなかったが、くぼずきんの感が時任がそこにいることを告げていた。
 確実な情報がないのに感で動くのはやはり危険だったが、これ以上、じっと時任の情報が入るまで待っていることはできない。くぼずきんは前もって調べていた場所まで行くと、その足元にあるマンホールを開けて中へと身を滑らせた。
 このマンホールの下にある下水道は港まで続いていて、それをたどれば見つからずに着ける予定になっている。だが、下水道は網目状になっていて迷うと出られなくなる可能性があった。
 この下水道が迷路のように作られているのには、やはり侵入者を防ぐ役割もあるのである。
 しかし、くぼずきんは一度も立ち止まることなく水音を立てて歩いてた。
 実は売人が渡した手榴弾の中に一つだけ軽いものがあって、その中に下水道の地図が入っていたのである。売人の本当の差し入れに気づくか気づかないかは、受け取った本人次第だった。もしかしたら売人は、いつもこんな風にして戻って来るか来ないかを賭けているのかもしれない。
 くぼずきんは地図に書かれていた経路をたどりながら、しばらく歩いて無事に港の下に到着すると、階段を上がってマンホールをフタを空けた。

 「おい、こっちの積荷はどうする?」
 「そんなことより、出迎えが先だろうがっ」
 「あと10分くらいだったよな」
 「急げよっ」

 そんな声がマンホールの外から聞こえてきたが、近くに人影はない。
 目の前に何かの入った箱が多量に積み上げてあることからして、ここは港の倉庫の中らしかった。
 くぼずきんはマンホールから出ると、周囲の気配に気を配りながら倉庫の出口をさがす。
 すると、さっき二人分の声のした方向に倉庫の出口が見つかった。
 そこから拳銃を構えながら外に出たが、船が着くのを出迎えるのに忙しいのか、倉庫から出たくぼずきんを見咎めたりする者はいない。くぼずきんは気づかれない内に止めてあった運送用のトラックの陰に隠れると、広く青く続く海の方を眺めた。
 すると今日は天気が良く波も穏やかなので、海に一隻の船が浮かんでいるのが見える。
 その船は東条組の組員達が出迎えに来ているだけあって、この港に停泊しているどの船よりも大きかった。
 これほど大きな船の積荷といえば、やはり魔獣を置いて他にはないだろう。
 東条組の組員やくぼずきんが見守る中、船は無事に港に着岸し、派手な水音を立てて碇を海底へと沈めた。するとそれに合わせるように、上空を舞っているカモメも煩く鳴いているのが聞こえる。
 くぼずきんはキーが付いたままになっているトラックに乗り込むと、迷うことなくそのキーを右手で回した。

 「…行くよ、時任」

 まるでここに時任がいるかのようにそう言うと、くぼずきんは勢い良くアクセルを踏む。
 するとトラックは、船から降りてくる関谷を出迎えるために集まっている組員の中へと勢い良く突っ込んだ。
 何人かがトラックの犠牲になり、くぼずきんはその隙をついて船から下ろされたタラップを駆け上がる。船に乗っていた組員たちが騒ぎを聞きつけてタラップに集まりかけていたが、それよりもよりもくぼずきんが上まで到着する方が早かった。
 くぼずきんは甲板にいた数人の眉間を素早く打ち抜くと、船に乗っている組員達が甲板に殺到する前に船内へのドアに向かって走る。
 こちらが一人である以上、広い場所での戦闘は圧倒的に不利だった。

 「くそぉっ、出雲会かっ!!」
 「おいっ、襲撃の人数は何人だっ!!」
 
 東条組の組員は出雲会の襲撃だと思っているようで、いきなりの侵入者に慌ててしまっている。やはり軍の港への入港ということもあって、かなり油断していたらかった。
 くぼずきんはドアを蹴破って中に入ると、慌てて飛び出してくる組員を弾をムダにしなように正確に打ち抜いていく。そして蹴破ったドアのドアノブに、そばにあったモップを落ちていたロープで括りつけると船内の狭い廊下を走り出した。
 入り口のドアを塞いでおけば、後ろからの追っ手が来るまでの時間が稼げる。それに狭い廊下のため身動きはあまり自由に取れないが、その分だけ死角が減るので有利だった。
 くぼずきんは休むことなく拳銃を撃ち続けながら、飛んできた銃弾が身体をかすめるのも気にせずに走り続ける。腕にも頬にも血が滲んでいたが、その痛みに眉を動かすことも血を拭うこともなかった。 
 次々と飛んでくる銃弾にさらされながらも、表情一つ変えずに冷静に引き金を引く。
 その狙いの正確さに気づいた組員達の中には、撃たれることを恐れて部屋に逃げ込む者もいた。

 「あれだけの人数をやるなんて…、信じられねぇ…」
 「バカ野郎っ、何を怖気づいてんだっ! 相手はたった一人だぞっ!」
 「だったらっ、なんで俺らはたった一人にやられてんだっ!」
 「そ、そんなのは知るかっ!!」
 「あいつはフツウじゃねぇよっ、バケモノだっ!!」

 くぼずきんの走り抜けた後には、すでに赤く血の海が広がっている。
 正確に急所を射抜かれているので、血の海に沈む組員達は誰一人としてピクリとも動かなかった。
 だが、くぼずきんはこれほどの人数を相手にしながらもまだ致命傷を負ってはいない。
 組員がバケモノだと言っていたように、標的を発見してから引き金を引くまでの速度は尋常ではなかった。
 くぼずきんは銃撃が止む瞬間にポケットから弾を取り出して拳銃に込めていたが、船の奥に進むに連れて相手の人数も増えてくるのでそんな暇がなくなってくる。
 するとくぼずきんは、倒れている組員が持っていた拳銃を片足で蹴り上げた。
 蹴り上げた拳銃は上手い具合に空を舞って、拳銃を撃ち続けているくぼずきんの手の中に収まる。
 ちょうどその瞬間に、今まで撃っていた拳銃が弾切れになった。

 「せっかくだから、有効利用させてもらわなきゃね」

 くぼずきんはそう言うと、蹴り上げた拳銃を再び撃ち始める。
 ひそかにドアに隠れて弾切れになるところを狙っていたらしい組員達は、隙をつかれて一気にくぼずきんの銃弾の餌食になった。
 ざわめく船内に拳銃の音が響き渡り、その中をくぼずきんが止まることなく走り抜ける。
 だが、まだ時任がいる部屋がみつからない所か、関谷も宗方も見つかっていなかった。
 船が着いてまだそれほど時間が経っていないが、こうしている内にまた時任が連れ去られてしまうかもしれない。
 くぼずきんは額から流れてきた血を始めて軽く左手で拭うと、胸が焼け付くような想いを込めて会いたい人の名前を呼んだ。

 「時任ーーっ!!」
 
 その名を呼ぶたびに口ずさむたびに…、愛しさと苦しさが胸の奥から沸き起こってくる。
 どうしても会いたいと願って…、どうしてもこの腕から離したくないと想っているのに…。
 いつも抱きしめようとした腕からすり抜けるように、時任がそばからいなくなって…。
 好きだと言って触れてきた唇に、好きだと言ってキスすることすらできなかった。
 時任の瞳に浮かんだ涙を思い出すたびに…、何も出来なかった自分を憎みたくなる。
 けれど自分をいくら責めても憎んでも、時任は腕の中には戻らない。
 どんなにカミサマのいない空に祈っても願っても、抱きしめることは出来ないから…。
 誰よりも愛しいその名前を呼んで…、血の海の上を走り抜けた。
 その呼びかけに答えてくれることを…、届かない想いが届いてくれることを…。
 カミサマじゃなくて…、恋した人の名前に祈りと願いを託して…。

 何度も何度も…、時任の名前だけを叫んだ。

 もう銃弾が腕をかすめても、こめかみをかすめてもわずかな痛みすら感じられない。
 叫び声を上げている組員達の声も…、耳が痛いほどの銃声も…、時任の名前を呼び続けている内に何も聞こえなくなってきた。
 しかし、静かに静かになっていく周囲を気にすることなく、くぼずきんは機械的に引き金を引きながら時任の声だけにそっと耳を澄ます。すると小さくてわずかしか聞こえなかったが、聞き慣れた声が…、聞きたかった声が聞こえた気がした。

 「…時任?」

 けれど、それは時任を想うあまりに聞こえた幻聴だったのかもしれない。
 しかしくぼずきんは、迷うことなく声がしたと思われる通路に向かって走り出した。
 すると前方にはさっきまでのチンピラ風情とは違う、腕の立ちそうな黒服の男達がくぼずきんに狙いを定めているのが見えてくる。
 くぼずきんが冷ややかな視線を向けると、黒服の男達の横に嫌な笑みを浮かべながら関谷が立っていた。
 「橘は失敗したみたいね? また会えてうれしいわ、久保田誠人」
 「ウチの子返してもらいに来ただけなんですけど?」
 「ふふっ、それはあたしに言うセリフじゃないわよ」
 「じゃあさっさと退いてくれません?」
 「あのネコちゃんだったら、宗方にかわいがられてよろしくやってるわ」
 「・・・・・・だから?」
 「あんなにかわいがられたら、もう男ナシじゃ生きていけないわね。 もしかして、今度は貴方が抱いてあげるつもり? 父親の代りに…」
 「・・・・・・」 
 「あはっ、あのネコも大変ね」
 からかうような関谷のセリフと同時に、凍りつくような冷たい空気をまとったくぼずきんの指が関谷に向かって引き金を引く。
 だがその銃弾に倒れたのは、なぜか関谷ではなく横にいた黒服の男だった。
 黒服の男は身体を張って、関谷の身を守ったらしい。
 くぼずきんは続けて引き金を引いたが、今までの相手と違って急所がわずかに外れていた。どうやらここに集まっているのはただの組員ではなく、関谷か宗方の周辺をガードしているボディーガードのようである。
 しかしくぼずきんは躊躇することなく、関谷を狙って銃弾を打ち込んでいった。
 ボディーガードはくぼずきんの射撃に応戦していたが、やはり速度に差があるので致命傷は避けているもののくぼずきんの方に分がある。
 それはやはり、くぼずきんにまったく隙というものがないせいだった。
 だがくぼずきんが関谷を確実に射程に取られた瞬間、くぼずきんの耳に聞こえてきた声が今まではなかった隙をつくる。
 その声は、さっきのような幻聴ではなくはっきりとその耳に聞こえてきた。

 「・・・・・・ちゃんっ! くぼちゃーんっ!!」

 くぼずきんは戦闘中にも関わらず、思わず声のした方向へと視線を向ける。
 すると、その隙をついて投げられた関谷のナイフがくぼずきんの肩に突き刺さった。
 突き刺さったナイフは急所は外れているものの、かなり傷は深い。
 そのため、くぼずきんの手は肩から流れ出した血であっという間に赤く染まった。
 滴り落ちていくくぼずきんの血がゆっくりと床を濡らし始め、それを見た関谷の口元に楽しそうな笑みが浮かぶ。
 だがくぼずきんは流れていく血を見ることもなく、身動きもせずにじっと立っていた。
 どうしても会いたかった…、誰よりも愛しい人の声を聞きながら…。

 撃ち殺した組員達の血と、自分の流した血溜まりの中で…。



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