くぼずきん.25




 くぼずきんに見せた少女と魔獣の絵を橘が発見したのは、実は関谷の私室でだったのだが、それは偶然見つけたものではない。
 何か手がかりになるものはないかと、こそこそと忍び込むのではなく関谷の誘いに乗って自分から私室に足を踏み入れた時に見つけたものだった。
 関谷の私室は意外にも街の中の平凡なビルにあったが、その部屋には常にガードがついていて忍び込むのはさすがの橘でも困難である。
 くぼずきんのように拳銃でも使えればいいのだが、人を殺すことに抵抗を感じているのでどうしても人間相手の戦闘は不利だった。
 それはやはり、人の命が軽く感じられる裏の世界で戦う上では致命傷になる。
 初めて関谷と会ったあの時も躊躇せずに確実に相手を殺していれば怪我をせずにすんだし、人質に取られて時任を連れ去れることもなかった。
 自分が魔獣であることに疑問を持っていたが、魔獣よりも人間の方が残酷に迷うことなく心臓に向かって引き金を引くのかもれない。
 あの魔獣の森の屋敷で橘に声をかけてきた関谷は、じっと橘の瞳を覗き込むと、
 『なに、獣のクセして人間のフリしてるの?』
と、言って口の端をわずかに吊り上げて笑った。
 松本には気づかれたことはなかったが、魔獣の瞳孔は人間のものよりも縦に細い。
 それを関谷が見抜いたのは、沢山の魔獣を捨てゴマとして使っているせいかもしれなかった。
 
 「僕は好みじゃないんじゃなかったんですか?」
 「好みじゃなくても征服欲っていうのがあるのよ、男には」
 「征服欲? ただ単に血を見るのが好きなだけでしょう?」
 「ふっ、思ったよりは面白いわね」
 「面白がってくださらなくて、結構ですよ」
 
 関谷は怪我のまだ治り切らない橘をベッドの相手に誘ったが、どちらも攻め同士なので向かい合ってもいっこうにそういう雰囲気にはならない。
 おまけに二人とも精神的にも攻めなので、どちらも弱みを見せようとはしなかった。
 魔獣であることはバレたものの、橘は完全に関谷の側の人間になってはいない。
 関谷に着いて屋敷を出たのはくぼずきんに言った理由もあるが、実はもう一つだけ理由があった。それはやはり、屋敷に置いてきた松本にも関係がある。
 橘はあの屋敷で森を包囲している部下達に屋敷を襲撃させたくなかったら、ある物を渡せと関谷に迫られたのだった。
 実は関谷が屋敷に同行していたのは、真田達と同じ立場のフリをして橘がもっている物を手に入れることが本当の目的だったのである。同じ立場のフリをしていたのはくぼずきんの予想と合っていたが、屋敷まで同行した目的の方は違っていた。
 だがそれは、橘がカギ以外もう重要な物は持っていないと誰もが思っていたのだから無理もないだろう。
 関谷が欲しがっていたのは、橘が軍の施設から逃げる時に持ち出した物だった。
 それがなんであるのか橘は知らなかったが、かなり重要なものらしい。
 それを盾に取り引きするという手もあったが、肉塊に追われ怪我をしているので取り引きするには状況が悪すぎたのだった。
 『コレが何なのか教えてください。そうしたらおとなしく渡します』
 やっとそれだけの条件を出して橘が交渉すると、関谷は薄く笑って冗談か本気なのかわからない答えを言った。

 『あんたが持ってるソレには、神様が入ってるの。だからあんたは、神様を探す必要なんてなかったのよ。ふふっ、最初からね』

 神様が入っているという橘が持っていた物は、ただの小さな箱だった。
 本当は箱を持ち出す気はなかったのだが、逃げるのに協力してくれた施設の研究員から持って逃げるように頼まれたのである。
 研究員はまだ施設に転任してきてニ、三年くらいの若い男で、それを橘に頼んだ時、
 『危険だから箱を開けたりしないで、どこか誰にも見つからない場所に隠してくれ』
と、言っていた。
 その言葉を守って箱の中身が何なのか見たことはないが、こうやって関谷のような人間が取り引きをしてくるということは重要なものだということは間違いないのかもしれない。
 それを渡すことに抵抗はあったが、あの時は渡すしかなかった。
 松本のためというのもあったが、もしかしたら本当に自分がどうして魔獣として生まれたのかその訳を知りたかっただけなのかもしれない。

 「痛いなら痛いって言えばいいのに…、そしたら少しは手加減してあげるかもしれないわよ?」
 「…っ、どうせ逆でしょう? 貴方は間違いなくサドのようですから…」
 「ふんっ、ホントかわいくないわね」
 「貴方に可愛いなんていわれたくないって、言ったでしょう?」
 「自分の立場わからせてほしい?」
 「欲しくあり…、せんよ…。うっ…」

 やはり好みじゃなかったのか関谷は一度抱いただけで、橘に飽きたようだった。
 橘も自分から関谷の誘いに乗ったので、被害者面をしたりはしていない。
 ただお互いの相性は、身体の方でも最悪のようだった。
 さすが攻めを自称するだけあって、橘は抱かれても冷静で乱れない。
 突っ込まれても痛いだけというのが、抱かれた橘の感想だった。もっともそれは関谷が、気遣い無しの自分の快感だけを追った抱き方しかないサドだということも関係しているのかもれない。
 一度だけの情事を終えて元々の傷とあらぬ場所からくる痛みに顔をしかめると、橘は部屋に置かれていた関谷のベッドから起き上がった。
 するとすぐ目の前に見える机の上の辺りに、奇妙な絵がかかっているのが見える。
 その絵が、くぼずきんに見せた最初の魔獣と少女の絵だった。
 描かれている魔獣が気になって橘が目を凝らしてそれを見つめていると、関谷は何を思ったのか額に入れられている絵に向かってナイフを投げつける。
 すると、派手な音を立てて額に入っているガラスが割れた。
 「欲しいならあげるわよ、その絵」
 「この絵はなんなんです?」
 「最初の魔獣」
 「最初の?」
 「知りたければ教えてあげてもいいけど、でも条件があるわ」
 「でも、嘘を教えないって保障はないでしょう?」
 「ふふっ、知りたくなければ構わないわよ」

 「・・・・・・・条件は?」

 再び言われた条件を飲んで、橘は絵の由来にまつわる話を関谷から聞いた。
 たぶん条件を持ち出す前から、条件を橘が飲むだろうと見透かされていたに違いない。
 橘は何よりもどんなことよりも…、魔獣の謎を探ることに固執してそれに取り憑かれていた。
 おそらくそれを見抜いてたからこそ関谷は小箱を手に入れた後、橘に一緒に来るよう言ったのである。
 けれどそれをわかっていても、橘は自分が魔獣として生まれた訳を知りたがっていた。
 それはずっと思っていたことだったが、人間である松本に恋してから更に知りたくなった。
 前に魔獣の森で時任のことを話していた時、やはり松本は魔獣である時任をペットにするのかとくぼずきんに言ったのである。
 そんなことはないと思っていたが、良識派である松本であってもやはり魔獣をペットとしか見ていなかった。だから松本と一緒にいながらも、自分が魔獣とばれた時が終わりだと覚悟していたのである。松本のことを嫌いになった訳ではなかったが、人間と魔獣の間の溝は橘が思っていた以上に深かった。
 それ故にお互いに人間とか魔獣とかそんなものは関係なく、恋し合ってるくぼずきんと時任のことがうらやましいという気持ちがある。
 くぼずきんと時任のような関係は、橘と松本の間ではありえなかった。
 橘はまだ完全に治りきっていない傷を服の上から抑えてから、最初の魔獣と少女の絵を抑える手に少し力を込めて、関谷に聞いたことをくぼずきんに話し始める。
 けれどくぼずきんは、聞いているのかいないのかわからないような表情をしていた。

 「最初の魔獣があの森に現れたのがいつなのか、それを知る人はいません。けれどあまりにも異様なその姿を見た、近くに住む村の住人達が妙な名前をその魔獣に付けたようです」
 「もしかしなくても、とんでもなく有名な名前?」
 「そう…、付けられたのはいつの時代でも最も有名な名前です」

 森に現れた魔獣に付けられた名前は、神様だった。

 魔獣の現れた村一帯には、元々、自然の脅威を神の仕業だとして恐れ敬うような習慣があった。森にも川にも山にも神があるとし崇め奉る。
 自然を畏怖し崇拝していたのだが、それは本当に原始的でもっとも古い信仰だった。
 村人達は魔獣を見た場所が神の神域とされていた場所だったということもあり、その姿を恐れるあまりに魔獣を化け物ではなく神と呼んだのである。
 そうして魔獣が発見してまもなく、とんでもないことが村で始まった。

 「長期間雨が続いたために、山からの土石流が村を襲ったんだそうです。それはもちろん、自然災害ですが、村人は神様の仕業だと思い込んだようですね。だからなんとかしてその怒りを静めるために、神様に贈り物をすることを考えた」
 「それがあの本に書かれてるヤツ?」
 「ええ、斜線の入っている名前が神様に贈られた花嫁達の…、言い換えれば生贄になった女性達の名前です。生贄を魔獣自身が要求していたのかどうかまではわかりませんが…」
 「名前の上に斜線が入ってるのは?」
 「はっきりとはわかりませんが、亡くなられたようです」
 「自殺?」
 「…かもしれません。恐ろしい姿の神様の花嫁になんて、誰もなりたくないでしょうから…」

 自然災害があるたびに、村から選ばれた花嫁達が森へと入って行った。
 けれどその花嫁達が本当に亡くなったのか、それともどこかに逃げたのかは謎である。
 そんな風に生贄を森へと送り出しながら、誰もこの馬鹿げた神事を止めることなく年月がたって行った。
 しかし一人少女が花嫁として森に入ってからは、災害があって花嫁達を送っても花嫁になった女性達はすぐに村に戻ってくるようになったのである。花嫁になったその少女は生まれてすぐに村長の家の前に捨てられてたので身寄りはなく、そのためノートにも名字はなくただ和美と書かれていたのだった。
 
 「なぜ和美一人が無事なのかは今でも謎ですが…。和美のおかげで生贄がなくなったのは事実です。けれどそのことを村人は喜ばなかった…」
 「災害が起こったからっしょ?」
 「おそらく最悪のタイミングで災害が起こったのでしょうね」

 生贄がなくなって始めは喜んでいた村人だったが、再び酷い土石流が村を襲った時から状況が一変した。
 土石流が起こったのは和美が花嫁の神事を邪魔したからだと、村人は判断したのである。
 それから何が起こったのかは、神様の花嫁にされても無事だった和美の名前に線が引かれているのを見れば言われなくても明らかだった。
 和美は神様と呼ばれる魔獣ではなく、人間に殺されたのである。
 けれど身寄りのない和美の死を嘆き哀しんだのは人間ではなく、神様と呼ばれる魔獣だった。

 「村人の半数以上が魔獣に惨殺されたようです。ですが今の村の状況を見るとわかるように、半数の人が無事だった。つまり魔獣を退治した人間がいたわけなんです」
 「カミサマを退治した人間、ねぇ?」
 「それが初代のくぼずきんなんですよ、くぼずきん君」
 「和美じゃなかったっけ?」
 「退治したのはくぼずきんでも、あの屋敷の主になったのはもう一人の和美ですよ」
 「二人?」

 「和美の生んだ子供で、同じ名前をつけられた少女です」

 魔獣を退治した人間は、やはり魔獣を神と崇めていた村の人間ではなかった。
 村人はいきなり現れた救世主ともいうべき男に感謝したが、男はなぜか和美の子供を連れて森で暮らすようになったという。つまりこの村でくぼずきんと呼ばれるようになった男は、子供である和美を屋敷の主にして魔獣の森に住み着いたのだった。
 しかし、その理由はやはり不明である。

 魔獣と和美の子供、そしてくぼずきん…。

 くぼずきんがなぜ村に現れて魔獣を退治したのか、そして子供は魔獣と和美の間の子供なのか…。ここまで話を聞いても、未だ謎は多く残ったままだった。
 この話が本当だとするなら神様と呼ばれた魔獣はすでに退治されたはずなのに、今の魔獣の森は魔獣で溢れかえっている。だがその原因が退治された魔獣の呪いなのか…、それとも地下に閉じ込められていたという魔獣が関係しているのかはわからなかった。
 けれど退治されたのも、地下にいたのも神様で呼び名は同じである。
 
 まるで和美から生まれた和美のように…。
 
 橘はそこまで話し終えると机に置いてあったライターを手に取り、手で抑えていた最初の魔獣と和美の絵に火をつけた。
 紙はバチバチを音を立てて燃えて、あっという間に灰になる。
 その様子を暗い瞳で見ていた橘は、机の灰皿の中に放り込むと自嘲的に笑った。
 しかし、くぼずきんは燃えている絵を眺めてその笑みを見てはいない。
 まだメラメラと燃えている炎に照らされたくぼずきんの横顔は、その炎の中に何かを見ているようでもあった。
 橘は細く長く息をつくと、すばやくポケットから拳銃を抜く。
 けれど人を殺すことを嫌っていたその手は、拳銃を握っても震えてはいなかった。

 「拳銃を握れるようになったのは、人間に近づいた証拠かもしれませんね…」

 橘がそう言うとくぼずきんは拳銃を降ろしたままで、口の端を吊り上げて口元に笑みを浮かべる。その笑みからは感情を読み取ることはできなかったが、橘に向けられた視線は冷たかった。
 その視線から静かな威圧感が感じられたが、それにひるんでいるヒマはない。
 橘はくぼずきんに向かって、握っていた拳銃の銃口をゆっくりと向けた。
 「油断のしすぎですよ、くぼずきん君」
 「そう?」
 「すいませんが、貴方を時任君に会わせる訳には行きません」
 「それは困るんだけど?」

 「僕のエゴのために死んでください」

 これから明かされていくだろう魔獣の生まれた訳を、それを知る権利を得る条件に…。
 関谷が橘に出した交換条件は、くぼずきんを殺すことだった。
 

 
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