くぼずきん.24
出雲会にしても東条組にしても、本部のビルにその名前を看板にして掲げているわけではない。両方とも表向きは貿易会社だったり、経営コンサルタントだったりと、素人目には裏家業がわからないようになっていた。
これからくぼずきんが向かおうとしている東条組のビルは、町の中心地にあったが、東条貿易という海外との貿易を取り扱っている会社になっている。しかし裏では正規の貿易品に紛れさせる形で、拳銃や麻薬の輸入と軍事用に育てられた魔獣の輸出を行っていた。
魔獣については国内マーケットでは、東条組よりも出雲会の方が勢力が強かったが、国外取り引きについては東条組の方に分がある。ぶつかり合いは常にあるものの、二つの大きな裏組織が未だどちらも健在なのはそういうことで利益の均衡が取れているせいだった。
だが、どちらも隙があれば国内外すべてのマーケットを独占しようと狙っているのは言うまでもない。そのためにお互いの商品である魔獣を使った血生臭い抗争が、頻繁に起こっているのは確かだった。
本来、この二つの組織を取り締まるべき立場にある国は、影で行われている軍事用の魔獣の飼育以外たいした産業も何もないことが原因で、裏では利益を得るために協力し、表向きは沈黙したままである。
その沈黙はずいぶんと長い間続いていたが、魔獣の闇取り引きで利益を増やしていて、いずれこの国が戦争を起こすのではないかという噂が影で上っているのも事実だった。
「うーん、やっぱ正面玄関からお邪魔するのが礼儀ってモンだよねぇ」
東条組のビルの前に到着したくぼずきんは、背後に肉塊の気配を感じながらそう呟いた。
正面玄関から行くのは正しい判断とは言えないが、肉塊に追われている以上、騒ぎが起こることは避けられない。おそらく肉塊が現れた時点で、関谷はくぼずきんがビルに潜入したことに気づくに違いなかった。
関谷がくぼずきんに会う気があるのかどうか、そこら辺がポイントになりそうである。
くぼずきんは拳銃をベルトに挟んで見えないようにしまうと、東条組のビルの玄関を普通の客を装って中に入る。以前、出雲会にいた時に知り合った情報屋がくれた情報が確かなら、関谷はすでにビルに到着しているはずだった。
玄関にある受付の前に立つと、
「すいませーん。関谷サンに会いたいんですけど、取り次いでもらえます?」
と、くぼずきんはのほほんと呑気な口調でそう言う。
すると受付にいたすました感じの化粧の濃い女は、ジロジロとくぼずきんを眺めた後、連絡するために手元にあった受話器を取った。
だが受話器を持った手は連絡を取ることをせず、そのままの形で固まる。
受付の女の視線は、くぼずきんではなくくぼずきんの背後へと吸い付いていた。
その表情は何か信じられない物でも見たかのように、驚きのあまり強張ったまま固まってしまっている。 くぼずきんはそんな女の様子に軽く肩をすくめると、差していた拳銃をベルトから外して構えた。
「関谷サンって何階?」
「あ、あっ…」
「何階かって聞いてるんだけど?」
「は、8階の…、一番奥の部屋に…」
「ふーん、8階ね…」
「ううっ…、あ、あれは何なの?」
女はくぼずきんの背後のモノから目が離せなくなっているらしく、くぼずきんが拳銃を抜いていることにも気づいていない。ただ空気を求めるように口をパクパクさせながら、目の前にある信じられないモノを指差していた。
くぼずきんはのんびりと拳銃の安全装置をはずすと、正面を向いたまま肩越しに背後に向かって拳銃を構える。するとズルズルという不気味な音と同時に、玄関のガラスがメリメリとひび割れていく音が響いた。
「この世にカミサマっていると思います?」
口元に笑みを浮かべてくぼずきんがそう言ったと同時に、辺りに銃声が響き渡る。
くぼずきんの撃った銃弾は、肉塊に命中していたがやはりわずかに進行速度が緩んだだけだった。
受付いた女は這うようにして逃げ出し、くぼずきんは受付から少し離れた場所にあった階段を、関谷がいるらしい8階に向かって登り始める。
すると、ちょうど上から降りてきた東条組の組員と鉢合わせた。
「なんだぁ、てめぇはっ!!」
「おいっ、こいつ確か…」
組員は拳銃を抜こうとしたが、それよりも早くくぼずきんの拳が組員三人を勢い良く殴り飛ばす。
すると組員達は階段の上にいるため足場が悪いので、バランスを失ってその場に転がった。
そして転がった組員達の上をくぼずきんが飛び越すと、その後ろから強烈な腐臭と共に何かがベチャリと音を立てながら近づいてくる。その音と匂いに気づいた組員達はハッとして階段の下の方を見たが、その音と匂いの元を見た瞬間に受付けの女と同じように驚いた表情のまま固まった。
けれどそうしている間にも、言葉にし難い不気味な色をしたドロドロの肉塊が、腐臭を漂わせながら速い速度で組員達に近寄ってくる。肉塊は魔獣の森にいたよりも、町の人々を吸収して更に巨大になっていた。まだ警察も肉塊を発見するに至っていないが、もしかしたら見つかるのは時間の問題だったかもしれない。
くぼずきんは背後から響いてくる組員達の悲鳴と肉塊の立てる不気味な音を聞きながら、休むことなく一気に階段を駆け上がった。
その間に何人かの組員と出会ったが、すべて拳銃を抜かせずに殴り倒している。
肉塊の出現でビル内がパニックに陥りつつあったが、まだ潜入したくぼずきんを捕らえようという動きはなかった。ここから脱出する時のために弾を無駄にはできないので、拳銃を撃つ機会が少ないのはいいことである。
くぼずきんはなんとか立ち止まらずに8階まで上がると、関谷がいるという奥の部屋へと急いだ。
肉塊は途中でビル内の人間を襲っているらしく、まだ8階までくるまでには時間がある。
もしも肉塊が8階に到達したら関谷と話しをしている余裕がなくなるので、あまり時間の余裕はなかった。
他の階とは違い、最上階である8階に人影はなく、シーンと静まり返っていたが、くぼずきんは周囲を警戒しながら廊下の突き当たりのドアまで走る。
そしてドアの前まで来ると、拳銃を構えて勢い良くドアノブをひねって中へと入った。
「久しぶりですね。そろそろ来る頃だと思ってましたよ」
くぼずきんが室内に向かって構えている拳銃の銃口の先。
そこにいるのは、いつも何かを企んでいるような笑みを浮かべている関谷ではない。
けれどくぼずきんは、目の前にいる人物に銃口を構えた手を下ろしたりはしなかった。
すると銃口を向けられた人物は、自嘲しながら窓にかかったブラインドを紐を引いてあげる。
そのせいで窓から眩しい光が室内に入り込んで来たが、くぼずきんはわずかに目を細めただけだった。
「やはりもう僕は貴方の敵でしか、なくなってしまったんでしょうね?」
「そのセリフを言う相手は、俺じゃないんじゃない?」
「僕が敵か味方かなんて、貴方にはどうでもいいことなのかもしれません。ですからそれは確かに…、そうなのかもしれませんね」
そう言って絨毯の敷き詰められた広い部屋の窓辺に佇んでいたのは、魔獣の森の屋敷で手紙を残したまま忽然と姿を消していた橘遥だった。
予想はしていたことだったが、どうやら本当に橘は関谷と共に魔獣の森から脱出していたらしい。
しかし、なぜ自分に怪我を負わせた関谷に着いて行くことにしたのかは、未だ謎のままだった。
橘はくぼずきんに拳銃を向けられても、それを気にした様子はない。
構えられた拳銃の照準は、正確すぎるくらい正確に橘の眉間に合わされていた。
「時任がドコにいるか知らない?」
「聞きたいのは…、関谷の居場所ではないんですか?」
「べつに聞きたくないけど?」
「もしも関谷が貴方の父親に…、宗方に協力していたとしても?」
橘の口から宗方の名前が出ると瞳をすうっと細めたが、くぼずきんはやはり関谷の居場所を橘に聞かなかった。
橘はくぼずきんと宗方の間に親子の確執のようなものを見ていてたのかもしれないが、くぼずきんにとって宗方が父親だという意識は始めからない。だが今のくぼずきんにとって宗方は、父親ではなく自分の腕の中から時任を奪い取った憎むぺき相手というだけで、それ以上でも以下でもなかった。
こうやって肉塊に追われながらここまでやってきたのも…、なにもかもがただ時任を取り返すためだけで…。
くぼずきんは本当にそれだけしか何も考えても、想ってもいなかったのである。
恋人である松本を置いてまでここに来た橘と、時任だけを追いかけてきた久保田では、やはり共通する部分が少ないのかもしれなかった。
時任の居場所を知っているのかいないのか…。
久保田がその答えを待っていると、橘は小さく息を吐いて軽く首を振った。
「残念ながら僕は知りません。何か情報がつかめればと思ってはいましたが、時任君の居場所は極秘にされていて、宗方のそばにいるわずかな人間しか知らないようです」
「じゃ、それを知ってる人間は?」
「・・・・・頻繁に宗方と会っているようですから、おそらく関谷は知っているでしょう。けれど関谷は今、国外にいて戻ってくるのは二日後です」
「一人で?」
「いいえ、宗方も一緒です」
「そして時任も一緒に、ね…」
「どうしてそう思うんです?」
「さあ?」
「まったく、本当に貴方には敵いませんよ。僕も貴方のように強かったら…、今、ここにいることはなかったのかもしれませんね…」
時任が宗方と一緒にいると言い切ったくぼずきんに向かって、何を思ったのか橘は自分の頭の上の部分の髪の毛を少し分けて見せる。くぼずきんがそちらの方に視線を向けると、綺麗に整えられた茶色の髪を抑えた橘の手の横に、明らかに怪我ではない10cmくらいの手術跡が見えた。
髪の毛に隠れていたので今まで見えなかったが、その傷は頭の左右に一つずつある。
くぼずきんが何を思うわけでもなく、それを眺めていると橘は再びその傷を隠して薄く笑みを浮かべた。
「関谷には見抜かれてしまいましたけど、僕は本当は人間じゃないんですよ。この手術跡は頭についていた耳を取った時のものです。貴方には興味のない話かもしれませんが、僕が生まれたのは軍事用の施設内でした」
そう言って橘がくぼずきんに語ったのは、軍事用の魔獣として生まれた橘自身の過去だった。
軍事用として生まれた魔獣は様々な訓練を受けさせながら道具と育てられるのだが、そんな風に生まれついた橘も例外ではない。
何も思わず…、何も考えず…、ただ人を殺すためだけの道具として育てられる。
しかし、そんな訓練の中で橘は魔獣としての自分に疑問を感じていた。
なぜ人を殺さなくてはならないのかということを…。
それは魔獣として生まれた自分だったが、そんなに人と自分に違いがあるようには思えなかったからだった。そして結局、橘は軍事用の魔獣としての初めての仕事の時に脱走したのである。
しばらくは魔獣であることを隠して町に潜伏していたが、どうすることも出来ずに飢えに耐え切れず倒れたしまった。
もうこれでダメかと思われたが、その時に偶然通りかかった無免許で医者をしているという男に助けられて、そこで耳や尻尾を取り去る手術をしたのである。
橘はそのことを話し終えると、深く息を吐いて耳のついていた跡のある場所を手で撫でた。
「僕は人を殺したくありませんでしたし、魔獣である自分にも疑問を持っていました。こうやって人間のように振舞っている今でもそれは変わりません。なぜ自分がこんな風に生まれてきたのかと…、それを知りたかった」
「…で、カギを持ってカミサマに会いに?」
「ええ、カミサマに会えたら…、何かがわかる気がしましたから…。けれど結局、カミサマなんてどこにもいないのかもしれませんね…」
「ふーん、それで今ココにいるってことは、カミサマじゃなくて関谷が何かカギを持ってたワケ?」
「全部というわけではありませんが…」
くぼずきんがやっと拳銃を降ろすと、橘はそばにあった机の引き出しから何かを取り出す。
それは、茶色くなって朽ちかけた一枚の絵だった。
誰が描いたものなのかはわからないが、その絵には少女と一匹の魔獣が描かれている。
魔獣はどの種類のものとも当てはまらない種類だったが、人間よりも遥かに獣に近い姿をしていた。その隣りにいる少女は朽ちかけた絵でも強くて気丈な性格がハッキリとわかるほど、生き生きと描かれている。
橘はその絵を破らないように気をつけて広げると、目の前にいるくぼずきんに見せた。
「これが魔獣の森を支配したといわれる少女と、あの森にいたと思われる最初の魔獣です」
森を支配した少女と最初の魔獣の絵の裏には、小さくかすれかけた文字で和美と書かれていたのである。
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